4.『黒澤 零の異世界物語』
「はぁ...はぁ...はぁ...」
肺が焼けて、溶けてしまいそうな程呼吸が荒い。
血流を正常に循環させる為、体の細胞が必死で働いているのが身に染みて分かる。
腹部に当てられるひんやりとした小さな掌からは、安らぎの心地良さと、ヒリヒリとした電磁波の様な震えが感じる。
「もう少しで、治せるから。ごめんね、こんな思いさせて。」
エルナが今も尚、零のグロテスクな姿となった腹部に治癒魔法をかけ続けながら謝罪をしてくる。
何に対しての謝罪なのかは、イマイチピンと来ないが、きっとエルナが謝る事では無いだろう。
「いや...ありがとう、助けてくれて...。死ぬ所だった...。」
「....うん、本当に...ごめんね。」
「いや、エルナは何も悪くない!むしろ、恩人だよ!謝る事なんて無いし、何なら俺の方が迷惑かけて...」
零は、後頭部をかきながら虚ろな目付きで口元を緩めて微笑んだ。
情けない自分の姿を客観的に見て笑みが零れてしまったのだ。
「こんな...美女に助けられて、俺...何やってんだろ...」
「ルイ...。」
「俺は君の『英雄』なのにな、何やってんだか。」
彼女から告げられた、"英雄発言"。それを鵜呑みして零はその人物像と重ならない自分の性分に呆れてしまう。しかし、その発言をしたと同時に、エルナの顔色は零と同じく虚ろとなる。
視線を上げて、彼女の俯く顔を見ると、何やら言いたい事がありたげな様子だった。
「...ルイ、記憶喪失なんだもんね...。だから、言ってなかった...けどさ」
「...エルナ?」
エルナの顔色が重くなっていく。赤い瞳が金色の前髪によって隠されていき、釣られて零の顔色も同じく重くなる。
きっと、エルナは重大な事を言おうとしている、"ルイ・レルゼン"についての重大な事を。
それを感じ取って、嫌な予感が胸の奥で静かに脈打つ。
張り詰める空気を一蹴するように、エルナはゆっくりと口を開けて語り始めた。
「――ルイ、貴方は...『大罪人』として、世界に指名手配されてるのよ。」
「―――」
言葉を出す機能が無くなったとではないか、と思えるくらい喉の奥が言うことを聞かなかった。
耳から脳へと届けられたその言葉を処理するのに、時間を必要とした。
"ルイ・レルゼン"は、『大罪人』であると、エルナが言ったのだ。『英雄』だと持ち上げていたエルナが、今度は『大罪人』だと、真逆の存在の対象である事を示して、零の脳内を混乱させた。
「...ま、てよ。は?『英雄』って...言って...」
「私からしたら、ね。でも...ルイ.....貴方のやってしまった行いは、決して償えるモノではないわ。」
エルナは目を合わせようとせず、冷たい地面に視線を固定して動かそうとしなかった。
わなわなと震える口元は、零の動揺を表す身体の本能だ。
胸の奥がキュッと、締め付けられどこかも分からない身体の何かが痛む。魂に攻撃をされた様なクリティカルヒットが、心臓を締め付ける。
「そんな...それじゃ、俺は...このまま、殺されるのか?俺は、何も...何も...」
「させない!そんな事、絶対させないから!」
「――っ!」
瞬間、零の視界は柔らかな身体の胸の内へと包容されていくのを見た。
小さくか弱いと思っていた腕は、案外硬さがあり筋肉は申し分無い事が布伝えでも分かる。
抱き締められた事で、不安と恐怖に呑まれていた精神に若干の浄化を感じ取って、零は平静を取り戻す。
「させないから、そんな事絶望させないから...もう、独りにはさせない!私が、何処までも着いていくから!」
「...なんで、そんなに...俺の事を...。」
『大罪人』と呼ばれ、世界から目をつけられているこの男に、何の価値があるのか。
こんな美女が捧げる程の価値、"ルイ・レルゼン"なんかに、あるわけが無いのに、なんで、そんな風に優しくするのか。
そんな疑問に彼女は、なんの躊躇いも無く優しく答える。
「――だって...ルイは、私の英雄だもの。」
「....英雄?」
「うん、英雄。私の、私だけの英雄様。私は全てを捧げる覚悟よ。」
零の首から腕を離して、今度はしっかりと赤い瞳で見つめ、そう言いながら微笑むエルナに、零の心はおかしくなりそうだった。
「...何を、言って...。」
「ルイは、私を守ってくれた...だから、今度は、私がルイを守る...!」
「...」
「大丈夫、だから、私が...守るからっ!」
彼女の優しい包容が、零の心を浄化する。
心優しいこの少女に、『英雄』と呼ばれ、世界から『大罪人』と呼ばれるお前は、一体何なんだ。
と、そう思った時、零の思考を一閃の光が突き刺す。
「...ぁ、...そういう...こと...」
「...ルイ?」
「....いや、もう大丈夫。心配かけてごめん。もう大丈夫だから、ありがとう。」
何か吹っ切れた様に零も微笑みかけてエルナを見つめた。視線が交差して、お互いが頬を赤らめる。
先程の戦慄した空気とは一変。糸が途切れて安堵のため息をつくほど、零の精神が安定する。
――そうか、そうなんだ、"ルイ・レルゼン"。
黒澤 零が奪った"ルイ・レルゼン"という男の本性、『大罪人』と呼ばれ、世界から指名手配もされる極悪人の彼が、どうして彼女だけからは『英雄』と呼ばれるのか。
「――世界を敵に回してでも、お前はこの子を守りたかった...そういう事なんだろ?」
なんとも、ベタな悲劇の悪役なんだ。"ルイ・レルゼン"。世界を守る為に戦うのがヒーローだとしたら、世界を敵に回してでも、1人の女の子を守る、それが悪。
それなら辻褄が合う。どうして『英雄』なんて大層な言われようされてんのか、どうして『大罪人』なんて悪名広げてんのか。
「なんだ...お前は、この子を守りたいだけの...それだけの男、それだけの為に剣を持つ、それが、"ルイ・レルゼン"なんだな。」
「どうしたの?ルイ。」
「いや、なんでもない。」
小さすぎる独り言をする零に、エルナは不思議そうに首を傾げる。
しかし、それならやる事はもはや明確だ。
異世界に来て、ようやく黒澤 零の目的が定まった。
エルナは、ルイを、零を助けてくれたし、こらからも助けてくれると誓った。
だったら、こっちだって誓ってやる。
この子を助けたい。守ってくれて、これ程大事に扱ってくれるこの子を、守り通してみせる。
"ルイ・レルゼン"が守ったこの子を、黒澤 零が代わりに守る。"ルイ・レルゼン"を取り戻すまで、黒澤 零がエルナの『英雄』になる。
「エルナ、俺は君を守り抜く。」
「...ルイ」
そうだ、それが俺の生きる意味だ。ここに転生してきた意味なんだ。
己の拳を深く握り、ルビーの宝石を彷彿とさせる彼女の目を捉える。
黒澤 零として、エルナ・リーベを守り抜くことを誓う。
「俺が君を守り抜く、君の『英雄』を取り戻す、君の、"ルイ・レルゼン"を取り戻す。」
「―――」
大した色男だ、"ルイ・レルゼン"、こんな美女を落とすなんて、この子の元に、お前を返すなんて惜しいものだよ。
そんな事を心の中で思い、零はニコリと笑い、エルナも一粒の涙を流して笑う。
『大罪人』とでも、言いたければ言うがいい。
それでも、俺はこの子の信じる"ルイ・レルゼン"を信じる。
『英雄』"ルイ・レルゼン"を信じる。
「だから、お前も早く帰ってこいよ。」
青い快晴の空に向かって呟かれたその言葉は、エルナには聞こず、届くべき人に聞こえてるかも分からないが、零の心は浄化済みだ。
黒澤 零の、"ルイ・レルゼン"を取り戻す異世界物語は、ここから始まる。




