2.『俺の名前は――』
潤う瞳の奥底から、輝かしい光の結晶がみるみる内に消えていく。
それは、一筋の光を失った、少女の瞳だった。
「―――」
声にならない音を喉から発して、謎の美女は、零の発言に必死で言葉を探している様子だった。
彼女も彼女で、どうやら混乱している様子だ。
「えっとぉ...感動の再会の所、大変申し訳ないんですけど...俺は多分、君の知る..."ルイ"って人じゃなくてですねぇ...。」
「...あ、えっと.....え?ど、どういう事?」
頬が硬直し、苦笑で精一杯の彼女の表情。
突然の告白に、彼女が捻り出した言葉がそれだった。
「実は、俺...さっきまで学校から帰ってる途中で、それで、トラックに引かれたんだ...。そしたら、この身体になってて...。」
「ちょ、ちょっと、待って!え!?何、どうしちゃったの!?ルイ!ねぇ、訳が分からないよ!」
彼女によって揺らされる肩。ぐらりぐらりと零の視界は振り回される。
その肩から伝わる彼女の手の震えから、彼女の精神が錯綜しているのが良く伝わってしまう。
「ごめん...俺は黒澤 零。君の言う、"ルイ"っていう人とは無関係の人間だ。」
「...な」
彼女の絶望したような顔は、初対面なのにも関わず、どうも胸にチクチクした感覚が芽生えてしまう。
「じょ、冗談やめてよ...!ルイはルイじゃないの!顔も、声も、魔力も、全部いつものルイよ!」
彼女の声調が段々激しくなっていく。声帯が震え出し、向き合えない現実に意義を申し立て続けるが、残念ながら、全て現実。
「...ごめん。」
「....」
零のその一言で、遂に彼女は押し黙った。
小さな部屋の中で、長い沈黙が2人を支配する。
「...ねぇ」
彼女が零の顔を見つめて話し出す。
改めて見ると中々の美人。金色の髪に似つかわしい真っ赤なルビーの様な目玉は、潤いを含んで、零の顔を捉えていた。キュートな上目遣いで心が揺れたが、どうも今はそんな事を言ってる場合では無い。
「本当に...ルイじゃないの?私の知ってる、"ルイ・レルゼン"じゃ...ない、の?」
「...うん、俺は....君の言う、"ルイ"では無い人だ。」
「...私の名前....知ってる?」
「....ごめん。」
「...」
ごめん、で済むのだろうか。黒澤 零の知る話ではないが、彼女と"ルイ"という人間の間柄に、邪魔をしてしまっている感覚がして、とても生きた心地がしない。
消えれるものなら、さっさと消えたい。こんな悲痛な顔を、させてあげたくない。
それだけが、今の零の望みだ。
「...もしかして、記憶...喪失...?」
「え、何?記憶?」
彼女の発言に、零は眉間に皺を寄せる。が、瞬発的に閃く。
「あ、なるほど...。」
記憶喪失――脳に何らかの異常が発生し、記憶を保管する部位に損傷が起こり、記録されてた思い出が脳内で再生出来ない状況に陥っている事。
つまり、"ルイ・レルゼン"は記憶を失い、その空となった身体に黒澤 零が転生してしまったのではないか。
「と、考えると...めちゃくちゃ転生運悪くねぇか...?」
自分の運の無さには確かに生前、自信がある程ではあったが、まさか死後にすらもその影響をモロに食らうとは思いもしていなかった。
記憶喪失の身体に異世界転生なんて、何ともややこしい状況に陥ったものだ。
「そうなのかも...どうやら、俺は記憶を失った"ルイ・レルゼン"という男に、転生してしまったのかもしれない...!」
「え、転生?何、どういう事?」
「あ、あの...実は俺、異世界転生人でして...あぁ、もう、ややこしい!」
異世界転生という奇妙な体験を食らってる状況で、更にややこしい状況に巻き込まれている身なのに、説明なんて無理に等しい。
髪を掻きむしりながら、パンク寸前の脳で状況整理をする。
「俺の本当の名前は黒澤 零。死んで転生した先が、この記憶喪失となった"ルイ・レルゼン"の身体だったみたいで、君とも初対面の状態になる。」
「...はぁ」
「つーわけで、色々大変申し訳無い所ではありますが、俺も俺で手一杯なので、どーぞここは飲み込んで。改めて、よろしく。」
「...ホント、勝手な所は相変わらずなのね...ルイ。」
△▼△▼△▼△▼
「私とルイが初めて出会ったのは、セリシア王国の南東にある村、ロード村っていう所なの。」
目覚めたベッドに2人で腰掛け、言葉を交わすが、両者目を合わせる気配は無い。
幾分、お互いが気まずい感情を抱いてる為、会話のテンポもスローだった。
そんな中、彼女が語り始めたのは、"ルイ"との出会い、思い出だった。
「初めて会った時、ルイはとびきりのおバカさんなんだと思ったけど........いや、別にずっとおバカだったけど」
「おい、俺の事じゃなくても、何だかその言われようは酷いぞ。バカとはなんだ。」
「ごめんごめん、でも!ルイは、ずっと...私の『英雄』だったんだよ?」
小さく慌ててルイへの言いようを軽く謝ると、今度は真剣そうな顔で、ルイを『英雄』だと持ち上げた。
「...」
『英雄』、なんて良い響の異名だろうか。是非ともそんな存在になってみたいものだが、零と疎遠な存在だ。
「私を、助けてくれた事も、覚えて...ないんだよね?」
「それは...うん。」
「...良いのよ、ルイは、悪くないもんね。」
耳が痛い。
その言い方は、"ルイ・レルゼン"は黒澤 零によって奪われたとでも言いたげな言い回しなのでは、と、ネガティブな思考が零の頭の中を支配する。
だが、実際"ルイ・レルゼン"を彼女から奪ってしまったのも事実なのかもしれない。
空だった身体に、事故とは言え憑依してしまった黒澤 零。もしかしたら、いつか目覚めていたかもしれないのに、零によってその未来は無くなってしまったのかもしれない。
「...ごめん、俺が...."ルイ・レルゼン"を、奪っちゃって...本当に、ごめん。」
「そ、そんな事言わないで!記憶喪失で1番大変なのはルイなんだから、そんなに思いつめないで!」
「いや、だから"ルイ"を奪った俺が...」
「もう!そうやっていつも自分が悪いみたいな言い方する!大丈夫だから!きっと、記憶を戻す手段はあるから!今は、落ち着きましょ?」
「...」
必死になだめてくれる彼女も、根本的に全く理解していないのが分かる。
彼女が今、話しているのは"ルイ・レルゼン"なんだ。
黒澤 零のことは、見てもいない。知りもしない。
「なんだ、現実と同じじゃん。」
「へ?」
「いや、なんでもない。」
小さく吐いた言葉にも、彼女は敏感に反応してくれる。それは、この身体が"ルイ・レルゼン"だからであって、零のためではない。
多分、今後もいくら説明しようとも、彼女は零の事を、記憶喪失の"ルイ・レルゼン"としか思えないのだろう。
「...返そう。」
「ん?」
「取り返そう、"ルイ・レルゼン"を。」
だったら、もう、やるしかない。
「俺が、君の"ルイ・レルゼン"を取り戻しやる。」
零は大きく立ち上がり、彼女と視線を合わせる。
いくら見ても飽きない愛おしい瞳を見つめて、零は覚悟を決めたように言い放つ。
「俺が英雄"ルイ・レルゼン"を、この世界に返すと約束しよう。」
「...ルイ」
「それでさ、ずっと言おうと思ってたんだけど...」
「ん?」
決心の着いた顔立ちから、今度は苦笑いの表情に変わった零の顔を見て、彼女はきょとんとした表情になる。
深く息を着いた後、秘めていた思いをさらけ出す。
「君の名前、そろそろ教えて貰ってもいいかな?」
「...あ」
ずっと、思っていた。"ルイ"を想い、ここまで親身になってくれる彼女、おそらく、今後も共に行動していくであろう彼女の、名前が知りたかった。
「ふふ、そういえば、言ってなかったわね。ごめんね、忘れてたんだもんね。」
「うぅ、それ言われるとなんだか申し訳無くなる...。勝手に忘れたのコッチだから、君に非は無いから!」
そう言った後、彼女は小さく笑いながら、立ち上がり、名乗る。
「私の名前はエルナ・リーベ。ルイの、ベストパートナーよ。」
「...エルナ、か。良い名前だ。それじゃ、エルナ、今後も――」
「さて」
「...ん?」
零の言葉を遮り、パンッと両手を合わせるエルナ。
意気揚々とした零はきょとんとし、エルナは優しく微笑みながら、言葉を紡ぐ。
「私の名前を聞いたんだから、今度はそっちが名乗る番よ。」
「...へ?」
と、よく分からない事を言い始める。
だって、名乗らずとも彼女は知っているはずだ、この身体は、目の前にいる男の名前は、紛うことなき"ルイ・レルゼン"であることを。
「...ぁ」
否、違った。違うのだ。
「――私は、エルナ。貴方の名前を聞かせて?」
「...」
彼女は、聞いているのだ。
"ルイ・レルゼン"に、ではなく。
黒澤 零に、聞いているのだ。
「...」
ずっと、彼女が見ているのは、外側の"ルイ・レルゼン"の事だけだと思っていた。"ルイ・レルゼン"だけしか見ておらず、零の事を見ていないと思っていた。
違ったのだ。彼女はちゃんと見ていた。
記憶を失った、空になった英雄"ルイ・レルゼン"の中身。
そこに眠る、黒澤 零の事を、真摯に見つめていたのだ。
「...なんだ、めっちゃ良い子じゃん。」
零は、小さくふっと笑い、照れ臭そうに鼻をかく。
自分の事をこんなに見ようとしてくれるのが、とても嬉しくて、零は満面の笑みと共に、自分を言い放つ。
「俺は、俺の名前は黒澤――――」
その時、部屋の屋根が一気に崩壊し、崩れゆく木材が、2人を襲った。




