12.『崩壊』
『――お前は、英雄だ。黒崎 零。』
と、床にそう刻みこまれている。
「....はぁ?」
それを見て、零は、目にして、確認して、しかと見て、脳に焼き付けて、それで、零は、頭が、
「んだぁまぁれぇよぉ!!!!!!!!」
腰の剣を抜き、床にきりつける。
カンっと、跳ね返されるも、零の怒りは収まらない。
「ふざけんな、ふざけんなぁ!何が、英雄だぁ!こんな、こんな...こんな!クソみたいな身体のせいで!街が!エルナが!!!死ね!死ね!死ね!死ねよ!"ルイ・レルゼン"!!!!お前がぁ!!!死ねよぉ!!!!」
冷たく硬いコンクールは、微かに、だが確かに零の切り傷を受け止め続ける。
刻まれた文字に打ち付けられる剣の傷は、文字の解読を困難にさせるほど、増え続けていた。
ガンッ!と、最後に剣を突き刺す。
「...俺が...『英雄』なんて...しら...ねぇんだよ!...何もかも!」
『――お前は、英雄だ。黒澤 零。』
「...なぁ、なんなんだよ...。」
冷たく、硬い床を撫でながら、刻まれた文字に向けて、零は心の悲痛を投げかける。
「...なんで...俺の、名前を....」
『――お前は、英雄だ。黒澤 零。』
「...お前...なのか...?」
『――お前は、英雄だ。黒澤 零。』
「...お前が、"ルイ・レルゼン"...なのか...?」
『――お前は、英雄だ。黒澤 零。』
「...答えて...くれよ...。教えてくれよ、俺は....俺は、どうすれば...いいんだよぉ...。」
「――何をしておる、小僧。」
階段の向こうから聞こえてくるのは、ガーナの呼びかけだった。
暗い大広間の真ん中に膝をつく零の姿を見て、哀れみの目を向けるガーナの呼びかけに、零は一旦の落ち着きを見せた。
「...爺さん...。俺は...どうすりゃいい?」
「あの小娘はお主の仲間なんじゃないのか?」
「...俺の....仲間...なのか...?」
エルナの事は仲間だと思っていた。この異世界に来てから誰よりも真摯に、零という存在を大事にしてくれていた。
でも、それは外側が"ルイ・レルゼン"だからだ。
「...分からない、俺とエルナが何なのか、もう分かんない。俺は...エルナを助けに行かなきゃいけないのか?」
「強要する事でもないが、助けに行くのが道理じゃろ?お主はあの子をどう思っとるんじゃ。」
改めてそう言われて、零の心に歪な感情が芽生え始める。
モワモワとした黒い煙のようなものが、思考を邪魔させ、良くない方向へ考えを仕向けさせている。
「...エルナが大事に思っているのは..."ルイ・レルゼン"で..."ルイ・レルゼン"が守るべきなのが...エルナなんだ...。」
「...と、言うと?」
「俺は...黒澤 零には、あの子を助ける義理も、この街を助ける義理もあるのか?」
「...」
もう、何だかどうでも良くなってきた。どうして、今までエルナを守ることが自分の役目なんだと思っていたんだろう。
別に、守った実績はないし、実力も無いし、そもそも、黒澤 零にエルナ・リーベはどんな感情なのだろうか。
「エルナが守りたいのは..."ルイ・レルゼン"なんだ。俺じゃないんだ。」
「...」
「そうか...俺は、俺だ。俺は...黒澤 零だ。何者でもない、黒澤 零なんだ。」
「...お主」
「...決めた、俺は...この街から出てく。」
それが、きっと今の状況から生還する唯一の道。
力も知識も義理もない。だったら、しっぽ巻いて彼方まで逃げ切ってしまえばいい。
エルナも、シワレスも、黒澤 零には関係の無い話なんだ。
そうやって踏ん切りさえつけば、後はもう流れるままに、この身を捧げるだけだ。
零は虚ろな目で立ち上がり、ガーナに背を向け出口へ向かう。
零とエルナが侵入した時計塔の穴の方向に足を進め、生存の糸口にしがみつく。
「俺を、薄情だと思うか?そう思うなら、勝手に思ってくれていい...。」
「...お主は、それでいいのか?」
「いいさ、だって...俺の人生は、俺の...黒澤 零のものだ。"ルイ・レルゼン"には関係無い。」
たまたま、"ルイ・レルゼン"の身体に転移しただけの話なのだ。外付けが他人なだけで、中身は零。
ならば、零としての人生を歩むべきだ。
「もう、どうでもいい。爺さんも早いうちに逃げとけ。この塔も襲われるぞ。」
「そうか...なら、ワシからもお主に一言言っておこう。」
と、ガーナは間を開けてから、再び口を開ける。
「信じておるぞ、『英雄』ルイ・レルゼン。」
「.......」
その言葉を最後に、ガーナの足音が遠ざかるのがわかる。
階段を上り、零から離れていく。
「...俺は...黒澤 零だ。」
零は拳をギュッと握り締め、穴の中へ身体をうずくめた。
『――お前は、英雄だ。黒澤 零。』
その刻み文字だけ残して、シュワの時計塔の大広間は、再び静かな広間となった。
△▼△▼△▼△▼
「...俺は...いだ....俺は...く.....れ...だ....」
トボトボ、トボトボ、砂埃が舞う外を、歩き続ける。
風はうるさく、辺りに散乱した物資が見え、街の中心の悲惨さが、塔の裏からでも分かる。
「...俺は...知らない、知らない...知らな.......」
下を見ながら足を進めると、足元に転がる子供の足が見えた。
「...ぁ?」
顔を上げると、小さな子供が目の前で尻もちをついて座っていた。
「...」
唇を震わせて、少女は目を潤わせていく。
「....ぁ...あぁ....ルイ....レルゼン....!」
「...ぁ?」
「ルイ・レルゼン!!!!!ぎゃああああああああああああああ――――」
少女はそう叫びながら奥へ走り去っていく。
小さくなる少女の後ろ姿が、零の心をひどく傷つける。
「...なん...なんだよ...。」
もう、嫌だ、こんな世界。
少女は、逃げる。
「なん、なんだ!」
逃げる。
「お前らはぁ!俺はァ!!!なんなんだよぉ!!!!!!」
魂の叫びを咆哮し、零はぐちゃぐちゃの感情をぶちまけるように、地面を強く蹴り、走り込む。
「いや、助けてぇ!!!!」
少女が泣き叫ぶ。
零もまた、泣き叫ぶ。
「ふざっけんなよ...!俺だって、俺だって!助けて欲しいんだよ!!!」
逃げないで欲しい。憎まないで欲しい。
「なんで、逃げるんだよ!」
怖がらないで欲しい。
「俺が、何したって――」
少女に追いつきそうなところで、零は派手にすっ転ぶ。
砂利道に全身ダイブさせて、ボロボロの服になり、髪にも肌にも砂埃がつく。
「...ぁ」
少女がその時、ピタッと止まった。
振り向き、ほんの少し、泣きじゃくる顔を歪ませ、心配の感情を見せた。
「...」
何も言わない。それでも彼女は、何も言わない。
心配は、しるのかもしれない。なら、
「...て。」
「...ぇ?」
ならば、と思い、零は顔を上げ、右手を少女に差し出す。
ならば、心配しているのならば、
「....助けて、くれ。」
「...」
この手を握って欲しかった。
自分を、黒澤 零を、認めて欲しかった。
生きてていいって。
そう、言って欲しかった。
この、クソみたい世界で、もう一度人生をやり直させて欲しかった。
それでも――
「...いや」
「...」
「いや、いやぁ...、いやぁ!」
少女はそのまま奥へ走り去って行くのが、結末だった。
「...」
零の右手は空っぽのままだ。もう、誰も零を見ていない。誰も、零の隣にいない。
「...ははっ」
黒澤 零は、この異世界で一人だった。
「...ははっ、ははは、はははっ、はははははははははははははははは」
男の狂気じみた声が、時計塔裏で響き渡る。
何か、感情のネジが壊れて、零の心がぶっ壊れた瞬間だった。




