10.『時計塔の管理人』
「お主の顔は、昨日見たばっかりだと思うとうたのだが、ワシの勘違いだったかのう?すまんな、最近ボケが酷くてな。」
老人は零の顔を凝視しながら周りを彷徨き、自身の記憶力の弱さを卑下するように、薄毛の頭を自分で撫でる。
確かに、ボケが回っていてもおかしくない年齢に見えるが、この件に関して、ややこしい事をしているのは零だった。
「...えっと、貴方は昨日の俺と...出会っていると?」
「そうじゃと思ったんじゃが...気のせいだったか?」
「いや...多分、合ってる、と思います。実は、俺記憶喪失になってしまいして、昨日の事どころか、自分の事すら全然覚えてないんですよ。」
「なんと、記憶喪失...。それは大変な身じゃなあ...どれ、ちょいと頭見せてみぃ。」
「え、頭?」
小柄な老人の言いなりに、零は身をかがめて頭を差し出す。
「...これって一体、って!おい!」
白髪の髪を無造作に掻き分けて、老人は零の頭をガッシリと掴む。
頭皮をジロリと睨み付け、そのまま不動で何かを見極めている様子。
「...む、む、む」
「これって、何?」
「し、知らないわよ...。」
エルナに助けを求めるも、彼女も老人の言動には目を丸くしているだけで、何も出来ずにいた。
そんな摩訶不思議な時間はあっという間に時計の針を一分進ませる程続いた。
「む、何も異常なし、本当に記憶喪失かぁ?」
「待て待て!今の一連の流れについて説明してくれよ!何で俺今頭見せたんだ!?」
「なぁに言っとる、お主が記憶喪失だと言うから、異常が無い見てやったんじゃろ。」
老人は零の物言いに呆れた様子でそう答える。しかし、零からしてみればやはり意味不明。
「見たって、アンタ今俺の頭皮を見ていただけだろ。」
「ちゃうわぁ、脳じゃ、脳を見たんじゃ。」
「...脳?は?今ので?」
「そうじゃ、ワシは目が良いからのぉ、凝らせば何でも見れる程の視力を持っておる。」
老人はそんな、信じ難い事を当然の様に宣い、零を更に混乱させるのだった。
「あの、おじいさん、ルイの頭は正常なのは本当なの?」
「ん?そうじゃ、見た所異常は無い。まぁ、外見では分からない症状だったら、ワシもお手上げじゃがな。じゃが、脳の作りが柔かく優しくなっておる、別人みたいじゃ。」
「...つまり、脳の記憶に関する部位の仕組み、その異常が外見的なものか、内面的なものかって話だろ?とりあえず、外見的では無い。」
エルナに問われた事に髭を擦りながら応える老人、そしてその回答に補完する説明をする零。
徐々に、零の記憶喪失の原因が絞られたとは言えないが、着実に答えには近づいて行く。
だが、その前に、
「爺さん、アンタ何者だよ。」
頭を見ただけで、脳の異常の有無について言い当てる事の出来る老人、その正体について言及する。
「言ったじゃろ、ガーナじゃよ。時計塔の管理人じゃ。」
「じゃなくて、そんな凄い目持ってて、俺の脳についても結構的外れな事言ってこない。脳の作りが別人みたいって言ったな?」
「ん?あぁ、脳っちゅうのは、人格によって若干変わるんじゃ、主に感情のブレーキやら行動やらが人格で変わるからな、その人格の魂にあった脳に変化する。昨日のお主の脳はもうちょい硬かったんじゃがな。」
脳に柔らかいも硬いもあるのか、と聞きたかったが、今零が問いただしたいのはそこでは無い。
「昨日の俺と、会ってるんだな?」
「勿論会っておるし、話もした。」
貴重な、"ルイ・レルゼン"と関わった人間なのだ、活かさない手は無い。
記憶喪失も、"ルイ・レルゼン"のやりたかった事も、もしかしたら老人から何か掴めるかもしれない。
「なぁ、教えてくれないか?昨日の俺と、何の話を?」
その零の問いに、ガーナは一呼吸空けてから、真剣な眼差し
と共に応える。
「――"神殺し"のやり方、についてじゃよ。」
ガーナの口から放たれたのは、物騒にも、神聖な存在である、"神"への反逆とも捉えられるモノだった。
その言葉を聞いて、零の額から冷や汗がにじみ出る。
「...神、殺し?俺が?」
「誰でもない、お主がそう持ちかけてきたんじゃ。ワシにな。」
「...」
「言ったのはお主じゃろう?ここへ突然やって来て、お主は自分勝手に話を進めたんじゃ。ワシは止めたと言うのに。」
そう言い、ガーナは時計針の中心に備えられている真っ白な球体に目をやる。
そして、何かを思いながら目を細めていた。
「...おい、爺さん?どした、急に黙って。」
「...おぉ、すまんなんでもないわい。...そうじゃ、お主達、お尋ね者なんじゃし、とっととこの街から出てくのが吉じゃよ。」
と、ガーナは突然零達の身を案じるような発言をしだした。
だが、その言葉に突っかかるのは、先程から口数の少ないエルナだった。
「はい、ご存知の通り私達は指名手配です。ですから、騎士が既にいるこのシワレスからも一刻も早く逃げ出さなければなりません...ですが」
「...エルナ?」
「ですが、私は貴方を微塵も信じれないです。どうして、『大罪人』を前にしてそこまで平然と、身を案じたりするのですか?」
エルナの言い分は、零も少し共感できた。
実際不思議ではあった。どうして、この老人ガーナは先程、いや昨日から、『大罪人』である"ルイ"に対してそこまで態度を変えられずに対応出来ているのか。
「...この、『シュワの時計塔』はセリシア王国の管轄する施設です、そこの管理人である貴方は、国の使いですよね?」
「...じゃったら、なんなんじゃ?」
「それだけで、貴方を信じられない理由は十分だと思いませんか?」
エルナは無情に冷酷な声で、ガーナを一蹴する。
2人の空気がやけにピリピリしだし、零の口も籠もる。
確かに、エルナの言う通り、ガーナは怪しい立場かもしれない。本当に信じていいのかも疑わしい。
だが、零はガーナの事を信じたいと思っている。
だって、縋れる数少ない希望なのだ。
"ルイ・レルゼン"を取り戻す、数少ない関係者。
信じられないなんて、そんな仕打ち嫌だ。
「いや、エルナ...俺は昨日の時点でこの時計塔には行ってて...そこで、この管理人の爺さんと仲良くなったって事も――」
「そこのおじいさんが、ルイの記憶を奪ってたら、としたら?」
「―――ぁ」
どうして、その可能性を考えなかったのか。
零は己のお気楽な頭を呪った。
「...お前、が...俺の記憶を?」
「...はぁ....断固として、否定するが?」
「証拠は?無いんですか?」
零も、エルナと同じ考えに思考が傾きつつある。
普通に考えて、『大罪人』を前にしてあんな素振りは不自然だ。絶対に、何かを企んでいるからこその自然な素振り。
「お前...か?お前が、犯人なのか?」
「...時計塔に、血痕と戦いの跡があった。貴方とルイが戦った痕跡では?」
「...アレは、元々あったものじゃ。」
もう、何もかもが怪しく見えてしまって仕方が無い。
こんな老人に希望を見出したのが間違いだった。信じられる訳がない、だって、"ルイ"は『大罪人』なんだ。
誰かに普通に接して貰えるわけない。
この世で、エルナだけしか、普通に接してくれない、それが"ルイ・レルゼン"。
「っ!おい!爺さん!俺の記憶はどこやった!?答えてみろ!」
零はいても立ってもいられず、腰から剣を抜き、ガーナへと突き立てる。
震えた剣先がカタカタ音を鳴らし、静かな時計塔の最上部で響き渡る。
「ルイ、落ち着いて。...おじいさん、もしかして、もう既にこの塔に騎士の援軍を呼んだりしてない?」
「しとらん、ワシは確かに国の使いじゃ。じゃがなぁ、ワシは目が良いんじゃ。」
「...どういう事?」
「人を見る目も良いってことじゃよ。」
ガーナはそれだけ言って、静かに後ろへ振り向き歩いて行った。
その小さな体はどこか寂しさを載せて、それ以上何も言わずに歩いて行った。
「...おい、待て!爺さん!」
「...なぁ、ルイよ....お主は――」
その時だった。
時計塔は激しい衝撃と共に大きく揺れる。
「――っ!」
立つことすらままならない激しい揺れが、3人を襲う。
ズンっと、大きな物体が地上に降り注いだ様な、地震とも比べ物にならない瞬間的な衝撃に、零は身体を抑える。
「...何が!?」
「っ!なんじゃ、これは...!」
すると、ガーナは突然走り出し、取り付けられている時計塔の窓口から、外を見やる。
「...な、何だ?何が起こってる?」
「ちょっと!外が騒がしいけど、一体何なの?」
エルナも、零も、急いで窓に顔を覗かせる。
すると、そこには異様な光景が広がっていた。
「――っ!な....」
"境界街"シワレス
その、街の中心に大きく広がる竜巻が街のあらゆる建物を崩して行く。
「...どうなって、るんだよ。」
零が小さくそう零すと、時計塔の上空から何か人影が宙を舞った。
灰色の長髪が揺れ、軽装で小柄な身体。
だが、ハッキリと見える長い長い耳。
それは、まるで
「――ひとつ、この街の者に問いたい。ここに、居るのか?」
それは、宙に浮き続け、地上の人間を見下しながらかける、質問。
「ここに、"ルイ・レルゼン"は、居るのか?」
女、いや、間違いなく、その"エルフ"は、"ルイ・レルゼン"を探しているような言い回しで、人々に問いかけていた。




