代理人
アイリスは身構えた。彼女の体は落下し、やがて首元が締め付けられる。それを覚悟して身を瞑った。さあ、ここからあと何秒、地獄を見るか。彼女の視界はスローモーションのように落下する。そして、地獄のような苦しみが───
.....来ない。彼女が覚悟していた苦しみが、いつまでも来ない。恐る恐る目を開ければ、当然体は宙に浮いている。それなのに、何故か苦しくない。息もできる。ロープは首元に巻きついているが、彼女の呼吸を止めてはいなかった。
「.....あれ.....?」
そこで彼女は気づく。足元に浮遊感があることに。体が、浮いている?それとは少し違う。まるで、下から押し上げられているような。
そう、それは重力だった。彼女を落とそうとする重力はもちろん、下からも重力がかかっている。そんなことを出来る人間を、彼女は1人だけ知っていた。
「.....シエラ.....さん?」
彼女は辺りを見渡す。すると建物の影、群衆から離れた場所にシエラがいた。なんらかの魔法を受けたのか、壁にもたれかかるように立っている。
「.....おい、何か変だぞ。」
ルビーが気づいた。彼はアイリスが苦しむ素振りを見せないのを不審に思っていた。そこで神経を研ぎ澄ますと、わずかに彼女の足元に魔力の波長を感じた。
「誰かが彼女の死を止めている。探せ!」
その言葉に場の全員が驚きながらも探知を始める。このままではバレるのは時間の問題だ。彼女は魔法を使おうとするも、魔力封じがされていて使えない。
「魔法を行使している人間は近辺にいると見て間違いありません!」
「くそ、この観衆の中から探すのは骨が折れるぞ.....!」
観衆がどよめく。彼女は処刑台の上で、何も出来ずにもがいていた。彼女の視線はシエラに固定されていたが、彼女はそれを逸らした。それは、目線からシエラが特定されるのを防ぐため。
「おい、もっと正確に探知できないのか!」
「無理です!何しろ人が多すぎます!誰が彼女を助けている魔力の持ち主か判別できません!」
「大まかでいい、続けろ。」
ルビーは頭を回転させる。誰だ。誰がアイリスを助けている。彼が知っているアイリスの仲間は3人。しかしそれは既に倒している。かなり強く幻像を見せた以上、行動できるようになるまでにはまだ時間がかかるはず。
(.....いや、余程強く魔力抵抗があれば、あるいは...)
彼は観衆の中に、自分が魔法をかけた人物がいないか探す。しかし、離れた建物の壁にもたれているシエラには気付けなかった。
「やはり、1度死罪執行を中止して.....」
「───その必要は無い。」
その声は、天から響いた。しかし天の救い、など神々しいものでは無い。ノイズのかかった、判別できない声。そして、黒いローブを纏い、その顔には仮面をつけている。その声を、アイリスは知っていた。
「.....お前は....ッ!!」
そう。この人間は、千影を殺したあの乱入者。アイリスが唯一、この世界でやり残した未練の相手。
「誰だ...!?」
あの時セレネを殺した人間を知っているのはアイリスだけ。他の目撃者である護衛は全員殺害されている。
「.....なんだ、お前は。」
ルビーの問に、答えはしばらく飛ばなかった。やがてその人間は口を開く。
「......そうだな。代理人、とでも言え。」
「代理人...?いや、それよりどういうことだ。死罪執行の延期の必要が無いというのは。」
「こいつを殺すのを妨害している人間が誰か、知っているということだ。」
「.....っ!?」
アイリスの肩がびくりと跳ねた。なにしろ、シエラが見つかればシエラも殺されるかも知れない。それに、千影の復讐をする千載一遇のチャンスを逃してみすみす死ぬことになる。
「待て.....ッ、お前千影を.....!」
「.......惨めだな、貴様は。」
代理人がアイリスを嘲笑う。アイリスの頭に血が上り、その場でもがく。それでもロープは解けず、ただ睨みつけることしか出来ない。
「殺してやる!このッ...!」
「黙っていろ!それで、どこにいるんですか。彼女を助けている人間は。」
「.....今から見せてやろう。」
代理人が飛び上がる。そして、シエラに一直線に向かって行く。
「待て.....待て!シエラさん、逃げて───!」
「.....っ!?」
シエラが気づくが、既に遅かった。代理人の刀が振り抜かれる。半歩下がるが、それに意味はなかった。
声を上げる間もない。鮮血が、舞った。




