表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/8

夕焼けの網

翌日、16時39分。

屋上の鉄扉の前で、五人は一度だけ視線を交わした。


豪がロープを両手で掲げる。

「二カ所に張った。昨日より固い。引かれても、戻す」


真木が結び目を覗き込み、指で引っ張って確認した。

「ほどけない。たぶん」

言い切らないのが、彼女なりの誠実さだった。


「たぶんじゃ怖い!」

豪が叫ぶ。


「大丈夫」

レナが言って、豪の肩に軽く手を置く。

「豪が結んだんだから」


豪が一瞬固まってから、変な笑いを漏らした。

「……はい」


東貴は右手を開いて閉じ、黒い痕の熱が来ないのを確かめる。

「行く」


16:40:13。

扉が開き、屋上に薄い膜が降りる。


音が完全に消えるほどではない。

それでも、空気は昨日より冷たく、遠くの声が水の底みたいに遠い。


西側。夕焼けの縁。

落ち続ける少女は、まだいた。


「薄い」

東貴が言う。


「だから急ぐ。でも、飛び込まない」

真木が言って、録音を回す。

波形は細く震え、時計は進む。


「合図は私」

レナの声が、いつもより少しだけ硬い。

「東貴、近づいて。豪、支えて。明日香、メモを見て」


明日香は胸ポケットのメモを握りしめ、うなずいた。

指先が冷える。紙のざらつきだけが、妙に生きている。


豪と明日香がロープを保持し、レナは鉄扉側の支点を押さえる。

東貴がフェンスへ身を寄せる。


「今」

レナが言った。


東貴が右手を伸ばす。

指先だけで、触れる。

掴むのではなく、引っかける。


冷たい。


――引かれる。


だが、昨日のように体ごと持っていかれない。

ロープが張り、豪が踏ん張り、レナが支点を押さえ、明日香が必死に保持する。


「来い!」

東貴が歯を食いしばった。


空の輪郭が一瞬だけ濃くなり、少女がこちらを向く。

彼女は落ちているのに、触れた瞬間だけ、世界の重さで引く。


黒い痕が跳ねる熱が、サポーターの下で脈打った。


「っ……!」

東貴の肩が引かれる。

豪が吠えた。

「耐えろ! 俺がいる!!」


レナが短く言う。

「東貴、今。抜いて」


東貴は引かれる力に逆らい、右腕を“引く”。

腕力ではない。体幹で、重心で、引き寄せる。


その瞬間、少女の落下が止まったように見えた。


口元が動いた。「あ……が……」と、途切れ途切れに。


東貴と豪だけが、それを聞き取れた。フェンス際の彼と、すぐ後ろでロープを踏ん張っていた彼にだけ、声にならない欠片が届いたらしい。明日香たちには、唇が震えたのと同じにしか見えなかった。


少女の像が、夕焼けの粒子にほどける。

糸が切れるみたいに、上から下へ消えていく。


膜が破れたみたいに音が戻る。

風。カラス。グラウンドのホイッスル。遠くの笑い声。

日常が、遅れなく耳に落ちてきた。


真木がスマホを見つめる。

「……波形も時計も、普通に戻った」

時計は16:41を示している。


東貴がフェンスから離れる。

右手の黒い汚れは残っているが、今日の熱は、引いていくのが分かった。


「止まった?」

明日香が聞く。


「止まった」

東貴が答える。


豪が膝に手をつき、息を吐く。

「勝った……。今日の俺、完全にMVPだろ」


真木が小さくうなずく。

「うん。今日は」


「また“今日は”って言った!」

豪が叫ぶ。


笑いが、小さく広がる。

その中心で、明日香はメモを取り出した。


表の文字。

〈 学 園 七 不 思 議 〉が、昨日よりくっきりしている。


ゆっくり裏返す。


そこにあったはずの『 壱 屋上に 』は、きれいに消えていた。


代わりに、薄い灰色の文字が、紙の繊維から浮かび上がる。


『 弐 図書室に 』


「……出た」

明日香の声が、やっと震える。


真木がメモを受け取り、短くうなずいた。

「一件閉じると次が開く。ルール、確定」

言い切ったあとで、小さく息を吐く。

「……少なくとも、いまは」


レナはその文字を見つめ、ほんの一瞬だけ目を伏せた。

それから顔を上げ、ふだんのトーンで言う。


「部室で、今日のことだけ軽くまとめてから帰りましょう」

そして付け足すみたいに、少しだけ笑った。

「寄り道はしないで。……ね?」


「はーい」

明日香が返事をする。


豪が恐る恐る手を挙げる。

「えっと、つまり次は図書室ってことだよな?」


「そうなるね」

真木が答える。


豪は数秒固まってから、天を仰いだ。

「図書室なら平和だろ。な? 本しかないし」


東貴が乾いた声で返す。

「この学校でその発言、いちばん危ない」


明日香が笑って、メモを胸にしまう。


「次の舞台へ。今度は、もっと準備して行こう」


夕焼けの色は、もう夜に溶けかけていた。

五人は扉を閉め、屋上を後にする。


鉄扉の向こうに残ったのは、風と、誰もいない空だけだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ