落下への備え
部室の蛍光灯が、やけに白く見えた。
窓の外は夕闇で、ガラスに自分たちの影が薄く重なっている。
机の上には、真木のノートと、東貴の右手のサポーター、明日香のメモ。
豪が買ってきたコンビニ袋からは、甘い匂いがした。
「とりあえず糖分」
豪が言って、ゼリー飲料を机に並べる。
「頭使うんだろ? こういうの必要だろ」
「助かる」
真木は素直に受け取って、ストローを刺した。
「豪、今日は有能」
「“今日は”って言うな!」
豪はむくれるが、口元は隠せない。
レナが小さく笑った。
その笑い方は、生徒会長というより普通の先輩のそれで、明日香は一瞬だけ肩の力が抜けた。
「……ごめんね」
レナが言う。
「さっき切り上げたの、私の判断で。怖がらせた?」
「怖いのは、いつもだよ!」
明日香は即答して、すぐ笑った。
「でも、止めてくれて助かった。あれ、東貴ほんとに――」
東貴は首を振る。
「大丈夫。豪が引いたから戻れた」
豪が咳払いをして胸を張る。
「そうだ。俺がいなきゃ終わってた。つまり隊長は俺」
「はいはい」
明日香が頷く。
真木がノートを開く。
ページには、屋上の位置取りと、時間、録音波形のスケッチがぎっしり書かれている。
豪がノートを覗き込んで、眉をひそめた。
「なあ、これ。なんで止まった秒が十三なんだ?」
「44とかなら、いかにもって感じだけど」
明日香が指を立てる。
「十三は偶然か意図か、まだ分かんない。でも、気にしとく価値はあると思う」
真木はペン先で箇条書きをなぞった。
「仮に整理するね。触れた瞬間だけ、落ちる“重さ”が現実側に出て引っ張られる。ログ上はそう見える。見た目の速さと、合ってない」
豪が首をかしげる。
「待て待て、難しすぎんだろ。どういうことだよ」
真木が一息ついた。
「……夕焼けの子は、ずっと同じ格好で落ちてるように見えるでしょ。でも触った瞬間だけ、こっちが一気に引っ張られる。ゆっくり見えてる落ち方と、引っ張られる速さが、噛み合ってない」
「たぶん、いつもの“永遠の落下”が、その一瞬だけ“現実の落下”みたいになるのかも」
真木は言い切らず、少し間を置いた。
「……だからヤバい」
真木は東貴に視線を移した。
「痕のほうは? 触れた瞬間」
東貴が右手のサポーターを押さえる。
「黒が跳ねんだ」
「黒い跡が、なんか“反応”してる」
真木が頷く。
「ピークと、引かれるタイミング、たぶん合ってる。……確証はないけど」
豪が手を挙げる。
「つまりさ、次は“引かれても戻れる”ようにすればいいんだよな? ロープだろ?」
「ロープは、ないとマズいと思う」
真木は言って、すぐ付け足した。
「でもそれだけで足りる保証はない。どこまで引かれるか、読めない」
明日香がメモを握る。
「助けるって、どうやるの?」
しばらく沈黙が落ちた。
部室の時計の秒針が、やけに大きく聞こえる。
レナが、机の端で指を組む。
「……正直、怪異の“正しいやり方”なんてわかんない」
少し困ったように笑ってみせた。
「いつもその場しのぎで。部長なのに、情けないよね」
「格好悪くない」
明日香が言う。
「レナ先輩、止めるときは止めるじゃん。今日も」
豪も頷く。
「そうそう。かわいいし」
言った瞬間、自分で「言っちゃった」という顔になる。
「豪」
東貴が低い声を出す。
「い、いや今のは尊敬の意味でだな!」
豪が慌てる。
真木が咳払いをして話を戻した。
「助ける手順、ざっくり考えた。正解かはまだ分からない」
ペン先が、二つの円を描く。
「手のひらで握るのは危ない、たぶん。触る面積が広いほど引かれる気がする」
「だから“掴む”じゃなくて“引っかける”。あと、東貴ひとりに負荷を集めないで」
「分散?」
明日香が聞く。
真木は豪を見る。
「ロープは二カ所から張るつもり。フェンスと、扉側。うまくいくかは分からないけど、違ったらその場で引く。躊躇しない」
豪が頷いてから、目を輝かせた。
「できる。柔道部の補助具、もう一本ある」
東貴が短く言う。
「俺は、見えてるうちに距離を詰める。引かれる前に、向こうをこっちへ“抜く”」
「抜くって?」
明日香が聞く。
東貴の言葉は少ない。
「落ちてる子の“いる場所”を、こっち側へ引っ張る。向こうが俺を引くなら、俺も向こうを引く」
真木が補足した。
「綱引きみたいなイメージ、かも。向こうが引くなら、こっちも引く」
「戻ったかどうかは、音と東貴の手と、メモを見るしかない。当てにできるのはそれくらい」
明日香がうなずく。
「メモはちゃんと見る。絶対」
レナは小さく息を吐いて、いつもの顔に戻った。
「じゃあ次は安全第一で。私が合図するまで、飛び出さないで」
「了解」
四人の声が重なる。
豪がゼリーを握りしめた。包装がきしむほど力が入っている。
「明日、勝つとか言えねえよ。……でも、逃げねえ」
明日香が笑う。
「うん。屋上の壱を閉じよう」




