第46話 追悼
あの日から、学院が静かだった日は一日もない。
朝になれば瓦礫を運ぶ音がして、夜が更けても、癒しの部屋の灯りは消えなかった。授業は止まったままで、動ける生徒は全員、片付けに回されている。
襲撃者たちの亡骸は、翌日のうちに運び出された。生き残った者は、王都から来た騎士たちに縄で繋がれ、連れていかれた。亡くなった13人は棺に納められて、それぞれの家族のもとへ帰っていった。崩れた回廊には綱が張られ、今も教員しか入れない。
中庭では、袖をまくった生徒たちが、砕けた石壁の欠片を荷車に積んでいた。学院がギルドを通して集めた冒険者たちも混じっている。剣の代わりに鶴嘴を担ぎ、大きな瓦礫を手際よく割っていく姿は、さすがに慣れたものだった。
「おい、あん時の少年じゃねぇか」
石材を抱えて荷車へ向かっていると、横から声をかけられた。首に掛けた布で汗を拭いている、日に焼けた大柄な男。森で倒れていた俺を、ギルドまで運んでくれた冒険者の1人だった。
「……その節は、ありがとうございました」
「いいってことよ。今回はちゃんと依頼で来てるからな。礼なら学院からたっぷりもらう」
男は笑ってから、少し声を落とした。
「大変だったな」
うまく返せずに、頭だけ下げた。
校舎の壁際では、グラディスが1人で石を運んでいた。誰とも口をきかず、荷車と壁の間を黙々と往復している。
あの回廊の方へは、あれから一度も行っていない。遠回りになると分かっていても、別の廊下を使っている。エリックの体がどこへ運ばれたのかも、知らないままだ。誰かに訊こうとして、やめたことが何度かあった。
癒しの部屋へ水を運ぶのも、生徒の仕事だった。
桶を抱えて扉をくぐると、薬草と血の混じった匂いがした。寝台はすべて埋まり、床に敷いた毛布の上にも、包帯を巻かれた生徒が横たわっている。その間を、ロザリナ先生と、2年候補生のナリン先輩が行き来していた。一番奥の寝台だけは白い布で仕切られていて、ハレス先生がいるのだと聞いた。
「水、こっちにお願い!」
汚れた布を山のように抱えたシャルマが、空いた手で俺を呼んでいた。あの日、シャルマも死にかけたらしい。今は、この部屋の誰よりも走り回っている。
桶の水を瓶に移すと、シャルマが「もう1杯、いける?」と訊いてきた。
空の桶を提げて、また井戸へ向かった。
――――――――
ストライト様が戻ったのは、襲撃から数日後の夕方だった。魔王が討たれたという知らせは、一足先に届いていた。
門の方がざわつき、中庭にいた全員が手を止めた。
数人の供を連れて門をくぐってきたストライト様は、外套の裾を埃で白くしていた。それなのに、足取りにも顔にも、疲れたところが少しも見えない。
駆け寄ったガイウス先生に、ストライト様は歩みを止めないまま言った。
「報告は、道中で受けています。怪我人は」
「癒しの部屋に入りきらず、空き教室も使っています」
「王都から、治癒術師を呼びます。亡くなった生徒のご家族には」
「知らせは出してあります」
「では、私が1人ずつ会いに行きます」
「戻られたばかりです。せめて今夜は――」
「結界は、今夜のうちに私が張り直します」
後ろに控えていた側近らしい男が、それを次々に書き留めていく。指示を受けた教員たちが、持ち場へ散っていった。
ストライト様は中庭を見渡すと、手を止めたままの俺たちに向かって言った。
「作業の手を、止めさせてしまいましたね。……ありがとう」
そのまま、校舎の方へ歩いていく。すぐ近くを通り過ぎる時、一瞬、目が合った気がした。俺は思わず、手元の石に視線を落としていた。
「少年、手が止まってるぞ」
さっきの冒険者に言われて、俺はまた石を持ち上げた。
――――――――
追悼式は、中庭の瓦礫があらかた片付いた頃に開かれた。
学院で一番大きな広間に、13本の蝋燭が並んだ。その手前を亡くなった生徒たちの家族が、後ろを教員と生徒たちが埋めている。誰かが椅子を引くたびに、その音がやけに大きく響いた。
最前列に、聖騎士の装いをした男が座っていた。背筋を伸ばしたまま、ほとんど動かない。隣の女の人は、白い手巾を両手で握っていた。
ソフィアの両親だと、近くの誰かが小声で言った。
長くは見ていられなくて、壇の方へ目を戻した。少し離れた列に、リンの姿があった。
ストライト様が壇に上がり、名前を読み上げ始めた。1人呼ばれるたびに、蝋燭に火が灯されていく。家族の席のどこかで、押し殺した声が漏れた。
「――ソフィア・ムーンハート」
最前列の女の人が、手巾で口を押さえた。隣の男は、前を向いたままだった。
13本目に火が灯ると、ストライト様は名簿を閉じた。エリックの名前は、呼ばれなかった。
「あの日、私は学院にいませんでした」
ストライト様は、広間に向き直ってそう言った。
「学院を離れると決めたのは、私です。……ご家族の皆さま。お預かりしていたお子さんを、お返しすることができませんでした。申し訳ありません」
深く下げられた頭が上がるまで、長い時間がかかった。
「生徒の皆さん。悲しみを、急いで乗り越えようとしなくていい。無理に忘れようとしなくていい。ただ、ひとりで抱え込むことだけは、しないでください」
「学院は、明日から授業を再開します。この13人が目指していたものを、ここで目指し続けるために」
ストライト様は、蝋燭の列へ向き直った。
「どうか、安らかに」
黙祷の間、何を思えばいいのか分からなかった。目を閉じて、終わるのを待っていた。
黙祷が終わると、家族の席から順に、人が立ち上がり始めた。
――――――――
その夜、学長室にはまだ灯りがついていた。
グリムが報告書の束を机に置くと、ストライトはすぐに1枚目を手に取った。
「……完全に、してやられましたね」
目を通しながら、ストライトが言った。
「私が学院を離れる時を待って、内側に描かせた転移陣から人を送り込む。こちらは最後まで、何ひとつ気づけなかった」
「エリック・フロストフォードの経歴ですが」
グリムが、別の1枚を差し出した。
「入学の際に届け出られた内容に、偽りは見つかっていません。辺境の村の生まれで、両親は流行り病で亡くなっている。記録の上では、すべて本当です」
「記録の上では、ですか」
「はい。その記録にある少年と、ここにいた彼が、同じ人間だったのかどうか。そこは、まだ分かっていません。村には、改めて人をやっています」
ストライトは、紙面から目を上げないまま言った。
「あの子の試合は、私も見ていたんですがね」
グリムは、布に包んだ小さな石を机に置いた。
「彼の手元に落ちていた転移石です。魔力を込めた跡が残っていました。転移しかけて、途中でやめたものと思われます」
ストライトの目が、石に落ちた。
「……やめた」
「その直後に、討たれています。討ったのは、1年のセオン・クレストです」
報告書をめくろうとしていた手が、止まった。
「……セオン君が」
ストライトは、次の1枚をめくった。
「襲撃者たちの取り調べは」
「生き残った者の大半は、金で雇われただけの者でした。ですが、ケルストの名を出すことに、誰一人ためらいがありません」
「隠すつもりがない、ということでしょう」
ストライトは、報告書を机に置いた。
「これは、宣戦布告と変わりません」
「……陛下には」
「明日、王都へ発ちます。私から、直接お伝えします」
「ケルストとは、戦になりますか」
「寄せ集めを100人近く送り込み、内側では間者を動かす。これが、向こうの全力だとは思えません」
ストライトは、窓の外へ目をやった。
「ここまでされて、黙っているわけにもいきません。……避けては、通れなさそうですね」
―――――
授業が再開されて、3日が経った。
教室には、空いたままの席がいくつかある。誰が決めたわけでもないのに、そこには誰も座らなかった。俺の隣も、そのひとつだ。
教師が板書を書き間違えた時、隣に何か言いかけて、口を閉じた。
昼になると、いつも通り食堂へ向かった。盆を受け取って、奥の席の方を見る。知らない上級生たちが座っていた。
盆を返して、パンを1つだけもらった。
学院の裏手には、相変わらず人が来ない。修繕の手も、まだここまでは届いていなかった。石垣に腰を下ろして、パンをかじる。
「――セオン」
すぐ後ろで声がして、パンを落としかけた。
振り返ると、リンが立っていた。足音は聞こえなかった。
「……足音くらい立てろよ」
「立てたよ。少しだけ」
リンは脇腹を押さえながら、少し離れたところに腰を下ろした。
「傷は」
「まだ引きつる。走るのは、もうちょっと先」
「そうか」
リンの目が、俺の手元のパンに向いた。
「お昼、それだけ?」
「食堂、混んでたから」
「ふうん」
リンは膝を抱えて、前を向いた。
「ソフィアのお母さん、ずっと手巾握ってたね」
「見てたのか」
「手だけ。顔は、見られなかった」
「保管室に着いた時、ソフィア、もう倒れてた。ボクがもうちょっと早かったら――」
「俺も、間に合わなかった」
「……うん」
リンは、膝を抱える腕に力を込めた。
「エリックのこと、ボクは許さない」
「……ああ」
「セオンは?」
すぐには答えられなかった。最後に肩にかかったあいつの重さを、まだ覚えている。
「……分からない」
「そっか」
リンが、靴の先で足元の小石を転がした。
「行ってって言われた時さ。正直、セオンが勝てるなんて思ってなかった」
「俺もだよ」
「だよね」
リンは少し笑って、それから何か言いかけた。
「どうやって――」
途中でやめて、首を振る。
「……いいや。やっぱり、いい」
俺は、パンの残りに目を落とした。
「でも」
リンは、前を向いたまま言った。
「戻ってきて、よかった」
「……心配かけたな」
「ちょっとだけね」
リンは脇腹をかばいながら、ゆっくりと立ち上がった。
「傷が治ったら、手合わせして」
「俺と?」
「他に誰がいるの」
呆れたように言ってから、リンは真顔になった。
「ボク、このままじゃ駄目だから」
軽く手を振って、リンは校舎の方へ戻っていった。
昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。パンの残りを口に押し込んで、俺も立ち上がった。
――――――――
その夜、母さんに手紙を書こうとした。
学院が襲われたことは、もう村にも伝わっているだろう。何も送らなければ、母さんはずっと気を揉むことになる。
『母さんへ』
そこまで書いて、ペンが止まった。
怪我はもう治った。元気にやっている。そう書けばいいだけなのに、手が動かない。
前世では、こういう時に手紙を書く相手もいなかった。
ソフィアのことを書こうとして、やめた。
村のことを考えると、仕掛けてきた罠の気配を、つい探ってしまう。今日も、どれも静かなままだった。
強くならないといけない、とは思う。けれど、強くなって何がしたいのかと考えると、浮かんでくるのはいつも村のことだった。母さんがいて、カイルがいて、村のみんながいる。あそこで、またみんなと暮らしたい。
【――言ってた夢……叶えろよ……】
俺はペンを持ち直して、続きを書いた。
『元気です。次の休みには、帰ります』




