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記憶の回帰〜Oath of Karma〜  作者: 儚威
第1章 セイクリッド学院編
44/48

第44話 友と呼べた日

 

 回廊の空気は、まだ白く凍っていた。


 悪魔の炎(デビルファイア)が通った跡には、黒い焼け焦げが床から壁へ一筋に走っている。焼け爛れた石壁の一部はぼろぼろと崩れ、床には溶けかけた氷が薄く張っていた。突き当たりの扉は開け放たれたまま。その手前に、凍りついた警備騎士と、横たわるソフィアの体がある。


 俺は、その扉を背にして立っていた。あそこにだけは、氷も炎も届かせたくなかった。


 20歩ほど先で、エリックが氷の剣を構えている。引き千切った制服の裾が、冷気に揺れていた。


(悪魔の炎(デビルファイア)は、まだ撃てない)


 さっきの一発で、体の奥の何かが空になったままだ。あの感覚が戻ってくるまで、あれには頼れない。


 なら、それ以外の全部を使う。


「来ないなら、こっちから行くよ」


 エリックが手袋を掲げた。淡い光が強まり、周囲の冷気が指先へと集まっていく。


「氷矢(アイススピア)」


 氷の槍が5本、扇状に放たれた。


 正面の2本を短剣で弾き、右から来た1本は身を沈めて躱す。残りの2本は、俺の左右の床に突き立った。当てるためではなく、逃げ道を削るための2本だ。


 左右を塞がれれば、前に出るしかない。エリックはそれを待っている。


 だから、前に出る代わりに撃った。


 ──────────────────────

【スキル:魔法奪取(マジックスティール)】


 ■使用:炎の矢(フレイムスピア)

 ──────────────────────


「『炎の矢(フレイムスピア)』!」


 赤い槍が、一直線に回廊を走る。


「氷の城壁(アイスウォール)」


 エリックの前に、分厚い氷壁がせり上がった。炎の矢はそれに突き刺さり、壁の半ばまで食い込んだところで砕ける。氷の向こうで、エリックが目を細めるのが見えた。


「……今のは、さっきの黒い炎じゃないね」


 手袋で強化された壁は、炎の矢でも半分までしか通らない。正面から撃ち合っても、削り切れない。


 なら、近づくしかない。


「疾風加速(ゲイルダッシュ)!」


 風を纏って床を蹴る。左右に突き立った氷の槍の間をすり抜け、崩れかけた氷壁を回り込んで、エリックの懐へ。


 氷の剣と短剣が、正面からぶつかった。


 刃が軋む。手首に冷たさが伝わってくる。氷の剣は、触れているだけで肌から熱を奪っていく。長く打ち合えば、先に指が動かなくなるのは俺の方だ。


 2合、3合と打ち合ったところで、足元の気配が変わった。


「氷棘乱牙撃(アイスファング)」


 床から氷の棘が噴き上がる。跳んだ。靴底を棘の先が掠めていく。空中で体を捻り、着地点に伸びてきた棘を風斬(ウィンドスラッシュ)で斬り払って、どうにか足をつける。


 顔を上げた時には、エリックはもう5歩ほど後ろへ下がっていた。


「ねぇ、セオン君」


 エリックが、剣先で床を軽く叩いた。


「さっきの黒い炎、使わないんだね」


 答えなかった。


「……いや。使えない、のかな」


 笑みが、少しだけ深くなる。


(見抜かれた)


 人の顔色を読むことにかけては、最初に会った時からこいつはこうだった。


「氷塊砲(アイスキャノン)」


 頭上に、岩ほどもある氷塊が3つ浮かび上がった。


「火炎の嵐(ファイアストーム)!」


 炎の渦を真上に叩きつける。氷塊が熱を浴びて爆ぜ、白い蒸気が回廊いっぱいに膨れ上がった。視界が消える。


 蒸気の中で、足音を聞いた。右だ。短剣を振る。氷の剣が受ける。火花と、冷たい破片。また離れていく足音。


 蒸気が薄れていく中で、エリックの顔が見えた。


 笑っていた。


 昼の食堂で見たのと、同じ顔だった。ソフィアの隣で、何がおかしいのか肩を揺らしていた、あの顔と。


 ――なんで、こうなった。


 覚悟は決めたはずだった。ここから生きて出られるのは1人だけだと、リンを行かせた時に決めた。


 それなのに、手が一拍だけ遅れた。


「氷矢(アイススピア)」


 蒸気を裂いて飛んできた氷の槍は、さっきまでの倍の太さがあった。手袋の光が、強くなっている。


 短剣で逸らしきれなかった。


 左肩に、衝撃が来る。


「グッ……!!」


 氷が肉を抉り、体ごと後ろへ持っていかれる。背中が石壁にぶつかって、息が詰まった。肩から下が、痺れたように動かない。


「戦闘中に、余計なことを考えちゃダメだよ、セオン君!」


 エリックが、もう踏み込んできていた。


「氷刃の舞(フロストエッジ)!!」


 無数の氷の刃が、渦を巻いて迫る。


 左腕は上がらない。短剣1本で捌ける数じゃない。


 意識の奥に、手を伸ばした。


 あの森で、死にかけた時に一度だけ開いたもの。2つ目の枠。


 ──────────────────────

【スキル:魔法奪取(マジックスティール)】


 ■使用:水の盾(ウォーターシールド)

 :癒し(ヒール)

 ──────────────────────


 目の前に、水の壁が広がった。


 氷の刃が次々と突き刺さり、水の中で勢いを失って沈んでいく。1枚も、こちらへは抜けてこない。


 同時に、左肩が熱を帯びた。淡い光が傷口を包み、抉れた肉が内側から埋まっていく。痺れていた指先に、感覚が戻ってくる。


 水の盾の向こうで、エリックの足が止まった。


「……ヒールも、使えるのか」


 初めて、声に驚きが混じっていた。


「火に、水に、回復まで。それも同時に。……一体、どれだけの力を隠してたんだい、セオン君」


 エリックの目が、水の盾と、俺の肩と、右手を順番に見ていく。


「属性がばらばらすぎる。普通の魔法じゃ、こうはならない。それ――スキルだね」


 答えずに、水の盾を解いた。


 肩を回す。動く。


 エリックはしばらく黙ってこちらを見ていたが、やがて堪えきれないように笑い出した。


「はは……ははは!最高だよ、セオン君!」


 手袋の光が、さらに強くなる。回廊の温度が、目に見えて下がっていった。吐く息が白い。壁の表面を、霜が這い上がっていく。


「いいよ。だったら僕も、全部出す」


 こっちも、もう残しておくものはない。


 そこから先は、互いに手札を切り続けた。



 炎の矢で氷壁を削り、削れた隙間に火炎の球を叩き込む。エリックは壁を重ねて受け、受けながら床に棘を走らせる。


 棘を風斬で払えば、その隙に頭上から氷塊が落ちてくる。水の盾で受け止め、盾ごと押し潰されそうになるのを、横へ転がって抜ける。



 回廊の窓が、1枚、また1枚と割れていった。床の石は砕け、壁には焼け焦げた跡と氷の柱が入り混じっている。


 打ち合いながら、俺はエリックの足だけを見ていた。


 打ち合うたびに、エリックは下がる。それも、必ず同じ方向へ。左斜め後ろに、3歩から4歩。右手に剣を持っている分、左へ下がった方が次の魔法を撃ちやすいのだろう。さっきから一度も、例外がなかった。


(なら――そこに、置いておけばいい)


 氷塊を避けて床を転がる。起き上がる時に、右の掌を床についた。


 エリックが次に下がるはずの場所だ。


 ──────────────────────

【スキル:魔法奪取(マジックスティール)】


 ■使用:魔法罠(マジックトラップ)

 発動魔法:炎の矢(フレイムスピア)

 ──────────────────────


 掌の下に、淡い紋様が一瞬だけ浮かんで、床に吸い込まれていく。溶けた氷の水が、その上を薄く覆った。


 あとは、下がらせるだけだ。


「疾風加速(ゲイルダッシュ)!」


 真正面から突っ込む。わざと、大振りに。


「やけになった?らしくないね」


 エリックが氷の剣で受ける。重い一撃に押されて体が流れ、押された分を戻すように、エリックは下がった。


 左斜め後ろ。3歩目で、靴底が罠の上に乗った。


 床が、赤く光った。


「――っ!?」


 真下から、炎の矢が突き上がる。


 エリックの反応は速かった。魔力の気配を感じた瞬間に、足元へ氷壁を張っている。それでも、真下からの一撃を受けるには角度が悪かった。炎の矢は氷を貫き、エリックの脇腹を掠めて天井へ突き抜けていった。


 制服が裂け、血が散る。


 エリックは2歩、3歩とよろめいて、ようやく体勢を立て直した。脇腹を押さえた指の間から、赤いものが落ちていく。


「……罠、か」


 自分の足元を見下ろして、それから俺を見る。


「いつの間に仕掛けたんだい。……いや、違うな。僕が下がる場所を、読んでたんだね」


 答えずにいると、エリックは小さく息を吐いて笑った。


「やっぱり、君は頭がいいよ。勉強ができるだけじゃなくてさ」


 ――――――――



 脇腹が、熱い。


 血には慣れている。痛みにも。地下にいた頃は、どちらも毎日のことだった。


 なのに、こんな時に浮かんでくるのは、どうでもいいことばかりだった。


 隣いいかな、と声をかけて、許さないと言われたこと。そのくせソフィアには「仕方ない」なんて言うから、おかしくないかと食い下がったら、誠意が感じられなかった、と真顔で返された。


 食堂で冗談を言えば、ソフィアに「ちょっと、エリック」と肘で小突かれた。小突かれると分かっていて、また言った。


 エリック、と呼ばれたら、振り返るようになっていた。


 任務のためにもらっただけの名前だったのに。


 ――今、思い出すことじゃないな。



 ――――――――


 エリックが、剣を構え直した。


 また打ち合いになる。氷と短剣が噛み合い、離れ、またぶつかる。その合間に、エリックが口を開いた。


「セオン君」


 刃越しに、目が合う。


「君は、僕のことを友達だと思ってくれていたかい?」


 短剣を押し込む手が、止まりかけた。


「僕は、思っていたよ」


 氷の剣が、俺の刃を弾く。距離が開いた。


 答えは、すぐには出てこなかった。


「……エリック」


 短剣を構え直しながら、言った。


「お前がやったことは、許されることじゃない。ソフィアを殺して、お前の仲間が、学院の人間を何人も殺した」


 エリックは何も言わなかった。笑みも、崩さなかった。


「それでも……お前の過去を聞いて、俺と重なった」


 踏み込む。短剣と氷の剣が、もう一度ぶつかる。


「だから――こうなったのが、悲しいよ」


 刃を押し合ったまま、エリックの目がわずかに揺れた。


 それから、離れた。


 距離を取ったエリックの視線が、一瞬だけ俺の肩越しに流れた。扉の前に横たわる、ソフィアの方へ。


 すぐに、戻ってくる。


 エリックは、何も言わなかった。息をひとつ吐いて、凍えた指で剣の柄を握り直す。


「セオン君!!」


 エリックが叫んだ。笑っているのに、声が掠れていた。


「もう――決着をつけよう!!」


「ああ!!」


 エリックが、両腕を広げた。


 手袋が、これまでで一番強く光る。回廊じゅうの冷気が、エリックへと流れ込んでいった。壁の霜が剥がれて宙を舞い、割れた窓から吹き込む風までが凍りついて、細かな氷の粒になって落ちていく。足元の水たまりが、音を立てて白く固まった。


 氷の剣が、伸びていく。エリックの背丈を超え、天井に届きそうなほどの、氷の大剣になった。



「くっ……ははっ」


 エリックが、肩を揺らして笑う。


 俺は、左手を前に出した。右手の短剣は、握ったまま。


(――今なら、撃てる)


 さっきまで空いていたものが、体の奥に戻っている。


 ──────────────────────

【スキル:魔法奪取(マジックスティール)】


 ■使用:悪魔の炎(デビルファイア)

 :炎の矢(フレイムスピア)

 ──────────────────────


 掌の上に、炎の矢を形作る。その周りに、紫黒の炎を纏わせる。最後に、自分自身の魔力を練り上げた。


「『火炎の嵐(ファイアストーム)』――!」


 炎の渦が、矢と黒炎を包み込んで回り始める。3つの炎が、1つに束ねられていく。熱で足元の凍った床が一気に溶け、湯気を上げた。


 氷と炎。回廊の両側で、2つの魔力が膨れ上がっていく。


 エリックの顔から、笑みが消えていた。俺も、たぶん同じ顔をしている。


 一拍。


 互いに、床を蹴った。


 距離が、一瞬で消える。振り下ろされる氷の大剣に、俺は炎を叩きつけた。


 視界が、白く消えた。


 熱と冷気が噛み合い、爆風が四方へ弾ける。割れ残っていた窓が一斉に砕け、石壁に亀裂が走り、天井から瓦礫が降ってくる。足が床から離れ、体ごと吹き飛ばされた。


 耳の奥で、甲高い音だけが鳴っていた。




 ――――――――




 どれくらい、そうしていたのか分からない。


 気づくと、俺は瓦礫の中に膝をついていた。


「はぁ……はぁ……」


 全身が痛む。焼けたのか、凍ったのかも分からない。短剣だけは、まだ右手の中にあった。


 回廊は、もう回廊の形をしていなかった。壁の半分が崩れ落ち、天井には穴が開いて、灰色の空が覗いている。床は砕けた石と溶けた氷で埋まっていた。


 その向こうで、瓦礫が動く。


「くっ……ははは……」


 エリックが、立ち上がっていた。


「ほんと……馬鹿げた力だよ」


 制服はぼろぼろに裂け、全身から血を流している。


 右腕が、手首の少し上で途切れていた。


 断面は、氷で塞がれている。その足元で、紫黒の小さな火が揺れていた。燃えていたものが何だったのか、もう形は残っていない。火は最後にひとつ揺らめいて、消えた。


 エリックは自分の右腕を見下ろして、困ったように笑った。


「はっ……勝てる気がしないな」


 顔を上げる。


「本当に強いよ、セオン君。……やっぱり、僕の知ってるセオン君じゃないね」


「……お前こそ」


 声を出すと、肋が軋んだ。


「本気でやり合おうって、言ってたよな」


「ああ。言ったね」


 エリックが、懐かしそうに目を細める。


「約束、守れたかな」


「……ああ」


 エリックは、それきり黙った。


 残った左手で、ポケットを探る。取り出したのは、掌に収まるほどの石だった。


「僕はもう、ケルストに帰るよ。この転移石でね」


 体が、勝手に強張った。


 エリックはそれを見て、少しだけ笑った。


「さぁ、どうする、セオン君」


 石を指先で転がしながら、言う。


「君は、僕と似ているって言ったね」


「……」


「だったら――僕の組織に、来ないかい?」


 息が止まった。


「一体……何を、言って……」


「本気だよ」


 エリックの声に、からかう色はなかった。


「この任務を果たせば、僕は組織の中でもそれなりの立場になれる。僕が言えば、君1人くらい、どうとでもなるさ」


 ポケットから、もう1つ、同じ石を取り出してみせる。


「予備も持ってる。君の分だ」


「……」


「君のその力は、ここじゃ隠して生きるしかない。でも、向こうなら隠さなくていい。誰にも、気を遣わなくていいんだ」


 短剣を握る手が、緩みかけた。


 自分の力を、誰にも言えない。仲間にも、母さんにも。それがどれだけ重いか、この男は分かった上で言っている。


 それでも。


「俺は……行けない」


 思ったより、落ち着いた声が出た。


「俺には、守りたいものがある。村のみんなと、母さんと……あそこで、幸せに暮らす。それが俺の夢だ」


 エリックの手の中の石を、見る。


「お前の組織は、この国を壊そうとしてる。そこに行ったら、俺は自分の夢を、自分で壊すことになる」


 エリックは、しばらく俺を見ていた。


 それから、目元を緩めた。見たことのない、穏やかな顔だった。


「……そう言うと思ったよ」


 予備の石を、ポケットに戻す。


 足元に転がっていた袋を拾い上げ、紐を右腕の残った部分に通した。魔導具が詰まった袋が、重たげに揺れる。


「さぁ」


 左手に、転移石を握り直した。


「どうする?このまま、僕を帰らせてくれるのかい?」


 動けなかった。


 ソフィアは死んだ。目の前の男に殺された。ずっと、騙されていた。学院の人間も、この男の仲間に何人も殺された。


 分かっている。全部、分かっている。


 なのに、足が動かない。


「はっ」


 エリックが、短く笑った。


「やっぱり、君はお人好しだね。この世界じゃ、それは弱点になるよ」


 突き放すように言って、背を向ける。


 転移石に、魔力が流れ込んでいく。石が淡く光り始めた。光は脈打ちながら、少しずつ強くなっていく。


(このまま、行かせていいのか)


 あの袋の中身は、ケルストを強くする。強くなったケルストは、いつかこの国に牙を剥く。その時、辺境の村がどうなるか。


 それに、俺の力を知ったまま、この男は向こうへ行く。


 理由なら、いくらでも並べられた。


 でも、そのどれもが、足を動かす理由にはならなかった。


(俺は――)


 光が強くなる。エリックの輪郭が、光の中に溶け始める。



(俺は……!!)



「エリック――――!!!」



 床を蹴っていた。


 短剣を握り、瓦礫を踏み越えて、まっすぐに走る。


 誰も座ろうとしなかった俺の隣に、座ってきたこと。友達が見てる、と笑って、模擬戦で一歩も引かなかったこと。


 全部、嘘だったんだろう。


 それでも――


 エリックの首が、わずかにこちらへ動いた。


 肩越しに、目が合う。


 光が、ふっと弱まった。



 消えかけていた輪郭が、戻ってくる。



 エリックは、ゆっくりと体ごとこちらを向いた。



 左手は、下ろしたままだった。転移石を握ったその手に、氷の一片も生まれなかった。



 深い青紫の刃が、エリックの胸に沈んだ。



 柄を通して伝わってきた手応えは、思っていたよりもずっと軽かった。


 転移石が、エリックの指から零れて、床に転がった。


「ガハッ……」


 エリックの口から、血が溢れる。


 その体が、俺の方へ傾いてくる。受け止めると、肩に重みがかかった。


「エリック……なんで……!避けられただろ……!」


 声が震えた。


 転移すれば、それで終わっていたはずだった。


「はは……なんでだろうね……」


 エリックが、俺の肩に額を預けたまま、掠れた声で笑った。


「……逃げるのにも、疲れちゃってさ……」


「なんだよ、それ……」


 喉の奥が詰まる。


「そんな理由で……」


「はは……僕は、そういう人間さ……」


 呼吸が、浅くなっていく。胸から溢れた血が、俺の手を伝って落ちていく。温かかった。


「……エリック」


 言わなきゃいけない。今言わなければ、もう二度と言えない。


「俺は、お前に救われたんだ。この学院で、最初の友達だった。お前がいたから、俺はここで――」


 言葉が、続かなかった。


 肩の上で、エリックが小さく息を呑んだのが分かった。


「……そうか」


 顔を上げようとして、上がらない。それでも、声だけは聞こえた。



「君も……思ってくれてたんだ……」



「だから……ありがとう」




「……こちらこそ、さ」


 エリックが、笑った気がした。



「それと……すまなかった」


 しばらく、何も聞こえなかった。



「あの世に、行ったら……ソフィアに、会えるかな……。謝っても……許しては、もらえないだろうけど……」


「ガハッ……」


 また、血を吐く。


 エリックの左腕が、ゆっくりと持ち上がった。震えながら、俺の背中に回される。


「セオン……」


 耳元で、声がした。


「言ってた夢……叶えろよ……」


 背中に回された腕から、力が抜けた。


 肩にかかる重みが、急に増す。


「……エリック?」


 返事はなかった。


「エリック……!」


 揺すっても、何も返ってこない。


 代わりに、視界の端に表示が浮かんだ。


 ──────────────────────

 ◇奪取(スティール)◇

 ◆氷刃の舞(フロストエッジ)

 ──────────────────────


 さっきまで、俺に向けられていた魔法だった。


 殺した相手からしか、奪えない力だ。


「……エリック」


 短剣を、ゆっくりと引き抜いた。


 崩れ落ちそうになる体を支えて、瓦礫の少ない床へ、そっと横たえる。


 目が、半分だけ開いていた。手を伸ばして、閉じる。


 口元が、少しだけ上がったままだった。いつもの笑い方と、同じ形をしていた。


 振り返った先、回廊の奥の扉の前に、ソフィアが横たわっている。


 俺は、エリックの傍らに膝をついたまま、しばらく立ち上がれなかった。


 どこで、何を間違えたんだろう。


 考えても、答えは出なかった。


 気づけば、何も聞こえなくなっていた。


 遠くで続いていたはずの爆発の音も、怒号も、悲鳴も。いつの間にか、全部止んでいる。


 崩れた天井の穴から、冷たい風が一筋だけ吹き込んできた。





ここまで読んでいただき、ありがとうございます!


仕事などが少し忙しくなってきたため、ここで少しだけ投稿をお休みさせていただきます。

落ち着き次第、また更新を再開する予定です。


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