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記憶の回帰〜Oath of Karma〜  作者: 儚威
第1章 セイクリッド学院編
43/47

第43話 魔人

 中庭のあちこちに、砕けた岩が転がっていた。


 どれも、ついさっきまでハレスの体を覆っていたものだ。4メートル近い岩の巨人は、もう見る影もない。


 雷に打たれるたびに装甲が剥がれ、剥がれた端から次の雷が叩き込まれた。削られ、焼かれ、また削られて、残ったのは胸と腕にかろうじて張りついた岩の欠片だけだった。


「はぁ……はぁ……」


 ハレスは、片膝をついていた。



 息を吸うたびに、肺が焼けるように痛む。皮膚の下を這い回る雷が、筋肉を内側から痙攣させる。拳を握ろうとしても、指が思うように閉じなかった。



 その正面で、ガネンが剣を振った。刀身についた血が、石畳に弧を描いて散る。


「なかなかやるじゃん。こんなに手こずったの、久しぶりだよ」


 息ひとつ乱れていない。焦げているのは、服の袖くらいのものだった。



「ハレス……!」


 少し離れた場所で、アレクが叫んだ。だが、駆け寄ることはできない。目の前では侵入者が2人、隙を窺っている。


 ロザリナも同じだった。アレクと背中合わせに杖を構え、別の敵と渡り合っている。


 誰も、手を貸せない。


「じゃ、これでおしまいね」

 ガネンが剣を振り上げた。


 ハレスは、左腕を掲げた。



 刃が、腕に食い込む。岩の欠片が砕け、その下の肉に届いた。血が噴き出す。だが、そこで止まった。


 張り詰めた筋肉が、刃を噛んでいた。


「……へぇ。まだ抗うの?」


「当然だ」

 それ以上、ハレスは何も言わなかった。


 この中庭で、何人の教え子が倒れたか。その顔を、ハレスは一人残らず見ていた。膝をついたままでも前を向く理由は、それだけで十分だった。


 ガネンは、小さくため息をついた。


「そっか。じゃあ、仕方ないね」


 剣を引き抜くと同時に、ハレスの腹を蹴り飛ばす。ハレスの体が、石畳を転がった。


 ガネンの周囲で、空気が弾け始めた。


 ぱち、ぱち、と。最初は小さな音だった。それが幾重にも重なり、やがて低い唸りに変わっていく。足元の砂利が震え、細かな石が宙に浮いた。剣身を這う紫電が、目を焼くほどの光を放ち始める。


 さっきまでの雷とは、明らかに違った。


 全てを一点に集めている。確実に、終わらせるつもりだ。


(まずい……)

 この男をここで止められなければ、中庭が落ちる。中庭が落ちれば、校舎に残っている生徒たちにまで、この雷が届く。


 立ち上がろうとした。膝が、言うことを聞かなかった。



 ――――――――


 アレクは、目の前の侵入者の剣を短剣で弾きながら、ハレスの方へ視線を走らせた。


 あの雷が放たれたら、ハレスは死ぬ。


 左手が、上着のポケットに伸びていた。指先に、硬く冷たい感触が触れる。



 ずっと、迷っていた。さっきも一度、使おうとして、やめた。


 あれは、まだ未完成だ。人の体で試したことは、一度もない。


 それでも――



「ハレス、受け取れぇ!!」


 アレクは、ポケットから取り出したものを、力の限り投げた。


 赤紫の光を帯びた小さな石が、宙を裂いて飛んでいく。


 ハレスが、顔を上げた。


 視界の端に、その光が映る。考えるより先に、体が動いていた。動かないはずの膝で地を蹴り、這うようにして手を伸ばす。


「させるかよ!」



 ガネンが、溜めていた雷ごと剣を振り下ろした。


 放つには、まだ早かった。狙いがわずかに逸れ、雷光はハレスの背を掠めて、石畳を抉って弾けた。


 それでも、指が届いた。


 掌の中に、石があった。


「……ん?」


 ガネンが、動きを止めた。


 ハレスの手の中で、赤紫の光が脈打っている。ゆっくりと、心臓の鼓動に合わせるように。見ているだけで、胃の底がざわついた。


「それを使うんだ、ハレス!!」


 アレクの声が飛んだ。

 ガネンの顔から、笑みが消えた。


 何なのかは分からない。だが、使わせてはいけないものだということだけは、分かった。


「クソがッ!!」


 雷を纏った剣が、一直線にハレスへ向かう。


 ハレスは、石を握り潰した。



 パリン、と。乾いた音がした。



 剣が届く寸前だった。ハレスを中心に、目に見えない何かが爆ぜた。ガネンの体が弾き飛ばされ、衝撃は波となって広がり、周囲の瓦礫を吹き散らし、戦っていた侵入者たちの足元までを揺らした。


 ハレスの周りに、黒い靄が立ち込めていた。

 靄は、ゆっくりとハレスの体へ吸い込まれていく。皮膚から、口から、目から。



「ぐ……ぐ、ああ、あああああああああッ!!!」



 叫び声が、中庭を震わせた。


 頭の中に、何かが流れ込んでくる。熱い。冷たい。重い。どれでもあって、どれでもない。自分のものではない魔力が、血管の一本一本に割り込んでくる。思考が、端から削り取られていく。


 腕が、自分の意思と関係なく動いた。何かを壊したい。その衝動だけが、腹の底から湧き上がってくる。

 胸と腕に残っていた岩の欠片が、音を立てて崩れ落ちた。


 露わになった肌は、赤黒く変色していた。血管が黒い筋となって浮き上がり、指の先が鉤爪のように伸びていく。


 こめかみに、激痛が走った。


 骨を割って、角が突き出してくる。


「ア゛ア゛ア゛ア゛ァァァーーーッ!!!」



 もはや、人の声ではなかった。


「おいおい……なんだよ、その姿……」


 瓦礫の中から身を起こしたガネンが、呟いた。


「持ちこたえるんだ、ハレス……!」


 アレクが、祈るように叫ぶ。



 その声は、届いていた。遠くで、誰かが自分の名前を呼んでいる。


(呑まれる……)


 自分が、薄れていく。名前が。記憶が。自分がここで何をしていたのかさえ、霞んでいく。


 その中で、消えないものがあった。


 校舎の窓。中庭の噴水。朝の訓練場に響く、生徒たちの声。


 教壇から見下ろした、いくつもの顔。



 今日、この中庭で倒れていった顔。



(……この学院だけは)


(この学院だけは、渡さん)


(俺の全てを、懸けてでも――!!)


 ハレスは、吠えた。

 中庭の空気が、爆ぜた。立ち込めていた黒い靄が、一斉に吹き飛ぶ。




 そこに、ハレスが立っていた。

 荒い呼吸。赤黒い肌。こめかみから伸びた、2本の角。


 だが、その目には、ハレスがいた。


「……なんだよ、それ」


 ガネンが、剣を握り直した。


「まるで――魔人じゃねぇか」


 ――――――――


「おお……!制御しおったか、ハレスのやつ!」


 アレクが、拳を握った。


 ハレスは、自分の手を見下ろしていた。


 溢れてくる。底の見えない魔力が、体の内側から湧き続けている。だが、それは自分の知っている魔力ではなかった。重く、濁っていて、どこか冷たい。



 考えていられたのは、そこまでだった。



 ガネンが、既に踏み込んでいた。雷を纏った剣が、首筋へ振り下ろされる。



 刃が、止まった。


 肌に触れたところで、それ以上、1ミリも進まない。


「なっ……」


 ガネンの目が、見開かれた。


「悪いな」

 ハレスは、ゆっくりと顔を上げた。


「俺はもう、人間ではないらしい。……対等な勝負とは、言えんな」


 拳を、振るった。



 魔法も、技も、何もない。握った拳を、まっすぐ突き出しただけだった。



 ガネンは咄嗟に、剣と雷を盾にしていた。防御は、間に合っていた。



 それでも、体が浮いた。



「ガハッ――!!」



 ガネンは中庭を横切るように吹き飛び、石壁を突き破って、その向こうへ消えた。


 遅れて、壁の崩れる音が響いた。


 ――――――――


「……完全に、自我を保っとる」


 アレクが、額の汗を拭った。


「アレク!」


 背中合わせのまま、ロザリナが声を荒げた。


「あの魔石は、一体なんなの!」


「魔人化石じゃ」


 アレクは、目の前の敵から目を離さずに答えた。


「魔族の魔力を、人の体に無理やり流し込む。……呑まれれば、二度と戻れん」


「そんなものを……!」


「分かっとる。だから、ずっと使えんかった」


 短剣を握る手に、力がこもる。


「正直、呑まれると思っとった。……あいつの意地に、賭けるしかなかったんじゃ」


「……他に、代償は」


 アレクは、すぐには答えなかった。


「ある。効果が切れた時に、な」


 それ以上は、言わなかった。


 ロザリナが問い詰めようとした時には、侵入者たちが一斉に踏み込んできていた。


「キリがないわね……!」


 水の膜で剣を受け流す。だが、倒しても倒しても、瓦礫の陰から新たな敵が湧いてくる。2人とも、とうに限界は超えていた。


「……こっちも未完成だが、ハレスのやつが成功したんじゃ。わしらにも、できるじゃろ」


 ロザリナの顔が、引きつった。


「まさか、私たちもあの魔人化石を!?絶対に嫌よ!」

「違うわい!お前さんもわしも、昔に戻りたいと言ってたじゃろうが!」


 アレクがポケットから取り出したのは、淡い金色の光を帯びた石だった。2つ。



「一時的に、体を全盛期に戻す魔石じゃ!」



「……そんなものがあるなら、早く言いなさいよ!」


 侵入者たちが、剣を振りかぶる。


 アレクは片方をロザリナへ放り、もう片方を握った。2人は、同時にそれを砕いた。



 金色の光が、2人を包み込む。振り下ろされた剣が、光に触れた端から弾かれた。


 光が収まる。


 そこに立っていたのは、見知らぬ2人だった。



 曲がっていた背は伸び、刻まれていた皺は跡形もない。ロザリナの髪から白いものが抜け落ち、艶やかな栗色が肩の下まで流れていた。アレクは長身に分厚い筋肉を纏い、握った拳を開いたり閉じたりしている。



「……クックック」


 アレクが、肩を震わせた。


「しゃあああッ!!全盛期の俺だァーー!!」


 声まで、若返っていた。


「なんて素晴らしい体なの……!全部が軽いわ!」



「わ、若返ったぞ……!?」

「ガネンさんは!?さっき、壁の向こうに――」


 うろたえる侵入者たちに、考える暇は与えられなかった。


「話してる暇、ねぇぞ!!剣なんていらねぇ!」


 アレクが短剣を放り捨てた時には、もうその体は侵入者の懐にあった。


「『重圧拳(グラビティ・ナックル)』!!」


 拳がめり込んだ侵入者の体が、真下の石畳へ叩きつけられる。殴り飛ばされたのではない。上から、何倍もの重さで押し潰されていた。石畳が陥没し、蜘蛛の巣状に罅が走る。


 斬りかかってきた残る2人の足元から、水が噴き上がった。


「『激流の槍(トレント・ランス)』」


 水の槍が2人を貫き、1人を吹き飛ばす。膝をついたもう1人の頭上に、アレクの踵が落ちた。


「……おい、ロザリナ。今のは俺の獲物じゃったろうが」


「あら。口調、戻ってるわよ」


「……うるせぇ」


 ――――――――


 石壁の穴の向こうで、瓦礫が崩れた。


「クソ……クソが……」


 ガネンが、這うようにして姿を現した。額から血を流し、脇腹を押さえている。さっきの一撃が、まだ抜けていない。


 視線の先で、仲間たちが地面に転がっていた。


「さっきまで雑魚だった連中が……魔石ひとつで、形勢逆転ってか……」


 吐き捨てて、剣を握り直す。


 中庭の中央に、ハレスが立っていた。


「……ヴゥ……ア……」


 喉の奥から漏れる声は、さっきよりも濁っていた。赤黒い肌の下で、黒い血管がひくひくと脈打っている。それでも、その目はまっすぐにガネンを捉えていた。

 長くは、もたない。見ている誰の目にも、それは明らかだった。



「『迅雷纏(ライトニング・ヴェール)』――『雷電装(ボルテック・エンチャント)』」


 ガネンの全身に雷が走った。剣身に紫電が重なり、刃そのものが光の塊と化す。



 2人の間の空気が、張り詰めた。



 どちらも、もう笑っていなかった。


 動いたのは、同時だった。


 ガネンの姿が、雷光となって消える。右。左。背後。中庭を縦横に跳び回りながら、あらゆる角度から斬りかかる。


 ハレスは、その全てに反応した。


 右からの一撃を腕で弾き、背後からの斬撃を振り向きざまに受け止め、返す拳で雷光を叩き落とす。ついさっきまで、目で追うことすらできなかった速さだった。


 ガネンも、退かなかった。


 距離を取れば、その間に詰められる。ならば、張りついて斬り続けるしかない。弾かれた勢いを殺さず、そのまま次の一撃へ繋げる。


 その一撃が、ハレスの肩を裂いた。


 赤黒い皮膚が割れ、黒い血が噴き出す。


「……斬れるじゃねぇか」


 ガネンの口元が、吊り上がった。


 ハレスは、傷を見もしなかった。裂けた肩のまま、一歩、踏み込む。


 剣と拳がぶつかるたび、雷光が弾け、衝撃が石畳を割る。攻めていたはずのガネンの足が、一撃ごとに後ろへずれていく。いつの間にか、その剣は斬るためではなく、受けるために振るわれていた。


「くっ……!」


「ヴォォォ……!!」


 ハレスの拳が、剣を叩いた。


 ガネンの腕が、跳ね上がる。体勢が、崩れた。


 ハレスは、右の拳を引いた。



 赤黒い魔力が、その拳に渦を巻いて集まっていく。足元の石畳が、重みに耐えかねて沈み込んだ。


「『魔人の鉄槌(デモンズ・ハンマー)』――!!」


 避ける時間は、なかった。



 ガネンは、崩れた体勢のまま剣を掲げた。雷の刃が、拳を受け止める。


 一瞬だけ、拮抗した。


 剣が、砕けた。

 拳が、ガネンの胸を捉えた。

 音が、遅れて届いた。



 衝撃が中庭を突き抜け、周囲の瓦礫が一斉に宙へ舞い上がる。戦っていた侵入者たちが、手を止めて振り返った。アレクも、ロザリナも、その一撃から目を離せなかった。


 ガネンの体は、地面を何度も跳ねて、ようやく止まった。


 白目を剥いていた。折れた剣の柄が、指の間から転がり落ちる。


(クソ……が……)


 視界が、暗くなっていく。



(あいつらが……来ていれば……)



 ――――――――


 中庭が、しんと静まった。


 ハレスは、拳を下ろしたまま立っていた。荒い呼吸が、白く煙る。赤黒い肌の下で、まだ魔力が脈打っていた。


 校舎の奥から聞こえていた戦いの音も、いつの間にかまばらになっている。


 自分の手を、見下ろした。

 爪の伸びた、人のものではない手だった。

 この力が、いつまでも続くとは思えなかった。切れた時に何が待っているのかも、分からない。


 それでも、顔を上げる。

 まだ、守るべき者がいる。

 ハレスは、校舎の方へと目を向けた。

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