第41話 譲れないこと
階段の踊り場。
その裏にできた、わずかな窪み。シャルマは膝を抱え、体を折り畳むようにして、そこに身を潜めていた。
遠くで爆発音がする。悲鳴が上がる。誰かが走り抜ける足音、誰かが崩れ落ちる音――その全てが、たった一枚の扉を隔てた向こう側で起きていた。
「くっ……どうして、こんなことに……」
「なんで、みんな普通に戦えるんだよ……僕には、できないよ……怖いよ……」
膝を抱える腕に、力がこもる。手は、さっきからずっと震えていた。止めようとするほど、震えは大きくなっていく。
教員たちは前線を支えている。上級生は下級生を逃がしている。同じ候補生になったはずの二人だって、今頃どこかで戦っているはずだ。それなのに自分は、こんな場所で膝を抱えている。
みんながおかしいのだと、そう思いたかった。あの状況で平然と戦える方が、どうかしているのだと。
「……ほんと、なんなんだよ」
乾いた笑いが漏れる。
「なんでだよ……シャルマ……」
――ドン。
足音が、聞こえた。階段の下。ちょうど、真下あたり。息を、止める。
「たく、ここの生徒らはどこに隠れてやがるんだ」
「もうほとんど避難しただろう。それに、俺たちの目的は虐殺じゃない」
二人分の声だった。
(……目的?)
思考が、恐怖を一瞬だけ押しのけた。殺すことが目的じゃないなら、こいつらは何のためにここへ来た。この規模の襲撃を仕掛けて、何を――
「それもそうだな。でも、だ」
声が、近づいた。
「見つけちまったもんは、殺さないとなぁ……!」
窪みを覗き込んだ男と、目が合った。
「――ッ!?」
反応する間もなく、蹴りが飛んできた。咄嗟に腕で庇う。それでも、体は階段の下まで転がり落ちた。
立ち上がりながら、頭の中は真っ白だった。二人。どちらも剣を構えている。どちらも、笑っていた。
「よくもまぁ、あんなところに隠れていたもんだ」
「見つけた以上は殺せって話だからな。ガネスさんの指示だ」
シャルマは、腰の剣を引き抜いた。震える手を、両手で握り込む。
(戦わなくちゃ、いけないのか……!)
「――瞬速!」
姿が、消える。
「おっと」
前衛の男が、剣を横に薙いだ。読まれている。回り込んだ先を、正確に。
「岩弾」
もう一人が放った石弾が、着地際を襲う。転がって躱し、そのまま距離を取った。
(連携してる……!)
一人を狙えば、もう一人が潰しに来る。単純で、だからこそ厄介だった。それでも、何度も仕掛けた。跳び込み、弾かれ、また跳び込む。
そして、ようやく――
「瞬速――!!」
一人の背後を、完全に取った。
「つ……!?」
斬れる。そう思った瞬間だった。脇腹に、衝撃が走った。
「ぐはっ……!」
もう一人の蹴りが、まともに入っていた。体が宙を舞い、壁に叩きつけられる。
「雑魚じゃねぇか」
男が笑った。最初から、読まれていたのだ。背後を取らせることまで含めて。
「斬撃波!!」
剣圧が、飛んでくる。
「風纏の型――鉄壁化!!」
全力の防御。腕を交差させ、体を沈める。衝撃が、全身を突き抜けた。踏ん張った足が、床を削って後退する。
それでも――耐えた。
膝が笑っている。呼吸が、上がっている。それでも、立った。
(みんな、戦ってるんだ。僕だって、少しでも……!)
剣を握り直す。二対一。実戦経験の差。どう考えても、分が悪い。それでも、食らいついた。躱し、受け、隙を探し続けた。
――そして、その時が来た。
「いい加減、死ねよ!!」
男が、剣を大きく振りかぶる。魔力が、刀身に集まっていく。さっきと、同じ構えだった。
(来る……!)
シャルマの中で、何かが弾けた。
――魔法適応。あの日、選抜戦で目覚めた力。一度受けた魔法は、もう自分には届かない。
(あの技は、もう受けた。なら――!)
「斬撃波!!」
「はぁーーー!!」
シャルマは、走った。防御はしない。躱しもしない。ただ、次の一撃を叩き込むためだけに、剣へ魔力を込めながら、真正面から飛び込んでいく。
「なに!?」
衝撃音。閃光。視界が、白く塗り潰された。
男たちが、身構える。何かが来る。そう思った。
だが――
カランッ───
剣の落ちる音が、した。
光が晴れたその先にあったのは、膝をつき、剣撃をまともに受け、血を流して崩れ落ちるシャルマの姿だった。
「がはっ……」
口から、血が溢れる。一瞬の沈黙のあと、男たちは吹き出した。
「ふ……ははははっ!!なんだよお前、何がしたかったんだ!?」
「ほんと、無様だなぁ。それともあれか、死にたかったのか!?」
嘲笑が、頭上から降ってくる。シャルマには、その声がもう遠かった。
(なんで……なんで、スキルが発動しないんだよ……)
床に伏したまま、血の広がる感触だけが生々しい。
(これじゃ、なんの意味も――)
視界の端が、暗い。息が、浅くなっていく。
(僕は、殺される。……いや、何もされなくたって、このままじゃ、しばらくすれば)
「ごめん……ミリナ……」
「あぁん?なんか言ったか?」
「どうする、念のために首はねとくか」
「そうだな。一応やっといてくれ」
男の一人が、剣を振り上げた。
その瞬間だった。
二人の首が、同時に宙を舞った。血飛沫が、壁を赤く濡らす。
何が起きたのか、シャルマには分からなかった。もう、意識が保てない。
(……誰だ)
薄れゆく視界の中、ゆっくりと歩み寄ってくる人影があった。ワインレッドの、長い髪。
カルザス・ヴォルグレイブだった。
「カル、ザス、さん……すみません、僕、スキルが……」
「喋らなくていい」
カルザスは膝をつき、シャルマの傷口を手で押さえた。溢れる血を、必死に堰き止める。
「シャルマ。お前はこの学院のために戦った。誇れ」
その目は、まっすぐにこちらを見ていた。
「……カルザスさん」
声が、掠れる。
「僕には、妹がいます」
カルザスが、何か言いかけた。だが、シャルマは止まらなかった。止まったら、もう二度と言えない気がした。
「僕が死んだら、親もいないので……あの子は、一人になります。妹は、体が弱いんです。生まれつきということもありますが……ご飯も、あまり食べさせてやれていなくて」
「候補生になれたら、少しはいい暮らしをさせてやれるって……それだけを考えて、ここまで来たんです」
息が、続かない。それでも、最後の力を振り絞った。
「カルザスさん。お願いします。妹の……ミリナを、見てもらえませんか……」
しばらく、返事はなかった。
やがて、カルザスが静かに口を開いた。
「わかった、シャルマ・ノイス。お前の言いたいことは、わかった」
その声は、どこまでも落ち着いていた。
「だが、それはまだ引き受けられない」
「……え」
「なぜなら、お前は死なないからな」
シャルマは、目だけを動かした。カルザスは、笑ってすらいなかった。ただ、事実を告げる顔をしていた。
「確かに、お前の傷は重い。放っておけば死ぬだろう。だがな。回復魔法というものの凄さを、お前は知らないのか?」
「――お待たせしました!」
廊下の奥から、駆けてくる足音。現れたのは、二年の候補生――ナリンだった。
「なん、で……」
「お前の魔力が、急に膨れ上がって、それきり消えた」
カルザスが、短く言った。
「掃討中だったが、あれは戦っている魔力の動きじゃない。命を削る動き方だ。だから、彼女を呼んだ」
「――頼む」
「はい。『安らぎの癒し』」
ナリンの手から、柔らかな光が溢れ出した。傷口を包み込み、裂けた皮膚が、肉が、内側から繋がっていく。冷たくなっていた指先に、熱が戻ってくる。あれほど深かった斬り傷が、跡形もなく消えていった。
「……あ」
シャルマは、自分の体を見下ろした。血に濡れた制服はそのままだった。それなのに、痛みが、どこにもない。
「さぁ、立つんだ。シャルマ」
実感が、追いつかなかった。もうダメだと思っていた。ミリナに、謝ったのだ。なのに、まだ生きている。
「……ありがとうございます。本当に……」
声が、震えた。カルザスとナリンが、静かに微笑んだ。
「侵入者はまだ残っている」
カルザスが、槍を握り直した。
「シャルマ。まだ戦えるか」
シャルマは、落ちていた剣を拾い上げた。握る手は、もう震えていなかった。
「……はい!」
三人は、廊下の奥へと駆け出していく。
もう、恐怖に突き動かされてはいなかった。受けた恩のために。強くなるために。そして――待っている、たった一人の妹のために。
後に、ライトサイドの一人となる男。
シャルマ・ノイス。
これが、彼の最初の一歩であった。




