第40話 あの日の約束
学院は、まだ鎮まっていなかった。
魔法が炸裂し、剣戟が鳴り、怒号と悲鳴が入り混じる。最初の混乱こそ収まったものの、戦いそのものは、むしろ激しさを増している。
生徒が。教員が。誰もが、この学院を守るために戦っていた。
(僕も、君も――結局は同じだ。)
(信じているもののために戦っている。それだけの話なんだよ、リン)
エリックが床を叩くように魔力を放つ。石畳から氷が次々とせり上がり、足場となり、壁となって、リンとの間に距離を作っていった。
「月光斬!!」
光の斬撃が、氷を斬り裂きながら直進する。
「氷矢」
離れた足場の上から、エリックが応じた。放たれた氷の槍を、リンは剣の一振りで両断する。
止まらない。
リンは駆けた。行く手を阻む氷を片端から砕き、斬り払い、まっすぐにエリックへと詰めていく。
そして――間合いに捉えた瞬間、リンの魔力が跳ね上がった。
(来る…!)
エリックは辺り一面に氷を展開する。だが、リンはその全てを踏み越えてきた。
「真紅月光斬!!!」
セオンとの決勝で、ただ一度だけ放った一撃だった。
「氷の城壁三重!!!」
三枚の氷壁が、瞬時にせり上がる。
赤い斬撃が、第一の壁を砕いた。第二の壁に、罅が走る。第三の壁で――止まった。
「くっ……!」
リンの表情が歪む。驚きよりも、苛立ちが勝っていた。
「危なかった……ってこともないか」
崩れた氷の向こうで、エリックが息を整える。手袋が、淡く光を帯びていた。
「ふぅ……」
リンもまた、呼吸を落ち着かせる。
そして――エリックの視界から、消えた。
「完全無感知」
音も、気配も、魔力も。全てが、その場から失われる。
「はっ、本当にすごいよ」
エリックは動かなかった。ただ、感嘆したように呟く。
「観客席から見てた時より、ずっと凄い。改めて驚かされるよ」
リンは既に、エリックの背後にいた。確実に斬れる位置。
(スキルというのは、本当に――)
解除する。
「でも、君のスキルは違う」
その声に、リンの動きが一瞬だけ乱れた。
剣先が、エリックの首へ届く――その直前。
「氷棘乱牙撃」
足元から、氷の棘が一斉に噴き上がった。
「あぁッ!」
体勢を崩したまま、リンは弾き飛ばされる。浅い。だが、確実に届かなかった。
「リン。君のスキルは、はっきり言ってハズレだよ」
エリックは、追撃しなかった。
「それは、セオン君と戦った時、君自身も感じたはずだ」
「……ッ」
「スキルを使っている間、君は攻撃できない。斬るには、必ず解除しないといけない。そして――解除そのものに、時間がかかる」
リンの呼吸が、乱れた。
「その間、君の魔力は僕に丸見えだ。それなのに、君はまだ攻撃できない。ただの空白だよ、あれは」
エリックは、指を一本立てた。
「おまけに、さっきの斬撃を撃つつもりなら、解除してから魔力を練り直す必要がある。全部合わせて、一秒半。それだけの時間、君は棒立ちになるんだ」
「僕はその一秒半の間に、自分の足元へ氷を展開するだけでいい。君は近づくことすらできない」
「……そんなことない」
リンは剣を握り直した。
「ボクのスキルは、そんなに甘くない」
「ふぅ……」
再び、消える。
「ふっ…」
エリックは、構えすらしなかった。
――今度は違った。
魔力を込めない。斬撃を放つのでもない。ただ、最短で、最速で。切っ先をエリックの首へ届かせるためだけの動き。
剣の握りすら、変えていた。
父に教え込まれた、あの持ち方に。
解除に要したのは、0・4秒。
これまでで、最も速かった。
「氷棘乱牙撃」
地面が爆ぜた。
「ぐはッ――!」
無数の氷が、リンの体を打ち上げる。今度は、浅くなかった。
「うっ……く……」
床に膝をつく。脇腹から、血が滲んでいた。
「いくら速くしたところで、無駄なんだよ」
エリックが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「君のスキルに、その空白がある限りね」
リンは、立ち上がれなかった。
「時間を無駄にしたくない。同じ候補生だったし、もう少し話したかったけど」
手の中に、氷の剣が形を成していく。
「じゃあ、さようなら」
その瞬間だった。
リンの手が、制服の内側へ滑り込んだ。
「――!?」
引き抜かれたそれが、エリックの喉元を狙う。
咄嗟に氷剣で受ける。金属の擦れる音。それは、剣ではなかった。
短く、細く、刃を潰した投擲用の暗器。
そこからのリンは、これまでとは別人だった。
床を這うように低く踏み込み、跳ね、体を捻り、およそ剣士の動きではない角度から刃を突き込んでくる。防ぐ、逸らす、退く――エリックは、その全てに対応しながらも、初めて後手に回っていた。
斬るための動きではない。
殺すための、動きだった。
「そんな武器を隠し持ってたなんて。案外、ずる賢いんだね」
リンは、答えない。
「それに、戦い方も今までと全然違う。気になるなぁ」
「――黙れ……!」
初めて、声が荒れた。
「氷刃の舞!!」
無数の氷の刃が、逃げ場なくリンを包囲した。
「――ッ!」
弾き飛ばされ、床を転がる。暗器が、手から離れて滑っていった。
「一瞬ヒヤリとしたけど。君の新しい一面が知れて、良かったよ」
倒れたまま、リンは動かなかった。
――暗殺者として、生きろ。
父の声が、遠くで響いた気がした。
「ボクは……ならない……」
掠れた声だった。誰に向けたものでもなかった。
「ん……?」
エリックが、首を傾げた。
視界が、揺らいだ。
「……あ……!?」
指先から、感覚が抜けていく。痺れ。吐き気。意識が、急速に濁っていく。
(これは――まずい)
遅れて、理解が追いついた。
「あの武器に……猛毒を……!」
膝が折れる。立っていられない。
(掠っただけで、これほどの――)
床に手をついたまま、エリックは動けなくなった。
リンが、滑っていった暗器へと手を伸ばす。指先が、柄に触れた。
「エリック……貴様を……」
だが、体が言うことを聞かない。傷が深すぎた。
「はぁ……はぁ……まぁ、僕の勝ちだ」
エリックが、震える手でポケットを探った。
取り出されたのは、緑色に濁った魔法石だった。
「……!?」
それを、握り潰す。
砕けた瞬間、淡い光がエリックの全身を包み込んだ。血の気が戻り、呼吸が整い、萎えていた手足に力が戻っていく。
「そんな……」
「ふぅ……やっぱり、ガネンさんの言う通りだった。治癒石を持っておいて、正解だったよ」
何事もなかったかのように、エリックが立ち上がる。
「随分と手こずらせてくれたね。君が、あまりにも強すぎるから」
歩み寄り、リンの首を掴んで、そのまま片手で持ち上げた。
「くっ……」
足が、床から離れる。
覚悟した瞬間、色々なものが頭をよぎった。
暗い地下の稽古場。冷たい父の声。何も言わなかった母。
凱旋する聖騎士の背中。憧れた、あの光。
セイクリッド学院の門。初めてできた、同じ歳の友人たち。
学院の裏で出会った、 ――セオン。
「確実に、死んでもらう」
エリックの手が、氷に変わっていく。
首から、指先から、冷気が這い上がってくる。
このまま、砕かれる――
―ドォンッ!!
炎が、横合いから飛んできた。
咄嗟にリンを手放し、エリックが跳び退く。爆炎が、二人の間を焼いた。
「誰だ……?」
煙の向こうから、足音が近づいてくる。
現れたのは、他の誰でもなかった。
セオン・クレストだった。
「……一体、どういうことだ」
視線が、部屋の中を巡る。
氷漬けの警備騎士。床に倒れたままのソフィア。血に濡れて、立つこともできないリン。
そして――その首を掴んでいた、エリック。
考えるより先に、手が動いていた。
「やぁ、セオン君」
エリックは、いつもと同じ顔で笑った。
何ひとつ、変わらない表情だった。
「エリック……お前……」
声が、震える。
怒りなのか、悲しみなのか、自分でも分からなかった。
「いちいち、聞かないでくれ」
エリックは、ゆっくりと氷の剣を握り直した。
「ねぇ、セオン君。覚えてるかい」
「選抜戦に出ようって、三人で話したあの日のこと」
――あの日。
なぜか、妙に耳に残っていた言葉があった。
『まぁ──もし戦うことになったら、そのときは本気でやり合おう』
・・・
「さぁ、セオン君」
エリックが、笑みを深くした。
「本気で、殺り合おう」




