第35話 帰郷
馬車が止まり、砂埃の向こうに見慣れた景色が広がった。
「着いた……久しぶりだな。」
セオンは荷を抱えたまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「じゃあ、また明日迎えに来るからな。」
御者の男はそう言い残すと、手綱を引いて来た道を戻っていった。
土の匂い。畑の緑。遠くで子どもがはしゃぐ声。何ひとつ変わっていない、幼い頃から見続けてきた景色だ。それなのに、以前とは違って見える。前世の記憶が戻ってから、この村を思い出すたびに感じるようになった、名前のつけられない感覚。
それでも――守りたいと思う気持ちだけは、何ひとつ変わっていなかった。
セオンは、ゆっくりと足を進めた。
ここを旅立った自分と、今の自分は、厳密に言えば別人なのかもしれない。人を殺し、魔族と戦い、隠しごとを抱えるようになった。それでも――
「あ……お母さん。」
家の前の畑で、テアルが土を耕していた。
「っ……?」
顔を上げた母の手から、鍬が滑り落ちる。
「セオン……!?」
「ただいま、お母さん。」
テアルは畑を突っ切って走ってきた。気づいた時にはもう、セオンは強く抱きしめられていた。
「帰ってくるなら、先に言っておきなさい!」
「はは、ごめん。」
セオンも、そっと母を抱きしめ返す。
前に抱きしめられた時とは、感じ方がまるで違った。ただ懐かしいだけじゃない。この温もりを守るために、自分は強くなろうとしている。たった一人の、母親なのだから。
騒ぎに気づいた村人たちが、あちこちから顔を出しはじめた。
「セオン!」
「セオンじゃないか!」
「セオン兄ちゃん!」
わらわらと人が集まってくる。村長も、近所の女たちも、畑仕事の途中だった男たちも。誰も彼も、変わらない顔で笑っていた。
「みんな、久しぶり!」
セオンも笑って、次々に声をかけられるまま応じていく。
「セオン、お前……なんか変わったか?」
人垣をかき分けて出てきたカイルが、じっとこちらを覗き込んできた。
「雰囲気っつーか、顔つきっつーか……。」
(さすがだな。こういうところは、昔から鋭い。)
「何も変わってないって。強いて言うなら、魔法が使えるようになったくらいかな。」
カイルの目が、大きく見開かれた。
「お前、魔法使えるようになったのかよ!やったじゃねぇか!」
「当たり前だろ。学院に何ヶ月いると思ってるんだよ。」
「言うようになったな、お前も。」
軽口を叩き合う。この感じも、村を出る前と何ひとつ変わらない。
周りの村人たちからも、おめでとう、大したもんだ、と次々に声が飛んでくる。すっかり、この輪の真ん中に立たされていた。
「あぅ〜!」
その中に、赤ん坊の声が混じった。
見ると、ユリが小さな子を抱えて立っている。
「ユリ姉さん、無事に生まれたんだね。」
セオンが幼い頃、何かと面倒を見てくれた女だった。
「うん。私の宝物。」
ユリは腕の中を優しく揺らしながら、まっすぐこちらを見た。
「セオン、学院でちゃんと頑張って、この子が大きくなった頃には立派な魔道士か聖騎士になってるんだろうね」
「……どうだろう」
「ふふっ。でも、楽しみにしてるからね」
村の中の賑わいは、日が傾きはじめてもなかなか収まらなかった。
――――――
「それにしても、あのセオンがセイクリッド学院の優秀者だなんてねぇ。」
夕食の支度をしながら、テアルが嬉しそうに言う。
「違うよ、お母さん。成績が少し良かっただけで、候補生にはなれてないし、それに――……まあ、いいや。」
説明するのを、途中で諦めた。
「ふふっ。」
その様子を見て、テアルは楽しそうに笑った。
やがて、テーブルには湯気の立つ皿が並んだ。豆と根菜を煮込んだ、昔から食べ慣れた料理だ。
「美味い……やっぱりお母さんの料理が一番だよ。」
「もう、大げさなんだから。」
一口ごとに、体の芯が温まっていく。学院での日々も、森での戦いも、遠い出来事のように思えてくる。
こういう時間を守るために、自分は――
その瞬間だった。
「――!?」
魔物の魔力。それも、近い。
「うわぁー!!」
村の外れから男の悲鳴が上がり、続けて鐘の音が鳴り響いた。魔物襲来の合図だ。
セオンは椅子を蹴るように立ち上がり、扉へ走った。
「セオン、気をつけてね……!」
「うん。」
それだけ言い残して、外へ飛び出す。
魔力と声を頼りに駆けつけた先――村の入り口近くで、巨大オークが斧を振り回していた。その前には、倒れた男を庇うようにして剣を構えるカイルの姿があった。
「カイル!」
「セオン、来てくれたか!」
言葉はそれだけで足りた。
カイルが受け止めていた斧――その腕の付け根へ、セオンは短剣を走らせる。
「ぐわぁー!!」
腕ごと落とされたオークが、たたらを踏んで後ずさる。
「今だ!」
「ああ!」
二人の声が重なった。
「火炎の球!」
「炎鳥翔!」
放たれた二つの炎が、正面から巨体を焼き尽くす。断末魔を上げながら、オークはゆっくりと崩れ落ちた。
「ふぅ……助かったよ、セオン。」
「いや、俺は少しサポートしただけだ。」
「そんなことねぇって。本当に助かった。」
村人たちがぱらぱらと集まってきて、口々に礼を言った。
その様子を眺めながら、セオンは静かに尋ねた。
「……相変わらず、魔物はこの村に来るのか。」
「ああ。頻度はだいぶ落ち着いてきたけどな。場所が場所だ。結局、あの頃と何も変わってねぇよ。」
カイルは剣に付いた血を拭いながら、続けた。
「来るたびに、俺や村のみんなで協力して、追い払うか、倒すか。慣れたつもりでいるけどな……気づかないふりしてるだけで、正直、みんな怯えてる。」
胸の奥に、ずしりと重いものが落ちた。
幼い頃から、父が、母が、村の人たちが、そうやってこの村を守ってきた。その繰り返しの中に、今も誰かの命が乗せられている。
「……そうだよな。」
セオンは、それだけを絞り出すように言った。
「もう少しだけ、我慢しててくれ。俺が――このハルマベイルを、みんなが安心して暮らせる村にする。」
カイルは、ふっと鼻で笑った。
「何言ってんだ?お前だけじゃねぇよ。俺だって次の試験に受かって、セイクリッド学院に行く。」
「……そうだったな。」
自然と、二人とも笑っていた。
――――――
その夜、セオンは一人で村を歩いて回っていた。
(少しでも、力になりたい。あの時、手に入れたこの魔法を使えば――)
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【スキル:魔法奪取】
■奪取リスト
・悪魔の炎
・炎の矢
・癒し
・水の盾
・魔法罠
■使用:魔法罠
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魔族との戦いで奪い取った、魔法罠。指定した範囲に対象が踏み込むと、あらかじめ設定しておいた魔法が自動で発動する。しかも、罠が作動すれば込めた魔力が消えるため、どれだけ離れていても発動したことが分かる。
(これを、村中に仕掛ける。)
セオンは村の入り口の地面に手をかざした。
「『魔法罠』。対象は魔物と魔族。発動魔法は――悪魔の炎。」
地面に淡い紋様が浮かび上がり、すっと吸い込まれるように消えていく。
「あとは、魔物が来そうな場所を全部……。」
――――――
「ふぁ〜……あ?セオン、もう起きてたのか。早いな。」
翌朝、家の前で顔を合わせたカイルが、寝ぼけ眼をこすった。
「ん?ああ、いや……魔物対策に罠を仕掛けてたら、こんな時間になった。」
疲れの滲む顔で、それでもセオンは笑ってみせる。
カイルの動きが止まった。
「……おい。どういうことだよ。」
「だから、魔法罠っていって、魔物が入ってきたら自動で発動する魔法があるんだ。それを村の周りに仕掛けてた。思ったより魔力を使うから、回復を待ちながらやってたら朝になってた。」
カイルはしばらく黙り込んでいたが、やがて短く息を吐いた。
「……はぁ。やっぱりすげぇよ、お前は。」
「そうか?」
「本当に、ありがとうな。」
セオンは、少し不思議そうな顔をした。
「礼なんていらない。この村は俺の宝物だ。宝物は、誰にも渡したくないだろ。」
――――――
「お母さん、そろそろ帰るよ。」
「気をつけてね。いつでも待ってるから。」
家を出たセオンは、その足で村外れへ向かった。
グロウド・クレスト――そう刻まれた墓の前に、静かに腰を下ろす。
「お父さん。仇は、討ったよ。」
風が、草を撫でていく音だけが返ってきた。
「でも、まだ全然だ。お父さんみたいには、なれてない。……それでも、必ず叶えてみせるから。」
しばらくそうしてから、セオンは立ち上がり、歩き出した。
村の入り口には、旅立ちの日と同じように、みんなが集まっていた。
「もう、いいのに……どうせ、またすぐ会えるんだから。」
「そう言いなさんな。みんなセオンのことが好きなんじゃからな。」
村長が、皺だらけの顔をほころばせて笑う。
「じゃあ、行ってきます!またね、みんな!」
セオンは大きく手を振って、再び歩き出した。
次も笑顔で、ここへ帰ってくるために。




