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記憶の回帰〜Oath of Karma〜  作者: 儚威
第1章 セイクリッド学院編
32/49

第32話 面影


「無駄な時間だったな、さらばだ」


魔族が、冷笑を浮かべながら蔓を突き出した。


意識が、朦朧としていた。それでも――体が、勝手に動いた。奪ったはずの力が、まるで自分自身の一部であるかのように、自然と喉から言葉が零れる。


「『水の盾(ウォーターシールド)』」


蔓が突き刺さる寸前、目の前に巨大な水の盾が現れ、その一撃を受け止めた。凝縮された魔力の盾には、ヒビ一つ入らない。


「なに……!?」


魔族の顔に、初めて動揺が浮かんだ。


(防御魔法まで持っていたのか。それを、なぜ今まで――。)


そう問いたげな視線を、俺は黙って受け流した。


「フフフ……死ぬのが怖くなったか?だが、もう遅い。今更足掻いたところで、その体はろくに動けまい」


魔族が、狂気を孕んだ目でこちらを見下ろす。


俺は、俯いたまま――ただ、静かに息をついた。


体は、悲鳴を上げている。指先すら、思うように動かない。それでも――不思議と、心は凪いでいた。


諦めたわけじゃない。覚悟を、決めただけだ。この上位魔族を、殺す覚悟を。


「『癒し(ヒール)』」


水の盾を消し、代わりにヒールを発動する。淡い光が全身を包み、傷が瞬く間に塞がっていった。痛みが、少しずつ引いていく。それでも、失った血の分だけ、体は重かった。


「ほう。回復魔法まで持っていたか。だが――盾がない状況で、次の一撃はどう受け止める?」


魔族が、再び蔓を放つ。


俺は、動じなかった。冷静に右手を掲げる。


――――――――

【魔法奪取(マジックスティール)】

■使用:『悪魔の炎(デビルファイア)』

――――――――


放たれた紫黒の炎が、一瞬で蔓を燃やし尽くし、そのまま魔族へ向かって突き進んでいく。


「なんだ、それは……!?」


「これで、終わりだ」


冷徹に、そう告げた。自分でも、驚くほど平坦な声だった。


(この炎は、さっきまでのとは、明らかに違う。触れない方がいい。)


「『蔓の壁(ヴァインズウォール)』!」


黒い魔力を纏った蔓の壁が、目の前に立ち上がる。悪魔の炎はそれに激突し、けたたましい音を立てたが――勢いは止まらず、壁ごと燃やし尽くして進み続けた。


魔族の顔に、再び驚愕が浮かぶ。


「なかなか、やるじゃないか」


(上位魔族の私が、あの炎を避けるわけにはいかない。)


「クッ……『守護蔓(ゴーレム)』!私を守れ!」


蔓でできた二体の巨兵が地面から這い上がり、炎の前に立ちはだかる。だが、それも一瞬で焼き尽くされた。炎の勢いは、些かも衰えない。


「まずい――このままだと……」


炎が届く寸前、魔族は驚異的な身体能力で横へ飛び避けた。


「貴様なんかに魔力は使いたくないのでな。仕方なく避けたまでのこと。危なかったわけでは、断じてない」


俺は、その様子を鋭く見据えた。焦りを隠しきれていない、その一挙一動を。


「――触れたな」


「何のことだ」


魔族が、自身の左手を確認する。指先に、紫黒の炎が小さく燃えていた。


「少し掠っただけか。痛くも痒くもない」


魔族はそう言いながら、自らの魔力でその炎を消そうとした。だが――一向に、消える気配がない。


「なぜだ。なぜ、消えん」


苛立ちを滲ませながら、魔族は何度も炎を払おうとする。だが、指先はどんどん、黒く朽ちていくばかりだった。


(勝った。)


そう確信した、その時だった。


「待て――一体、何が起きている……!」


炎は勢いを増し、手の甲を覆い、腕全体を飲み込もうと這い上がっていく。


「なんなのだ、これは……!クソがっ……!」


そして、魔族は――予想外の行動に出た。


[グサッ――]


蔓の刃を自ら握り、その腕を、肘の付け根から切り落としたのだ。


「なに……!?」


「グゥアァ……!!」


切り離された腕は、地面に落ちる前に、瞬く間に灰へと変わっていった。


「ハハッ……。切り離さなければ、今頃どうなっていたか。なあ、貴様もそう思うだろう?」


魔族は、笑っていた。だが、その目には――確かに、動揺の色が滲んでいた。


「炎が消えないと気づいた時は、正直、少し焦った。だが――切ってしまえば、どうということもない」


「特に――再生魔法の使い手には、な」


「まさか」


「『呪縛の癒し(カースヒーリング)』」


魔族が、不気味な笑みを浮かべながら、回復魔法を唱えた。


「さあ、再生するがいい。私の腕よ」


「させるか。『悪魔の炎(デビルファイア)』!」


放った炎に、僅かな違和感を覚えた。


(さっきより、威力が――。)


「ハハッ!同時に複数の魔法を使えるこの私にとって、この程度の威力なら問題ない!『蔓の壁(ヴァインズウォール)』、『守護蔓(ゴーレム)』!」


魔族は、回復魔法を維持したまま、防御魔法を同時に展開する。悪魔の炎の勢いは、みるみる削がれ、やがて完全に消えていった。


「ん?まだ、再生しないのか、私の腕は……!」


「上位魔族たるこの私が使う回復魔法だぞ!さっさと再生しろ!!」


苛立ちを露わにする魔族。


「なぜ、再生しない……!」


その表情には、苛立ちと――僅かな恐怖が、交錯していた。


俺自身も、その様子には引っかかるものがあった。上位魔族の回復魔法なら、腕一本など容易に再生できるはずだ。本で、そう読んだ覚えがある。


(なら――悪魔の炎(デビルファイア)に、何か別の力が。燃やし尽くす……いや、まさか。)


確信はない。だが、他に考えられる答えはなかった。


「なるほどな」


「なんだ……?」


魔族が、訝しげに眉をひそめる。


「お前が喰らったのは、ただの炎じゃない。お前の左腕そのものを、燃やし尽くしたんだ」


「なに……!?」


「悪魔の炎(デビルファイア)は、ただ焼くだけの魔法じゃない。触れたものを――この世界から、消し去る。お前の腕は、もうどこにも存在しない。回復魔法で、どうにかなるものじゃない」


魔族の表情が、絶望に染まり――やがて、怒りへと変わっていく。


「ふざけるな……上位魔族たるこの私が……これから片腕で生きていけと?舐めているのか……!もうすぐ、次期魔王決定戦が開かれるというのに――こんな姿で臨めば、立派な恥さらしだ……!」


「許さない。”許さない”ぞ……!!」


爆発的に膨れ上がった魔力が、一帯に衝撃を撒き散らした。地面が裂け、周囲の木々が音を立てて崩れ落ちていく。


(まだ、これだけの力を――。)


上位魔族が、こんなところで終わるはずがない。分かっていたはずのことだった。それでも、目の当たりにすると、腹の底が冷える。


魔族の操る蔓が、狂ったように暴れ回り、無差別に周囲を薙ぎ払っていく。


「『水の盾(ウォーターシールド)』!」


再び水の盾を展開し、荒れ狂う蔓を防いだ。だが、猛攻は止まる気配がない。


「いいだろう。魔王決定戦まで、魔力は温存しておこうと思っていたが――ここまで私を怒らせたのだ。敬意を表し、私も全力で相手をしてやろう」


魔族が、不気味な笑みと共に、全身へと今までとは比較にならない量の魔力を集め始める。


「なんだ、この魔力は……」


「見せてやろう――真の姿を」


眩い光が弾け、辺り一面が白く染まった。


目が慣れた頃、そこに立っていたのは――さっきまでとは、まるで別人だった。


体格は、鋭さを増したように引き締まり、髪は長く伸びている。角は、さらに大きく、鋭くなっていた。全身を覆う黒い魔力は、まるで闇そのものが人の形を取ったかのようだった。


「――さっきとは、まるで、違う」


その圧倒的な存在感に、一瞬、体が竦んだ。それでも、すぐに気を引き締め直す。ここで怯めば、それで終わりだ。


「1分だな。魔王決定戦が控えている。あまり、力は使いたくない。1分で――終わらせる」


「舐めるな。悪魔の――」


悪魔の炎(デビルファイア)を放とうとした、その瞬間――魔族の蔓が閃いた。


反応する間もなかった。左腕が、瞬時に斬り飛ばされていた。


「――ッ……!!」


これまで感じたことのない激痛が、全身を貫く。声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れた。視界の端が、白く点滅する。


「フン。これで、お前も私と同じ、片腕の仲間入りだな」


左腕を失った激痛に、意識が飛びかけた。それでも、何とか後ろへ下がろうとした、その時だった。


「――ッ!?」


足首に、何かが絡みついた。


地面から細い根のようなものが伸び、瞬く間に足へ巻きついていく。そのまま地面へ縫い留められ、身体が止まった。


「気づいていなかったのか? この森に入ってから、ずっと仕込んでいたのだがな」


魔族が、愉快そうに笑う。


その足元には、わずかに魔力の痕跡が残っていた。


【魔法罠(マジック・トラップ)】


あらかじめ魔力を地面や壁などに刻み込み、そこへ任意の魔法を一つ組み込む設置型の魔法。


罠の範囲に対象が入れば、仕込まれた魔法が自動的に発動する。


単純な魔法だ。


だが、使い方次第では厄介極まりない。


「『地縛り根(グラウンド・ロック)』。動きを封じるだけの、地味な小技だ」


魔族は口元を歪める。


「だが――今のお前には、十分すぎるだろう?」


「……っ」


足が、動かない。

距離を取ることさえ、できなかった。


すぐさま『癒し(ヒール)』を唱えようとした。だが、魔族はその隙を見逃さない。再び、蔓が繰り出される。


「くそ――『水の盾(ウォーターシールド)』!」


痛みに耐えながら、水の盾を再び展開し、迫る蔓を受け止めた。だが、出血は止まらない。意識が、次第に薄れていくのを感じた。


(早く……癒し(ヒール)を……。)


「どうした?後ろが、がら空きだぞ……!」


背後に、気配があった。地面から、新たな蔓が迫っている。


(まずい――もう、スキルは水の盾(ウォーターシールド)を使っている。今、切り替えられるのは、俺自身の魔法だけだ。)


腰の短剣に、右手だけで手をかける。せめて、少しでも軌道を逸らせれば――。


「『火炎の球(ファイアボール)』!」


放った炎は、蔓に直撃した。だが、予想通り、傷一つつかない。蔓は、そのまま一直線に迫ってくる。


短剣を構える間もなく――蔓は、俺の腹を貫いていた。


「――ッ……ぐ……」


口から、血が溢れる。貫かれた場所から、血が滴り落ちていった。水の盾が消え、体は、蔓に貫かれたまま崩れ落ちる。


魔族が、ゆっくりと歩み寄ってくる。


「まだ、殺しはしない。貴様の魔力を、すべて吸い取ってからだ」


「『冥府の蔓(アビスヴァインズ)』」


これまでとは異なる、不気味な光を放つ蔓が幾筋も現れ、胴体と四肢に絡みついてくる。


「この蔓は、拘束した相手の魔力を吸い上げ、私のものに変える。この蔓に縛られた者は、魔法を使うこともできない。抜け出すことは――不可能だ」


魔族が、冷笑と共に続けた。


「この技を知った他の魔族には、卑怯だ、汚いと言われるがな。知ったことか。まあ、真の姿でなければ使えないのが、難点ではあるが」


蔓を通じて、体から力が抜けていくのが分かった。魔力が、少しずつ吸い上げられていく。指先の感覚さえ、次第に遠のいていく。


「まだ、これだけ残っていたか。回復魔法に、防御魔法。そして――存在をも燃やし尽くす炎魔法。とんでもない人間だな。未熟なうちに出会えて、良かった。もう少し後だったら――結果は、違っていたかもしれん」


魔族は、皮肉げに笑いながら、蔓の拘束をさらに強めた。


意識は、朦朧としていた。それでも――辛うじて、繋がっている。


「そろそろ、吸収も終わりそうだな。久しぶりに、良い戦いだった。片腕を持っていかれたのだ、誇っていい。最近の人間は、どいつもこいつもつまらん。暇つぶしにすらならん。唯一面白かったのは、この国の聖騎士だけだ」


魔族が、目を細めた。愉快そうに、言葉を継ぐ。


「聖騎士に十人に出くわし、相手にしたことがあってな。護衛を守ろうと向かってきた九人は、あっさり死んだ。だが――残った一人だけは、違った。蔓に何度貫かれても、鬼のような顔で、私に殴りかかってきたよ。あの執念は――見事だった。まあ、最終的には、バラバラにしてやったがな」


朦朧とする意識の中、一つの確信が、静かに形を成していった。


(聖騎士十人を相手取り、バラバラにして殺した――こいつが。)


戦意など、とうに失っていたはずだった。それでも――腹の底から、確かな熱が込み上げてくる。指先が、震え始めた。恐怖のためではない。


「……お前、だったのか」


声は、掠れていた。


「ん?何だ、よく聞こえんな」


「お前が……だったのか」


「何のことだ」


ほとんど吸い尽くされていたはずの魔力が――再び、膨れ上がり始めた。


「なんだ……?さっきまで、ほとんど尽きていたはずなのに――」


魔族が、訝しげに眉をひそめる。


母の泣き顔が、脳裏をよぎった。父の背中が、遠い記憶の中で、まだそこに立っていた。


「お前が――『お父さん』を、殺したのか」


こいつだったのか。この男が、俺の、たった一人の父親を。


生きていれば――もっと早く、幸せに手が届いていたはずだった。母を悲しませ、その笑顔を奪った男。


絶対に――許すわけにはいかない。


「許さない」


その瞬間――全身から、悪魔の炎(デビルファイア)が一気に噴き出した。拘束していた蔓は、ものの一瞬で焼き尽くされていく。


「なに……!?魔法は、使えないはずだ……!」


魔族の目に、一瞬――明確な恐怖が浮かんだ。


その視線の先に立っていたのは、紫黒の炎を纏った、俺だった。表情には、殺意しかなかった。ただ、目の前の魔族だけを、見据えていた。


「その、顔……」


魔族が、あの一人の聖騎士を思い出したのだろう。同じような――鬼のような表情。面影が、確かに重なっていた。


(まさか……あいつの……。)


魔族が、信じられないという表情のまま、思わず後ずさった。


「貴様――一体、どこからそんな力が……!」


「お前を――殺す」


その一言に、魔族の背筋に、一瞬の悪寒が走った。


「ふん……ふはっ……。1分で終わらせるつもりだったが――いいだろう。付き合ってやる」


魔族は、冷笑を浮かべたまま、そう言い放った。だがその声には――微かな震えが、確かに滲んでいた。



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