第32話 面影
「無駄な時間だったな、さらばだ」
魔族が、冷笑を浮かべながら蔓を突き出した。
意識が、朦朧としていた。それでも――体が、勝手に動いた。奪ったはずの力が、まるで自分自身の一部であるかのように、自然と喉から言葉が零れる。
「『水の盾』」
蔓が突き刺さる寸前、目の前に巨大な水の盾が現れ、その一撃を受け止めた。凝縮された魔力の盾には、ヒビ一つ入らない。
「なに……!?」
魔族の顔に、初めて動揺が浮かんだ。
(防御魔法まで持っていたのか。それを、なぜ今まで――。)
そう問いたげな視線を、俺は黙って受け流した。
「フフフ……死ぬのが怖くなったか?だが、もう遅い。今更足掻いたところで、その体はろくに動けまい」
魔族が、狂気を孕んだ目でこちらを見下ろす。
俺は、俯いたまま――ただ、静かに息をついた。
体は、悲鳴を上げている。指先すら、思うように動かない。それでも――不思議と、心は凪いでいた。
諦めたわけじゃない。覚悟を、決めただけだ。この上位魔族を、殺す覚悟を。
「『癒し』」
水の盾を消し、代わりにヒールを発動する。淡い光が全身を包み、傷が瞬く間に塞がっていった。痛みが、少しずつ引いていく。それでも、失った血の分だけ、体は重かった。
「ほう。回復魔法まで持っていたか。だが――盾がない状況で、次の一撃はどう受け止める?」
魔族が、再び蔓を放つ。
俺は、動じなかった。冷静に右手を掲げる。
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【魔法奪取】
■使用:『悪魔の炎』
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放たれた紫黒の炎が、一瞬で蔓を燃やし尽くし、そのまま魔族へ向かって突き進んでいく。
「なんだ、それは……!?」
「これで、終わりだ」
冷徹に、そう告げた。自分でも、驚くほど平坦な声だった。
(この炎は、さっきまでのとは、明らかに違う。触れない方がいい。)
「『蔓の壁』!」
黒い魔力を纏った蔓の壁が、目の前に立ち上がる。悪魔の炎はそれに激突し、けたたましい音を立てたが――勢いは止まらず、壁ごと燃やし尽くして進み続けた。
魔族の顔に、再び驚愕が浮かぶ。
「なかなか、やるじゃないか」
(上位魔族の私が、あの炎を避けるわけにはいかない。)
「クッ……『守護蔓』!私を守れ!」
蔓でできた二体の巨兵が地面から這い上がり、炎の前に立ちはだかる。だが、それも一瞬で焼き尽くされた。炎の勢いは、些かも衰えない。
「まずい――このままだと……」
炎が届く寸前、魔族は驚異的な身体能力で横へ飛び避けた。
「貴様なんかに魔力は使いたくないのでな。仕方なく避けたまでのこと。危なかったわけでは、断じてない」
俺は、その様子を鋭く見据えた。焦りを隠しきれていない、その一挙一動を。
「――触れたな」
「何のことだ」
魔族が、自身の左手を確認する。指先に、紫黒の炎が小さく燃えていた。
「少し掠っただけか。痛くも痒くもない」
魔族はそう言いながら、自らの魔力でその炎を消そうとした。だが――一向に、消える気配がない。
「なぜだ。なぜ、消えん」
苛立ちを滲ませながら、魔族は何度も炎を払おうとする。だが、指先はどんどん、黒く朽ちていくばかりだった。
(勝った。)
そう確信した、その時だった。
「待て――一体、何が起きている……!」
炎は勢いを増し、手の甲を覆い、腕全体を飲み込もうと這い上がっていく。
「なんなのだ、これは……!クソがっ……!」
そして、魔族は――予想外の行動に出た。
[グサッ――]
蔓の刃を自ら握り、その腕を、肘の付け根から切り落としたのだ。
「なに……!?」
「グゥアァ……!!」
切り離された腕は、地面に落ちる前に、瞬く間に灰へと変わっていった。
「ハハッ……。切り離さなければ、今頃どうなっていたか。なあ、貴様もそう思うだろう?」
魔族は、笑っていた。だが、その目には――確かに、動揺の色が滲んでいた。
「炎が消えないと気づいた時は、正直、少し焦った。だが――切ってしまえば、どうということもない」
「特に――再生魔法の使い手には、な」
「まさか」
「『呪縛の癒し』」
魔族が、不気味な笑みを浮かべながら、回復魔法を唱えた。
「さあ、再生するがいい。私の腕よ」
「させるか。『悪魔の炎』!」
放った炎に、僅かな違和感を覚えた。
(さっきより、威力が――。)
「ハハッ!同時に複数の魔法を使えるこの私にとって、この程度の威力なら問題ない!『蔓の壁』、『守護蔓』!」
魔族は、回復魔法を維持したまま、防御魔法を同時に展開する。悪魔の炎の勢いは、みるみる削がれ、やがて完全に消えていった。
「ん?まだ、再生しないのか、私の腕は……!」
「上位魔族たるこの私が使う回復魔法だぞ!さっさと再生しろ!!」
苛立ちを露わにする魔族。
「なぜ、再生しない……!」
その表情には、苛立ちと――僅かな恐怖が、交錯していた。
俺自身も、その様子には引っかかるものがあった。上位魔族の回復魔法なら、腕一本など容易に再生できるはずだ。本で、そう読んだ覚えがある。
(なら――悪魔の炎に、何か別の力が。燃やし尽くす……いや、まさか。)
確信はない。だが、他に考えられる答えはなかった。
「なるほどな」
「なんだ……?」
魔族が、訝しげに眉をひそめる。
「お前が喰らったのは、ただの炎じゃない。お前の左腕そのものを、燃やし尽くしたんだ」
「なに……!?」
「悪魔の炎は、ただ焼くだけの魔法じゃない。触れたものを――この世界から、消し去る。お前の腕は、もうどこにも存在しない。回復魔法で、どうにかなるものじゃない」
魔族の表情が、絶望に染まり――やがて、怒りへと変わっていく。
「ふざけるな……上位魔族たるこの私が……これから片腕で生きていけと?舐めているのか……!もうすぐ、次期魔王決定戦が開かれるというのに――こんな姿で臨めば、立派な恥さらしだ……!」
「許さない。”許さない”ぞ……!!」
爆発的に膨れ上がった魔力が、一帯に衝撃を撒き散らした。地面が裂け、周囲の木々が音を立てて崩れ落ちていく。
(まだ、これだけの力を――。)
上位魔族が、こんなところで終わるはずがない。分かっていたはずのことだった。それでも、目の当たりにすると、腹の底が冷える。
魔族の操る蔓が、狂ったように暴れ回り、無差別に周囲を薙ぎ払っていく。
「『水の盾』!」
再び水の盾を展開し、荒れ狂う蔓を防いだ。だが、猛攻は止まる気配がない。
「いいだろう。魔王決定戦まで、魔力は温存しておこうと思っていたが――ここまで私を怒らせたのだ。敬意を表し、私も全力で相手をしてやろう」
魔族が、不気味な笑みと共に、全身へと今までとは比較にならない量の魔力を集め始める。
「なんだ、この魔力は……」
「見せてやろう――真の姿を」
眩い光が弾け、辺り一面が白く染まった。
目が慣れた頃、そこに立っていたのは――さっきまでとは、まるで別人だった。
体格は、鋭さを増したように引き締まり、髪は長く伸びている。角は、さらに大きく、鋭くなっていた。全身を覆う黒い魔力は、まるで闇そのものが人の形を取ったかのようだった。
「――さっきとは、まるで、違う」
その圧倒的な存在感に、一瞬、体が竦んだ。それでも、すぐに気を引き締め直す。ここで怯めば、それで終わりだ。
「1分だな。魔王決定戦が控えている。あまり、力は使いたくない。1分で――終わらせる」
「舐めるな。悪魔の――」
悪魔の炎を放とうとした、その瞬間――魔族の蔓が閃いた。
反応する間もなかった。左腕が、瞬時に斬り飛ばされていた。
「――ッ……!!」
これまで感じたことのない激痛が、全身を貫く。声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れた。視界の端が、白く点滅する。
「フン。これで、お前も私と同じ、片腕の仲間入りだな」
左腕を失った激痛に、意識が飛びかけた。それでも、何とか後ろへ下がろうとした、その時だった。
「――ッ!?」
足首に、何かが絡みついた。
地面から細い根のようなものが伸び、瞬く間に足へ巻きついていく。そのまま地面へ縫い留められ、身体が止まった。
「気づいていなかったのか? この森に入ってから、ずっと仕込んでいたのだがな」
魔族が、愉快そうに笑う。
その足元には、わずかに魔力の痕跡が残っていた。
【魔法罠】
あらかじめ魔力を地面や壁などに刻み込み、そこへ任意の魔法を一つ組み込む設置型の魔法。
罠の範囲に対象が入れば、仕込まれた魔法が自動的に発動する。
単純な魔法だ。
だが、使い方次第では厄介極まりない。
「『地縛り根』。動きを封じるだけの、地味な小技だ」
魔族は口元を歪める。
「だが――今のお前には、十分すぎるだろう?」
「……っ」
足が、動かない。
距離を取ることさえ、できなかった。
すぐさま『癒し』を唱えようとした。だが、魔族はその隙を見逃さない。再び、蔓が繰り出される。
「くそ――『水の盾』!」
痛みに耐えながら、水の盾を再び展開し、迫る蔓を受け止めた。だが、出血は止まらない。意識が、次第に薄れていくのを感じた。
(早く……癒しを……。)
「どうした?後ろが、がら空きだぞ……!」
背後に、気配があった。地面から、新たな蔓が迫っている。
(まずい――もう、スキルは水の盾を使っている。今、切り替えられるのは、俺自身の魔法だけだ。)
腰の短剣に、右手だけで手をかける。せめて、少しでも軌道を逸らせれば――。
「『火炎の球』!」
放った炎は、蔓に直撃した。だが、予想通り、傷一つつかない。蔓は、そのまま一直線に迫ってくる。
短剣を構える間もなく――蔓は、俺の腹を貫いていた。
「――ッ……ぐ……」
口から、血が溢れる。貫かれた場所から、血が滴り落ちていった。水の盾が消え、体は、蔓に貫かれたまま崩れ落ちる。
魔族が、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「まだ、殺しはしない。貴様の魔力を、すべて吸い取ってからだ」
「『冥府の蔓』」
これまでとは異なる、不気味な光を放つ蔓が幾筋も現れ、胴体と四肢に絡みついてくる。
「この蔓は、拘束した相手の魔力を吸い上げ、私のものに変える。この蔓に縛られた者は、魔法を使うこともできない。抜け出すことは――不可能だ」
魔族が、冷笑と共に続けた。
「この技を知った他の魔族には、卑怯だ、汚いと言われるがな。知ったことか。まあ、真の姿でなければ使えないのが、難点ではあるが」
蔓を通じて、体から力が抜けていくのが分かった。魔力が、少しずつ吸い上げられていく。指先の感覚さえ、次第に遠のいていく。
「まだ、これだけ残っていたか。回復魔法に、防御魔法。そして――存在をも燃やし尽くす炎魔法。とんでもない人間だな。未熟なうちに出会えて、良かった。もう少し後だったら――結果は、違っていたかもしれん」
魔族は、皮肉げに笑いながら、蔓の拘束をさらに強めた。
意識は、朦朧としていた。それでも――辛うじて、繋がっている。
「そろそろ、吸収も終わりそうだな。久しぶりに、良い戦いだった。片腕を持っていかれたのだ、誇っていい。最近の人間は、どいつもこいつもつまらん。暇つぶしにすらならん。唯一面白かったのは、この国の聖騎士だけだ」
魔族が、目を細めた。愉快そうに、言葉を継ぐ。
「聖騎士に十人に出くわし、相手にしたことがあってな。護衛を守ろうと向かってきた九人は、あっさり死んだ。だが――残った一人だけは、違った。蔓に何度貫かれても、鬼のような顔で、私に殴りかかってきたよ。あの執念は――見事だった。まあ、最終的には、バラバラにしてやったがな」
朦朧とする意識の中、一つの確信が、静かに形を成していった。
(聖騎士十人を相手取り、バラバラにして殺した――こいつが。)
戦意など、とうに失っていたはずだった。それでも――腹の底から、確かな熱が込み上げてくる。指先が、震え始めた。恐怖のためではない。
「……お前、だったのか」
声は、掠れていた。
「ん?何だ、よく聞こえんな」
「お前が……だったのか」
「何のことだ」
ほとんど吸い尽くされていたはずの魔力が――再び、膨れ上がり始めた。
「なんだ……?さっきまで、ほとんど尽きていたはずなのに――」
魔族が、訝しげに眉をひそめる。
母の泣き顔が、脳裏をよぎった。父の背中が、遠い記憶の中で、まだそこに立っていた。
「お前が――『お父さん』を、殺したのか」
こいつだったのか。この男が、俺の、たった一人の父親を。
生きていれば――もっと早く、幸せに手が届いていたはずだった。母を悲しませ、その笑顔を奪った男。
絶対に――許すわけにはいかない。
「許さない」
その瞬間――全身から、悪魔の炎が一気に噴き出した。拘束していた蔓は、ものの一瞬で焼き尽くされていく。
「なに……!?魔法は、使えないはずだ……!」
魔族の目に、一瞬――明確な恐怖が浮かんだ。
その視線の先に立っていたのは、紫黒の炎を纏った、俺だった。表情には、殺意しかなかった。ただ、目の前の魔族だけを、見据えていた。
「その、顔……」
魔族が、あの一人の聖騎士を思い出したのだろう。同じような――鬼のような表情。面影が、確かに重なっていた。
(まさか……あいつの……。)
魔族が、信じられないという表情のまま、思わず後ずさった。
「貴様――一体、どこからそんな力が……!」
「お前を――殺す」
その一言に、魔族の背筋に、一瞬の悪寒が走った。
「ふん……ふはっ……。1分で終わらせるつもりだったが――いいだろう。付き合ってやる」
魔族は、冷笑を浮かべたまま、そう言い放った。だがその声には――微かな震えが、確かに滲んでいた。




