第29話 見えない相手
「いくよ、セオン」
リンが、そう言った。口元に、微かな笑みが浮かんでいる。
(――何か来る。この顔は、それだ。)
辺りに、奇妙な静寂が満ちていく。
リンが、剣をゆっくりと下げた。これまでとは、明らかに違う構えだった。
(なんだ、この雰囲気は……。)
「ふぅ……」
リンが、息を吐く。
それだけだった。
なのに、セオンは目を離せなかった。
瞬きをした。
その一瞬で、リンの姿が消えていた。
「消え……」
言い終える前に、背後に気配が生まれていた。振り向く暇もない。既に、剣が横一文字に振り抜かれる寸前だった。
「っ!」
咄嗟に、僅かに残った魔力の揺らぎを感じ取り、剣を滑り込ませる。
「くっ!」
金属音と共に、体が弾かれた。すぐさま距離を取る。
「な、何が起きたんだーー!?」
モイナの声が、実況席から響く。だが、その声には、明らかな困惑が滲んでいた。
「一体、どういう……」
カルザスすらも、珍しく言葉に詰まっていた。何が起きたのか、説明できずにいる。
観客席も、静まり返っていた。上から見下ろしていたはずの彼らでさえ、何一つ、その動きを捉えることができなかったのだ。
「一体、何が……」
セオンは、呆然としたまま呟いた。
姿が、完全に消えた。魔力すら、感じ取れなかった。
「さすがセオン。ちゃんと反応した」
リンが言った。そして、また同じ構えを取る。
「ふぅ……」
(また、来る……!)
セオンは、意識を研ぎ澄ませた。また、消えた。
魔力を探る。何も感じない。どこにいる。どこから来る――。
考えを巡らせる間に、再び、背後に気配が現れた。
今度は、僅かにその魔力の揺らぎを捉えた。だが、反応は一瞬、遅れた。
「くっ!」
刃が、頬をかすめる。浅く、皮膚が裂けた。
見えている間に、反撃した。
「『火炎の球』!」
放たれた炎を、リンは軽々と躱した。
「ふぅ……」
(また来る……!)
また、消える。3度目だった。
(次はどこだ。感じ取れ。魔力がダメなら――音だ。)
耳を澄ませる。だが、足音一つ、聞こえない。
再び、背後。
「――ッ!?」
セオンは、剣を振るった。だが、それはあっさりと受け流され、浅く肩を斬られる。
甲高い金属音が、2度、3度と続けて響いた。セオンも斬り返そうとするが、その全てを流され、決め手にはならなかった。
「くっ……」
距離を取り、荒く息をつく。
「何が起きてる……」
音を消す魔法も、魔力を消す魔法も、それぞれ存在する。だが――姿も、音も、魔力も、その全てを同時に消し去る魔法なんて聞いたことがない。
そんなことができるのは――。
「スキル、か……」
「うん。ボクは、スキル持ちだよ」
リンが、あっさりと認めた。
観客席がどよめく。実況席のモイナが、興奮した声で叫んだ。
「な、なんとーー!!リン選手、スキル保持者だったのかー!!」
「『完全無感知』」
リンが、その名を口にした。
「視覚も、魔力も、音も――ボクという存在そのものを、完全に感知不可能にするスキルだ」
カルザスの声が、実況席から続いた。
「なるほど……先ほどから姿だけでなく、魔力も音も感じられなかったのは、スキルによるものだったのですね」
「それって……つまり、完全に見えなくなるってことですか!?」
「正確には、少し違います」
カルザスが言葉を選ぶ。
「おそらく――自分という存在を、他者から認識できなくするスキルでしょう」
――――――――
実況席のやり取りを他所に、舞台の上でセオンは息を整えていた。
(リンも、スキル持ちだったのか……。)
厄介な相手だと、改めて思う。それでも――勝ち筋が全くないわけじゃない。
そう自分に言い聞かせながら、剣を握り直す。
「そんな強すぎるスキルなら、もうセオン選手に勝ち目はないのでしょうか?」
モイナが、実況席からふと疑問を投げかけた。
「……何か条件があるはずです」
カルザスが、僅かに口の端を上げる。
「あれほどの力を、何の制限もなく使えるとは考えにくいですね」
リンが、剣を構え直した。
「あの候補生さん、鋭いね」
小さく笑って、そう答える。
「ふぅ……」
息を吐く。姿が、再び掻き消えた。
来る。
セオンは、意識を研ぎ澄ませた。
そして――気づいた。
さっきの一撃を受け止めた時。あの時、ほんの僅かにだが、リンの姿を捉えられた。攻撃を仕掛ければ、スキルの効果が解け、姿が浮かび上がる。
その隙は、ほんのわずかだ。体感で、1秒にも満たない。
だが、ゼロではない。
(そこに、賭けるしかない。)
背後に、気配が生まれた。
(――今度は、見える。)
振り向きざま、剣を合わせる。
キィン、と甲高い音が響いた。
「っ」
リンの目に、初めて驚きの色が浮かんだ。反応されるとは、思っていなかったのだろう。
セオンは、その隙を逃さなかった。
「くっ!」
一気に踏み込み、短剣を振るう。リンはそれを剣で受け流しながらも、僅かに体勢を崩していた。
「『火炎の嵐』!」
炎の渦が、間近から放たれる。リンは咄嗟に飛び退き、辛うじてそれをかわした。
「せ、セオン選手、反応しましたーー!一体、何を見切ったのでしょうか!」
モイナの声が、興奮気味に響く。
「さすがだよ、セオン」
リンが、感心したように呟いた。
「まさか、あの一瞬に気づくなんてね」
だが、称賛の言葉とは裏腹に、その口元には不敵な笑みが浮かんでいた。
「でも――それだけじゃ、まだ足りないよ」
「ふぅ……」
再び、姿が掻き消える。今度は、その場に留まらず、駆けながらの消失だった。
(また、来る。)
セオンは、意識を研ぎ澄ませた。あの一瞬の隙。狙うべきは、そこだけだ。
――背後。おそらく、また同じパターンで来る。
そう読んで、身構えた。
「残念」
声は、真横から聞こえた。
「なっ――」
読みを外され、反応が遅れる。剣先が、脇腹をかすめた。
「くっ……!」
とっさに身をよじり、致命傷は避けた。それでも、鋭い痛みが走る。
傷口を押さえながら、セオンは奥歯を噛んだ。
(さっきより、速い……?)
1秒あったはずの隙が、今はそれよりも短く感じられた。まるで――彼女自身が、この一瞬一瞬で、何かを掴み取っているかのように。
「ボクは、この戦いで成長できる」
リンが言った。
「セオンと戦うたび、スキルの解除から次の動きに移るまでの時間が、短くなっていくのが分かる。多分――スキルも、成長するんだ」
「マジか……」
思わず、声が漏れた。
「この戦いは、お互いを成長させる」
リンの瞳に、強い光が宿っていた。
(――ボクは、暗殺者には絶対にならない。)
そう誓った、あの日の自分が、脳裏をよぎる。
セオンは、その目に何かを感じ取った。ただの闘志ではない、もっと確かな何か。
――こいつは、まだ変わり続ける。本当の意味で、とんでもなく強くなる。
そう、確信した。
ふっ、と笑いが零れる。
リンも、それに気づいたのか、同じように口の端を緩めた。
二人の魔力が、堰を切ったように膨れ上がった。
セオンの全身に、炎が纏う。リンの纏う気配も、これまでとは比較にならないほど、研ぎ澄まされていく。
「行くぞ!」
「うん!」
二人は同時に地を蹴り、真っ向からぶつかり合った。
セオンは炎を纏わせながら剣を振るい、風で加速しては斬り込む。リンは、その全てを受け、あるいは躱し、あるいは――再び姿を消して、死角から仕掛けてきた。
今度は、上空からだった。
「ふっ!」
気配が消えたと思うと、頭上から影が落ちてきた。
隙は、さらに短くなっていた。体感で、0.6秒ほど。
反応が、僅かに遅れる。
「がっ……!」
肩口を、浅く斬られた。
観客席から、どよめきが上がる。
「な、なんという成長速度でしょうか!リン選手、試合を重ねるごとに、明らかに動きが鋭くなっています!」
モイナの実況が、興奮を隠せないまま続く。
カルザスも、珍しく前のめりになっていた。
「これは……もう、他の候補生と比べても遜色ないレベルですね。この一戦だけで、これほどの伸びを見せるとは」
斬られながらも、セオンの口元には、笑みが浮かんでいた。
(すごいな、リン。)
素直に、そう思った。
「『炎激竜巻嵐』!!」
炎と風を練り上げた渦が、リンへと放たれる。
だが――
「『蒼月雨斬』」
紡がれた言葉と共に、強い雨が舞台を包んだ。無数の水の斬撃が、雨と共に降り注ぐ。
セオンの炎の渦は、その雨に呑まれるようにして、あっさりと勢いを失っていった。
――届かない。
セオンの表情から、感情が消えた。
もう、勝ち筋は見えない。
(今、ここで【魔法奪取】を使えば――勝ち筋は、見えるかもしれない。)
一瞬、頭をよぎった。
だが、すぐに打ち消す。
(ダメだ。俺は、絶対にバレるわけにはいかない。)
全てを出し切れないもどかしさに、奥歯を噛んだ。リンに対しても、どこか申し訳なさが込み上げる。全力でぶつかってきてくれているのに、自分だけが、手札の一枚を隠している。
それでも――本来の目的を、忘れてはいけない。
「ふぅ……」
リンが、再び姿を消す。
その気配を追いながら、セオンの脳裏に、前世の記憶がよぎった。
――この異世界で、幸せに暮らすんだ。
そのために、この学院に来た。母を、村を守るために、強くなると誓った。
だが――今、この一戦に、全てを懸ける必要が、本当にあるのだろうか。
ライトサイドになることは、確かに目標の一つだ。だが、それは、今日この場で、絶対に勝ち取らなければならないものではない。
だったら――。
リンが、目の前に姿を現した。剣を振りかぶり、迫ってくる。
体感で、0.5秒。
さらに短くなった、その隙。
だが、セオンは――動かなかった。
「参った」
そう告げた。
振り下ろされようとしていた剣が、ぴたりと止まる。
「っ」
リンの目に、驚きが浮かんだ。
「参った。もう、勝ち筋が見えない。リン、お前の勝ちだ」
「し、試合終了ーー!!セオン選手、まさかの降参宣言!怒涛の展開が続いた一戦でしたが、最後は意外な形での決着となりましたー!勝者は、リン・レステニア選手!3人目のライトサイド候補生です!!」
歓声が、闘技場を包んだ。
だが、リンは、剣を収めながらも、どこか納得のいかない表情を浮かべていた。
「セオン、どうして」
「今の俺じゃ、どう考えても勝てないと思ったんだ」
セオンは、努めて淡々と答えた。
「まだ、君は全力ではなかった」
リンの声には、抑えた響きがあった。悲しさとも、悔しさともつかない色が、その瞳に滲んでいる。
その一言に、セオンは思わず息を呑んだ。
――見抜かれていた。
何も言えないまま、立ち尽くす。
リンは、それ以上何も言わず、背を向けて舞台を後にした。
「い、いや、それにしても――どの試合も、本当に素晴らしいものでした!」
モイナが、気を取り直すように声を張った。
「ええ」
カルザスも、頷いた。
「正直、ここまで楽しめるとは思っていませんでした。候補生になった三人は、いずれも、その名にふさわしい実力を示してくれたと思います」
「以上を持ちまして、セイクリッド学院一年生、ライトサイド候補選抜戦を終了とします!選手の皆様、そして観客の皆様、本当にありがとうございました!」
モイナの締めの声が、闘技場に響き渡る。
こうして、ライトサイド候補選抜戦は、幕を閉じた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
明日からは1日1話の投稿に変更しようと思います。
引き続き「記憶の回帰」をよろしくお願いします!




