第28話 剣を持つ理由
リンは、剣を構えたまま、セオンを見つめていた。
――なぜだろう。
その目に、覚えがある気がした。何もかもを懸けて、まっすぐ前だけを見る、あの目に。
自分によく似た、何かを。
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薄暗い部屋だった。
壁には、様々な刃物が並んでいた。短剣、長剣、鎖鎌、そして名も知らぬ暗器の数々。
「リン、お前は俺の後を継ぐんだ」
幼いリンは、正座をしたまま、その言葉を聞いていた。表情には、あどけなさよりも、どこか諦めに近いものが浮かんでいた。
「はい……」
ボクの家――レステニア家は、代々続く暗殺の一族だった。父、母、そしてボクの、三人だけの家族。
物心ついた頃から、殺しの技術を叩き込まれた。急所を一撃で仕留める技術から、声を上げさせずに絶命させる方法、時にはひどく残酷な手段まで。全てが、当たり前のように教え込まれた。
父は、様々な依頼を受けては闇に消え、莫大な報酬を持ち帰った。母は、その裏で情報収集や支援に徹していた。
そしてボクは、父の跡を継ぐために――ただひたすら、稽古を重ねる日々だった。
「はぁ……はぁ……」
膝をつき、肩で息をするボクに、父の声が容赦なく降ってくる。
「さっさと立て。お前は俺の跡を継ぐんだ。そのためにも、俺を超えるだけの強さを手に入れろ」
ボクは、浮かない表情のまま、剣を握り直した。
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ある日、母に聞いたことがある。
「お母さん、ボクは……暗殺者にならないといけないの?」
「ええ、当然でしょう?あなたはきっと、立派な暗殺者になるわ」
母は、それが当たり前のことのように、迷いなく答えた。
普通になりたかった。普通の女の子。ただ、それだけだった。
そんなある日のことだった。討伐から帰還する、女性聖騎士の姿を見た。
歓声と拍手に迎えられ、誇らしげに歩くその姿は、まるで光を纏っているかのようだった。
「かっこいい……」
思わず、そう零れた。
この瞬間だった。ボクが――聖騎士に、なりたいと思ったのは。
でも、それで何かが変わるわけではなかった。
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「リン、今日は実戦だ」
「実戦……?」
問い返す間もなく、父は言葉を継いだ。
「ああ。ひとまず、俺についてこい」
暗い夜道を、父はどんどん先へと駆けていく。ボクは、それに必死でついていくだけで精一杯だった。
たどり着いたのは、ある屋敷の屋根の上だった。
「ここが、暗殺対象の住む家だ」
父は、静かに告げた。
「多少身分のある、若い男でな。もうすぐ結婚するらしい。相手の女に懸想していた別の貴族からの依頼だ」
――それだけの理由で。
こんな理由で、人を殺していいはずがない。そう思ったが、口には出せなかった。
「リン、今から潜入する。近隣の住民に気づかれれば終わりだ。一瞬で押し入り、男を拘束し、動けなくする。そこまでは俺がやる。それ以降は――お前がやれ。いいな」
「え……」
言葉を挟む間もなく、父は動き出していた。
胸の奥が、ざわついた。ボクはただ、その背中についていくしかなかった。
「『消音』」
父の呟きと共に、辺り一帯の音が、外へと漏れなくなる。
窓が、音もなく割られた。寝ていた男の首を掴み、父は容赦なく叩き起こす。
「ぐっ、あ、なんだお前っ……!?」
言い終える前に、短刀の切っ先が、男の眼前に突きつけられた。
「喋るな」
冷酷な声だった。
「『鎖縛り』」
放たれた鎖が男の四肢に絡みつき、瞬く間に自由を奪う。
「あの、俺、なにか、しましたか……!なにもしてません、多分、何かの間違いです……!」
「いいや、間違いじゃない。リデル・ムガルド。お前に、暗殺の依頼が出ている」
「はっ……?」
一瞬の沈黙。理解が追いつかないのだろう、リデルの表情から、感情が抜け落ちていく。
「暗殺、依頼……?一体、誰が――!」
「お前に、質問する権利はない。黙って、殺されるしかないんだ」
聞こうとした言葉を遮るように、再び刃が突きつけられる。
「は……はぁっ!?な、なんで俺が……!」
「よし、リン。この男を殺してみろ」
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突然の言葉に、思考が止まった。
「えっ……」
「なんだ、剣を持っていないのか。暗殺者たるもの、常に得物は身に帯びておけ」
そう言いながら、父は一振りの短剣を、ボクの手に握らせた。
その手が、震えているのが分かった。
「さあ、早くやれ」
指先が、震えた。喉の奥が、からからに乾いていく。
「ま、待ってよ、お父さん。こんな、いきなり……」
「暗殺者に、いきなりなんてない」
父の声は、これまで以上に冷たかった。
「暗殺者は、いついかなる状況でも、対応し、処理する。それができない者に、この家を継ぐ資格はない」
父の目に、迷いは一切なかった。逃げ場はどこにもない。
ボクは、短剣を握ったまま、リデルの前に立った。見下ろす先には、震えるリデルの姿があった。
「ま、待ってくれ……俺が、何をしたっていうんだよ……!」
答えられなかった。
「わかった!その依頼主の、倍の金を払う!だから、頼む……!」
リデルは、泣きながら懇願を続けた。
ボクの心が、大きく揺れる。初めての殺しだ。当然だった。手が震え、指先が引き攣る。
なぜ、殺さなければならない。金のためだけに?
この人は、これから先も、もっと色んなことを経験するはずだった。結婚して、子どもができて、きっと幸せに、生きていくはずだった。
その人生を、ボクが――理不尽に、奪おうとしている。
できない。
「できないよ……」
ボクは、短剣を構える手を、下ろした。
リデルの表情に、僅かな安堵が浮かぶ。
「リン。何をしている」
父の声が、静かに響いた。
「お前に選択肢はない。一瞬でやるか、苦しめて殺すか――それだけだ」
絶望が、心を満たしていく。嫌だ。こんなの、絶対に――嫌だ。
それでも――
「さぁ、やるんだ!!リン!!」
「っ……うわぁあああーー!!!」
「お願いします!やめてえぇ……!!!」
短剣が、閃いた。首元を、一突き。
「ぐ……ぐは……」
リデルの体から、力が抜けていく。それきり、二度と動くことはなかった。
「はぁ……はぁ……」
ボクの手は、止めどなく震えていた。
(ボクが、やった。ボクが、この人の人生を奪ったんだ。理不尽に――。)
「首元を一突きか。まぁ、初めてにしては上出来だ」
父は、そう言い残すと、静かに屋根を後にした。
一人残されたボクは、リデルの――もう動かない体を、ただ見下ろしていた。
涙も、出なかった。ただ、指先の震えだけが、いつまでも止まらなかった。
体の奥で、何かが小さく音を立てた気がした。それが何なのか、この時のボクには、まだ分からなかった。
「うん……」
誰に言うでもなく、ボクはそう呟いた。
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この日、ボクは誓った。
絶対に、暗殺者にはならない。人々を助ける側に、立つ。
それでも――この日からボクは、姿を隠しながら、父と共に暗殺の道を歩み続けた。暗殺の技術は、みるみるうちに身についていった。それでも、なるべく使わないように、心がけていた。
あくまでも剣士でいたい――そう言えば、都合が良すぎるかもしれない。それでも、ボクは、嫌だった。
一人で依頼をこなすことも、増えていった。
問題はなかった。相手がどれほど厄介な相手であっても――問題は、なかった。
なぜなら、あの日。初めて人を殺したあの日、ボクは――スキルを、手に入れたから。
このことを知っているのは、父と母だけ。それ以外、誰も知らない。
使う必要が、なかったから。
――でも。
目の前に立つセオンを、リンは見つめた。まっすぐに、迷いなく向かってくる、あの目。
でも――セオン、君には全力でいきたい。
セオン、ボク、本気でいくよ。




