第26話 妹の声
言葉を交わす余裕は、もうどちらにもなかった。
ソフィアが魔法を撃ち続け、隙を見ては剣を振るう。シャルマはその一撃一撃を見極め、あるいは剣で受け流し、あるいは紙一重で躱し続けた。攻め続けるソフィアと、捌き続けるシャルマ。均衡は、いつまでも崩れないように思えた。
だが、確実に――両者の呼吸は乱れ始めていた。
シャルマの体には、既にいくつもの傷が刻まれている。特に、ソフィアの放った光花の陣をまともに受けた一撃は、深く尾を引いていた。
それでも、ソフィアの方にも限界は迫っていた。
「花棘乱舞!!」
「ブリンク!」
シャルマは、変わらず躱し続けている。だが、その動きに、僅かな精彩の陰りが見え始めていた。ソフィアも、同様に消耗が滲んでいる。
それでも――シャルマは、一瞬の隙を、じっと探り続けていた。
ソフィアが、いくつもの花を舞台に咲かせては、そこから棘を放つ。舞台は、いつの間にか花で埋め尽くされていた。
「ブリンク!」
シャルマはそのたびに姿を消し、間合いを詰めようとする。だが、ただ待ち構えて凌ぐエリックとは違い、ソフィアは自ら踏み込む隙を作らせない――常に攻めながら、間合いを支配し続けていた。
ソフィアの額に、汗が滲む。表情には、隠しきれない苦しさが浮かんでいた。それでも――時は、確実にシャルマの側に近づいていた。
ふいに、ソフィアの体が、大きく傾いだ。
魔力の消耗が、限界に達しつつあるのだろう。次の魔法が、うまく紡げない。
その一瞬に、ソフィア自身、ハッとした表情を浮かべる。
その隙を――シャルマは、見逃さなかった。
「決める……!『水の球』!」
放たれた水弾が、ソフィアへと直撃した。体勢が、完全に崩れる。
シャルマは、その隙を逃さず、一気に間合いを詰めた。
「『闘気昂り』!!」
全身から、燃えるようなオーラが噴き上がる。
シャルマは確実にソフィアを捉え、剣を振り抜いた。
その場にいた誰もが、これで決着がついたと確信した。
シャルマ自身、そう確信した――その、瞬間だった。
視界が、不意に傾いだ。
「な――……」
さっきまで、なんともなかったはずだった。それなのに、視界は急速に、斜めに、そして、ぼやけていく。
気づいた時にはもう――シャルマは、崩れ落ちていた。
「こ、これは一体どういうことだーー!!勝敗が決したかと思われた、その瞬間にシャルマ選手が崩れ落ちましたーー!!」
モイナの実況が、困惑を隠せないまま響き渡る。
倒れたまま、シャルマの意識はまだ辛うじて繋がっていた。
(何が……。僕は確かに、ソフィアさんを捉えて――。)
「はぁ……はぁ……。まだ、意識はあるみたいね」
ソフィアが、ゆっくりと立ち上がった。その足取りは、決して軽くはなかった。それでも、そこに立っているのは、他でもないソフィアだった。
体の異変に、シャルマは気づき始めていた。
痺れ。麻痺。まとわりつくような、吐き気にも似た不快感。
立ち上がろうとするが、体が言うことを聞かない。手を地面についたまま、周囲を見渡す。
そして――ひとつのことに、気づいた。
舞台を埋め尽くす花々から、目を凝らさなければ分からないほど、微かな粒子が漂っている。
――花粉。
「まさか……花粉か……」
「ええ、そうよ」
ソフィアが、ゆっくりと立ち上がりながら答えた。
「『猛毒花粉』。効くまで、ずいぶんと時間がかかったわ。だから、何個も置いておいたの。あの棘を出す魔法から、一緒に撒くことができるし――この花粉は、目では、ほとんど見えないから」
実況席で、カルザスが小さく声を漏らした。
「なるほど……毒を、利用したか」
「え……?」
モイナが、思わず聞き返す。
「いくつもの花を配置して、そこから絶えず花粉を撒く。当然、そこにも魔力を割かなければならない。それでいて、距離を保ちながら攻めの手も緩めなかった――攻撃と搦め手を同時にやってのけていたわけです。並の魔力量と集中力じゃ、まず成立しない芸当ですよ」
カルザスは、珍しく興味深そうに、その目を細めていた。
「はぁ……はぁ……」
ソフィアは、ふらつきながらもシャルマへと近づいていく。
その毒は、当然、ソフィア自身にも効く。ただ――多少の耐性を、持っているというだけの話だった。だから、この程度で済んでいる。それだけのことだった。
観客席から、それを見つめる者がいた。
エリックだった。自身の決勝を終えたばかりで、まだ疲労が抜けきっていない。それでも、その目は舞台から離れなかった。
「ソフィア、君は本当に――やっぱり、油断ならない人だね」
小さく呟き、口の端に笑みを浮かべる。
「頑張れ、ソフィア」
シャルマの意識は、次第に朦朧としていく。
(ここまで、なのか……。)
全力は、出し尽くした。それでも、届かなかった。
(ミリナ……もう少しだけ、辛抱してくれ……。)
閉じかけた瞼の裏に、浮かぶ光景があった。家のベッドで眠る、ミリナ。
――お兄ちゃん、頑張れ。
そう言われた気がした。ただの記憶か、願望か。それとも――もっと違う何かなのか。自分でも、分からなかった。
「……!?」
シャルマの目が、大きく見開かれた。
体の奥底で、何かが弾けた。
立ち上がる。全身の輪郭が陽炎のように揺らぎ、橙色の光が肌の下から滲み出してくる。
その気配に押されるように、舞台上に強い風が巻き起こる。最前列の観客が、思わず身を竦ませた。
体を蝕んでいたはずの毒が、まるで意味を成さないかのように、消えていく。
「なんで……どうして……!さっきまで、確実に毒が効いていて、もう立てる力なんて、残っていないはずなのに……!」
ソフィアが、思わず後ずさった。
「な、何が起きているんだーー!!」
モイナの実況が、興奮と困惑の入り混じった声で叫ぶ。
「あの状況から、一気の逆転……!シャルマ選手、まさか回復魔法を……?」
「いえ、彼が回復魔法を使ったという反応はありません」
カルザスの声に、僅かな驚きが滲んだ。
「だとすれば――考えられるのは、一つだけです」
それでも、ソフィアは諦めなかった。まだ、勝機はある。
「何が――起きているの……」
「ソフィアさん、いきます」
シャルマの声は、静かで、しかし確信に満ちていた。
「ブリンク!」
姿が、消える。
「花の破裂!!」
咄嗟にソフィアが放った爆花を、シャルマは全て斬り払い、瞬時にその余波さえ躱してみせた。
それでも、ソフィアは諦めなかった。まだ、勝機はある。
――これで、最後にする。
そう心に決めた。
「『光花の陣』!!!」
光と花弁が入り混じった、広範囲の魔法が、舞台一帯を包み込んでいく。
かつて、シャルマがまともに受けて深手を負った、あの魔法だった。誰もが、直撃すれば決着がつくと確信していた。
「あれを、まともに受けたらまずいぞ……!」
制止しようと、教員たちが動き出す。
だが――それより早く、シャルマは駆けていた。
一切の恐れもなく、光と花に満ちたその庭園の中へ、まっすぐに踏み込んでいく。
そして――
シャルマには、傷ひとつつかなかった。
一度、受け、理解した力は――もう、彼には届かない。
光の庭園を抜け、シャルマとソフィアの距離が、瞬く間に縮まっていく。
風が、唸りを上げた。
「はぁーーーーー!!!!!!」
咆哮と共に、シャルマが剣を振りかぶった。
ソフィアは、持っていた剣を構えることさえしなかった。ただ、静かに――受け入れるように、まっすぐシャルマを見据えていた。
その表情には、悔しさよりも、どこか清々しいものが浮かんでいた。
「はぁーー!!!」
魔力を込めた一振りが、振り下ろされる。
刃が空を裂く音。それに続いて、鈍い衝撃音が、静まり返った舞台に響いた。
ソフィアの体が、崩れ落ちた。
意識は――なかった。
静寂が、舞台に落ちた。
シャルマは、荒い息を吐きながら、静かに空を見上げた。抜けるような青空が、やけに眩しく感じられた。
「勝ったよ……ミリナ」
その呟きは、誰の耳にも届かない、小さなものだった。それでも、確かに――届いてほしい相手には、届いた気がした。
「まさかの、逆転劇ーー!!!ライトサイド候補生2人目はシャルマ・ノイス選手ーー!!」
「ソフィア選手の毒を受けながらも、突如として覚醒――一体、彼にどんな力が芽生えたのでしょうか!」
「なかなかに、見応えのある試合でした」
カルザスが、静かに言葉を継いだ。
「毒が効かなくなった、というより――先ほどまで受けていた魔法の効果そのものが、通じなくなったように見えました。既知の魔法では説明がつかない。だとすれば、考えられるのはスキルの覚醒でしょう。何かをきっかけに目覚める、あれです」
「まさか、この場でスキルに目覚めるとは。彼が一体、どんなスキルを手にしたのか――気になるところです」
「そうですね、スキルというのは――」
モイナが、実況席から解説を続ける。
「魔法とは異なる、特別な力のことです。生まれながらに持つ者もいれば、何か特定の出来事をきっかけに目覚める者もいる、と言われています。シャルマ選手にとって、そのきっかけは一体何だったのでしょう……!」
シャルマは、ゆっくりと舞台を後にした。
(あの時、感じたものは……何故か、大丈夫だと思えた。今なら、分かる気がする。)
――スキル『魔法適応』
一度受けた魔法の効果を、自分自身の中で理解し、受け止めることができれば――二度目以降は、もう効かなくなる。ただし、対象は魔法に限る。
(これが、僕の力……。)
いや、違う。これは、僕だけの力じゃない。
ミリナを想う気持ちがなければ、きっと目覚めなかった。そして――ソフィアさんが、最後まで手加減せず、全力でぶつかってきてくれたからこそ、辿り着けた力だ。
「次の対戦は――いよいよ、最後です!!」




