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4. 情熱的なまなざしの向こう側

挿絵(By みてみん)


王宮への再訪を数日後に控えた朝、ジェフリーは身支度を整え、王都の賑わう目抜き通りへと繰り出していた。


目的は、アヤへの手土産を用意することだった。

だが、あの聡明で気遣い深すぎる姫のことだ。自分だけに特別な贈り物が差し出されれば、妹たちのことを先に気にして、受け取ることをためらうに違いない。

彼女に余計な気まずさを抱かせず、確実に受け取ってもらうためには、四人の王女全員へ行き渡る表向きの贈り物を用意する必要があった。


四人分の手土産は、目抜き通りの高名な砂糖菓子店であっさりと決まった。

上質な果実の砂糖漬けと、花の香油を練り込んだ焼き菓子の詰め合わせ。三人の妹たちにも喜ばれそうな、華やかな化粧箱を四つ買い求めるのに、半刻もかからなかった。

問題は、その後に二人きりになれた、わずかな隙に渡したい本命の贈り物だった。


ジェフリーは一日じゅう、石畳の通りを歩き回った。


(俺からの贈り物を、彼女は自分だけのものとして受け取ってくれるだろうか)


何より彼の足を鈍らせていたのは、そんな形のない不安だった。

流行の絹のショールは、指先から滑り落ちそうなほどなめらかだった。宝石をあしらった髪飾りは、店先へ差し込む光を受けて眩しいほどに輝いている。細工の凝った小箱も、香水の小瓶も、どれも贈り物として不足のない品だった。


それでも、手に取るたび、棚へ戻すことになった。

装身具を差し出せば、アヤは戸惑うかもしれない。

夜会の広間で、自分へ向けられる視線など気にも留めず、ただ周囲を見ていた人だ。華やかな品を渡したところで、それを自分のためのものとして素直に受け取ってくれる姿が、どうにも想像できなかった。

本を贈ることも考えた。

だが、アヤがすでに何を読み、何を知り、その次に何を求めているのか、ジェフリーにはまだ分からない。

革のブックカバーにも目を留めたが、書物の厚みも寸法もさまざまだ。合わなければ、せっかくの品も使いようがない。

そうして店を出るころには、いつの間にか陽がずいぶんと傾いていた。


ジェフリーは細い路地の奥に佇む、古い文具店へと足を踏み入れた。

乾燥した羊皮紙と植物性インクの微かな渋みが漂う静かな店内で、ガラスの陳列棚の隅に置かれたひとつの品が、ふと彼の目を捉えた。

それは、頑丈ななめし革で覆われた、手のひらにすっぽりと収まるほどの小さな手帳だった。

手にとってみると、革のカバーは手になじむ適度な厚みがあり、挟み込まれた紙は驚くほど繊維が密で上質だった。開閉の留め具には、真鍮の細い万年筆が差し込まれている。インクをたっぷりと吸い上げられる構造で、この紙なら滑らかな書き味を保てるはずだった。


彼女はすでに多くのことを知っている。

だが、あの知的好奇心に満ちた黒い瞳は、これからも世界中のあらゆる出来事から学び続けるだろう。

衣服の懐やエプロンの隠しポケットに滑り込ませて持ち歩けるこの手帳なら、これから先、彼女の良き友となる。


「そちらをお求めで?」


白髪の店主が眼鏡の奥から声をかけてきた。


「ええ。包んでいただけますか。……女性への贈り物です」


店主は意外そうに目を瞬かせた。


「おや、珍しい。その手帳は実用性を極めた仕立てでしてね、買い求めるのは大抵、商用で旅をする商人か学者といった男性ばかりです。美しい令嬢方が喜ぶ流行りの品とは程遠いものですが……どのような女性へ?」


「……とても聡明な、年上の女性です」


ジェフリーの口元に、無意識のうちに微かな笑みが浮かんでいた。

店主はその返答に納得したように頷いた。流行を追う恋人への華やかな愛の証ではなく、学問の手解きを受けた家庭教師や恩師へ、礼を尽くして贈る品なのだろうと解釈したのだ。


「なるほど、素晴らしいお心遣いだ。当店では名入れの刻印を無料で承っておりますが、いかがなさいますか?」


ジェフリーはわずかに躊躇した。

国の王女の名を、しかも市井の店でフルネームで刻ませるわけにはいかない。


「……『Aya』と。それだけをお願いできますか」


本来なら家名を連ねるのが正式な礼儀作法だった。

しかし、簡潔にファーストネームのみを告げたこの美しい青年の真剣な眼差しを見て、店主の胸に別の憶測がよぎった。

――家名を刻むことすら許されない、身分違いの、あるいは決して公にはできない禁断の想い人なのだろうか。

店主はそれ以上野暮な問いを重ねることなく、真鍮の活字を選び取り、丁寧に手帳の革の隅へ『Aya』の文字を刻印した。

そして落ち着いた濃紺の包装紙で包み、細い銀のリボンを結んでジェフリーへと差し出した。


「お相手の方に、お気持ちが届きますように」


「……ありがとう」


包みを受け取ったジェフリーは、大事そうに上着の内ポケットへと収めた。



********



ホテルへ戻って荷物を置いたジェフリーは、再び夜の街へと歩き出した。


向かったのは、王都を一望できる小高い丘の上に建つ、素朴な石造りのレストランだった。

風の吹き抜けるテラス席に腰を下ろし、運ばれてきたワインと軽い肉料理を前に、ジェフリーは静かに眼下を見つめていた。

夜の帳が下りた街の、そのさらに先。

無数の灯りに照らされ、白い王宮の輪郭が闇の中に浮かび上がっている。


(今ごろ、あの方は何をしているのだろう)


怪我をした侍女の様子を気にかけているのか。

それとも、蝋燭の灯りの下で分厚い書物の頁をめくっているのだろうか。

洗濯場で、泡にまみれながら笑っていた顔。夜会で、血を流す侍女の腕を迷いなく掲げた横顔。

思い出そうとしたわけでもないのに、その姿は次々と脳裏に浮かんだ。

胸の内ポケットで、包みの角がかすかに触れる。


「美しい眺めですな、ジェフリー殿」


聞き覚えのある声に、ジェフリーは振り返った。

恰幅のいい男が、テラスの石床に足音を響かせながら近づいてくる。

ヴィクター・レノックスだった。

この国へ来た最初の夜、ジェフリーを王宮の夜会へ連れていった商人である。


「ご一緒しても?」


「ええ、構いません」


ヴィクターは向かいの席へ腰を下ろすと、慣れた様子で給仕に酒を頼んだ。


かつてジェフリーの父から、龍の涙の探索について相談を受けたのが、この商人だった。

サルヴィアでは毎年、冬から春にかけて高熱病が流行し、多くの人命が失われている。

万病を癒すと伝えられる龍の涙が、その病を救うものかもしれない。

その正体を突き止め、手に入れることができれば、民を救うだけでなく、国にとっても大きな意味を持つ。

そのためにジェフリーは、父の命を受け、この国へやってきた。

ヴィクターにとってもまた、この探索は他人事ではなかった。両国を行き来する商人として、その行く末がどれほど大きなものになるかを理解していた。


やがて運ばれてきた酒を口にしながら、ヴィクターは向かいに座る青年を眺めた。


ジェフリー・ハルセリンという男は、昔から人と距離を置く男だった。

無理もない、とヴィクターは思う。

その美しさは、彼にとって必ずしも祝福ではなかった。

幼いころから人の目を引き、それと同じだけ妬みも集めた。打ち解けようとすれば気取っていると疎まれ、近づいてくる大人の中には、父へ取り入るための足掛かりとして彼を見る者もいた。


年頃になれば、多くの女性が彼の前に現れた。

だが、彼女たちが求めていたのは、生身のジェフリーではなく、自分たちの頭の中で作り上げた「完璧な男性」の姿だった。

そこから少しでも外れれば、失望の言葉が返ってくる。

十六のころには、好意を断られた高位貴族の令嬢が、根も葉もない噂を宮廷へ流したことさえあった。

女を弄ぶ冷酷な男だ、と。

誰も真偽を確かめようとはしなかった。

人々は、恵まれた家柄の美しい青年が泥にまみれて失脚していく様を、ただ下卑た娯楽として面白おかしく消費した。


いつしか彼は、自分の内側を人に見せなくなった。

己の剣と、課せられた務め。それだけを確かなものとして生きるようになった。

そして、淡い金髪の下にある澄んだ青い瞳は、いつしか人々から「氷の騎士」と呼ばれるようになった。

――そのはずだった。


ふと王宮を見つめるジェフリーの横顔を見た瞬間、ヴィクターは手にしたグラスを落としそうになった。


夜風に揺れる金の髪。

遠くの灯りを見つめる青い瞳には、いつもの張りつめた冷たさがない。

何かを探すようにわずかに細められた目と、本人も気づいていないほど柔らかく緩んだ口元。

凍りついていた湖面の下で、春の水がかすかに動きはじめたような――そんな横顔だった。

それまでのジェフリーにはなかった、どこか危ういほどの艶が、そこには宿っていた。


(……まさか。あの堅物が)


ヴィクターは、驚きを酒と一緒に飲み込んだ。

男にあんな顔をさせるものなど、この世にひとつしかない。

先日の王宮の夜会か、それとも茶会か。

あの城で、誰かがこの氷の騎士の心に触れたのだ。


(ミエ姫殿下か。それとも、マリサ姫殿下か……)


ヴィクターは、酒の入ったグラスをゆっくりと傾ける。


(いや。案外、人目を忍んで、可憐な侍女の誰かに心を奪われたのかもしれん)


王宮で見かけた華やかな女性たちの顔が、頭の中を次々とよぎっていく。

けれど、その候補の中に、第一王女アヤの名だけは、最初から浮かばなかった。

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