20. 山鳥と、小さな隠し事
大通りから一本横へ入った先に、小さな広場があった。
中央には低い石造りの噴水があり、その周囲を季節の花々が囲んでいる。花祭りの最中とあって、噴水の縁には細い花輪が渡され、街灯にも色とりどりのリボンと花飾りが結ばれていた。通りを一本隔てただけなのに、大通りほど人の波は激しくなく、笛や太鼓の音も、建物の間を抜けて少し遠くから聞こえてくる。
広場の端には、花壇を囲むように木製の長椅子が並んでいた。
「こちらにしましょうか」
空いている一脚を見つけたアヤがそう言い、ジェフリーも頷いた。
並んで腰を下ろすと、アヤは膝の上へ花籠を置いた。中から山鳥を包んだ蝋引きの薄紙を取り出し、折り重ねられた端を一つずつ丁寧に開いていく。まだわずかに温かさの残る包みから、炭火と焼けた脂の香ばしい匂いがふわりと立ち上った。
三本並んだ山鳥の串をしばらく見比べたあと、アヤはその中でもっとも大きな一本を選んだ。
「どうぞ」
差し出された串に、ジェフリーが目を留める。
「せっかくですから、温かいうちに召し上がってください」
「ありがとうございます」
礼を言って受け取り、アヤも残った二本のうち一本を手に取った。
ところが、彼女はすぐには食べようとしなかった。
ジェフリーがそのことに気づいて目を向けると、アヤは串を持ったまま、なぜかこちらを見ている。
「どうぞ、召し上がってください」
促され、ジェフリーは山鳥へ口を寄せた。
炭火で焼かれた皮へ歯を立てると、香ばしい焦げ目のあとから、締まった肉の濃い味が広がった。老婆が言っていた通り、飼われた鳥の柔らかな肉とは違う。噛むほどに旨みが増し、粗く振られた塩がその味を引き立てている。
思っていた以上にうまい。
もう一口食べたところで、そういえば今日は朝から何も口にしていなかったことを思い出した。昨夜はアルベルトと遅くまで書類を片づけ、今朝は今朝で予定より早く目を覚ましたものの、着慣れない服に手間取り、王宮へ向かう支度をしているうちに食事を取る時間を失っていた。
「そのようにお食べになるんですね」
不意に言われて、ジェフリーの手が止まった。
何か無作法な食べ方でもしたのだろうかと、一瞬だけ考える。
「何か、おかしかったでしょうか」
アヤは小さく笑った。
「わたくし、いつもお肉はナイフとフォークでいただいておりますから。こういうものを手に持って、そのまま食べたことがありませんの。どうすればよいのか分からなかったんです」
なるほど、とようやく意味を理解する。
アヤにとっては、肉そのものへ歯を立てることさえ初めてなのだ。
「そのままで大丈夫ですよ」
「そうなんですね」
素直に頷くと、アヤはジェフリーがしていたように串を持ち直した。
口元まで運んだところで、ほんのわずかにためらう。王宮では、肉は食べやすい大きさに切り分けられ、皿へ美しく盛られて出される。目の前にあるのは、そんな料理とはまるで違う。
それでも意を決したように、アヤはそっと山鳥へ歯を立てた。
ぱり、と薄く焼けた皮が小さな音を立てる。
噛んだ瞬間、アヤの目がわずかに大きくなった。
もう一度、ゆっくりと噛む。
塩気の向こうから、炭火の香りと山鳥の濃い旨みが広がっていく。その味を確かめるように口を動かしていたアヤは、やがて堪えきれなくなったように顔を上げた。
「……おいしい」
驚きと喜びが、そのまま声に出ていた。
「本当においしいです」
嬉しそうに笑いながら、もう一度手元の串を見る。
「お婆様が塩を勧めてくださった理由が分かりました。これなら、余計な味をつけないほうが山鳥そのもののお味がよく分かりますね」
さっきまで恐る恐る持っていたはずの串を、今度は少し慣れた様子で口元へ運んでいる。
その姿を見ているうちに、ジェフリーの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
食べ終えると、アヤはスカートの脇についたポケットから白いハンカチを取り出し、指先についた脂を丁寧に拭った。
ふと顔を上げ、その視線がジェフリーの口元で止まる。
「ジェフリー様、少しじっとしていてくださいね」
何のことか分からないまま、ジェフリーは言われた通り動きを止めた。
アヤが少し身体を寄せ、手にしていたハンカチをそっと口元へ当てる。
あまりに自然な仕草だったため、避ける間もなかった。
「はい、とれました」
小さく焼けた皮の欠片が、白い布の上に残っている。
ただそれだけのことだった。
アヤは何事もなかったように微笑んでいる。幼い妹たちにそうしてきたのだろうか。そこには気恥ずかしさもためらいもなく、ただ相手を気遣う柔らかな愛情だけがあった。
なぜそれだけのことで胸の奥が締めつけられるのか、ジェフリーには分からなかった。
「ハルセリン卿」
聞き覚えのある声が、二人の間へ割り込んだ。
振り向くと、広場へ続く石畳の通りに一人の青年が立っている。
ルシアン・ヴァルモントだった。
王宮で見かけたときほど華やかな装いではないものの、仕立てのよい服と上質な外套は、彼が裕福な家の出であることを隠してはいない。肩から革鞄を下げ、その口からは折り畳まれた大きな紙が何枚も覗いていた。
「卿も花祭りへいらしていたのですね」
ルシアンはジェフリーへ軽く会釈しながら近づいてきたが、すぐに隣に座る女性へ目を向けた。
淡い色のブラウスに、やわらかな青のスカート。長い黒髪には、同じ色合いの細いリボンが結ばれている。最初は誰なのか分からなかったらしい。
二、三歩近づいたところで足が止まり、目が大きく見開かれた。
「ア、アヤ殿――」
残りを言わせるより早く、アヤは人差し指をそっと唇に添えた。
そのまま、いたずらを共有するように微笑む。
ルシアンは一瞬目を見開いたものの、すぐに意図を察して言葉を飲み込んだ。周囲へさりげなく目をやり、誰もこちらを気に留めていないことを確かめてから、小さく頭を下げる。
「……失礼いたしました。普段お会いするお姿と、あまりに印象が違いましたので」
アヤは『内緒ですよ』と言いたげに微笑むだけだった。
第一王女がお忍びで花祭りへ来ている。
そこまではルシアンにもすぐ理解できた。
その隣にいるジェフリーについては、王女の護衛として付き添っているのだろうと考えたらしい。二人が並んで祭りを楽しんでいるとは、さすがに思わなかったようだった。
「ヴァルモント卿も、先ほどのパレードをご覧になったのですか?」
アヤが尋ねる。
「つい先ほど、花乙女がここを通ったんですよ」
「はい、もちろんです」
返事が妙に早い。
その早さに、アヤの目元がわずかに和らいだ。
「とても華やかでしたね」
「ええ。本当に。マリサ王女は、さすが花乙女に選ばれただけあって、大変お美しかったです。薔薇をあしらった衣装も見事でしたし……」
そこまで滑らかに話していたルシアンの声が、ふと途切れた。
「ミエ王女も、今日は花祭りをご覧になると伺っていたものですから。その……もしかすると、お姿を拝見できるかとも思っていたのですが」
最後になるほど、言葉が小さくなる。
本人はそれほど露骨にしているつもりはないのだろう。妹のことを長く見てきたアヤには十分だった。
ミエの名を口にしたときだけ、声の調子も表情もほんの少し変わる。
「そうでしたの」
アヤは穏やかに微笑んだ。
「ミエが聞いたら、きっと喜びますわ」
「い、いえ。そんな、大した意味では……」
ルシアンは少し気まずそうに後頭部へ手をやった。
アヤはそれ以上からかわなかった。
その純粋な想いが、いつか妹へ届けばよい。ただ、そう思った。
ルシアンは照れを隠すように視線を逸らし、その先にいたジェフリーを改めて見た。
以前王宮で見たときは、黒を基調とした正式な騎士の装いに白いマントをまとい、その整った容姿も相まって近寄りがたい印象さえあった。
今日は肩章もマントもない。白いシャツに軽い上着という私服姿のせいか、花祭りの柔らかな空気のせいか、以前よりずっと年相応の青年に見える。
それでも、人の目を引く美貌であることに変わりはない。
だからこそ、気になった。
ミエも、この男のことを随分気にしていた。ならば、ハルセリン卿のほうはどうなのだろう。
そんな考えが浮かんだところで、ルシアンは別のことに気づいた。
そうだ。この男はサルヴィアの騎士だ。
「ハルセリン卿は、確かサルヴィアの方でしたよね?」
「ええ」
「それでしたら、『眠れる薔薇』というものをご存じでしょうか」
「……薔薇ですか?」
「はい。サルヴィア北部の山奥に咲き、冬に花をつけるといわれている薔薇です」
ジェフリーはしばらく記憶を探った。
各地へ任務に出ることは多いとはいえ、騎士として生きてきた彼が花の名に詳しいはずもなかった。
「申し訳ありません。騎士というものは、どうしても花とは縁遠い生活になります。その名の薔薇についても、私は存じません」
「そうですか……」
わずかに肩を落としたルシアンへ、ジェフリーは静かに言った。
「お力になれず、すみません」
「いえ。こちらこそ突然妙なことを伺ってしまって。どうぞお気になさらず」
改まって謝られたことのほうが申し訳なかったのか、ルシアンは慌てて手を振った。
それまで二人の話を聞いていたアヤが首を傾げる。
「ヴァルモント卿は、その薔薇を探していらっしゃるのですか?この花祭りで?」
ルシアンは肩に掛けた鞄へ手をやった。
「今日はミエ王女も花祭りをご覧になると聞いていたものですから、それもあって来たのですが……それとは別に、ダリアで育てられそうな苗や種がないか、露店を見て回っていたところです」
鞄から覗く紙には、細かな文字がびっしりと書き込まれている。
露店を回るたびに地図を広げ、品物や商人から聞いたことを書き留めてきたのだろう。
「いつでも領地のことを考えていらっしゃるのですね。立派なことだと思います」
アヤが感心したように言った。
褒められて悪い気はしないらしく、ルシアンは少し照れたように笑った。
それでも、まだ彼の中には一つだけ確かめておきたいことが残っていた。
「ところで、ハルセリン卿」
「はい」
「卿は……どなたかへ花を贈ることはありますか?」
ジェフリーがルシアンを見る。
質問した本人も、口に出してから少し直接的すぎたと思ったのだろう。
「その……贈りたいと思う女性がいらっしゃるとか」
ジェフリーは改めてルシアンへ向き直った。
「いえ、これは、その……実は将来、季節を問わずエステリアの花を他国へ運べるようになればと考えておりまして。花祭りのような催しにも使われますが、花といえば誰かへの贈り物にされることも多いでしょう?」
そこまで一息に話してから、ルシアンはわずかに視線を逸らした。
「ハルセリン卿ほど女性の目を引く方であれば、どのような花を選ばれるものなのか、参考までに伺えればと思っただけで……」
なるほど、とジェフリーは察した。
聞きたいのは花の話ではない。ミエ王女のことだ。
「私のような騎士は、どうしても生死に関わる仕事が多くなります」
ジェフリーは穏やかに答えた。
「血なまぐさい場所へ出向くことも珍しくありません。残念ながら、花を贈る相手もおりませんし、特別な関係を望む女性もおりません。花について意見を求める相手としては、これほど不向きな人間もいないでしょう」
ルシアンの表情から、目に見えて力が抜けた。
「そうですか」
声まで明るくなる。
隠しているつもりなのだろうが、分かりやすい。
「これは失礼いたしました。妙なことまで伺ってしまって」
そして今度は、本当に何かを思い出したように言った。
「そうだ。ハルセリン卿も、いずれサルヴィアへお戻りになるのでしょう?」
「そのつもりです」
「もし時期が重なって、帰国の折などにダリアの近くを通られることがございましたら、ぜひお立ち寄りください」
ジェフリーはわずかに首を傾げた。
「花祭りが終わった翌々日は、ダリアでは領民の休息日としているのです。その日は領主家から食事を振る舞い、日頃の働きに礼をする小さな宴を開いております」
ルシアンの声には、ほんの少し誇らしさが混じっていた。
「普段、我々貴族は領民の働きに支えられています。ならば年に一度くらい、こちらから感謝を返す日があってもよいでしょう。互いに感謝を忘れずにいられれば、これからも領地を支えていこうと思ってもらえる。それが結果的に、領地の活力にもつながります」
「あら、素敵な習慣ですね」
アヤが言うと、ルシアンは少し照れたように笑った。
「実は、以前ミエ王女と話していたときに思いついたことなのです」
またミエの名が出た。
今度はアヤも何も言わず、ただ微笑んだ。
ジェフリーも穏やかに言葉を返す。
「ヴァルモント卿のお心遣いで、ダリアの民も喜ばれるでしょう。機会があれば、ぜひ立ち寄らせていただきます」
「ええ。もっとも、その頃には私はサルヴィアへ向かっているでしょうが……。先ほどお話しした眠れる薔薇について、少し調べたいことがありまして。なるべく旅費を抑えて向かうつもりですから、少々時間はかかるでしょう。感謝会そのものは家の者に任せることになります」
ルシアンはそこで一度言葉を切ると、すぐに続けた。
「もしハルセリン卿やアヤ様がお越しになることがあれば、きちんともてなすよう家の者へ手紙を出しておきます。そこはどうぞご安心ください」
その声音には、社交辞令めいた響きがなかった。本当に、来ることがあれば歓迎するつもりなのだろう。
「ありがとうございます」
アヤがそう答えたところで、ふと花籠へ目を落とした。
「そうだわ。ヴァルモント卿は、花祭りの露店で何か召し上がりましたか?」
問われて、ルシアンは一瞬考え込んだ。
ミエの姿を探してパレードを見て、そのあとは珍しい苗や種を求めて露店を歩き回っていた。食べ物へ目を向ける余裕などなかったらしい。
「いえ。まだ何も」
「それでしたら」
アヤは花籠の中に残っていた最後の一本を取り出した。
「こちらを一つ、いかがですか?」
「よろしいのですか?」
「ええ。三本買いましたから」
少しためらったあと、ルシアンは差し出された山鳥を受け取った。
「ありがとうございます。では、遠慮なく」
口へ運ぼうとしたところで、アヤが付け加える。
「お店のおすすめは、塩味だそうです」
「塩ですか」
一口食べる。
次の瞬間、ルシアンの目が大きく見開かれた。
手の中の串とアヤを交互に見て、いま口にした味を確かめるように、もう一度山鳥へ目を落とす。
アヤはその反応がおかしかったのか、小さく笑った。
「タレ味もあるそうですよ」
ルシアンは慌てて口の中の肉を飲み込む。
「こ、これは……どちらで?」
声の調子まで変わっていた。
「すぐ近くですよ。親切なお婆様が炭火で焼いてくださったんです。とてもよい香りでした」
残りの山鳥を食べながら、ルシアンは何やら小さく呟き始めた。
この塩はどこから仕入れているのか。山鳥と飼い鳥でこれほど味が違うなら、保存方法を変えればどうなるのか。安定して仕入れられる量があるのか。
先ほどまで恋の探りを入れていた青年と同じ人物とは思えないほど、頭の中がすっかり商売へ切り替わっている。
やがて、真剣な顔を上げた。
「アヤ様。その露店がどこにあるか、教えていただけないでしょうか」
「もちろんです」
アヤはすぐに答えた。
「この通りを大通りまで戻って、白い花輪の掛かった角を左へ。赤い屋根の建物が見えますから、その向かい側です。石造りのお店の隣ですよ」
「白い花輪を左、赤い屋根の向かい……」
一つずつ頭へ入れるように繰り返し、ルシアンは勢いよく顔を上げた。
「ありがとうございます。申し訳ありませんが、少々急用ができましたので、これで失礼いたします!」
気がつくと、もう鞄を抱えて石畳の向こうへ駆け出していた。
二人はしばらく、その背中を見送った。
「……きっと、あのお婆様は今から質問責めにあうのでしょうね」
アヤがぽつりと言う。
「もしかすると、店にある山鳥をすべて買い取ってしまうかもしれません。そうなれば、今日はそのまま店じまいですね」
ジェフリーが返すと、アヤは思わず吹き出した。
「ありえそうです」
しばらく笑ったあと、ふとその目にいたずらっぽい光が宿った。
「ところで――ハルセリン卿」
わざと改まった呼び方をされ、ジェフリーはわずかに身構えた。
アヤは少し身体を傾け、ジェフリーの顔を下から覗き込むように見る。
「あなた、先ほど嘘を申しましたね?」
ジェフリーはしばらくアヤを見返した。
「……何のことでしょう」
「花を贈りたい女性がいらっしゃらない、というお話です」
アヤの口元には笑みがある。
「本当に?」
一瞬、言葉が出なかった。
いる。
花を贈りたい女性なら、今まさに目の前にいる。
けれど、それを口にするわけにはいかない。
「……以前、露店の花を買い取って王女様方へお贈りしたことは、数に入れないでいただければ嬉しいのですが」
ジェフリーが少し笑ってそう答える。
「まあ。それは随分と都合のよい数え方ですこと」
アヤは堪えきれなくなったように笑った。
楽しそうに言われてしまえば、ジェフリーにも反論する言葉はなかった。
柔らかな笑いの余韻が残る中、アヤがふと何かを思い出したように声を漏らした。
「あ、そうでした」
スカートの脇についたポケットへ手を入れ、一冊の小さな本を取り出す。
深い青色の布張りの表紙には、金色の小さな花模様が押されていた。
「お約束していたものです」
両手で差し出された本を、ジェフリーは受け取った。
「エステリアのおとぎ話が綴られている本です。旅の途中でも読んでいただけるように、携えやすいものを選びました」
頁を開けば、いくつものおとぎ話が、小さな挿絵とともに収められている。
アヤは隣から手を伸ばし、何頁かめくった。
「こちらです」
指先が一つの題名で止まる。
『三粒の涙』
「この物語が、エステリアに伝わる龍の涙のお話です」
ジェフリーは頁へ目を落とした。
そこには、旅装束を身につけた三人の賢者が描かれていた。
文章は難しいものではない。子どもにも読めるよう、短くやさしい言葉で綴られている。
三人の賢者が、それぞれの国から旅立ち、龍の涙を探す。そんな物語だった。
「これが……」
「ええ。ただ、気になるのはこの物語だけではないんです」
ジェフリーが顔を上げる。
「エステリア以外にも、龍の涙につながるようなお話はいくつか残されています」
「同じように、龍の涙を探す物語なのですか?」
「それもあります。でも、それだけではありません」
アヤは少し楽しそうに笑った。
「不思議なことに、どのお話にも共通して出てくるものがあるんです」
アヤは小さく三本の指を立てた。
「『三』です」
ジェフリーはその指を見たあと、もう一度本へ視線を落とした。
「この本では三人の賢者でしょう?この本には収められていない別のお話でも、形こそ違いますが、なぜか『三』という数が関わっているんです」
三人の賢者。三粒の涙。
偶然と言ってしまえば、それまでなのかもしれない。
「ね?少し不思議でしょう?」
アヤの表情には、謎を一つ見つけたことを楽しむような明るさがあった。
「わたくしなりに、物語同士の共通点をいくつかまとめてみようと思っているんです。何かの手がかりになるかもしれませんから」
ジェフリーは本から目を上げ、アヤを見る。
一本向こうの大通りからは、今も花祭りの音楽が聞こえていた。
少し前まで山鳥の食べ方を知らず、初めての味に目を輝かせていた女性が、今は何百年も前から残る物語について、真剣な目で語っている。
そのどちらも同じアヤだった。
「アヤ様。よろしければ、続きはもう少しくつろげる場所で伺ってもよろしいでしょうか」
アヤは空になった花籠へ一度目を落とし、それから小さく笑った。
「そうですね。ちょうど山鳥をいただいて、喉も渇きましたし。どこかでお茶にしましょうか」
「ぜひ」
二人は長椅子から立ち上がった。
アヤは花籠を腕へ掛け、ジェフリーは受け取ったばかりの小さなおとぎ話の本を持ち直す。
広場の向こうでは、花祭りの賑わいがまだ続いていた。
二人は再び、その音のするほうへ歩き出した。
※この章で登場するエステリア地方の龍の涙にまつわるおとぎ話は、【番外編】醜いあひるのお姫様 のエピソード1にある『さんつぶの涙』に全文を掲載しています




