13. 謁見の間にて
謁見の間へと続く控室には、大きな窓から朝の光が静かに差し込んでいた。
壁際に置かれた長椅子には、ジェフリーを真ん中に三人の騎士が並んで座っている。そんな三人とは対照的に、ヴィクターだけが先ほどから室内を歩き回っていた。
飾り棚の前で足を止めては陶器を覗き込み、今度は壁に掛けられた絵画の前へ移る。
「……これはなかなか」
誰に聞かせるでもなく呟きながら、ヴィクターは次の絵画へと足を向けた。その足音を耳にしながら、ジェフリーの右隣に座っていたアルベルトがぽつりと言った。
「やっぱり、隊長は相変わらずだ……」
ジェフリーの目だけが、わずかに右へ動く。
アルベルトはその視線に気づいていながら、気づかないふりをした。
「エステリア王国きっての美女三姫のうちの一人に、あんな顔をさせるなんて……」
ジェフリーは何も答えず、ほどなく正面へ視線を戻した。その横顔をちらりと見て、アルベルトは長椅子の背にわずかに身を預ける。
「捜索隊に参加する王家がミエ姫なら、俺は大歓迎ですけどね」
「冗談だろ」
間を置かず返ってきた声には、深いため息が混じっていた。
アルベルトの口元がわずかに緩む。
昔からそうだった。声をかけられれば逃げ、待ち伏せされれば別の道を選び、贈り物が届けば困った顔でこちらへ押しつけてくる。そのくせ本人は、なぜそこまで追いかけられるのか、最後まで理解していないような顔をする。
どうやら、そこだけは今も変わっていないらしい。
アルベルトもそれ以上は何も言わなかった。会話が途切れた控室には、ヴィクターの靴音だけが気まぐれに響いている。
やがて謁見の間へと続く大扉が重い音を立てて開き、エステリアの紋章を胸につけた兵士が姿を現した。
「お待たせいたしました。こちらへどうぞ」
三人の騎士が立ち上がると、ヴィクターもようやく絵画から離れ、何事もなかったような顔でその後ろへ加わった。
扉の手前で兵士が一礼する。
「こちらで武器をお預かりします」
三人はそれぞれ腰に佩いていた剣を外した。
細身の鞘には細やかな装飾が施され、柄にも銀の細工が走っている。一見すれば正装を飾るための品にも見えるが、武器の生産で知られるサルヴィアの剣に、飾りだけのものなどほとんどない。
三振りの剣が兵士の手へ渡ると、ジェフリーたちは正装を軽く整え、そのまま開かれた扉の向こうへ進んだ。
高い天井の下、長い絨毯の先には二つの王座が並んでいた。
国王レグナード・ソヴェールと王妃ヴァレリア・ソヴェール。その傍らには側近や騎士、この場への列席を許された者たちが静かに控えている。
玉座へ向かうジェフリーの視線が、その中の一人に止まった。
豊かな黒髪のアヤも、こちらを見ていた。
ほんの一瞬、二人の視線が重なる。
ジェフリーは歩調を変えなかった。ただ、胸の奥で一度だけ、いつもより近く鼓動が響いた。
何事もなかったように視線を玉座へ戻し、王の前まで進む。四人は揃って片膝をつき、深く頭を垂れた。
「陽冠を戴くエステリアの王、レグナード・ソヴェール陛下にご挨拶申し上げます。お召しにより、我ら四名、御前に参上いたしました」
「うむ。そなたらの礼、確かに受けた。面を上げ、楽にせよ」
王の言葉を受け、四人はゆっくりと顔を上げる。
レグナードはしばらく彼らを見渡したのち、中央に立つジェフリーへと目を留めた。
「ハルセリン卿、前へ」
呼ばれたジェフリーが一歩進み出て、再び王へ頭を垂れる。
「先日、そなたと話した『龍の涙』の件だ。あの折に話した通り、我が国からも相応の援助と便宜を与える用意はできている。――今日は、そなたたちの探索を正式に認めるため、その詳細を詰めるとしよう」
「ありがたきお言葉にございます」
ジェフリーが深く一礼するのを見届けると、レグナードはわずかに表情を改めた。
「その前に、ハルセリン卿に見せておきたい書物がある」
ジェフリーは顔を上げたが、何を、と問い返すことはしなかった。
「ただし、これより先で見聞きしたことは、エステリア王家の秘事。何人たりとも口外することは許されぬ。たとえ他国の者であろうと例外ではない」
それまでと変わらぬ声だったが、広間からは次第にわずかな物音さえ消えていった。
レグナードはジェフリーを見据えたまま、続ける。
「誓いを破れば、その命をもって償ってもらうことになる。それでも見る覚悟はあるか」
「承知しております。騎士の誇りとハルセリンの名にかけて、決して口外いたしません」
迷いのない返答に、レグナードはしばらくジェフリーを見つめたのち、広間の一角に控えていたアヤへ目を向けた。
「アヤ、そなたも来るがよい」
「はい、陛下」
アヤが列から一歩踏み出した、そのときだった。
「陛下。恐れながら――」
ヴィクターの声にアヤの足が止まり、広間の視線が彼へと集まる。
一歩前へ出たヴィクターは、王へ深く頭を下げた。
「私も、その書物を拝見することは叶いませんでしょうか」
レグナードの眉間に、ごく浅い皺が寄る。
「そなたが同行して、何になる」
ヴィクターはすぐには答えなかった。ひと呼吸置いてから顔を上げる。
「書物を読み解くためであれば、私など必要ございますまい。アヤ殿下がおられるのですから。ですが、その書物がもし龍の涙にかかわるものであれば、何が記されているかによってこの先必要となる人間も、物資も、金も、旅路も変わります」
レグナードは口を挟まず、その先を待っている。
「アヤ殿下が読み解かれたことを、後ほどハルセリン卿から伺うこともできましょう。ですが、私が必要としているのは、その結論だけではございません。人の口を介してからでは、拾えぬものもございます」
ヴィクターが言葉を終えると、しばしの沈黙が落ちた。
レグナードの視線が、ヴィクターを真っ直ぐに捉える。
「もとより、これは王家の者にしか見ることを許しておらぬものだ。他国のハルセリン卿に見せることすら、本来であれば許されぬ。何が必要で、何を備えるべきか。それを決めるのは一介の商人ではない。こちらで決めることだ」
「仰せの通りでございます」
ヴィクターは静かに頭を下げた。
「何をご用意なさるかは、陛下がお決めになること。私ごときが口を挟むことではございません」
そこで言葉を切り、頭を下げたまま動かなかった。
王の言葉を受け入れ、そのまま退くかに見えたが、やがて顔を上げる。
「ですが、私は龍の涙を見つけ、ハルセリン卿を生きてサルヴィアへお返しするために、ここにおります」
アヤの視線がヴィクターへ向いた。
「そのために拾えるものが一つでもあるのなら、私はこの目で見ておきたいのです」
ヴィクターはそれ以上、何も言わなかった。
アヤも口を開くことなく彼を見ていたが、やがて父へと目を向ける。
――生きて、サルヴィアへ。
先ほどの言葉だけが、耳の奥に残っていた。
娘は何も言わなかった。それでもレグナードは向けられた視線を受け止め、しばらくアヤの顔を見つめていた。
やがて小さく息を吐き、ヴィクターへ目を戻す。
「……よかろう。本来ならば許されぬことだが、此度に限り、そなたの同行を許す」
「ありがとうございます」
ヴィクターが深く頭を下げた。
「ただし、先ほどの誓いはそなたにも立ててもらう。商人であろうと例外はない」
先ほどジェフリーへ告げられた言葉を、ヴィクターも聞いている。
誓いを破れば、その命をもって償う。
「承知しております。レノックスの名と、商人としての信義にかけて。この目で見たことは、墓場まで持って参ります」
返事に迷いはなかった。
レグナードはしばらくヴィクターを見ていたが、それ以上は何も言わず、王座の肘掛けに手をついて立ち上がった。広間に控えていた者たちが頭を垂れる中、数段の階を下りていく。
「では参ろう。――アヤ」
「はい」
呼ばれたアヤが父のもとへ歩み寄ると、ジェフリーとヴィクターもその後へ続いた。
四人が向かったのは、先ほど彼らが入ってきた大扉ではなく、玉座のさらに奥だった。壁際に控えていた騎士が何も言わず道を空け、その先の扉へレグナードが入っていく。
アヤ、ジェフリー、ヴィクターとその後に続き、最後の一人が敷居を越えると、扉は静かに閉じられた。




