10. ヴィクターの計画
エステリア王都の一角に、レノックス商会はあった。
王宮へと続く大通りから一本奥へ入った場所にありながら、朝から商人や荷馬車の出入りが絶えることはない。異国の文字が刻まれた木箱が次々と運び込まれ、その横では、別の荷がまたどこか遠い土地へ向かうために積み上げられている。
人の声と荷車の軋む音に満ちた店先とは違い、建物の奥は静かだった。
その最奥に、ヴィクター・レノックスの執務室がある。
大きな机を挟んだ向こう側に、二人のサルヴィア騎士が座っていた。
アルベルト・ヴァレンと、セドリック・ノール。
二人がエステリアへ入ったのは、ジェフリーよりもあとだった。
急ぎ王都まで来てほしい――ヴィクターからそう知らせを受けたのが始まりだった。
理由は書かれていなかった。
ジェフリーが龍の涙を求めてエステリアへ渡ったことは知っている。それに関わる用件なのだろうという見当だけを頼りに、二人はサルヴィアを発った。
そして昨日、ようやく王都へ着いた。
それなのに、呼びつけた張本人は二人を前にしても、すぐには用件を口にしようとしなかった。
ヴィクターは先ほどから、机の上に広げた数枚の書類に目を通している。
名前と所属を確かめ、最後の空欄へペンを走らせる。
アルベルト・ヴァレン。
セドリック・ノール。
二人の名が並んだ。
その様子をしばらく眺めていたアルベルトが、ようやく口を開いた。
「そろそろ教えてもらってもいいだろう。急ぎだと言うから、ろくな説明もないままここまで来たんだ。俺たちをエステリアまで呼んだ理由はなんだ?」
ヴィクターは最後の文字を書き終えてから、ようやく顔を上げた。
「明日、二人にも王宮へ行ってもらう。ジェフリー殿が国王陛下に謁見して、龍の涙を探すための正式な探索許可を願い出ることになっている」
アルベルトの目が、机の上の書類へ落ちた。
先ほどヴィクターが二人の名を書き込んでいたのは、謁見に同席するための手続きに必要なものだったらしい。
外国の騎士が王宮へ入り、まして国王の前へ出るのだ。身分も所属も明らかにせず、当日になって連れていけるはずがない。
ヴィクターは二人がこの部屋に来るよりも前から、必要な手続きを進めていたのだ。
「なるほど。俺たちは隊長の付き添いというわけか」
「それだけなら、わざわざ二人を呼んだりしないさ」
ヴィクターは書類を重ね、机の端を使って紙の角を揃えた。
「明日の謁見で探索許可が下りれば、本国からさらに七名の騎士を呼ぶ。もちろん、許可が下りるまでは動かさない。だが、出発が決まってから人選を始めたのでは遅いからな。そのつもりでいてくれ」
アルベルトの表情から、先ほどまでの気安さが少し消えた。
ジェフリーと、ここにいる二人。
さらに七名。
十人ものサルヴィア騎士を、他国で動かすことになる。
「随分と大所帯だな。龍の涙を探しに行くついでに、ドラゴンと戦争でも始めるつもりか?」
「ドラゴンが出てきたときに、三人で相手をしたいというなら止めはしないが」
「遠慮しておくよ。だが、十人も必要だと言うなら、それなりの理由は聞かせてもらいたいな」
ヴィクターは小さく笑った。
アルベルトの声には冗談めいた響きが残っている。けれど、ただ軽口を叩いているわけではない。
「探索そのものに必要な人数というだけじゃない。王家の人間が関わることになれば、その身を守る者も必要になるだろう。誰が加わるのか、そもそも本当に加わるのかはまだ決まっていないが、姫君が同行することになった場合まで考えておいたほうがいい」
アルベルトは何も言わなかった。
その隣で、セドリックの眉がわずかに動いた。
ほんの短い沈黙だったが、先ほどまでとは質が違っていた。
「……待て。今、姫君と言ったか?なぜ、龍の涙を探すのに王女が出てくる?」
ヴィクターはすぐには答えなかった。
アルベルトの疑問は当然だった。
国王の命を受けた騎士が、他国に眠る秘宝を求めて危険な土地へ向かう。それだけならば分かる。
そこに王女が加わる理由はない。
龍の涙のありかすら定かではなく、何が待ち受けているかも分からない。そんな探索へ王族を連れ出すなど、護衛する側から見れば、守るべきものをわざわざ危険の中へ連れていくようなものだった。
アルベルトはヴィクターの返事を待っていたが、先に口を開いたのはセドリックだった。
「王家から、同行を申し出たのか?」
「いや。少なくとも、私はそんな話を聞いていない」
セドリックの目が細くなる。
「なら、なぜ姫君の護衛を考えている」
ヴィクターはそこで初めて、二人をゆっくりと見渡した。
「可能性の話をしているだけだよ。龍の涙について、エステリア王家が我々より多くのことを知っていたとしても不思議ではない。明日の謁見で探索を許す代わりに、何らかの条件をつけてくることもあるだろう。そのとき王家の人間が関わることになってから、護衛が足りないと言っても遅い」
「何らかの条件、か。ずいぶん曖昧だな。そもそも国王が探索を許すかどうかも分からない。そのうえ、王家の誰かが同行するかもしれないと考えて、さらに七人も呼ぶ準備をしている。お前にしては、随分と先回りした話に聞こえる」
「商人は、決まってから品を揃えていたのでは商売にならないんだ」
「騎士は商品じゃないぞ」
「知っているとも。商品よりずっと扱いにくい」
アルベルトは呆れたように息を吐いたが、セドリックは笑わなかった。
ヴィクターを見つめる目には、まだ先ほどの疑問が残っている。
「姫君を連れていく必要があるなら、普通はエステリアの騎士が護衛する。なら、俺たちは必要ない」
「それは困る」
返事があまりに早かった。
アルベルトがヴィクターを見る。
ヴィクター自身もそれに気づいたのか、ほんの少し間を置いてから言葉を続けた。
「エステリアの騎士が王族を守り、サルヴィアの騎士が探索隊を守る。聞こえはいいが、危険が迫ったときに命令系統が二つあるのは厄介だ。こちらが退くべきだと判断しても、向こうが進むと言えば揉める。その逆もある。できることなら、護衛は一つにまとめたほうがいい」
今度はアルベルトもすぐには返さなかった。
理屈そのものは間違っていない。
だが、その理屈を受け入れれば、もっと奇妙な話になる。
「つまりお前は、もし王女が同行することになれば、その護衛をエステリアの騎士ではなく、俺たちに任せろと国王に言うつもりなのか?」
「そのほうが安全だと判断していただけるよう、話はするつもりだ」
「俺が国王なら許可しないな。ただでさえ、どこにあるかも分からない龍の涙を探しに娘を出す。それだけでも異様な話だ。そのうえ、娘の周囲を十人もの外国騎士で固めさせてほしいと言われるんだぞ。護衛という言葉を使えば何でも通ると思っているなら、商人というのは随分と図々しいらしい」
ヴィクターは少しだけ笑った。
「だからこそ、国王陛下が姫君を同行させるとお決めになるのなら、こちらにとっても都合がいい」
アルベルトの目が止まった。
「……どういう意味だ?」
「自分の娘を危険な探索へ出す王が、その娘を守るための人員を惜しむとは思えない。それだけのことだよ」
うまく答えたようで、何も答えていない。
なぜ王女が同行する可能性を考えているのか。
なぜヴィクターが、それを拒むどころか利用しようとしているのか。
肝心なところだけが、綺麗に抜け落ちている。
「お前、何か知っているのか?」
「知っていたら、こんな面倒な準備はしないさ。明日、国王陛下が何をおっしゃるのか、私も知らない。だから、何を言われても困らないようにしている。それだけだ」
ヴィクターはそう言って、謁見のための書類を封筒へ収めた。
アルベルトはまだ納得していない顔をしていた。
けれど、これ以上尋ねても同じようにかわされるだけだと悟ったのだろう。
そのとき、セドリックが別のことを訊いた。
「隊長は、このことを知っているのか」
ヴィクターの手が止まった。
「知らない。君たち二人をエステリアへ呼んだことも、明日の謁見に同席してもらうことも、許可が下りたあとに七名を追加するつもりでいることも、まだジェフリー殿には話していない」
アルベルトが、ゆっくりと目を閉じた。
「……なるほど。だから俺たちは、隊長からではなく、お前に呼ばれたわけか」
ヴィクターは否定しなかった。
部屋の中が静かになる。
なぜ、自分たちを呼んだのがジェフリーではなかったのか。
なぜ理由すら知らされないまま、急ぎエステリアへ来るよう言われたのか。
ここまで聞けば、説明されるまでもない。
先にジェフリーへ話せば、必要ないと断られる。
ヴィクターはそれを分かったうえで、ジェフリーを通さず二人を呼んだのだ。
アルベルトは、すっかり冷めてしまった茶を一口飲んだ。
「俺たちがもうここにいるのを見れば、さすがの隊長も追い返しにくいか」
「私は何も言っていないぞ」
「そういうところだよ、お前は」
苦笑はしたものの、それ以上ヴィクターを責めることはなかった。
明日になれば、いずれジェフリーにも分かる。
そしてジェフリーがどう判断するにせよ、自分たちは彼の命令に従う。
そのことだけは、ヴィクターにも変えられない。
セドリックの目にも同じ意思があった。
ヴィクターもそれを承知しているのか、話を蒸し返そうとはしなかった。
机の上の書類をまとめ、封筒へ収める。
「では、明日はこれでいい。時間に遅れないように。王宮へ入る以上、正装で来てくれ」
ようやく話が終わった。
そう思ったのだろう。
アルベルトが椅子から立ち上がろうとしたときだった。
「それから、もう一つだけ頼みがある」
腰を浮かせかけたアルベルトが、再びヴィクターを見る。
ヴィクターは封筒の口を閉じながら、何でもないことのように続けた。
「探索が許可されたら、必要な物資はレノックス商会で揃える。食糧も薬も、野営に必要なものもだ。荷の管理も、できるだけこちらで行いたい。王宮側が人を出すと言ってきても、サルヴィアの荷には触れさせないでくれ」
アルベルトは、今度は立ち上がらなかった。
「それは、ずいぶん妙な頼みだな。物資をお前の商会で揃えるのは分かるが、エステリアの人間に触らせない理由まであるのか?」
「国境を越える探索だ。誰が何を持ち込み、誰が何を持ち帰ったのか、あとになって揉めるのは面倒だろう。最初から自分たちの荷は自分たちで管理しておいたほうがいい」
筋の通らない話ではない。
けれど、アルベルトの眉間に刻まれた皺は消えなかった。
セドリックは、じっとヴィクターを見つめたまま低い声で訊いた。
「何を運ぶつもりだ」
ヴィクターの手が止まった。
ほんの一瞬だった。
それでも、二人の騎士が気づくには十分すぎるほど長かった。
「……旅に必要なものだよ」
それ以上、ヴィクターは答えなかった。
セドリックも二度は訊かなかった。
ただ、立ち上がるときまで、その目だけはヴィクターから逸らさなかった。
アルベルトも遅れて席を立つ。
「明日は、隊長に会う前に少し心の準備をしておいたほうがよさそうだな。俺たちまで共犯扱いされたらたまらない」
「私は君たちに、何かを隠せと頼んだ覚えはないが」
「知らせないまま国境を越えさせておいて、よく言う」
呆れた声を残して、アルベルトは扉へ向かった。
セドリックもそのあとに続く。
扉が閉まり、二人分の足音が廊下の向こうへ消えていくまで、ヴィクターは何も言わなかった。
やがて執務室に静けさが戻る。
机の上には、先ほど封をした謁見のための書類が残されていた。
明日、そこに記された二人の名を見れば、ジェフリーは何かしら察するだろう。
それでも、今さら二人をサルヴィアへ帰せとは言わないはずだ。
――おそらくは。
ヴィクターは封筒を指先で軽く押さえた。
明日の謁見で探索が許されるかどうかさえ、まだ分からない。
国王が何を条件にするのかも。
龍の涙について、エステリア王家がどこまで知っているのかも。
まして、本当に王家の人間が探索へ関わってくるのかも。
何一つ、決まってはいなかった。
だからこそ、先に手を打っておく。
決まってから動くのでは遅いことを、ヴィクターは商人として嫌というほど知っていた。
窓の外から、荷馬車の車輪が石畳を踏む音が聞こえてきた。
ヴィクターは謁見の書類を机の引き出しへ収めると、静かに鍵をかけた。
「さて」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「明日は、何が出てくるかな」




