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王と旅人  作者: 遠衣 青
名もなき火に、喝采を
3/4

EP2. 王樹

セトは左手を下ろした。


何をすればいいのか、少しの間分からなくなっていた。まず町へ出て、旅人ギルドを探す。そのつもりだったのに、今は目の前の機械から離れがたい。



十億分の一。



その数字をもう一度考えてみても、自分に起きたこととしてうまく収まらなかった。


ふと、さっき受け取った本を思い出す。


旅人の書(ガイドブック)を開こうとすると、胸の前に表紙が現れた。技能の章を思い浮かべる。ひとりでにページがめくれ、途中で止まった。


そこに樹が描かれていた。


ページの中央に細い幹が伸び、金色の枝が広がっている。枝先には、髪の毛ほどの細い線まで描き込まれていた。


挿絵(By みてみん)


セトは顔を近づけた。


幹にはいくつもの筋が走っていた。その内側を赤みのある光がゆっくり通り、枝の分かれ目へ流れていく。先へ進むにつれて薄れ、やがて金色の線に溶け込んだ。


しばらくすると、根元にまた小さな明かりがともった。


これまで遊んだゲームにもスキルツリーはあった。覚えたい技能まで線をたどり、途中で必要になるものを数える。分かれ道で迷い、取り方を考えるのも楽しかった。


目の前のものには、そういう見取り図がない。


枝がこの先どちらへ伸びるのかも、どんな形に育つのかも分からなかった。


ページの下には《王樹》という文字がある。指先で触れると、樹の傍らに説明が開いた。




◇――――――――――


《王樹》


王のみが持つ、一般技能と王技を宿した特別な樹。

鍛錬と実践によって一般技能の枝を伸ばす。

王固有の条件を満たすと、新たな王技が顕現する。


◇――――――――――


短い説明を読み終え、セトはその下を見た。


続きはなかった。


剣の扱いも、これから覚える仕事の技術も、この樹に育っていく。けれど、王技はどうすれば増えるのか。その条件は書かれていない。


もう一度樹を見ると、幹から分かれた枝の一つに文字が添えられていた。ほかの枝には何もない。その文字へ指を伸ばす。




◇――――――――――


第一王技《纏火(てんか)》


掌に炎を生み、手から腕へ纏わせる。

纏った炎は拳の一撃とともに対象へ叩き込み、命中した箇所から広がる。

小さく灯せば、照明や保温、着火にも用いられる。


◇――――――――――


「纏火……」


声に出してから左の掌を見た。


ここに火を灯せる。握り込めば、その火を腕へ纏える。


さっきから分かっていたことに、ようやく名前がついた。


ガイドブックを閉じ、機械と武具の台から離れる。何も置かれていない床に立ち、左の袖を肘までまくった。


いきなり大きな火は要らない。


掌を上へ向け、そこに小さく灯そうと思った。


指の付け根に光が生まれた。


セトは息を止めた。


橙色の炎が掌の上で揺れていた。指一本ほどの高さしかない。それでも、指の間から漏れた光が袖の折り目を照らし、足元の石に濃い影を作った。


右手をそっと近づける。火の真上まで持っていくと、指先が温かくなった。


左手は熱くない。


火を載せたまま指を一本ずつ動かしてみる。炎は指の動きに揺れながら、掌から離れなかった。


「本当に出た」


声にすると、笑みがこぼれた。


手を横へ動かす。火もついてくる。少し小さくしようとすると、明かりが弱まった。戻すとまた石の継ぎ目が見える。


セトはその継ぎ目を照らしながら、ゆっくり掌を閉じた。


指の隙間から火が噴いた。


驚いて肘を引く。炎は手首を一巡し、腕に沿って駆け上がった。まくった袖へ届く前に抑えると、肘の下で揺らめいて止まる。


挿絵(By みてみん)


機械の金色が、炎を映して赤く光っていた。


このまま肩まで纏い、踏み込んで拳を打ち出せる。その動かし方が分かる。けれど、目の前の空間へ向けて拳を引いたところで、セトは動きを止めた。


腰の鞘が脚に当たっていた。


少し足を開く。今度は左のつま先が内側へ向きすぎた気がして、置き直した。


炎の動かし方は分かっても、自分の構えがいいのかは分からない。


ここには殴って確かめられるものもなかった。拳をほどき、火を消す。光はすっと退き、腕には元の薄明かりだけが残った。


セトは左腕へ右手を当てた。傷はなく、指で押せば普段と同じように皮膚がへこむ。袖を下ろすと、さっきまで炎のあった場所を布がこすった。


剣を選んだときには、こんな戦い方をするとは思っていなかった。


右手で剣を持ち、左手で火を使う。それなら両方使えそうだ。ただ、剣が届くところから殴ろうとしても拳は届かない。もっと近づかなければならないし、近づけば相手の攻撃も受けやすくなる。


火が出せるからといって、いきなり上手に戦えるわけではなさそうだった。


外に出たら、剣の振り方と一緒に練習しよう。


もう一度旅人の書(ガイドブック)を呼ぶ。


王樹はさっきと同じ姿でページに立っていた。名前のない枝を指でなぞってみたが、新しい説明は現れない。


第一というからには、その先がある。


次はどんな力なのだろう。今より大きな火を出せるのか。それとも、まったく違うことができるようになるのか。


第二、その先の第三。枝が伸びるたびに、できることも増えていくのだろうか。


幹を流れる光を眺めていると、すぐにでも育ててみたくなる。けれど、肝心の育て方は分からなかった。


他のゲームなら、強い敵を倒したときに新しい技能を得ることがあった。特別な依頼を最後まで進めて、ようやく使えるようになるものもあった。


WORLDでも似たようなことはあるかもしれない。


あるいは、今思いついた二つとも外れているかもしれなかった。


セトは記録の章を開いた。空いているページに指を触れ、短く書きつける。


王樹。強い敵? 特別な依頼?


二つの疑問符を見て、口元を緩めた。自分の樹なのに、分からないことばかりだ。


何の手掛かりもないまま、育つかどうかだけを気にして過ごすのはもったいない。調べておいた仕事を受けよう。町を見て、外へ出て、道具と身体の使い方を覚える。その間に何か分かれば書き足せばいい。


樹が育ったときには、今の姿と見比べてみたい。


技能の章へ戻り、枝の形をもう一度眺めてから本を閉じた。


機械の前へ戻ると、数字の下に行き先の表示が出ていた。


《始まりの村へ》


セトは腰の左右に手をやった。左には剣、右には道具袋。留め具を確かめてから文字に触れる。


足元の石が白く光った。


     *


挿絵(By みてみん)


風が頬をなでた。


同時に、いくつもの声が耳へ入ってきた。


セトは広い石畳の端に立っていた。頭上には黒い空がある。建物の壁から張り出した灯りが通りを照らし、その下を人が行き交っていた。


鎧を着た人ばかりではなかった。白い前掛けをつけた男が籠を運び、長椅子では三人の女が飲み物を片手に話している。窓の開いた二階から笑い声が降り、通りの向こうで車輪が石を踏む音がした。


深夜なのに、町はまだ眠っていなかった。


ふいに、焼けた油と香草の匂いが流れてきた。


顔を向けると、通り沿いの店で男が鉄板の上の肉を返していた。立ち上る湯気が灯りを白くぼかす。店先にいた客が何かを言い、男は笑ってもう一切れ皿へ載せた。


見ていると、腹が減った気がした。


町へ出たら最初にギルドへ行く。そのつもりだったことを思い出し、いったん視線を外す。


その先にも店があった。さらに先にも灯りが続き、建物の重なる奥へ道が消えている。


《始まりの村》。WORLDを訪れる旅人が、最初に降り立つ場所だ。


冒険の支度を整えて、ほかの町へ向かう者もいる。ここに店を構える者もいれば、買い物や友人との食事を楽しむために通う者もいる。モンスターと戦わず、この町で日々を過ごす旅人も少なくなかった。


世界中から人が集まり、利用者が増えるにつれて、町は外へ外へと広がっていった。家が建ち、通りが延び、新しい店が開く。町をモンスターから守る城壁も、その広がりに合わせて少しずつ外側へ移っていく。


村という名前が残っているだけで、今では大きな商業都市だ。そのことは、来る前に調べて知っていた。


セトは建物の間へ目を向けた。


町を囲む城壁がどこにあるのか、ここからは見当もつかなかった。



「すみません。そちら、通ります」


横から声をかけられた。振り向くと、小さな荷車を押す女がいた。


「あ、はい」


慌てて一歩よける。女は軽く頭を下げ、車輪を鳴らして通りへ入っていった。積まれた空の籠が揺れ、木の触れ合う乾いた音が遠ざかる。


その後ろを、剣を下げた若い男が二人で歩いていく。


セトも石畳を踏み出した。


通りへ入ると、人の流れは思っていたより速かった。すれ違う肩を避けながら、店々の看板へ目を向ける。


まずはギルドを探そう。


肉を焼く店の前を通ったとき、看板と一緒に値札も覚えておいた。

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