EP3. 森に灯る
旅人ギルドの扉は、人が通るたびに開いた。
中へ入ると外よりも明るかった。壁に沿って長い掲示板があり、その前で何人もの旅人が紙を見上げている。奥の窓口には包みや籠が持ち込まれ、机の上では秤の皿が揺れていた。
セトは入口の脇へよけてから、一枚ずつ依頼を見ていった。
荷運び。屋根の補修。食堂で使う茸の採取。町を離れる荷馬車の護衛もある。報酬の大きな数字に目を留め、次に日数を読んで、その下の参加条件まで確かめる。
一人では受けられないものもあった。
「初めてのご利用ですか」
振り向くと、書類を抱えた女が立っていた。首から細い紐で鍵を下げている。
「はい。さっき来たばかりで」
「でしたら、先にお名前を。空いている窓口へどうぞ」
教えられた席へ行き、旅人の書を開いた。本人の頁から名前と旅人ランクを選び、向かい側へ見せる。
セト。F級。
受付の女は手元の紙へ名前を書き込んだ。王樹の頁を開くようには言われなかった。
旅人ランクは、ギルドが仕事の実績や信用を認めてつけるものだ。FからE、Dと上がり、最も高いのがS。スロットでいくつ揃ったかとは別なので、今日来たばかりの自分は、ここではまだ何もしていない旅人だった。
「最初は何をお探しですか」
「一人でできる採取を考えてます。場所と、採るものを先に確かめたいです」
「それなら、こちらを見てください」
女は窓口の端にある浅い箱を引き寄せた。仕切りの中には、乾いた葉や小さな実、木の皮などが並んでいる。
その一角に、飴色の塊があった。
木の幹から染み出して固まった樹脂だという。補修用の接着剤などに使うらしい。依頼の紙にある絵と比べると、実物は思っていたより不揃いだった。
「大きさは、これくらいないと駄目ですか?」
「小さくても使えますよ。ただ、土や皮が混じるとその分は買えません。柔らかいうちに袋へ入れると、ほかの物まで貼りつきます」
セトは右腰の道具袋を見た。
中にはナイフと薬の瓶が入っている。全部を樹脂で固めてしまうところを想像すると、あまり笑えなかった。
「……先に聞いてよかったです」
女は少し笑い、箱を脇へ戻した。
「森へ行くなら戻る道も見ておいてくださいね。行きに見えたものが、帰りには木の陰だったりしますから」
受付で見せてもらった周辺の地図を、許可を得て旅人の書へ写す。採取地は東の門の先にあった。道が曲がるところ、小川、森の縁。近そうに見えるが、紙に引かれた線を歩くのはこれからだ。
今夜は依頼を受けず、まず道と品物を確かめることにした。
*
東の門へ向かう間にも、いくつもの宿があった。
中庭に噴水のある宿では、門の外まで水音が聞こえた。窓に白い布が揺れている宿もある。どちらも気になったが、入口に出ていた料金を見て通り過ぎた。
同じ金があれば、何日か長く暮らせる。
しばらく歩いて脇道へ入ると、表通りの話し声が遠くなった。建物が軒を寄せ合う細い道に、小さな宿の看板が出ていた。
白く塗られた壁を黒ずんだ柱が区切っている。二階の窓は暗く、入口の軒下に灯りがともっていた。
戸口で料金を確かめて中へ入ると、帳場にいた男が顔を上げた。空いている部屋を見せてもらえないかと尋ねると、男は壁の鍵を一つ外した。
案内されて木の階段を上がる。踏み板の中央はすり減り、靴を置くたびに小さくきしんだ。
二階の部屋には、寝台と小さな机があった。椅子を引くと、背が壁に触れそうになる。寝台も、腕を広げて眠れるほど大きくはない。
けれど、窓を開けると涼しい風が入ってきた。
向かいの屋根と屋根の間に、細く空が見える。
「ここにします」
宿代を払い、寝台を自分のホームに登録した。
HPが尽きたときに戻る場所でもある。旅人の書に登録先が表示されたのを確かめ、閉じた。
窓辺へ腰を下ろして、もう一度部屋を見る。
これから宿へ帰ると言えば、この部屋へ戻ってくることになる。そう思うと、狭い机にも何か置きたくなった。
荷物を増やすのは後にして、まず眠ることにした。
*
夜が明けてから東の門を出た。
城壁は左右へ長く続いていた。門を行き来する荷馬車をよけ、道の脇へ寄って振り返る。さっきまで歩いていた町は壁の向こうに隠れ、屋根の先と高い建物だけが見えた。
前を向けば、今度は草地だった。
風が通ると草の色が変わる。その先に森があり、木々の間から鳥の声が聞こえていた。
セトは旅人の書で道を確かめ、歩き出した。
小川に架かった橋を渡り、地図にあった曲がり角まで行く。道から森へ入る場所には、片側が白く剥げた大きな石があった。通り過ぎてから振り返ると、白い面はほとんど見えない。
受付で言われたことを思い出した。
石の反対側には細い木が二本並んでいる。こちらを覚えたほうが、帰りには見つけやすそうだった。
森の中では、草地より空気が冷たかった。
靴の下で古い葉が沈む。木の幹には朝の光が細く当たり、その陰を小さな羽虫が飛んでいた。
樹脂はすぐには見つからなかった。
幹の傷を探しながら歩き、黄色い塊を見つけてかがみ込む。近くで見れば、ただ木の皮がめくれているだけだった。別の木では、似た色の茸が生えていた。
標本を一つ見ただけでは、森全体から同じ物を探し出せるわけではない。
枝分かれの下に小さな塊を見つけたときには、思わず声が出た。
触れてみるとまだ柔らかい。伸びた糸が指につき、振っても取れなかった。
「これは、袋に入れちゃ駄目なほうか」
乾いた葉で指を拭き、木の位置を記録した。
少し奥に、枝の折れた古い木がある。その傷口には硬い塊が残っていた。端を指で押すと一つが外れ、掌へ落ちた。
裏返せば木の皮がついている。受付で見たものほど綺麗ではないが、光にかざすと縁が透けた。
セトは大きな枯れ葉に包み、瓶を押さえつけないように道具袋の空いたところへ入れた。売れるかどうかは持ち帰って確かめればいい。
帰り道では、剣も抜いてみた。
木立を出た、周りに誰もいない草地である。切先の届く範囲を確かめ、ゆっくり振り下ろす。
腕だけで止めようとすると、剣に肩を引かれた。
握りを強くしてもう一度振る。今度は止められたが、指に余計な力が残った。これで何度も続けたら、すぐに手が疲れそうだった。
事前に見た動画の動きを思い出す。足の向き、肘、振り終えた剣の位置。一度に直そうとすると、どれを気にしていたのか分からなくなる。
まず、同じところへ切先を戻す。
速さを落として繰り返した。腰の鞘に引っ掛からず、踏み出した足も窮屈にならない位置を探す。十回目くらいで少し楽に振れた気がしたが、次にはまた肩へ重さが残った。
覚えることは多そうだった。
剣を鞘へ戻し、町へ向かった。
*
朝のうちに宿へ戻り、一度接続を切った。
見慣れた天井が戻ってきた。接続機を外して起き上がると、部屋の時計はWORLDで見た時刻とほとんど変わらない。
こちらでも顔を洗い、朝食を用意した。卵を焼く間に、さっき歩いた森を思い出す。樹脂のついた指を無意識にこすってから、手を止めた。
ここには何もついていない。
それが少しおかしくて、湊は一人で笑った。
食器を洗い、もう少し眠った。次に接続する時間を決めておけば、時計ばかり見なくて済んだ。
夕方、宿の寝台で目を開けたときには、窓から入る光の向きが変わっていた。
机の前で旅人の書を開き、朝の記録を読み返す。
採れる木は見つけた。帰り道も分かる。今度はもう少し先まで歩いてみたい。
道具袋を確かめ、部屋を出た。
*
森へ入ったときには、まだ木の葉が緑に見えていた。
朝に歩いたところをたどり、硬い樹脂をもう少し探す。大きな塊を無理に剥がすと皮まで崩れそうだったので、端から自然に離れかけたものを選んだ。
採れた量は、片手に収まるくらいだった。
昼間なら何でもない細い枝が、薄暗くなると見えにくい。膝を引っ掛けかけて足を止めた。顔を上げると、木々の間に見える空だけがまだ明るかった。
そろそろ戻ろう。
小川まで出たところで日は沈んだ。
水音は朝と変わらなかった。けれど、どこから水が流れてくるのか、目で追うには暗すぎた。川岸の石も、濡れたものと乾いたものが同じ色に見える。
セトは左の掌に火を灯した。
小さな炎が揺れた。
足元の石に橙色の明かりが広がり、水際が見えるようになった。濡れた面には光が残り、流れの中では細かく砕けていた。
火を少し持ち上げる。
川の向こうで、白い花が咲いていた。
背の低い草の間に、いくつも並んでいる。朝にここを通ったときは気づかなかった。花びらが揺れるたび、照らされるところが変わり、一輪ずつ向きを変えたように見えた。
渡って近くで見たくなったが、橋は少し下流にある。川岸を見回すと、こちら側にも一輪だけ咲いていた。
かがんで火を近づける。花に熱が届かないところで手を止めた。
白く見えた花びらの付け根には、細い紫の筋があった。
名前は分からない。
売れる花なのかも、何かに使うのかも分からなかった。
しばらく眺めてから、セトは腰を下ろした。水から離れた平らな石があり、ちょうど休めそうだった。
右手で道具袋から包みを取り出す。朝と夕方に集めた樹脂を、枯れ葉ごと膝へ広げた。
明かりに透かしてみると、一つはほとんど木の皮だった。綺麗に見えた別の塊にも、細かな土が入っている。
その中に、小さく澄んだ欠片が一つあった。
火から離して持ち上げると、丸い縁の向こうに明かりが透けた。
これなら、見本に近い。
セトはそれを端へ分け、残りを包み直した。
右の指先が少し冷えていた。袋を閉じてから火のそばへ手を寄せると、温かさが戻ってくる。
誰もいない森で、自分の火だけが手元を照らしている。
町ではあれほどいろいろな声が聞こえたのに、ここには水音と、たまに葉の触れ合う音しかない。顔を上げれば、枝の間に星が見えた。
気がつくと、ずいぶん長く座っていた。
花はそのままにして、立ち上がった。
火を持つ手を少し前へ出す。帰りの道が、足元から順に明るくなった。
橋を渡ると、木々の向こうに町の灯りが見えた。通りへ入る前に火を消し、宿へ戻った。その夜も寝台から接続を切り、現実で食事をして眠った。
*
翌日、ギルドで樹脂を見てもらうと、使えると言われたのは自分で分けた小さな欠片だけだった。
売ってしまうより、次に採るときの見本にしたかった。セトはその欠片を包み直した。
道も、採り方も、実物を見る前よりよく分かった。けれど、これを集めて暮らすなら、もっと多くの木を探し、採れる量と歩く時間を考えなければならない。
部屋を借りている限り、宿代はかかる。食事をすれば、その分も減る。
掲示板へ戻り、報酬だけでなく、採取する場所と求められる品を読み比べた。
同じ場所を目指すらしい旅人たちが、隣で待ち合わせを決めている。人気のある採取地には人も多いのだろう。安全そうなのはありがたいが、人のすぐそばで炎の拳を試すわけにはいかない。
一枚の紙が目に留まった。
ポーションに使う根の採取だった。土をつけたまま、傷めずに納めること。採取地まではほかの依頼より遠く、根喰い猪にも注意が要る。
条件の割に報酬はよくなかった。
近くにいた旅人へ尋ねると、紙をちらりと見て言った。
「ああ、泥掘りか。まだ残ってるんだな」
その人は連れに呼ばれ、隣の掲示板へ移っていった。
セトは地図を開いた。
仕事をしながら、自分の力を試せる場所が欲しい。人が少ないのなら、都合のいいところもある。猪の動きは調べ直す必要があった。
場所を書き留め、依頼を出した薬屋の住所も控えた。
明日は、ここへ行ってみよう。




