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王の紋  作者: Uma
3/28

退学

「だから何度もダメだと言っているだろ!」

 研究室に怒声が響きわたった。学生たちは声に驚き、皆が肩を震わせた。そして戦々恐々といった様子で、声の大元である視線を向けた。

 この研究室の主、ブリス・ベクレル教授とその学生であるオリオル・デュヴァリエが何やら揉めていた。揉めていると言っても、一方的にブリスが怒っているだけで、オリオルはなんとも無関心そうな目でその姿を見つめている。

 その光景を見ればオリオルがブリスを怒らせたことは明白だ。

「俺はなにも貴方に許可を求めているわけじゃない。数週間、講義を休むと言いにきただけだ。貴方の意見など関係なしに休ませてもらう」

 この言葉でブリスの顔が真っ赤になる。もう少しで頭の血管が切れてしまいそうだ。

「自分の状況を理解できているのか! お前はこれ以上単位を落とせば落第だ!」

 何を今更、と言いたげに溜息を吐くオリオル。

「そんなことは百も承知だ。でも、俺は落第になってでも休ませてもらう」

「ふざけるな! 私の学生で落第者を出すなど、私の沽券に関わるのだ! なんと言おうと来週は休ません!」

 どうやら今回は断固としてオリオルを休ませるつもりはないらしい。これまでの無断欠席が祟ったようだ。

 だが、ここでオリオルも譲るわけにはいかないのだ。

 使いたくはなかったが、最後の手段に打って出るしかない。

「なら、この学院を退学することにしよう。そうすれば万事解決だ」

「な、なに?」

 制服のポケット中にしまい込んでいた封筒を取り出す。そこにはミミズがのたうち回ったような汚い字で『退学届』と書かれている。

 それをなんの躊躇いもなく、まるで郵便物を投函するかのような気軽さでブリスへと差し出した。

「……」

 流石に言葉もでないようだ。まさかそこまでするとは考えてもいなかったのだろう。

 呆けるばかりで退学届を受け取る様子がないブリス。このままだと我に帰るまで待たされかねない。オリオルは退学届を机の上にそっと置く。

 ブリスの視線は、それに沿って机の上へと向けられる。

「世話になった」

 そう締めてオリオルは踵を返した。数人の学生たちがその足取りを追う。

 もともと、講義中だったのだ。そんな中いきなりオリオルが現れて、「来週の講義は全て休む」なんて言い出すので、ブリスもこれほどにないまで怒ったのだ。

「待て」

 オリオルがドアノブに手を伸ばそうとした時、どうやらブリスが我に返ったようだ。

 声と言葉にさっきまでの怒りはない。どこか落ち着いた、それでいて重みのある声だった。

 オリオルは振り返ることはなく、顔だけを向けた。

「本気なのか?」

「ああ」

「この学院に入るのがどれだけ大変かお前もわかっているだろ。それを投げ打ってでもなにがしたいのだ?」

「……使命を果たす」

 そう強く言い残し、オリオルは研究室を出た。



「本気なのかい?」

 自室に戻り荷物をまとめていると、ルームメイトであるラウル・ベルリオーズが問いかけてきた。研究室での経緯を話し学院を辞めると言い出してから、こればかりだ。

 心配性のラウルは、その心配を他人にも押し付けるところがある。レポートを提出しなければ、それはいけないと一緒にレポートを作り、食事をおろそかにすれば、栄養が偏ると自らキッチンに立つ。絵に描いたようなお人好しの世話焼きなのだ。

 そんなラウルだったからこそ、傍若無人で無礼を具現化したようなオリオルと友人関係が築けたと言える。

 そして彼がルームメイトでなかったら、オリオルは今頃学院にはいかなっただろう。だから、ラウルだけにはしっかり事情を説明したのだ。

 だが、それが不味かった。

 心配性のラウルにそんなことを言えば、反対されるのは当たり前だ。

 何年も一緒に生活して、そんなことに気付けなかったことに後悔するオリオル。

「何度も言わせるな」

「けど、その使命が終わったあとはどうするの? 身寄りはないんだろ。生活していく術がないじゃないか」

「なんとかする」

「なんとかするって……やっぱり退学なんてやり過ぎだ。今ならまだ退学を取り消してくれるかもしれない」

 ラウルの言葉もまったく届かない。荷物をまとめ終わると、それを背中に背負い、部屋を後にする。

「オリオル!」

 その後を追うようにしてラウルも部屋を出る。

 今まで学院にいられたのは、彼のおかげだ。その恩からオリオルは、ラウルに頭が上がらない。

 しかし、こればかりは、譲れないのだ。

 踵を返し、ラウルと向き合う。

「悪いが、お前に何を言われようと考えを変えるつもりはない。頼むから行かせてくれ」

「もっと違う方法があるだろう」

「そうかもしれないが、これからも学院は俺の邪魔になる。いい機会なのかもしれない」

 そこまで言うと、ラウルは呆れたように溜息を吐く。

「……これから何処に行くんだい?」

「首都リスペクアートに行く」

「リスペクアートに? もしかして記念式典に関係してるの?」

「記念式典?」

 そういえば、近いうちにリスペクアートで終戦記念式典があったことを思い出す。今年はバルミアとユベレが和解し、終戦をしてちょうど十年目だ。それに合わせて盛大に式典を開くと、誰かが言っていたような気がする。

「ああ、そうだ。式典関係で少しな」

「嘘だね」

「嘘じゃない」

「オリオル、君は嘘を吐く時、微妙な間を空けるのと、人の目を見なくなる癖を直した方が良いと思うよ」

 好都合だ、と思ってそれらしい嘘を吐いたが、一発で見破られた。自分以上に自分のことを知っている友人を持つと厄介だ。

「お願いだから本当のことを言って、オリオル」

「悪いがこればっかりはお前でも話せない」

 無理やり会話を終わらせて、再び歩き出す。

「オリオル!」

 呼び止める声も無視して、オリオルは歩く。

 ラウルには本当に悪いことをしたという罪悪感と、唯一の友人ともう会うこともないという喪失感がせめぎ合う。

 最初は無理やり入学させられたが、今考えるとそれほど悪い日々ではなかったような気がする。

 それもこれも全てラウルのおかげだ。

「あ、オリオル」

 下り階段に差しかかったとことで、もう一度ラウルの呼ぶ声。

 だが、振り向くことも立ち止まることもなく、階段の一段目へと足を向けた瞬間、背後から強い衝撃を受けた。

 片足で立っている不安定な状態からの不意の衝撃。当然のごとく、体はバランスを失う。そして目の前が下り階段なら転げ落ちるのもまた当然だ。

「なぁ!」

 瞬時に受け身を取ろうと、体を捻るがなぜか動かない。何者かががっちりオリオルの体に抱きついている。それにより重さが増したことで引力も増し、オリオルは抵抗することもままならず、顔面から階段に激突する。そしてまるで雪の上を滑るソリのようにずるずると滑り落ちた。

「――っ!」

 顔面が火を付けられたように熱い。というか、地面にぽたぽたと何か滴り落ちている。それは青い絨毯に赤い斑点を作りだしている。

 その元をたどるように顔に手をやると、

「鼻血……じゃないな」

 真っ赤な血は、鼻からではなく口から出ていた。歯で口を切ったようだ。

 結構な量が出ているが、歯が折れなかっただけマシだ、と頭を切り替える。

 今はそんなことより、未だに体に手を回して抱きついている奴のことだ。

 体を反転させることができないので、顔だけを背後へと回す。

 その正体を見て、思わず溜息が出た。予想通りだったのだが、だからこそ呆れてしまった。

「なにやってるんだ、フィルランテ」

 名前を呼ばれたフィルランテは、嬉しそうに顔を上げる。

 まったく悪びれもしない顔だ。実際、自分が悪いことをしたなんて思ってもいないのだろう。だが、そんな笑顔を向けられて、怒ることなどできるわけがない。

 行き場のなくなった怒りは溜息になってオリオルの口から放出された。

「退いてくれ。起き上がれない」

 オリオルの頼みをフィルランテは、顔をオリオルの背中に埋めることで拒否した。

「頼むから言うことを聞いてくれ、フィルランテ」

 しかし、一向に動こうとしない。

 オリオルが三度目の溜息を吐いた時、上から声が聞こえた。

「大丈夫、オリオル?」

 なんとも呑気な声だ。また溜息が漏れそうになる。

「ラウル、そこに融通の利かない女がいるだろ」

「え? もしかして――」

「もしかして私のことか?」

 ラウルの言葉を、若い女の声が遮った。

 未だにうつ伏せ状態のオリオルには顔が見えないが、その嫌というほど聞き慣れた声だけでわかる。

「そうだ。さっさとフィルランテを退かせ」

「ほぉ、それが人に物を頼む態度か?」

「おいおい、フィルランテはお前の契約精霊だろ。お前がどうにかしろ」

「私とフィルランテはお互いの意思を尊重するようにしているのだ。フィルランテがそうしたいと言うなら私は阻みもしないし、止めもしない」

 なぜか言葉の節々に棘を感じる。オリオルの口が悪いさが原因にも思えるが、それは今に始まったことではないし、彼女はそれで怒るほど器が小さくない。

 すると、原因は別にあるのだが、まったく心当たりがない。

「俺はお前になにかしたか?」

 考えてもしかたがないので、直接訊いてみる。

 だが、返答はなく、その代わりこつ、こつ、と階段を下りてくる音が聞こえる。

「お前ではない! リオネル・アンドレア・ドゥ・バルミアだっ!」

 わざわざオリオルの前に回り込んで、リオネルは叫んだ。

 宝石を目に埋め込んだかのように美しい瑠璃色の瞳は、それにそぐわない怒りの色を含んでいた。そしてなぜか身には学院の制服ではなく、式典なので着られる正装を纏っている。

「わかった。わかったから、早くなんとかしてくれ」

「フィルランテ」

 その声でフィルランテは素直にオリオルから退いた。これが契約者とそうでない人との違いだ。長年連れ添っているだけあって、信頼やら信用やらの関係が違う。

 ようやく上からの重圧から解放された。立ち上がると、服についた埃を落とし、骨に異常がないか確かめるように体を解す。

 それが終わると、未だに鬼のような形相をしているリオネルに向き合う。

「それでお前には何しに来たんだ? ここは女子禁制の男子寮だぞ」

「そんなもの、王女である私に意味があると思うのか?」

 それを世間では権利の乱用ということをリオネルは知っているのだろうか。

「……そうだったな。それでなんで怒ってるんだ? 俺にはお前になにか気に障る事をした覚えがないんだが」

 オリオルがそう言うと、リオネルの顔の鬼が二割増しになった。

 リオネルには、ポケットから何やら封筒のようなものを取り出し、突きつけてきた。

「これはどういうことだ、オリオル」

 それはまさにさきほどオリオルがブリスに渡した退学届だった。

「なんでお前が持ってる?」

「ブリス教授に泣きつかれたのだ。どうにかしてほしい、と。お前の精霊に関しての知識は、この学院の中でずば抜けている。お前はそれを自覚しろ。学院側はそんな学生をみすみす退学させるわけにはいかないのだ」

 そこでどうしてリオネルに泣きつくのか理解できないが、つまりリオネルは退学を辞めさせに来たということだ。

「悪いが学院側の都合に付き合ってる暇はないんだ」

「それはあれか、使命というやつか?」

 ブリスから聞いたのだろう。今考えるとなんともクサイことを言ったのだろうと後悔する。

「そうだ」

「それは学院を辞めるほど大切なことなのか?」

「悪いがこの問答はラウルとすでにやってるんだ。返答はその時と変わらないし、変える気もない」

「……そうか。ならこちらも強制的に止めさせてもらう」

 リオネルの鋭い視線がオリオルの視線と交差する。

 以前もリオネルとこんな空気になったことがあった。あれはリオネルと学院で初めて会った時のことだ。あの時はそのまま本気の決闘をしたのをよく覚えている。

「はい、ストップ」

 一発触発の空気を遮断するようにラウルの手が、リオネルとオリオルの間に割って入った。

「ラウル」

「ラウル。悪いが止めてくれるな。私はこのわからず屋をわからせる必要がある」

「そういうわけにもいきませんよ、姫様。二人が戦ったら男子寮がボロボロになります。それとも王女自ら国の公共物を壊す気ですか?」

「うむ……」

 正論を突きつけられて、押し黙るリオネル。

 王女を前にしても物怖じしない物言い、流石のラウルだ。

「悪いな、ラウル」

 これで行ける、と思うと、「何言ってるの?」と首を傾げるラウル。

「僕は全面的に姫様の味方だよ」

「そうだった」と自分の周りには味方がいないことを再確認する。

「私は認めないぞ」

「まずお前に認めてもらう必要はない。これは俺個人の問題だ」

「違う。優秀な学生を失うことは学院の問題であり、この国の未来の問題だ。そして王女として私はそれを見過ごすことはできない」

「それは違うな。無契約者の俺を学院が欲するわけがない。俺が出て行くといえば両手を振って見送ってくるだろ」

 無契約者という言葉にリオネルの顔が渋る。

 本来、このミーゼンリシア精霊学院は、入学と同時に火、水、風、地のいずれかの微精霊と契約を行う。そして在学期間、そしてその後の人生も全て精霊と共に過ごし、微精霊から中級精霊、そして上級精霊へと昇華させるのだ。

 その微精霊との契約をオリオルは行っていない。否、行えなかったのだ。

 入学式典の日。一回生たちは、一人ずつ地に描かれた召喚陣にマナを流し、微精霊を顕現させて契約していく中、オリオル唯一人だけ陣が発動しなかったのだ。

 微精霊との契約は、縛りを付けたり、契を結ぶわけではない。陣に流れるマナに微精霊たちが引き寄せられ、その中の一匹だけがマナの主の元へと契約しにくるのだ。

 なぜ、一匹だけなのかは未だにわかってはいないが、精霊魂の中でも何か規則があるのではないか、と言われている。

 ともかく、微精霊との契約には、まず召喚陣を発動させないことには、始らないのだ。そしてそれができないオリオルには、微精霊と契約することもできない。

 オリオルは、学院唯一の無契約者なのだ。

 当の本人は、気にした様子も見せないが、ラウルとリオネルは、この話をすると苦虫を噛んだような顔する。多分、腫れもののように思っているのだろう。気にはなるし、触りたいが、不用意に触ると悪化してしまう。オリオルと特に親しい二人は、より強くそう思っているのかもしれない。

 本人が気にしていなのだからそれでいいだろうに、と呆れながらも嬉しく思ってしまう。

「だが、それを差し引いてもオリオルは学院にとって必要な人材だ。だから、退学は絶対に認めない」

 リオネルは、持っていた退学届を真っ二つに引き裂いた。

 溜息が漏れる。

 こうなると、リオネルはテコでも考えを曲げないだろう。

「わかった。退学は止める。それでいいだろ」

 リオネルの顔が喜びの色に染まる。

「そうかっ、そうかそうかっ。わかってくれたかっ」

 うんうんと何度も頷くリオネル。

 何がそこまで嬉しいのかオリオルには理解できない。

「そう言えば、なんでお前、正装なんだ?」

「うん? ああ、王宮に行って来たのだ」

「王宮って、リスペクアートですよね?」

 リスペクアートに行きたがっている人間をリスペクアートに行ってきた人間が止めるというのも、なんとも不思議な話だ。

「記念式典のことでちょっとな。そうだ。私は、今さっき学院についたばかりでな。食事がまだなんだ。どうだろう、二人とも一緒に私の部屋で食事にしないか?」

「俺は、荷物を整理しないといけないから無理だ」

「すいません。せっかくのお誘いですが、既に済ませてしまったので」

「そうか、それなら仕方ない。今日は一人で食べるとしよう。フィルランテ、帰ろう」

 リオネルは、階段を上げあり、来た道を引き返して行った。その途中、階段を上がりきったところでフィルランテは、クルッと振り返り二人に向かって手を振った。いや、二人というよりオリオルに、と言った方が適切だろう。

 オリオルの顔が強張る。これまで人に手を振られた経験などまったくないのだ。どういう反応をしたらよいのかわからない。

 視界の端では、ラウルが笑いを堪えているのが見える。

 このままだと、フィルランテはずっと手を振っていそうなので、軽く手を上げる。

 オリオルが反応したのに満足したようで、フィルランテはリオネルの元へと駆けて行った。


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