チケット
翌日、オリオルが目覚めたのは太陽が一番高く昇った昼時だった。
昨日の晩は、どうも寝付きが悪く、ベッドに横になっても数時間以上目が冴えてしまっていた。
それもこれも、原因はマリアージュのあの一言だ。
『リオネルも無意識のうちに貴方に好意を寄せていることね』
この言葉が頭の中でグルグル回って、オリオルの安眠を妨害したのだ。
人の心を容易く読んでしまうマリアージュが言うのだから、ほぼ真実なのだろう。問題なのはその好意がどういった形なのかだ。
マリアージュは、恋愛感情でとらえていたが、オリオルには友情だと思えた。
周りには、リオネルのお節介な部分が、オリオルに対する恋愛感情に見えてしまう時があるのだろう。
だから決してリオネルは自分に恋愛感情を抱いてなどいない。
そう結論付けたオリオルは、外出用の服へと着替え始める。
今まで立てこんでいたが、それもようやく落ち着き、今日一日予定は入っていない。
今日のうちに個人的な用事を全て済ませてしまおうと思っているのだ。
身支度を整え、これから部屋を出ようと思った時、ドアが二回ノックされた。
オリオルは侍女を付けていないので、昼食が部屋に持ってこられることはないし、誰かが訪ねてくる予定もない。
部屋を間違えたのか、と思いながらドアを開けた。
「や、やぁ、オリオル」
「……」
噂をすれば影が差す、というのだろうか。部屋の前には、リオネルが立っていた。
しかしいつもと雰囲気が違う。
白いワンピースに腰にドレスベルトを巻き、いつもはそのままの長い髪も髪飾りで一つに纏められている。そして顔もほんのり化粧がしてある。白い服を着ているせいか、瑠璃色の瞳がいつもより際立っているように感じる。
そのあまりの変貌ぶりにオリオルは言葉がでない。謁見の間に来る時でさえ着飾りもせず化粧もせず、いつも制服か動き易そうな格好をしていたリオネルが着飾っているのだ。いったいリオネルにどんな心境の変化が起きたんだ、と衝撃を受けている。
「な、何か言ったらどうだ……」
何も言わないことがもどかしかったのか、リオネルは顔を赤くして、風が吹けば消されてしまうほどの小さな声で呟いた。
その言葉でハッとなり、頭の中で言葉を探す。
「あ、えっと、何か用か?」
探した結果がこれなのだから、オリオルは本当に気の利かない奴だ。
「……」
だが、その言葉に怒るでも、がっかりするわけでもなく、今度はリオネルが黙ってしまった。
俯き気味でオリオルと視線を合わせようとせず、両手を後ろに回して何やらモジモジしている。
いつもはっきりしないリオネルというのも珍しい。
「何か用があるんじゃないのか?」
再びの問いに、リオネルは頷く。
「あ、ああ。用はあるにはあるのだが……」
と曖昧なリオネル。
どうしたものか、と考え込み、とりあえずリオネルが言い出すのを待つことにする。
「中に入るか? ずっと廊下に立ってるのも嫌だろう」
珍しくオリオルが気を利かせて提案するが、その言葉にリオネルは顔を真っ赤にする。
「いや、それは大丈夫だっ! 用はすぐに終わるっ!」
両手を前に突き出し、首を横に激しく振る。
「こ、こんな恰好でオリオルと二人っきりになれるわけがないだろ……」
ぽつりとリオネルが本当に小さな声で呟いた。
それがオリオルにはよく聞きとれず聞き返そうとした時、突き出されたリオネルの手が何か紙のようなものを持っていることに気付く。
「何を持っているんだ?」
「え?――あっ!」
リオネルは何か自分がミスをしたことに気付いたのか、持っている紙を隠すようにまた両手を後ろに回した。
だが、すでに遅い。オリオルはしっかりと紙の存在を見てしまった。
何かマズイものでも見たのだろうか、と困る。すると、リオネルは意を決したように顔を上げ、持っている紙をオリオルに差し出すように手を突き出した。
「こ、これはた、助けてくれた、お、おおおお礼だっ」
声が裏返っている。
いったい何をそこまで緊張しているんだ。
「お礼って別にそこまでされるようなことはしていないぞ」
「そ、そんなことはないっ。そ、それにミーシャからお前が毎日お見舞いに来てくれていたと、聞いてな……」
「あの侍女か……」と渋い顔をするオリオル。リオネルが目覚めた時にたぶん伝えるだろうな、とは思っていた。このリオネルの格好もそのミーシャとかいう侍女の仕業だろう。
「それも別にお礼をされるようなことじゃない」
もともと自分のミスでリオネルをあんな目に合わせてしまったのだから。
「それでもっ、私は何かしたいのだ……」
それでも引く気はないらしく、グィッと紙を押し付けてくる。
「わかった。もらっておく」
押し切られる形でオリオルはその紙を受け取った。
「で、これはなんなんだ? やたらと装飾されているが、何かのチケットか?」
「ああ、記念式典で行われる演舞の貴賓席のチケットだ」
「なにっ!?」
オリオルは思わず目を見開いてチケットを凝視する。そこには確かに貴賓席と書かれている。
記念式典では様々な催し物が内外で行われるが、その中でもリスペクアートアリーナで行われる演舞は、メインイベントとしてユベレ、バルミア両国の演舞に秀でた者たちが集まり披露される。
アリーナの一般席のチケットは貴族から一般国民まで幅広く人気があり、販売からわずか一日で完売するほどだ。
そしてリオネルが持ってきたこの貴賓席のチケットは、王族と貴族の中でも国の重鎮にしか渡されないものだ。
つまり、一般国民でありただの一学生でしかないオリオルには到底手に入らないしろものだ。
オリオルがこのチケットを持っているだけで、盗んだのではないかと怪しまれるだろう。
「……」
受け取ったものの、正直行きたくはない。いや演舞は見たいことには見たいのだが、せめて一般席の方で見たかった。
「どうしたオリオル? もしかして迷惑だったか?」
オリオルの苦い顔を見て、不安そうに視線を向けるリオネル。
「迷惑というわけではないが、俺には身に余る。悪いがこれは受け取れない」
とチケットを返そうと差し出そうとした手は、リオネルによって抑えつけられる。
「そんなことはないっ。オリオルは私を助けてくれたんだっ。これぐらいはさせてくれっ。私にはそのぐらいしかできないから……」
このチケットをそのぐらいと言い切るあたり流石は王女といったところだ。
だがそれでもオリオルはそのチケットを受け取るわけにはいかない。こんな王族と貴族が集まるような場所に、庶民のオリオルがいれば悪目立ちするのは目に見えている。そんな中で演舞をゆっくり見られるはずがない。
「悪いがそれ――」
「それにっ!」
それでもこれは受け取れない、という言葉をリオネルの廊下に響く声が遮った。
「お前には見ていてほしいのだっ。私の双演舞をっ。私とフィルランテの双演舞をっ。他の誰よりもお前にだけは見ていてほしいのだっ」
一歩前へと踏み出し、オリオルに迫るリオネル。それに気圧され、身を反らしてしまう。
その言葉はまるでフィルランテと出会わせてくれたオリオルに自分たちの成長を見てほしいと言われているようで、オリオルの気持ちを揺さぶった。
「……お前の演舞が終わったら、すぐに席を立つからな」
その一言が強張っていたリオネルの顔を満面の笑みに変えた。
「そ、そうかっ。来てくれるのかっ」
弾んだ声がオリオルの心に透き通って行く。
これで少しはコイツの気も晴れるだろう、と溜息混じりに息を吐く。
「これが演舞のプログラムだ。絶対に遅れるなよ」
と言い残し、リオネルはそそくさと立ち去って行った。
おそらくあの格好が恥しいのだろう。
オリオルはその姿を見送ってから、何気なしにそのプログラムに目を通した。
「……お前の演舞、最後から二番目じゃないか」
オリオルが漏らした不満の声は誰にも聞かれることはなかった。




