茶会
心にモヤモヤした何かが張り付いている。
恐らく嘘を吐いたリオネルへの罪悪感もあるだろうが、殆どは昔の自分への自己嫌悪だ。
まるで子供の頃の失態を大人になって聞かされるような気持ちに苛まれている。
リオネルに会うと思い出したくもない記憶を思い出してしまう。
オリオルがリオネルを邪険に扱う最大の理由はそこにある。
こういう時は、剣の稽古をして体を動かすか、自室で寝てしまうかに限る。
オリオルは後者を選んだ。
オリオルの自室がある来賓館に行くには、一度王宮を出なくてはいけないのだが、正規の道ではなく、中庭を抜ければ早いのだ。
迷わず中庭を抜ける近道を選択するオリオル。
しかし、中庭に出た瞬間、その選択を激しく後悔することになった。
「あら、オリオルじゃない」
中庭には、マリアージュとその専属侍女リベラがいた。
マリアージュはティーカップを片手にお茶を楽しんでいたらしく、リベラはその隣で菓子類を皿の上に盛りつけ、テーブルの上に置く。
「マ、マリアージュ」
そうだった。今の時間帯はいつもマリアージュが中庭でお茶をしている時間なのだ。
それに気付いていたなら絶対に中庭を通る選択肢を選ぶことはなかった。
「なんですか、その嫌そうな顔は。一国の王妃に対して無礼ですよ」
とその肉付きのいい顔を不機嫌な色に染める。
「王族侮辱罪です。罰として今から私とお茶をしなさい」
「い、いや俺は――」
思わず一歩引いてしまうオリオル。このまま全力疾走で逃げたいところだが、マリアージュの隣にいるリベラがそうはさせてくれない。
福与かな体つきのマリアージュと違って専属侍女のリベラは一言で言えば女らしい体つきをしている。それに加えて凛々しくも整った顔立ちをしていれば、大抵の男は魅了されてしまうだろう。
だが、オリオルはその美しい顔立ちの裏に隠された真実の顔を知っている。今はマリアージュの護衛兼侍女なんてものをやっているが、その昔は騎士学院で主席を収め、剣の腕は今の現役の騎士の中で勝る者はほんの数人だろう。そしてその剣の腕を一番よく知るのは、オリオル自身だ。
なにせ、オリオルはリベラの弟子なのだから。
マリアージュに会いたくない理由の一つは、その傍にリベラがいるからだ。
「わかった」
逃げても一瞬でリベラに捕まることがわかっているオリオルは、今日の自分には運がなかったのだと納得させ、マリアージュと白いガーデニングテーブルを囲うように椅子に座った。
「……」
するとリベラは黙って、オリオルの前にお茶が淹れられたティーカップを置く。
師に給仕をさせる弟子の気持ちを、この王妃はわかっているのだろうか。リベラも相変わらずの無口でいったい何を考えているのかわかったものじゃない。
師が淹れたお茶をどういう気持ちで飲めばいいんだ、と自問自答する。
「飲まないの?」
と王妃からの催促。
おそらく今のオリオルの気持ちをわかって言っているのだろう。
マリアージュは意地が悪いというか、人をからかうのが大好きなのだ。オリオルがお茶を飲まない限り、この時間は永遠に続く。
覚悟を決めたオリオルはゆっくりとティーカップを持ち上げ、お茶を口へと流しこんだ。
「おいしいでしょう」
お茶の味などわかるわけがないだろう、とティーカップを投げつけてやりたい気持ちをグッと堪える。
そんなことをやればリベラに瞬殺だ。いや、そもそもティーカップを投げることさえでさせてはくれないだろう。
「それで俺を呼び止めたのは、いったいどういう要件だ」
さっさとここから脱したいオリオルは話を終わらせてしまおうと計る。
「今日もリオネルのところに行ったのでしょ。容体はどうだったの?」
そういえばマリアージュはまだリオネルが目覚めたことを知らない。ここで伝えておいた方がいいだろう。
「リオネルなら今さっき目覚めた。体調も良さそうだ」
「あらそう」
母親として心配しているだろう、というオリオルの気遣いはその一言で打ち消された。実の娘が三日間も寝込んでいたというのに、なんとも薄情なことだ。
「娘だろう。心配じゃないのか?」
「ええ心配よ。母親だもの、当たり前だわ。でも私はもうあの子たちがやることに一々首を突っ込まないって決めているの。私の娘たちはもう自分の行動に責任が持てる歳だもの。それに今回は貴方も一緒にいたのでしょ、オリオル」
と優しく微笑みかけるマリアージュ。
「信頼してもらっているのはありがたいが、俺にだって限界はある。それを理解していないお前じゃないだろ」
「どんな人にも限界はある。それは当然よ。でもその中でもリオネルを任せるなら、貴方しかいないと私は思っているわ。貴方なら命を賭けてもリオネルを守ってくれるでしょ」
マリアージュはさも平然と同然のように言う。
そしてお決まりのセリフがこの後続くのだ。
「だって貴方の初恋の相手ですからね、リオネルは」
またきたか、と内心うんざりする。
これがマリアージュに会いたくない最大の理由だ。
なぜかマリアージュは、オリオルの初恋の相手がリオネルだと言い張るのだ。
「そのことは何度も違うと否定しているだろう」
「ええ何度も聞いているわよ。でも、そのたびに私はいつも言っているでしょ。それは嘘だと。今でもあの日のことはよく覚えているわ。小さかった貴方が瑠璃色の瞳の女の子は誰か、と聞いてきた日のことを」
もちろん瑠璃色の女の子とはリオネルのことだ。
「確かに聞いたが、それでどうしてリオネルが初恋の相手になる」
「貴方が女性に興味を示すなんて後にも先にもこれが初めてだったわ。あとは女の勘」
そんな曖昧なもので勝手に決められても困る。
「でも面白いのが、リオネルも無意識のうちに貴方に好意を寄せていることね」
「ごほっ」
飲んでいたお茶を吹きだすのを堪え、お茶が気管へと入ってしまう。
今まで幾度となくマリアージュとはお茶を共にしていたオリオルだが、そんなことは初めて聞いた。
「あらお行儀が悪いわね」
お前のせいだ、とは言わないあたり、オリオルも大人になったということだ。
「唐突に何を言い出すんだ」
「唐突? そんなことないわ。貴方へ向けるリオネルの視線を見れば一目瞭然じゃない。もしかして気付いてなかったのかしら。それはリオネルに悪いことしちゃったわね」
そんなことを絶対に思っていないだろ、と思えるほど心が籠っていない。
「リオネルは本当にこれから大変でしょうね。なんたってオリオルは奥手の中の奥手ですもんね。まずオリオルから迫ってくることはないでしょうし、でもリオネル自身もまだ自分の気持ちが何なのかわかっていなさそうだから、結局この関係はまだまだ続きそうね」
饒舌ここに極まれり。
マリアージュは自分の言いたいことをペラペラとご機嫌に話していく。毎回のこととはいえ、もうティーカップの中のお茶もなくなったので帰らせてほしいオリオル。
その気持ちを逆の意味で察したリベラが二杯目のお茶をオリオルのティーカップに注ぐ。
いつものオリオルなら「余計なことをするな」の一言が出ただろうが、師のリベラにそんなことが言えるわけもなく、再びお茶を啜った。
「オリオルもリベラの前では形無しね」
「察しているのならいい加減解放しろ」
「ダメよ。貴方はこうでもしないと、無駄なことに時間を使おうとはしないじゃない」
「……俺をミーゼンリシア精霊学院に入学させたのも同じ理由か」
あれはオリオルが十二の時、突然にマリアージュが精霊学院の入学書を持ってきて「これから六年間貴方はここに通いなさい。大丈夫、ここにはリオネルもいるから」と言い出したのだ。
学院になどまったく興味がなかったオリオルだが、半ば強制的に入学させられたのだ。
「学院生活は無駄なことではないけど、だいたいは同じ理由よ。貴方が絶対にやろうとはしなかったから、私が無理やり入学させたの」
「俺には必要のないことだ」
「それは王の紋があるから? それとも使命があるからかしら? どっちにしてもそれは大きな間違いよ、オリオル。貴方はその右腕に刻まれた紋があるからこそ、学院に通うべきなのよ。幼い頃から使命を背負わされた貴方は戦いの知識を蓄え、戦いの技術を身に付けたわ。今の貴方以上にその王の紋を使いこなせる人はこの世にいないでしょうね。でも、貴方にはその紋を受け止めるだけの器がないわ。頭でっかちな今の貴方には大き過ぎるのよ」
「その器を作るために学院に通えと」
「世界には様々な人がいるわ。その人達と話し触れ合うことで、少しずつ知識を分け与えてもらい、それを糧に器を大きくしていくの。つまり先人から学べってことよ。なんでも言うことを聞いてくれる侍女と世間知らずな王族しかいないこの王宮ではそれはできないわ。だから私は貴方を無理やり入学させたのよ」
今なら理解できなくはない。
心配性なラウルと出会ったことで知ったこともあった。お節介なリオネルと接して気付かされたこともあった。それはオリオルの中でマリアージュが言う器というものの糧になっているのだろう。
だが、精霊学院に通わず、昔のように王宮に住んでさえいれば逸早く異変に気付くことができた。
それを差し引くとはやり自分は学院に入学するべきじゃなかった、とも思える。
そんなオリオルの考えを見通したのか、マリアージュは「まったくまだまだダメね」と呟く。
自分が未熟なのは、今回の件で十分見に染みている。
薄暗い隠し通路で、フィルランテに支えられたリオネルを思い出すと、全身を酷い後悔と自己嫌悪が襲う。守ると誓った人を守れなかった自分に腹が立つ。
その怒りと一緒に、ティーカップに注がれたお茶を飲み干し、席を立った。
「もう行くの?」
「ああ少し体を休めたい」
とその場から立ち去ろうとした時、「じゃあ最後に一つだけ」とマリアージュが呼び止める。
「貴方達が調べた隠し通路は、もう使われなくなったけど、その存在を知っているのは王族と一部の侍女長だけだったわ」
それはつまり、あの隠し通路の存在をあの仮面の仲間に教えた誰かがいるということだ。
この件はどうやら国の奥深くの腐った根にまで続いているようだ。
「……そうか」
特に興味なさげに返事をすると、そのまま自室へと歩いて行った。




