王の紋
「王の紋」
そう呟いた。
「それがあの隠し通路で見せた俺の力の正体だ」
「王の紋……それは神話時代に出てくるあの王の紋か?」
神話時代とは、元素を生みだす精霊王と元素を消失させる空の王とが共存することで世界の均衡を保っていた時代。だが、空の王は生み出されるよりも多くの元素を消失させ始め、元素を枯渇させ始めたのだ。精霊王はそれを防ぐため、王の器を有する人間と共に空の王を封印した。そして元素を生みだす精霊王によって再び世界に元素が戻ってくるが、このままでは元素が生み出されるばかりで、世界の器が大量の元素を支えきれずに壊れてしまう。そのことを恐れた精霊王は、マナを元素に変換する力を持つ精霊を生みだし、自らを封印した。
これが一般的に伝わっている有名な神話時代の話だ。
そしてオリオルの言う王の紋とは、精霊王が王の器を有する人間イクスに与えたとされる力のことだ。
「そうだ。イクスに与えられた王の紋は、その後もバルミア教国北部の森にあるオーブと呼ばれる里の間で受け継がれていたんだ。そして俺はそのオーブを故郷に持ち、王の紋を受け継いだ者だ」
「オーブ……待て、その名は――」
その名前には記憶があった。
十年前に終戦した教帝戦争で、ユベレ帝国軍の進撃に遭い、滅びた里の名だ。
「オーブを知っているのか? もう地図にも載っていない小さい里だぞ」
「当たり前だっ!」
怒鳴るリオネル。
突然のことで、オリオルも驚く。
何かまたリオネルの癪に障るようなことでも言っただろうか。
「たとえ戦争で滅びたとしても、その里もバルミア教国だったことには変わりないっ。なら、私は王女としてその里の名を心の刻んでおくのは当然だっ。決して忘れてはいけないのだっ。オーブという里があったことを、オーブという里で暮らしていた者がいたことを。それが死した者への弔いだ」
なるほど、と納得する。どうやらリオネルの王女としての尊厳を侵してしまったようだ。
相変わらず馬鹿正直で、クソ真面目なリオネルに、呆れ気味なオリオル。しかし、その満足そうな顔を見る限り、そんなリオネルを嫌っているわけではない。いや、むしろそんなリオネルを好いているのだろう。
「俺はそのオーブの唯一の生き残りだ。そして里が進撃された時、ジジィ……里長から、この王の紋を受け継いだんだ」
とオリオルは右腕を突き出す。
すると、服の上から光の点がポツン、ポツンと浮かび上がる。やがて点は繋がり、線となり、線は光の紋章となる。
「これが王の紋。人に刻まれた紋章陣だ。そして王の紋には二つの力がある。一つは異常なまでの自己治癒力。大量にマナを消費することになるが、あの矢の傷ぐらいならば一瞬で治すことができる。もう一つが微精霊の力を借りることができる力だ」
「微精霊の力を借りる?」
「そう。仕組みは紋章陣と一緒だ。陣にマナを流して近くいる微精霊にマナを与え、それを元素にして俺が操る。変換量は微精霊だから少ないが、数を集めればそれも補えるし、何より複数の元素を扱える。それがあの隠し通路での精霊術の正体だ」
日が雲に隠れたのか、部屋に差しこむ日の光が消える。すると、紋章陣の光は、まるで太陽の代わりをしているかのように、山吹色の光でオリオルとリオネルを照らす。
「これはオーブだけに伝わっている逸話だが、イクスは王の紋を与えられた時、精霊王と契を交したらしい。『世界のためにあれ、精霊のためにあれ』と。そして俺たちオーブの者も、王の紋と共にその契を受け継いでいる。世界の均衡を守るため、均衡を支える精霊を守るため。それがオーブの、王の紋を受け継いだ俺の使命だ」
オリオルが語り終えると、それに合わせたように右腕の紋章陣も静かに消えた。
だが、二人に会話はなく、無言の時間が続く。
それを苦と感じないのか、オリオルは静かにリオネルからの言葉を待った。
だが、言葉の前にリオネルの両手がすっとオリオルの頭に回り、リオネルの胸の中へと引き寄せられた。
「――っ」
あまりにも唐突な出来事に声がでないオリオル。そんなオリオルもお構いなしにリオネルはオリオルの頭を胸の中に抱き、まるで我が子をあやすように撫でた。
花の香が鼻孔をくすぐり、オリオルの判断能力を狂わせる。一瞬、その状態を受け入れてしまいそうになり、必死で自我を保とうとする。
「なんのつもりだ」
ようやく判断能力が戻ったオリオルは不機嫌全開でそう呟いた。
「見てわからないのか? お前の頭を抱いているのだ」
お前は馬鹿か? とでも言いたげなリオネルの言葉に、オリオルの不機嫌さが更に増す。
「そういう意味で言っているんじゃない! どうして俺の頭を抱くにいたったのか、その理由を話せと言っているんだ!」
逸早くこの状況から脱したいオリオルの言葉には余裕がない。
それに比べてリオネルはまるで子供の駄々をあやすような口調で言う。
「お前は一人じゃないことを教えるためだ」
「……」
突然、体に衝撃が走った。
まるで長年隠してきた秘密を暴かれたような、そんな感覚。
「故郷もなくし、家族もなくし、友人もなくしても使命を背負うお前は、いつか一人で勝手にどこかに行って、一人で勝手にどこかで壊れてしまいそうだ。だからせめて、お前には私がいることを伝えたかったのだ」
「だからといって、ここまですることはないだろ」
「私は口下手だからな。行動で示した方がいいと思ってな。それともオリオルは私にこうされるのは、嫌か?」
「嫌に決まっているだろ」
当然だ、とまったく相手の気持ちも考えないオリオルの言葉だが、リオネルは気にしていないようだ。そもそもオリオルに人の気持ちを考えた発言を期待する方が間違だと理解しているのだろう。
「なら、跳ね除ければいい。今の私は非力だぞ」
「……」
今のリオネルにそんなことができるわけがない。
体を起こすだけでも痛みが走るんだ。もし跳ね除けて、傷口が開いたら一大事だ。
「……お前、俺ができないとわかってて言っているだろ」
そう咎めると、「バレてしまったか」と微笑むリオネル。
「今の少しオリオルっぽかったな」
と嬉しそうに言うリオネル。
「どこだが」
と逆に不機嫌なオリオル。
「わかっているのにわからないフリをするところと平気で嘘を吐くところがだ」
「俺がいったいいつそんなことをした」
「何を言っているんだ――今もしているだろ」
虚を衝くとはこういうことを言うのだろう。
あまりにも突然すぎて、咄嗟に言葉が出なかった。動揺を表に出してしまい、今更否定しても苦し紛れにしかならない。
頭の中で、グルグルと言い訳を考える。
「王の紋。あの説明には一つ不可解なことがあった。精霊の力を借りる、それはいい。ならどうやって力を借りる精霊を見つけるのだ? 微精霊は普通、人の目には映らない。微精霊を見ることができるのは、召喚陣に入った時だけ」
筋が通る言い訳が見つからないうちに、どんどんとオリオルの立場は危うくなっていく。
リオネルもオリオルの反撃の隙を与えないかのように、言葉を続ける。
「王の紋にはもう一つの力がなければ、力として成り立たないんだ。そしてその力は――」
もうオリオルには言い逃れできる状態ではない。後はリオネルの部屋から逃げるという選択しが残っていたはずなのだが、それもリオネルにしっかりと頭を抱かれているためできない。
今、思うと逃がさないためにこんなことをやったのか、と思えてくる。
「人の目には見えない微精霊を見る力だ」
「……」
「……」
まるで自分を責めているような沈黙にオリオルは耐えられなくなった。
溜息を一つ吐き、口を開いた。
「その通りだ。確かに俺には微精霊が見えている」
「やっぱりな」
と胸を張る。
どうして頭を抱き寄せられているのにわかるかというと、リオネルは自分が何か上手いことをやるたびに胸を張る癖があるから、というのが一つ。そしてもう一つが、さっきよりも強く当たっているからだ。胸が。
「それでお前は、それを俺から暴きだして何がしたいんだ」
「オリオル、お前に一つ確認したいことがある」
「その前に俺を離せ」
いい加減この体勢にも耐えられない。体を襲う羞恥心で頭がどうかしてしまいそうなのだ。
こんなところを誰かに見られでもしたら、オリオルは王女を誑かした男として有らぬ噂がたち、それがクリストフの耳にでも入れば、確実に言い渡されるのは死刑判決だ。
「これから私が聞くことに正直に答えるというのなら、離してやろう」
「断る」と即答。
「なら離さない」
このクソ王女、と心の中で悪態吐く。
だがこの状態から脱したいのなら、オリオルに選択肢はない。跳ね除けることができないのなら、リオネルから離してもらうしか方法はないのだ。
「わかった。一つだけなら答えよう」
「よし」
とようやくリオネルから解放される。
少し首を回す。
「それで聞きたいことってのはなんだ?」
とは言っても、大体の予想はついている。
「昔、私が精霊の森で出会った男の子のことだ。その子は、まるで精霊が見えているかのような態度で、私とフィルランテを引き合わせてくれたのだ。後々聞いた話だと、その子は毎日のように精霊の森で剣の稽古をしていたらしい。だが、態度は最悪だったそうだ。目上の者にも敬語を使わず敬わない。態度はどこか捻くれていて子供らしさなど微塵もなかったそうだ」
「それは酷い子供いたもんだな」
まるで最後の足掻きのように呟く。
ラウルがこの場にいたのなら「どの口が言うんだい」と言われていただろう。
「私はオリオルとの決闘の日から、お前と男の子が重なっていた。それだけじゃないお前とその男の子には接点が多過ぎる。オリオル、お前はあの時の男の子なのだろう?」
数年前、精霊の森で微精霊と契約しようとしていた女の子にオリオルは出会っている。泣き虫で弱虫なくせに頑固で意地っ張りな奴だ、という印象しかないが、記憶にはちゃんと残っていた。あの時、確かにオリオルは女の子と微精霊を引き合わせた。そして「精霊が見えるの?」と女の子に質問もされた。その時は、王の紋のことを話すわけにはいかなかったから、嘘を吐いたが、今この時は違う。
リオネルにはすでに王の紋の事情を話してしまった。これを話してしまったのだ。あとは何だって話せる。秘密にしておくものなんて何もない。
だが、どうもオリオルは話す気になれなかった。
あの小さな女の子の瑠璃色の瞳に魅入られた時のことを――
「お前はその男の子に会って何がしたいんだ?」
「感謝が言いたいのだ。ただ純粋に、私とフィルランテを出会わせてくれたことに」
「そうか」と相槌を打つと、オリオルはゆっくりと立ち上がった。
「悪いが俺はソイツじゃない」
「オリオル……」
リオネルの疑念の目がオリオルに注がれる。
しかし気にする様子もなく、オリオルはまっすぐ部屋のドアへと向かう。
「事実だ。確かに俺はこの王宮で暮らしていた時期はあったが、精霊の森なんて入ったこともないし、お前とも一度たりとも会ったことはない」
ドアノブに手をかけ部屋を出て行こうと回すも、何かを思い出したように思い留まる。
「ただソイツに感謝する必要はないだろ」
「なに?」
「ソイツはその時、お前のために何かしたいと思ったから、お前とフィルランテを引き合わせたんだろう。だから、お前は感謝する必要も、ソイツのことも気にする必要はない」
まるで他人事のように話すオリオル。それが今のオリオルの精一杯だった。
「なぜその子ではないお前がそんなことを言えるのだ」
何かを察したようにリオネルが微笑みながら問う。
その問いにどう答えようかと模索するもいい案は思い思い浮かばず、
「……勘だ」
当たり障りのない返答をした。
「それと一つ忠告しておく。お前の専属の侍女のことだ」
「ミーシャのことか。彼女がどうかしたか?」
そしてオリオルは勢いよく扉を開いた。
「キャアッ!」
「ミーシャ! フィルランテもかっ!」
するとミーシャとフィルランテが部屋に倒れ込んできた。まるで扉に入りついて二人の会話を盗み聞きしていたかのように。
「どうやら盗み聞きの癖があるみたいだ。さっさと解雇した方が身のためだぞ」
そう言い残しオリオルは部屋を立ち去る。




