井戸内
「す、すまなかった、オリオル」
井戸には更に奥へと繋がる隠し通路があった。
井戸から差しこむ光でなんとか見える明るさの隠し通路の中。歩くたびにピチャピチャと水が音をたてる。どうやら隠し通路にはずっと奥まで水が張っているようだ。
そして目の前のオリオルは頭を摩りながら、物凄い不機嫌そうな目とオーラをリオネルに向けていた。
「その、わざとではないのだ。驚いて、つい」
「自分からひっついてきて、驚くのかお前は」
「むぅ……すまない」
オリオルの溜息が聞こえてくる。
ここ数日で彼の溜息は聞き慣れたリオネルだった。
「それよりフィルランテはどうした。さっきからこっちを覗くばかりで降りて来ようとしないんだが」
「おい、どうしたフィルランテ。降りて来いっ」
リオネルの呼び掛けに、フィルランテは首を横に振って応じた。
「どうやら怖いみたいだな」
長い付き合いだが、フィルランテが高所恐怖症だとは知らなかった。
「まったく、契約者が契約者なら、契約精霊も契約精霊だな」
ボソッと呟いたオリオルの言葉に、カチンときたが反論できる言葉がないので堪える。
「大丈夫だ。降りてこい」
オリオルも呼び掛けるが、フィルランテは依然として井戸から飛び降りようとしない。
「オリオルでもダメだとすると参ったな」
契約者のリオネルを差し置いて、気に入られているオリオルの言葉ならいけるかと思ったが、フィルランテの高所恐怖症はなかなかの重度だ。
「しょうがないな。ほらっ」
とオリオルは両手を広げる。
「受け止めてやるから、さっさと降りて来い」
「なにっ! オリオル、お前は何を考えているんだっ!」
「なにってこうする以外方法がないだろ」
「そうだが……」
オリオルの言っていることは正論だ。だが、リオネルは納得がいかなかった。
フィルランテは女の子なのだから、男のオリオルが抱き受けるというのは、ダメだ。断固としてダメだ。
「だ、だったら、私がやるっ」
「お、おいっ」
オリオルを押しのけて、両手を広げるリオネル。
「ほら、フィルランテ。大丈夫だ、降りて来い」
そんなリオネルを見て、フィルランテも覚悟を決めたのか、恐る恐る井戸の縁に足をかける。
そしてなるべく下を見ないように目を閉じて、小さくジャンプした。
フィルランテの体はリオネルへと落ちていき、すっぽりと両腕の中に納まる。
「きゃあっ」
しかし、落ちた人を受け止めるのは、女の子の力では無理があったようで、リオネルの体は大きく後ろへと傾く。
(倒れるっ!)
そう覚悟した瞬間、傾く体は両足では立っていられない体勢で止まった。
「ったく、お前はどうしてこう仕事を増やそうとするんだ」
誰かに支えられてる、と理解した時に、オリオルの声が聞こえてくる。
つまり、フィルランンをリオネルが抱いて、そのリオネルをオリオルが抱いているという形になるわけだ。
そう思った瞬間、顔が一気に熱くなる。
「オリオルっ! 私に触るなっ!」
両腕は未だにフィルランテを抱いているので使えず、体を揺すぶって抗議する。
「おい、暴れるな。倒れるぞ」
そう指摘されて、事態をようやく把握する。
「……すまない」
ゆっくりと体勢を整える。フィルランテもどこも異常はないようで、笑顔だ。それに比べてリオネルは未だに顔を真っ赤にして、俯いている。
「まぁいい。それよりさっさと奥へ進むぞ」
「奥へか?」
隠し通路の奥は、リオネル達が立っている場所のように井戸から光が差していないため、真っ暗だ。明かりもなしに進めるような場所じゃない。オリオルもそれを理解していないわけではないだろう。
そのオリオルは何やら壁をペタペタと触っている。
「何をしてるんだ?」
「紋章陣を探しているんだ。ここは隠し通路だから明かりぐらいあるだろ」
紋章陣は、精霊を呼び出すための召喚陣だけではなく、多様な種類のものがある。オリオルが今探しているように明かりを灯してくれるものや、人力なしで物を動かしてくれるもの。形や性能、用途などは様々だが、それらは全て紋章陣にマナを流すことで発動する。
「あった」
壁に掌サイズで描かれた紋章陣に手を当てるオリオル。とたんに隠し通路の道の脇に付属していたランプに火が灯る。
だが、リオネルの関心はそっちではなく、オリオルの手へと注がれていた。
「なんだ?」
それに気付いたオリオルが尋ねる。
「いや、お前はしっかりとマナを使って紋章陣を発動させることができるのに、召喚陣だけはなぜ発動しないのだ、と思ってな。オリオルはどう思う」
「…………」
背中は「またその話か」と語っている。
「さぁな。俺には見当もつかない」
自分のことなのに興味なさげる返事をするオリオル。リオネルは、自分の不幸をまるでこの他人事のように片付けるオリオルのこの態度が前々から気に入らなかった。
決して実力がないわけではない。努力を怠っているわけでもない。ただ召喚陣が発動しないというだけで、無契約者という烙印を押されてしまったのだ。その不公平さが腹立たしいが、もっと腹立たしいのは、オリオル本人がそのことをさして問題視しているわけではないということだ。
「マナは十分にある。他の紋章術が使えるということは、マナが通る回路に異常はない。それなのに召喚陣だけは発動しない。一度医者に体を検査させた方がいいじゃないのか? もし身体障害だとしたら、治せるかもしれない」
照らされた道を先に行くオリオルの背に質問を投げかけた。
「悪いがごめんだ。お前のことだから、異常が見つかるまで徹底的に検査するんだろ」
「当たり前だ。なんのために医者に検査させると思っているのだ」
と言い張るリオネル。
そんな姿を見て「だから嫌なんだよ」と呟くオリオル。
「だが、お前はこのままでいいのか、オリオル。誰からも認められず、評価されないのだぞ。それどころか、無契約者と罵られ、蔑まれるばかりだ。オリオルは見返したいと思わないのか?」
「誰かに認められたい、評価されたいと考えるのは、他人に依存している人間だけだ。やらなければならない使命を持っている人間は、たとえ人に批判されようと、罵倒されようと信念は変わらない。俺はそういう人間だ」
まったく我関せずを貫くオリオル。
らしいといえばらしいが、リオネルはそれで納得できない。
「それでも私は周りにお前を認めさせたいのだ」
リオネルの心からの言葉に、オリオルは足を止めた。リオネルの真摯な視線が、オリオルの視線とぶつかる。
「余計なお節介だ」
「なっ!?」
本気で嫌そうな顔で呟かれた。
「わ、私はお前のことをだなっ!」
一歩前に出て文句を言おうとするが、その言葉はオリオルによって制止される。
「そのことで一つ聞きたいんだが。お前はどうしてそこまで俺に構うんだ?」
「な、なに? なんでそんなことを聞くのだ?」
唐突な質問に言い淀むリオネル。
「当然の質問だろ。なんで俺一人に対してそこまで構ってくるのか。普通なら何かしらの理由があって当然だろ」
「うむぅ……そ、それは」
リオネルは少したじろぐ。
お前が昔、王宮の精霊の森で会った男の子じゃないかと思っているからだっ、などと本人を目の前に言えるわけがない。まるで、自分がその男の子のことを十年以上も想い続けているみたいだ。さらにもし本当にオリオルがその男の子だったら、もう顔を合わせていられない。
あの森で出会った微精霊が見えるかのような少年と、クリストフの会話で微精霊が見えるかのような発言をしたオリオル。フィルランテが出会ってすぐにオリオルに懐いたこと、オリオルが昔、王宮に住んでいたこと。
多くの共通点が男の子をオリオルにしてしまう。
だがリオネルが男の子をオリオルではないかと疑ってしまうのは、リオネルが無自覚に、森で助けてくれた少年と決闘で戦った時のオリオルを重ねているからだ。
自分がピンチの時に救ってくれた少年、間違った方へと進んでいるのを正してくれたオリオル。王女として人を導くことが多かったリオネルにとって、自分を正してくれる人間は少ない。
そんな二人の存在を重ねてしまうのは、そんな人がただ一人しかいないと心の奥底で思っているからだ。
だから、リオネルはオリオルがあの少年じゃないか、とあの決闘の後すぐに思っていた。
そんな自分の気持ちにも気付かないリオネルは、どう言い返そうかと目を回している。
「ま、その話はまた後でいいだろ」
だが、先に話題を切ったのは、質問をしたオリオルの方だった。
ホッと胸を撫で下ろすリオネルだったが、目の前のオリオルの顔を見て、その気持ちも吹き飛んだ。
鋭い視線に得物を見るかのように、隠し通路の奥を見つめている。リオネルとの決闘の時とも、選抜試験の時とも、今までオリオルが見せたことのない敵意だ。
そんなオリオルの雰囲気に感化され、リオネルにも嫌な緊張感が伝わってくる。
「オリオル、何かあるのか?」
「ああ、水面を見てみろ」
言われるがまま視線を下に落とすと、オリオル、リオネル、フィルランテ、ここにいる全員が動いていないのに、波紋が起きている。しかもその波紋は、隠し通路の奥から起こっているようだ。
オリオルが腰の剣を抜き、走り出す。
「お、おいっ」
思わぬオリオルの行動に、リオネルの反応が一拍遅れる。
追いかけるリオネルのことなど眼中になく、水飛沫を上げて奥に向かって行くオリオル。
いくらランプの灯りがあるといっても、奥に進めば見えなくなってしまう。おいて行かれまいとオリオルに続き、リオネルも走り出す。
だが、オリオルの走る速度は異様に速い。リオネルのことなど忘れているのか、どんどん先へと行ってしまう。やがてオリオルの姿が見えなくなる。
焦ったリオネルはさらに足を動かす速度を上げて、がむしゃらに走るが、
「きゃっ」
何かにぶつかり跳ね返された。
無警戒な状態だったので、鼻を思いっきり強打してしまった。
「うぅ……」
真っ赤になった鼻を摩りながら、何にぶつかったのだと顔を上げると、そこにはさっきまで追っていたオリオルの背中があった。
「な、なんだいったい……」
愚痴のような独り言が漏れるが、オリオルから反応はない。背中から変わらず敵意が感じられる。
いったい何を見ているのだ、とオリオルの横に並ぶ。
「あれは……」
数メートル先で水面が青く輝いている。
オリオルがその水面に向うのに続く。
どんどんと近づくにつれて、その正体がはっきりと映る。
「これは……紋章陣?」
リオネルの目に入ってきたのは、水の底に刻まれ青く輝く紋章陣だった。




