第5話 ユークリッド
その愛は本物だったが、状況は作り物。
人形たちに誘拐されたと知って留まるなんて正気じゃない。
アルエットは暗く深い森の中、慰めを求めるように膝を抱えて座り込んだ。
正気じゃない……のか?
安全と望むものすべては与えられた。
ただ、彼らの可愛い人形でいればよかった。
他にどんな選択肢があった?
バッグの中のわずかな物資以外、何もなかった。
いや、地図とブーツがある。
這いながら義足を取り戻したが、もうくっつかなかった。
壊れたわけではない。
「人形の魔女」としてのアイデンティティが壊れたのだ。
包帯で義足を膝に無理やり縛り付けた。
杖代わりのものを探して手探りしていると、茂みの中でエメラルド色が微かに光った。
彼女を呼んでいた。
あるいは、妄想を見ているだけか。
見つけたのは、三つ編みのようにねじれた長い枝だけだった。
それを使って震えながら立ち上がり、足を引きずりながら前へ進んだ。
唯一の光源である空が、彼女の視線を奪った。
梢の向こう、夜の虚空も昼の光も貫いて常に輝く天体があった。
「導きの北極星」だ。
どこかで学んだことか、本能か、あるいは絶望か。
わからないまま、その星を道しるべに歩き出した。
オーロラをまとわない北極星は寂しげに見えた。
なぜそう思ったのだろう?
オーロラは、隔絶された極寒の地「冬の州」からしか見えないはずだ。
行ったことなどないはずなのに。
そこは人がめったに出入りしない土地だった。
✦ ✦ ✦
谷に近づくと、再び緑の閃光が、今度はもっと近くで目を射た。
枝のねじれた木の隙間に散りばめられたエメラルドの粒が、生命を宿して輝いていた。
彼女が手にしていたのは、魔女の杖だったのだ。
もう一歩踏み出すと、杖は灯台のように点滅し、アルエットが方向を変えるまで光り続けた。
困惑しつつも好奇心に駆られ、彼女が向きを変えて八方に足を踏み出すと、杖は満足したように再び輝き出した。
導かれるまま進むと、何の変哲もない草むらに着いた。
谷やあのキャビネットと同じ気配がした。
近づいてみると、そこだけが周囲よりも草が青々と茂っていた。
人ひとりが収まるほどの広さだ。
杖は、これまでになく強い輝きを放っている。
きっとここそが、杖が彼女を導こうとしていた場所なのだ。
アルエットは、その杖と地面の痕跡とを何度も見比べた。
やがて意を決したように、杖をそっと草の上へ横たえ、小さく微笑みながら額の汗を拭う。
ひとつ善いことをした――のかどうかは、正直わからなかったが。
足を引きずりながらその場を離れかけた、そのときだった。
翡翠色の光が、あからさまに苛立ったように膨れ上がり、彼女を呼び戻した。
その輝きは周囲一帯を染め上げる。
これほど緑に染まった森など、彼女は見たことがない。
もしあなたの世界で例えるなら、横断歩道の青信号が「こっちへ来い」と手招きしながら、同時に「逆らえば殺す」と脅してくるような、そんな光景だった。
「わ、わかったってば! 何がなんだかわかんないけど、来たから!」
アロエットは甲高い声を上げ、片目を庇うように腕で覆った。
この瞬間ばかりは、眼帯がもうひとつ欲しいと思ったほどだ。
眩しさで何も見えないまま、彼女はよろめき、草むらへと足を踏み入れる。
すると光はすっと和らぎ、まるで詫びるように明滅した。
彼女が文句を言いかけた、そのとき――
またしても、意識の奥底から囁きが割り込んできて、彼女の声を静かに呑み込んだ。
ここで、誰かが死んだ。
そう悟ると、アルエットはゆっくりと杖を持ち上げ、墓標のように地面に突き刺した。
光は消えた。何か間違ったことをしただろうか?
おろおろしていると、羽のような軽い何かが肩に触れた。
視界の端から入ってきたのは、微笑んで手を振る若い男の幻影だった。
もう片方の手は、喉を切り裂く血まみれの傷口を覆っていた。
その怪我と、透明な姿のくすんだ色彩は、彼の顔の健康的な親しみやすさと対照的だった。
肩まである黒髪が少年のような顔を縁取り、一房が耳にかけられていた。
その耳の下には泣き黒子があり、オリーブ色の瞳とお揃いの星形のピアスが光っていた。
服装は実用的だった。
白いシャツに革のショルダーハーネス、ベルトに様々なポーチを付けた黒いズボン、そしてブーツ。
飾り気のない服装は人間のものに見間違えそうだが、腕には真鍮色の腕章があった。
魔女の医療従事者を示すものだ。
彼に影はなく、代わりに青、紫、黄色の光のフラクタルが足元で弾けていた。
悲鳴を呑み込み、驚きを力ずくで抑え込むように、アルエットは両手で口を覆った。
男の表情は驚き、心配、そして喜びの間を行き来した。
彼は彼女の頭を撫でたが、その手はそよ風のようにすり抜けた。
彼女が気を取り直そうとしている間、音もなく笑っていた。
狼狽したアルエットが膝をついて尻餅をつくと、男は礼儀正しく心配そうに首をかしげた。
「こ、これ、あなたの杖? ここで死んだの?」
アルエットは草むらから身を引いたが、男は気にするなと手を振った。
質問に対し、彼は頷き、王子のような優雅さでお辞儀をした。
足首を交差させ、空いた手を背中に回して。
無言の自己紹介が終わると、彼はひざまずき、彼女の肩と膝の上で手をかざした。
緑色の光が指先をなぞり、人形の関節で弾けた。
義肢が神経と再接続されると、軽く心地よい衝撃が走った。
これらに頼ることには複雑な思いがあったが、必要性は否定できなかった。
「わあ、ありがとう」
驚いて膝の包帯を解きながら言った。
魔女は必ず借りを返すものだ。
喉の生々しい傷を覆ったまま、男は微笑んで「どういたしまして」と伝えた。
怪我の概念に縛られ、死してなお話すことはできないようだった。
礼儀として、惨状を掌で隠していた。
それは、鏡の前で過ごした時間を思い出させた。
「気にしてないよ」
彼女は彼の手首を掴んで下ろし、血の開口部に顔をしかめないよう覚悟を決めた。
緊張しながらも、自分の包帯を彼の首に巻き、片結びのリボンにした。
新しい傷なのか、あるいはその捧げ物と同化したのか、鮮血が喉を染めた。
彼は驚いて瞬きした。
二人は触れることができたのだ。
さらに重要なのは、彼女が自分のものを与えたことだ。
魔女にとって、それは軽々しい行為ではない。
「ごめんなさい。使い古しだけど……」
彼はわずかに口を開き、包帯を見下ろして指で触れた。
「――驚いた。うまくいくなんて」
顔立ちに似合った美麗な声だった。
二人は沈黙の中で見つめ合ったが、アルエットの喉の奥から居心地の悪そうな、混乱した音が漏れた。
自分でも情けないほど気恥ずかしさでいっぱいだった彼女は、背を向けた彼の口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだことに気づかなかった。
彼は紳士の顔に戻って振り返り、手を差し出した。
「ありがとう、お嬢さん。ずっと杖と再会したかったんだ。ああ、気をつけて」
その言葉通り、アルエットはよろめき、この幽霊がとっさに身体を支えていなければ墓標の上に倒れ込んでいただろう。
王者のような落ち着きで、彼はバランスを取り、彼女の汚れを払うふりをした。
不器用さを気にする様子もなく、謝り続ける彼女に対し、手に入れたばかりの声で笑った。
「この杖には、僕が死んだ場所へ戻るよう、あらかじめ魔法をかけてあったんだ。まさか、対魔女地雷なんかで死ぬとは思わなかったけどね。森で後れを取るなんて、本来ならありえない。だが、人間の斥候どもが、この一帯に罠をばら撒いていたんだ」
対魔女地雷。
その名前には嫌な響きがあった。
「平和の魔女」によって作られた前例のない兵器で、魔力を枯渇させるものだ。
思い返せば、アルエットは谷で白い銛のような武器の残骸を見ていた。
散らばっているものもあれば、地面深くに突き刺さっているものもあった。
「結局双方はこの様になった。情けない話だが、人間を甘く見ていた。隊長失格だ」
アルエットは真鍮の腕章を覗き込んだ。
「でも、衛生兵なんでしょう?」
気を悪くすることなく、彼はよく見せてくれた。
黒い糸で、カタルシス1世のドミニオンマークをあしらった記章が刺繍されていた。
魔女は概して自分たちの世界に没頭しており、制服や階級、政府といった人間社会の規範を気にしない。
2000千年前のドミナ内戦時、カタルシス1世が医療に長けた魔女に腕章をつけさせる伝統を始めた。
これを纏う者は皆、命を等しく救うことを誓う。ゆえに魔女はいかなる時も癒し手を傷つけてはならない。
合理的で共生的な関係であり、文句なく受け入れた。
人間でさえカタルシスの腕章には敬意を払った。
だが、魔女狩り戦争の目的は聖なる虐殺だった。
「衛生兵であることと、人の上に立つことは別に矛盾しないよ。僕ら魔女は、肩書きみたいな些事は気にしないんだ、お嬢さん。その場で誰がいちばん有能かなんて、見ればすぐわかる。君には、まだピンとこないかな?」
「私は魔女じゃない」
「本当に?」
彼は人形の手にある赤い糸状のマークを指した。
「魔女として扱われる覚悟をしておくことだ。事情はあるだろうが、君のために言っている」
どうやら彼は、杖の近くを通るものを見ることができたらしい。
遠くからではあったが、彼女の回復を見守っていた。
先ほどの現場に居合わせたため、この夜の出来事も推察していた。
アルエットは安堵した。
この魔女はまともで、同情的に見えた。
癖で名前を尋ねようとして、失礼を詫びた。
彼はくすくす笑い、彼女の人間の方の手を取り上げた。
「保険として、魂を杖に入れたんだ。何年も経って再会できたことがどれほど嬉しいか。僕はドミニオンを持たないしがない魔女だが、真名を教えよう。君だけが知っていればいい」
死んだ魔女の名を武器にすることはできないが、それでも個人的で貴重なものだ。
おそらくこの魔女は我らがアルエットを気に入ったのか、あるいは気まぐれか。
彼自身もわかっていないのだから、我々は推測するしかない。
掌に、E-U-C-L-I-Dとなぞった。
彼女の顔が輝いた。
「『ユークリッド』? 私はアルエット」
と記録的な速さで漏らした。
沈黙の中、ユークリッドの穏やかな微笑みが引きつった波線へと変わった。
失敗したと悟り、彼は苛立ちを隠すように顔を手で覆った。
アルエットは泣き出して謝った。
✦ ✦ ✦
カルムへ向かうと言うと、ユークリッドは花畑の方角を指差した。
「あの鎧のところへ戻れば、きっと助けてくれる。杖を通して、彼が君を家まで運ぶのを見たよ。知り合いではないが、あれは善人だ。僕の人を見る目は絶対だ」
「名前をばらすとは思ってなかったでしょうけど」
ユークリッドは聖人のように微笑み、彼女が謝り声を上げるまで頬を引っ張った。
「カルムは居心地の良い場所だ。あそこを仕切っている魔女は信用できる」
彼はアルエットの疑わしげな視線にニヤリとしそうになったが、こらえた。
「生き残るタイプの奴はわかるんだ」
「でも、何年も前の話でしょう」
「ああ」
ユークリッドは今が102,031年、人形たちの主張と同じ年であることを確認した。
「今日は春の125日。夜明けと共に夏が始まる」
恐ろしいことだ。
この男は8年前に死んで以来、年、日、時間をすべて記録していたのだ。
正気と知識を手札として持ち続け、待ち構えていたのだ。
「ここに駐留していた時、人形の魔女には会った?」
「いつ聞かれるかと思っていたよ」
彼は崖の壁に寄りかかって答えた。
「戦争の初めに一度だけ。真珠の都を代表して、この地域の魔女を勧誘する任務を負っていた」
しかし、人形の魔女は拒否し、中立を保った。
人間の徴兵制度とは異なり、そうした稀なケースでは、魔女ドミナの軍勢は彼らを放置するしかなかった。
「敬意と相互関係が魔女という種の基盤だ。誰かの領域――ドミニオン――に侵入した瞬間、すべてが白紙になる。ドールとの謁見は短いものだった」
「じゃあ、あれ……えっと、彼に会った時」
アルエットは切り出した。ユークリッドは彼女が何を経験したのか訝しげに眉をひそめた。
「私もいたの?」
事情は彼にとっても不可解だった。
腕を組み、ユークリッドは手で口を覆い、考え込むように視線を逸らした。
彼は会った人すべての顔、声、癖を記憶していた。
出会った人々のどんな些細な事柄も脳裏に焼き付けていた。
関心があるからではなく、あるかのように見せるためだ。
ほんの少しの情報が生存の鍵になるかもしれないのだから。
故に、彼は確信していた。
10年前にあの家で聞いた女性の声は、目の前の少女のものではなかった。
それなのに、ユークリッドが命を賭けてもいいほど鮮明に覚えているのは、人形の魔女があの女性を「アルエット」と呼んでいたことだ。
ユークリッドは蛇のように目を細め、そして閉じた。
「ドールしか見ていない。君がいたかどうかは断言できないな」
がっかりしたようだが、アルエットはそれが真実のすべてだと受け入れた。
信じたのか?魔女の口元がその世間知らずさにピクリと動いたが、黙っていた。
もっと情報が必要だ。
アルエットは指をもじもじさせたが、片手が自分のものではないことを思い出して止めた。
「彼はどんな見た目なの?」
ユークリッドは困ったような笑みを浮かべた。
ドールはこの少女に姿を見せなかったのか?
あの魔女は世捨て人だが、10年前は隠れてなどいなかった。
時系列に奇妙な穴がある。
運命か、偶然か、捏造か、ドールは彼女に似ていた。
親戚として見えるかもしれないが、友人や恋人、あるいは……。
いや、逆だ。
アルエットが人形の魔女に似ていたのだ。
ユークリッドの表情が歪んだ。
「昔のことだからな。はっきりとは覚えていないかもしれない」
と、彼ははぐらかした。
それでもアルエットは礼を言い、話題を変えた。
チョロすぎる。
騙すのがあまりに簡単だと、彼は心の奥底で苛立ちを燻らせた。
駆け出しの魔女でさえ、これほど騙されやすくはない。
自分の言葉選びは恥ずかしいほど雑だったのに。
らしくない。
もうお気づきだろう。
ユークリッドはアルエットを助けることになど関心がなかった。
杖が光ったのは彼女のためではない。
すべては自分のためだ。
彼女の体を奪うつもりだったが、死んでいる状態よりもさらに悪化することに気づいた。
そこで予備プランに切り替えた。
杖にある半分の魂を自らが死んだ土地と融合させ、力を取り戻す。
そうしたらまた生きられる。
彼は何度もあらゆる手段で本当の死を回避してきた。
アルエットの運命など知ったことではない。
運び屋としての彼女の役割は終わった。
それなのに、彼は名を明かした。
生前、重要になりそうな人にそれを教える機会をことごとく拒んできたのに。
今、声を聞く最後の一人がアルエットだった。
この瞬間もまた、終わりに近づいていた。
✦ ✦ ✦
「あ、あの! 一緒に来てくれない?」
親とはぐれた子供のような声だった。
不意を突かれ、ユークリッドの顔が強張り、初めて素の表情で目がピクリと動いた。
ため息をつき、「魂の星座」を指差した。
「星へ行かなくちゃならない。それに、根が伸びる範囲しか動けないんだ」
彼の目は直立した杖に落ちた。
それはもう杖には見えず、すでに若木へと変貌していた。
古い樹皮は剥がれ落ち、エメラルドと蔓で編まれた輝く核が露わになり、地面に根を張っていた。
アルエットはわかったと呟き、うつむいた。
勇気を出して頼んだことを後悔し、顔を赤らめた。
それでも彼女は動かなかった。
ほんの少しでも長く、人に最も近い存在のそばにいたかった。
良くも悪くも、彼の嫌悪の表情に気づかなかった。
ユークリッドは「善」を理解しなかった。
魔女たちが崇拝するものを偶像化しなかった。
領域、ドミニオン、あるいは魂の星座の一部になることなどどうでもよかった。
自身の生存が最優先だ。
ドミニオンの決闘で誰かが死んでも、誰も眉一つ動かさない文化だ。
それを馬鹿げていると考える彼を変わり者と呼ばれるだろう。
他の魔女には全身全力を捧げるものがあったからだ。
ドミニオンを持つ才能があったにもかかわらず、彼はそれを望まなかった。
不要な注目を集めるだけだ。
これらすべてを考慮しても、得るものが何もなくなったこの最期の瞬間に、ユークリッドは非常に彼らしくないことをした。
睨みつけながら、彼は墓標と化した杖から葉のついた芽をむしり取り、アルエットに差し出した。
「やるよ」
彼女は不安そうだった。
ああ、そうか。
魅力的な笑顔を貼り付けるのを忘れた。
そうすると、彼女は条件反射的な礼儀正しさで躊躇いがちに右手を差し出した――だがユークリッドは代わりに人形の手を掴んだ。
ドミニオンマークに触れると、拒絶の赤い火花が散った。
意図を疑い、人形の魔女が外部の魔術からアルエットを守っていたのだ。
彼女は驚いて声を上げたが、ユークリッドはこの挑戦を面白がり、意地悪くニヤリとした。
彼は髪を直し、肩をすくめた。
「おいおい、手足を繋げてあげただろう? 助けるって言ってるんだ。魔女は嘘をつかない」
「あの、その小枝は何のため?」
「厳密に言えば芽だ」
ユークリッドは決して認めないだろうが、久しぶりに――戦争が始まる前よりもずっと久しぶりに――楽しんでいた。
「食え」
と言って、彼女の鼻先で葉を振りながら命じた。
アルエットは、喉に謎の植物を突っ込まれてもいないのにむせた。
「い、嫌だ」
✦ ✦ ✦
しぶしぶながらも、アルエットは植物の繊維一本残さず噛んで飲み込んだ。
彼の要求に応じて口を開け、舌の下や歯の間までチェックさせた。
ユークリッドは片眉を上げ、本当にやり遂げたことに呆れて背を向け、忍び笑いをした。
怒ってアルエットが彼の幽霊の頬を掴むと、それは生地のように伸びた。
ドールの手が彼を叩こうとしたが、ユークリッドは間一髪で避けた。
笑ったままつねられた頬をさすった。
「暴力を振るう必要はないだろう、お嬢さん」
「い、今のは私じゃない!」
ユークリッドはすべてお見通しといった得意げな顔をした。
目尻の皺がようやく唇のカーブと一致した。
生前めったに見せなかった顔だった。
誰もこの化け猫のような笑みを信用しなかっただろう。
死とはこういうものだ。もはや仮面を被る必要はない。
星に加わりさえすれば。
「なんであんなもの食べさせたの?」
「栄養補給」
アルエットの手は再びつねろうとし、ドールの手パンチするために拳になった。
「繋がりを作るためだ!」
と根の端まで跳んで逃げながら説明した。
「包帯をくれたから、そのお返しさ。困ったときは僕の名前を呼べ。助けに行ってやる。ただし一度だけだ」
アルエットの青い瞳が感謝に輝き、彼への評価が再び覆った。
その無邪気な嬉しさは彼を魂の星座や、生前騙してきた人を思い出させた。
彼女が彼のことを良い魔女だと口にすると、苛立ちが刺した。
ユークリッドは微笑んで雑音を遮断し続け、ついにアルエットが行くと言い出した。
「そういえば、人形たちによると戦争は3年前に終わったのよね。魔女が嘘をつかないなら、本当なんでしょうね」
ユークリッドは、戦争の半ばで死んだことへの煮えくり返るような軽蔑と屈辱を隠すためにくすくすと笑った。
「物覚えがいいな」
彼女は何もわかっていない。
それなのに、生前なら絶対にしなかったほど助けた。
ここまでやったのだから、もう少し助けてもバチは当たらないだろう。
たとえあの体では長く生きられない運命だとしても。
ユークリッドは墓のそばの岩に座り、彼女を招いた。
適切な距離を保って座り、アルエットは彼の憂鬱な横顔を盗み見た。
無言のまま、彼は岩のくぼみに手を伸ばした。
手は固い岩や小石をすり抜け、潰れた野花に届いた。
立て直そうと引っ張ったが、岩が邪魔して触れなかった。
それに気づいたアルエットが飛び上がり、花を掘り出した。
「枯れてると思う」
彼女の同情的な言葉を無視し、ユークリッドは花びらの裏側を撫でた。
手袋越しに指先から緑の光が放たれ、花に活力を与え、新しい蕾を芽吹かせた。
感嘆してアルエットが身を乗り出した。
手がユークリッドに触れ、彼女は顔を赤らめて謝った。
彼は気にも留めず、なぜ触れ合えるのかという理由に気を取られていた。
しかし一瞬の後、さらに数分間、二人はそこに座っていた。
ただの少年と少女として、どちらも覚えていないであろう美しくも些細なことについて語り合った。
それは、彼にとって最も懐かしい記憶となるだろう。
✦ ✦ ✦
「魔女は意外と単純だ。特定の物を欲し、夢を叶えるためなら何でもする。それを尊重すれば、誰とでもうまくやれる」
それは数百年生かしてきた処世術だった。
なぜ話しているのかわからなかった。
「なるほど」
アルエットは考えた。
「だったら、えっと、あなたは何が欲しいの?」
彼は止まった。取り繕っていた仮面が剥がれ落ちた。
オリーブ色の瞳を鈍く虚ろにして彼女を見つめた。
アルエットはまた何か失礼なことを言ったのかと身をすくめた。
口を開こうとした瞬間、彼の声が鞭のように打った。
「いや、それを聞くのは禁忌なんかじゃない。謝罪も同情もいらない。君の心を読んでいるわけでもない」
ユークリッドは苦々しい言葉を吐き出したが、彼女には理由がわからなかった。
尋ねる隙も与えなかった。
「世間知らずで単純すぎて、ムカつく」
と付け加え、立ち上がった。
少女が混乱しているのを見て、彼は舌打ちをして歯を食いしばった。
「わからないのか? 僕は君を利用していたんだ。頼めば体の一部さえ食べた。その気になれば、君の内臓を引きずり出して肥料にすることだってできるんだぞ。ドールでも君を守れない」
ユークリッドは身を乗り出し、彼女の髪を一房つまみ上げた。
「どこまで馬鹿なら気が済む? 小さな操り人形みたいに言われた通りにして。あのおドールハウスにお似合いだよ。可愛げがあるほど情けないな」
近づくにつれ、二人の周りの空気は冷たく凍りついた。
「まだ戻れるうちに帰ったらどうだ?」
態度の急変は奇妙で、どこか説得力に欠けたが、それでも傷ついた。
何がそう言わせるのか聞きたかったが、彼の睨みが黙らせた。
「君みたいなやつは大嫌いだ。生きてる間、似ている馬鹿どもをずっと利用してきた」
二人は鼻が触れ合うほどの距離で静止した。
「ただ」
アルエットは震えながらささやいた。
「あなたの夢は何かって聞いただけで。あなたが言ったんじゃない……」
やはりこの魔女の心も理解できないのかもしれない。
彼女はうつむいた。
ユークリッドは彼女を見下ろし、そして視線を逸らした。
「戦争が終わったかどうかは関係ない。人は変わらない。外に出れば君は死ぬ。楽でも綺麗でもない死に方だ。ドールのところへ帰れ」
地面から目を離さず、アルエットは首を横に振った。
ドールの手は彼女の選択を尊重し、膝の上で動かなかった。
ユークリッドは長い溜息をつき、後ずさりした。
「僕の名前を覚えてるか?」
髪から手を離した後、何か掴むものが必要だったのか、彼は前髪を撫でつけながら尋ねた。
アルエットは彼の手のくすぐったい温もりを思い出しながら頷いた。
「いいか、一度しか効かない。絶対に必要な時だけ召喚しろ。戦闘は好みではないが、生死に関わる状況なら自信がある。名を無駄にするなよ」
「私は魔女じゃない」
少女は呟いた。
ユークリッドは溜息をつき、同じように気の抜けた様子で彼女の頬を引っ張った。
「幽霊は生者に触れられない。だが君は僕に触れられた。森との相性や治癒能力じゃない。僕に接触し、あの鎧を目覚めさせたんだ。美しい花々ではなく、腐乱した死体の谷が君を呼んだ」
指先が彼女の頬に触れた。
掌にあの貴重な文字をなぞった時と同じくらい優しかった。
「君の親和性は『死』にある」
信じられないという様にアルエットが顔を上げると、ユークリッドは手首を掴み、根の範囲外へと突き飛ばした。
最後にもう一度強く睨みつけ、谷の方角を指差すと、二度と彼女を見ようとしなかった。
アルエットは反論し、罵り、なんて気分屋で酷い男なんだと批判したかった。
だが、彼がさっきよりも透明になっていることに気づいた。
この捻くれたろくでなしは、吐き捨てた悪意ある言葉すべてを本気で言っていた。
同時に、杖を返した見返り以上に多くを教えてくれた。
彼は警告しようとしているのだ。
恐ろしいドールは、彼女がこれまで関わった唯一の魔女であり、その魔女は彼女を愛していた。
だったら、無関心な魔女はどうする?
たった一度の出会いで、アルエットは他の誰よりもユークリッドという人の一面を見て、理解した。
それでも、別れの言葉が彼にとってどれほどの意味を持つか、彼女が知ることはないだろう。
「私が一人でやっていけると思ってないのね。正直、同感だよ。あなたは最低だけど、それでも一緒に来てほしかった。ありがとう、ユークリッド。名前、絶対に忘れないって約束する」
彼の手がピクリと動いた。
折れて彼女の方を見そうになった。
彼女は深呼吸をし、いくつかの捨て台詞を滑らせた。
「忘れないように、毎日頭の中で繰り返してやる! 寝言で言って誰かに聞かれても知らないからね! 教えたあんたが悪いのよ、この人でなし!」
一秒も惜しむまいと、アルエットは走り去った。
もし振り返っていたら、ドミナでも最も稀な光景を目にしていただろう。
驚き、無防備なユークリッドが、笑うべきか悪口を言い返すべきか迷っている姿を。
✦ ✦ ✦
少女の足音は遠ざかっていった。
よし、つまずいてはいない。
花畑に着いて鎧を仲間にするまで、彼がアルエットの義足にかけた修理の魔法は役に立つだろう。
森がアルエットの居場所を教えようかと尋ねてきた。
彼は断り、放っておいてくれと頼んだ。
ユークリッドは自嘲し始めた。
何が欲しかったんだ?
恥ずかしいほど無邪気な願いだった。
死んでもなお、名前を教えた後でさえ、それを口にすることはできなかった。
自分の希望を他人に伝えることは、本当の意味での弱さを晒すことだ。
今となっては何の意味もないとしても。
すぐに彼は広大な空で忘却へと葬られるひとつの星になるだろう。
生き方に後悔はないが、自分の人生が無意味だったことには同意するだろう。
ただ生存するために生き残った。
どこまで行けるか、どんな欺瞞を企てられるか、自分より強力で賢く技術のある魔女たちが先に死んでいくのを見るのは、ある種の楽しみではあった。
だが一息つく機会を得た今、人間の心の残滓が、埋もれていた孤独感を認識した。
この星降る夜、彼は生きようと努力するエメラルドの若木を見つめながら、取り繕うことをやめた。
魂をそれに移せば、この場所に留まることができる。
体を乗っ取るのは時間の問題だ。
だがそうすれば、彼女は星から彼を召喚できない。
助けを求める声に応えられない。
彼は若木を見つめていたが、選択肢を検討しているからではなかった。
それが彼女を思い出させたからだ。
8年前、対魔女地雷は彼を殺す前も後も、その感覚を全て奪い去った。
古びた杖の中で魂は衰えていった。
周囲の世界への認識は微かなものだった。
時が年月へと積もるのを数えていた。
森での少女の生活のビジョンは断片的で、彼女の靴が草を踏むたびに意識の海に穏やかなさざ波が立った。
最初に家から出てきたとき、どれほど壊れていたかを見ていた。
一歩一歩、杖を通り過ぎて谷へと進んでいく様子を。
なんと哀れな光景か。楽にしてやればいい。
回復しても未来はない。
彼女が森に隠れて泣いているのを何度も見るのは辛かった。
自信なさげに顔を輝かせる瞬間はさらに残酷だった。
この全く救いようのない、無能な少女を慰めたり励ましたりしたいとは微塵も思わなかった。
それなのに、彼女は彼の残された視界を奪った。
✦ ✦ ✦
「もう少し見ておけばよかったな」
生意気な別れの言葉を思い出し、ユークリッドは口を覆って吹き出した。
これほど心から笑ったのは何世紀ぶりだろう?
考えれば正確な時間を測れるはずだ。
この魔女は、誰も気にしないことを記録する奇妙な癖があった。
「そして、彼女が最後に加わったひとりってわけか」
気分が悪くなるほど明るい「魂の星座」だけが残された同伴者だった。
星々はユークリッドの敗北を自慢するように輝いていた。
すぐに彼もその仲間入りだ。
苛立ち紛れに髪をかき回し、ユークリッドは最後にもう一度自分を罵って忍び笑いをした。
なぜ気まぐれであんな重い約束をしたのか?
契約ではないから、守る義務はない。
だが、あの少女は当てにしている。
彼を覚えているだろう。
「アルエット」
102,031年、春の125日の孤独な夜に彼はささやいた。
「愛らしい名前だ。だが、本当の名は何だろうな」
ユークリッドは喉に手を当てた。
またしても、自分の行動が理解できなかった。
傷を隠しているのか、それとも少女の間に合わせの贈り物を慈しんでいるのか、我々にはわからない。
最後にあやふやな笑みを浮かべ、ユークリッドという魔女は――包帯もろとも――万華鏡のような光の中に溶けて消えた。




