第11話 ペストの魔女
「アルエット」
ペストの魔女がその名前を呼ばなければ、本当の名前を思い出していただろう。
「聞こえるなら反応しろ。瞬きや指を動かすだけでもいい」
目覚めの際のけだるい重みは、どこか懐かしかった。
呻きながら振り返ると、枕元でペストがクリップボードに何か書き込んでいた。
「ペスト? ペストさん?」
「失礼」
彼は近づき、体温を確認し、聴診器を心臓と肺に当てた。
いくつか深呼吸をさせた後、離れてメモを取り、安定していると呟いた。
「薬品、その他の物質を摂取しているか?」
「え? いいえ」
「持病やアレルギーは?」
「知る限りでは……」
「妊娠は?」
「ち、違います!」
なんと無礼な起こされ方だと気づき、彼女は飛び起きて赤くなる頬をさすった。
ペストは枕元の水差しから水を注ぎ、小袋の粉薬を混ぜた。
「飲め。栄養剤と鎮痛剤だ」
「あ、ありがとうございます」
「持てるか?」
「ええと、多分?」
ペストの表情は変わらなかったが、彼女が飲む間、カップの底に手を添え続けていたあたり、疑ってはいるようだった。
「礼なら鎧に言え。私に向かって突撃してきて、医者が必要だと泣きついたんだ」
ペストはコートの深いポケットから何かを探り出し、腕に当てた。
真鍮色の布は見間違えようもない。
ユークリッドと同じ、カタルシスの腕章だった。
他者を癒やし、害をなさないという普遍的な象徴であり誓い。
「邪魔されたくない時は外している。カタルシス1世も死んで久しい、きっと文句は言わん」
昨夜のパニックの中、少女は自分を救うためにユークリッドを召喚しなかった。
平和な日々、そしてグィオットとアーティファクトへの依存が油断を生んでいた。
そこにペストが居合わせたのは奇跡だった。
実のところ、疑念と記憶を呼び起こしたのは彼の存在だった。
彼女は頭を抱えた。
「そうだ。私は――」
ペストは彼女の顔を掴み、鼻をつまんで、死に至る思考を遮った。
空気を求めて彼女がもがき始めると手を離した。
「お前はアルエットだ。いいな?」
困惑しながらも、彼女は頷いた。
「私の体、どうなってるんですか?」
彼は黙り込み、彼女の目を覗き込んでからクリップボードに視線を戻した。
「病気ではない。だが異常だ」
「魔術ですか? 呪い?」
「呪いや祝福は専門外だが、どちらでもないと思う。とはいえ、術式はある」
どういうこと? 呪いでないわけがないだろう?
シーツを握りしめ、アルエットは家出した夜にドールの言葉を思い出した。
「知ったら死ぬの?」
ペストは立ち上がり窓を開けた。
「そこまで知っているなら話は早い」
カラスが飛び込み、彼の手にとまった。
しばらくアルエットを見つめた後、また飛び去った。
「真実に気づけば術式が解け、行き止まりが待っている。読み取れたのはそれだけだ。私のような古臭い医者に詳細は分からん」
少女の心にかかった霞が、近づきかけた真実を思い出させまいとしていた。
もどかしいが、それが最善なのだ。
答えを知る余裕はない。
それを受け入れようと、アルエットは膝を抱えた。
「ドールの言った通りだった」
「『ドール』?」
ペストは再び糸のようなドミニオンマークに目を向けた。
極めて冷静かつ専門的に対処してきたこの男が、動揺を見せた。
「その刻印――その手は、お前のものではないと言うのか」
アルエットが説明しようとした矢先、風が素顔を撫でた。
眼帯がない。
彼女は息を呑み、恥ずかしさで熱くなる顔を伏せて背けた。
グィオットもこの顔を見たのだろうか?
「自意識過剰になる元気があるなら大丈夫だ」
ペストは医療鞄から包帯を取り出した。
「眼帯は洗濯中だ。今はこれで我慢しろ」
アルエットは顔を上げなかったが、ため息が聞こえた。
だが苛立ちはそこになかった。
「…いいか、助けというものは必要なだけでは駄目だ。自分から進んで受け入れる気持ちがなくては意味がない。救われる気がない者を優しくあやしてやるほど、私はお人好しではない」
だが警告する程度には優しかった。
それを認め、アルエットは目を閉じて振り返った。
意図したより浅い角度だったが、ペストはその仕草は見過ごさなかった。
彼は歩み寄り、窮屈そうに身を乗り出して前髪を払い、包帯を巻いて即席の眼帯を作った。
「心配するな。最近の男は傷がある方が好きだと聞く」
励ましているのか?
真顔での試みは、その疑わしい肯定よりも、不安の中にあるアルエットから笑みを引き出した。
鼻と目に熱が広がった。
「私、どうして皆に良くしてもらえるんでしょう? どうしてこんなに幸運なの? ドミナの皆はこんなに優しいんですか?」
ペストは座り直してメモに集中したが、その前にハンカチを彼女の方へ放った。
「泣くな。包帯を変えたばかりだ」
そのぼやきに、彼女は涙越しに微笑んだ。
鎧の足音が廊下を闊歩し、金属音がドアノブに当たる音で終わった。
グィオットが勢いよくドアを開けた衝撃で壁が震え、彼の肩当てにとまっていたカラスが驚いた。
憤慨して鳴き声を上げ、カラスは飛び移ってペストの腕へと避難した。
ペストはグィオットを睨み、舌打ちしながら鳥に餌をやった。
「患者の周りでは静かにしろ。動物の前でもな」
カラスは同意するように跳ね回り、窓から飛び去った。
グィオットは手話で素早く謝罪を伝え、ノートを開いた。
ペストの保証にもかかわらず、グィオットは震える手でメッセージを書いた。
『大丈夫!? すごく心配したよ。まあ、ペストがそう言うなら……。
アーティファクトには知らせたよ。数日で戻るって。
いや、ごめん、聞かなきゃいけないんだ。本当に大丈夫?
どこか変な感じはしない? 何か持ってこようか?
半日しか経ってないけど、お腹空いたでしょ。食べられそう?
せめて水だけでも飲んでみて!
それ君のコップ? ペストの? 熱い温かいのと冷たいのどっちがいい?』
目が回り、アルエットはふらついた。
「は、はい」
尋問を目の当たりにしたペストが顔をしかめた。
「落ち着け。質問には私が答える」
落胆して肩を落としたグィオットは、複雑な手話で話しかけた。
数百年前に手話を習得していたペストは、滞りなく口頭で返答した。
このやり取りにアルエットは驚き、目をぱちくりさせた。
「もっと勉強しなきゃ」
グィオットはムスッとして振り向いた。
『君の仕事は良くなることだけ!』
✦ ✦ ✦
ペストはアーティファクトの帰還まで彼女を監視することに同意し、グィオットはその間二人のためのお使いに出かけた。
だが、ペストは退屈な同伴者だった。
「死にかけていない限り話しかけるな」が口癖だ。
アルエットが壁紙の凹凸を数える横で、彼は静かに書物を読んで座っていた。
時折、彼女が勇気を出して(あるいは退屈で)会話を試みても、返事は「はい」「いいえ」、あるいは鼻歌や唸り声だけ。
稀に会話が成立した際は、純粋な魔鉱石を掘り当てたような気分になった。
一度、彼が常に手元に置いている医療鞄について尋ねたことがあった。
純粋な興味からの質問か疑い、彼は目を細めた。
少なくとも、グィオットが無限の質問を浴びせに入ってきた時のような苛立った溜息は吐かなかった。
鍵のかかったケースが開くと、そこは医学と効率性の驚異だった。
あらゆる隙間が器具、治療薬、湿布、軟膏で最大限に埋め尽くされていた。
これら全てを収めるのは要塞のような鞄だった。
防水、耐火、数トンの圧力にも耐える。
治療される大半の人より長生きするだろう。
道具の中に、鋼鉄製の手のひらサイズの立方体があった。
ペストが唯一手に取って見せなかったものだ。
「これは?」
「超高密度保管ユニットだ」
「見てもいい?」
「お勧めはしない」
そう言いながら、ペストは立方体を持ち上げ、アルエットの手のひらの上に置いた。
その重さをほんの少し解放しただけで彼女は悲鳴を上げ、ドールの手が飛び出して折れそうな指を支えた。
「300キロある。圧縮された中身は手術室一つ分の設備だ」
「持ち歩いてるんですか!? 人間じゃない!」
「鋭いな」
彼は、さながらジャグリングの様に片手からもう片方の手へそれを放り投げながら答えた。
アルエットはプルプルと震えた。
その立方体が床を突き破り、運の悪い来客を貫く想像をした。
ただ重いと言えばよかったのではないか? 嫌がらせか?
「革新の魔女、聖ドミナの協力者が作ったものだ。あの戦争屋を思うと反吐が出るが、これには何度も助けられた」
オリベイラ以外にも人間に味方する魔女がいたのだ。
利害が一致しさえすれば、裏切りは足元にある。
心の欲望を満たすためなら、魔女にとって名誉や道徳など無に等しい。
戦争のことは考えないで。何も考えないで。
歪んだ願いと空想の声が少女の潜在意識をあやした。
彼女は従い、話題を変えた。
「もっと軽くする魔術とかないんですか?」
「あるが、私は頻繁に国境を越える。あちら側では、特許取得済みの発明品以外、魔法の道具は禁止されている」
魔女にとって特許という概念がいかに馬鹿げているかという講釈を遮り、アルエットは散歩を提案した。
驚いたことに彼は同意し、メリーから落ちる危険を考慮して、自ら彼女を運ぶと申し出た。
そんなことは些細な懸念だった。
噂好きな町の人々は、アルエットがグィオットから乗り換えたと囃し立てた。
彼女は泣きわめいて否定し、例のグィオットを探して四方八方を見回した。
ペストは無反応だった。
この男は医療鞄と同じくらい頑丈だった。
噂の目から逃れるため、アルエットは彼をアーティファクトの建物の裏にある静かな木立へと案内した。
そこで安堵のため息をつくと、意外なことに彼の方から会話を始めた。
「いい町だ。病気もほとんどない。狂犬病の動物もいないな」
アルエットは奇妙な男をじーっと見つめた。彼は無視した。
これは会話には分類できないかもしれない。
ペストに顔を近づけると、アルエットは彼の痣の形が朝とは異なっていることに気づいた。
別の生命体――意志――が彼の中に生きており、目の前で刻印が動き続けていた。
ペストはしばらく見つめられるままにしていたが、やがて目を合わせ、彼女のくどい謝罪を遮った。
「私が契約した疫病だ。結果として、私の血と細胞は汚れている」
その気になれば、呼気で感染させ殺すこともできる。
契約が生まれたのは300年前、人属ドミナでの疫病の流行時だった。
当時名もなき魔女だった彼は、大陸を横断して病と災厄の渦中へと歩み入った。
そこで彼は、対等な存在として疫病の元凶となった菌と接触した。
他の生物同様、その望みは殺戮ではなく、増殖し生きることだった。
星々から『ペスト』のドミニオンを受け継ぐことになるその男は、自身の中に住処を持つよう菌を説得した。
二度と宿主を探す必要はないと。
「誤解のないように言っておくが、病気に執着しているわけではない。そうでなければ指数関数的に人々が苦しんでいただろう。このドミニオンが私に与えた権威は否定できないがな。契約により、疫病は私が死ぬと解放される。以来、脅しに来た魔女も人間もいない」
反応は二つに分かれる。
警戒し嫌悪するか、驚嘆し感謝するか。
後者であるアルエットの瞳は、ペストが思わず目を逸らすほど輝いていた。
称賛には慣れていたが、彼女の結論には意表を突かれた。
「優しいんですね。あなたがどれほど素晴らしいお医者さんか気づかなくて、ごめんなさい」
外科医のように簡潔な男は、言葉に詰まった。
ペストは目を閉じ、軽くお辞儀をするように一度頷いた。
彼なりの静かな称賛の受け入れ方だった。
それに気づいたアルエットは微笑み、笑いをこらえた。
彼は優しい。
それぞれのやり方で、これまで出会った魔女は皆そうだった。
ドールでさえも。
それでも、彼女は黙り込んだ。
向けられた善意にもかかわらず、不安が彼女を捉えていた。
魔女の腕に抱かれ、自身も魔女でありながら、燻る恐怖を拭い切れなかった。
それは人形の家での経験によるものではなかった。
「先生。ペストさん?」
忘れられた悲劇の名残のような憂鬱が、少女の声につきまとった。
「私、魔女に対してどう思えばいいのか分からないんです」
本人を前にして言うべきではないと思うだろうが、彼は気を悪くしなかった。
誰もが知る以上に彼女のことを理解していた。
木漏れ日の差す木々を見上げ、善良な医師は彼女と同様に心をさらけ出した。
「我々は奇妙だろう? 頑迷な価値観で動き、世界を自分たちの理想に作り変えること以外には関心がない。魔女だけの世界なら、無秩序になっていただろうな」
彼は数歩進み、柔らかな日差しの中に彼女を晒した。
「だが医学が進歩したのは、死体を見て『切り開いて図解し、仕組みを解明してやろう』と言った変わり者が世界中にいたからだ。そんな変わり者たちの中には魔女も人間もいた」
否定するだろうが、そこには彼自身も含まれた。
文句を言いながらカタルシスの腕章をつけているのも不思議ではない。
アルエットはユークリッドを思い出し、少し笑った。
「他の誰かにも、かつて同じことを言われた」
ペストは不満げに言った。
「なら何故私が答えねばならんのだ」
銀色の閃光と青い房が木立の周りで揺れた。
市場から戻ったグィオットが、話し終えたばかりの二人に遭遇したのだ。
アルエットは彼を手招きし、石畳の道を歩いて帰路についた。
なぜ自分の役目が奪われたのか聞きたくてたまらないグィオットだったが、両腕は食料品で塞がっていた。
ペストは空っぽのヘルメットからの視線を無視した。
✦ ✦ ✦
数日後、アーティファクトが到着し、ペストが出発する夜行列車の時間が近づいた。
夕食後、彼とアルエットはお茶を楽しみ、グィオットも同席して約束の手紙を仕上げていた。
「聖ドミナに行くんでしょ、ペストさん? 国境を越えて届けてくれないかな」
「私は運び屋ではない。郵便を使え」
ペストは窓を少し開けた。
「連絡用に使い魔を置いていく。話しかければ、テレパシーでメッセージを中継する」
またカラスだろうかと二人が思っていると、羽音が大きくなり、何かがペストの肩にとまった。
虫だった。
そのピクピク動く指の大きさのイナゴを見て、アルエットは口をあんぐりと開け、グィオットは完全に魅了された。
『わあ! なんて可愛いやつだ!』
「グィオット、あなた――! この田舎者!」
可哀想な男は、田舎者で何が悪いのかとたじろいだ。
グィオットは虫を拾うとしたが、ドールの手がガントレットをペチッと叩いて止めさせた。
ペストはため息をついた。
「ノミやネズミの方が良かったか?」
両方を検討したアルエットは、おでこを指で弾かれた。
「イナゴは移動が速く、人を襲わない。お前の馬とは違う」
「メリー!? 突撃しなければただの可愛いユニコーンだよ!」
「視界に入らなければ、だろう」
「ま、まあね!」
一階では、名前を感じ取った孤独なメリーが蹄の音を立てていた。
脱線から立ち直り、彼らはグィオットの事情を説明した。
復活の魔術と聞いても驚くほど無関心だったペストだが、一つだけ知ると態度が変わった。
礼儀として、グィオットの母親の名を尋ねたのだ。
『レナ・アマラン』
ペストの目が驚きに瞬き、細められた。
「公でその名を使っているのか。お前を養子にし、その鎧を与えたのか?」
彼は背もたれに寄りかかり、顎に手を当てて感心した。
彼がそんな表情をするとは思わなかったが、続く言葉にはさらに驚かされた。
「彼女は私の叔母だ。一族は皆、とうに亡くなったと思っていた」
「じゃあペストはグィオットの……ええと、従兄弟?」
世界は狭いものだとアルエットとグィオットが驚嘆する中、ペストは封筒を受け取った。
「聖ドミナは、疫病を食い止めたことと、戦時中の中立を理由に私に特権を与えた」
アルエットの目が輝くのを感じ、手を挙げた。
「実際には、必要になるか脅威になるまでは無関係な存在と見なされているだけだ。一世代もすれば人間は恩を忘れる。ともかく、母親以外には読ませないと誓おう」
二人が礼を言おうとすると、ペストは付け加えた。
「手紙を届けたら、またイナゴを送る。さっき渡したやつはその間に死ぬだろう。死体は茂みにでも投げ捨てて、餌にするなり好きにしろ」
アルエットは彼が呪いをかけようとしているのかと疑った。
✦ ✦ ✦
玄関で別れの挨拶をした。
一人になりたかったペストは、駅まで送るという申し出を断った。
アルエットはまだ彼を帰してはいけないと分かっていたが、言い出す勇気が出なかった。
「いろいろありがとうございました」
「ん」
命を救った覚えなどないかのように、彼は興味なさげに唸った。
手を振るグィオットのガントレットの音がペストの注意を引き――そして投げキッスの動きをした。
「グィオット!?」
ヘルメットが彼女の方へ傾いた。
誤解など意に介さず、ペストは帽子を被り敷居を跨いだ。
行ってしまう。
「待って! ペストさん!」
男の踵が半分だけ返り、葬列のような横顔が予想外の強さで向けられた。
案の定、引き止められたくなかった。
グィオットのスカーフを支えに握りしめ、『アルエット』は医師の目を見つめた。
「前にも会ったことがあると思う」
「また口説き文句か」
「ち、違います!」
頬を膨らませながらも、彼女は真剣さを保とうとした。
「私のような怪我をした人を、治療したことはありますか?」
300年前の過去。疫病。
アルエットのロケットの中の、永遠の愛を誓った少年。
この医師の深紅の瞳は、記憶に永遠に刻まれている。
何かがこれら全てを繋いでいた。
彼女はロケットを開いた。
「お願い、見て。この人が誰か知っている……?」
ペストの間と、博物館の古時計の秒針が数えられるほどの沈黙が全てを物語っていた。
魔女の突き刺すような視線はさらに強烈だった。
彼女は命よりも真実を選んだのだ。
ため息をつき、ペストは背を向け、荷物をドサっと置いた。
彼女の決意に対する葛藤した敬意に苛立ち、こめかみを揉んだ。
「300年前、私は人属ドミナにある疫病の発生源の都市へ向かった。そこでレイランドという少年に会った。一万人の生存者の一人。元の人口の0.5パーセントだ」
その型の病気は、免疫系を操作して共存できたペストのものより悪質だった。
彼の症状など、それがもたらした惨状に比べれば良性のものだ。
元の疫病は顔を見分けがつかないほど変形させた。
運動機能を失い、食事も喉を通らない。
生存者は永続的な障害、臓器不全、そして外の地獄を前に慈悲を乞うた。
生きた宿主がいなくても数日間生存する菌のせいで、通りには焼かれた死体が並んでいた。
隔離された都市は、見殺しにされたのだ。
レイランドは全てを失った。
両親も五人の兄弟も、ペストが到着する数日前に病に倒れた。
レイランド自身も無傷では済まず、顔と体は変形していた。
にもかかわらず、少年は平然としており、不気味なほど完全だった。
精神は健全で、微笑みは穏やかだった。
彼は幸運だった。
誰もが病気かヒステリー状態で、彼に見向きもしなかった。
恐怖の最中に本性が滲み出た逸脱者。
その只中で、レイランドは粗末な人型の木塊を抱きしめていた。
片時も離さず、それを人形に彫り上げること以外には関心を示さなかった。
「やつが最初に何を作ったか分かるか?」
ペストは床を睨み、その出来事を語りながら口元を覆った。
「顔じゃない。体でもない。手だ。レイランドは一刻も早く抱きしめられたいと言っていた」
その後すぐに少年は姿を消した。
それが写真の人物についてペストが知る全てだった。
アルエットは厳かに礼を呟き、形見を詳しく調べてからしまった。
もしこの『レイランド』が疫病で変形していたのなら、ロケットはそれ以前のものに違いない。
あるいは、写真の人物はすでに人形だったのか?
思考を棚上げにし、最後にもう一つ、先ほどより重要な質問があった。
「私たちは、以前会ったことがあるの?」
魔女は嘘をつけない。
ペストは彼女のため、そして自身のために答えなかった。
他者の死因になることを拒んだのだ。
だが去り際、善良な医師は別人かと思うほど優しい目で見つめた。
「達者でな、『アルエット』」
唐突な愛想の良さに二人が呆然としていると、ペストは明細書を突きつけた。
「治療費の請求書だ」
アルエットとグィオットは怪訝な顔を見合わせた。
「この世の全てが施しだと思っているのか?」
二人の目は飛び出んばかりに見開かれた。
マザーから恐喝した金額の三倍だ。
木の葉のように震えながら、二人は真顔の男を見上げた。
今や無慈悲な運命の裁定者に見えた。
どこかでシンスの高笑いが聞こえた気がした。
ペストは息を吐き、ニヤリと笑った。
「冗談だ。裏に健康上のアドバイスが書いてある。もてなしに感謝する」
二人が心臓発作から立ち直るのを待たず、彼は駅へと向かった。
気を取り直し、グィオットはノートを出した。
『で……なんでさっき運んでもらってたの?』
アルエットは咳払いした。
「他意はないよ! とにかくメモを見ましょ!」
第一に、彼女の体は人間であり、維持してくれる使い魔もいないため、バランスの取れた食事を続けること。
第二に、運動は必須。ペストは毎日できるストレッチや運動を記していた。
第三に、調合薬と服用指示などが書かれていた。
少なくとも、読めればそう書いてあったはずだ。
汚い字ではなかった。逆だ。
ペストの筆跡は華麗に渦巻くカリグラフィーであり、その意味で、ミミズがのたうったような文字と同じくらい解読不能だった。
アルエットが唸りながら暗号を解読している間、グィオットは医師との密談を思い出していた。
少女は手遅れだ。
ペストは可能な限り明確にそう告げた。
もしアルエットを救えるものがあるなら、それは奇跡でなくてはならない。
彼を蘇らせたような奇跡が。
✦ ✦ ✦
駅まではあと数ブロックだった。
ペストは静寂な夜に沈んだ公園を抜け、大股で歩き続けた。
仲間として見守ってくれるカラスたちはいなかった。
彼の静かな内面の動揺を察し、距離を置いたのだ。
角を曲がった瞬間、不吉な平穏は打ち砕かれた。
ベンチに一人座る小さな人形と目が合い、ペストの足が止まり時間も凍りついた。
彼は少女がロケットを開いた時と同じことを思った――ただし、逆だ。
レイランドに似ていた。
人形の縫い目は同じ笑みを形作っていた。
『アルエット』が目覚めた瞬間から――彼の家族全員が病に倒れたあの季節から変わらない笑み。
最愛の人と写真を撮ったあの日の肖像。
「今回は彼女を救えてよかったですね、先生」
ペリーは言った。




