第10話 グィオット
アルエットは黒い遮光封筒を覗き込んだ。
「もう一時間経つよね?」
『あと十分。我慢しよう!』
アーティファクトは、わざわざアンティークカメラで二人を撮った。
この大陸では、魔法道具を使ったカラー写真が好まれていた。
逆に、5歳、13歳、21歳と政府指定の肖像写真を撮ってきたグィオットにとっては、どこか懐かしい段取りだった。
シートを引き抜いた瞬間、興奮は台無しになった。
白黒写真の中で、二人はメリーを挟んで立ち、背景には回転木馬が写っていた。
ドールの手はレンズを避け、アルエットのスカートの陰に隠れた。
だが、グィオットの鎧の隙間には黒いモヤが立ち込めていた。
彼が鎧に憑依しているように、何かが彼に憑依しているかのようだった。
『えっと、封筒を開けるとき写真に触っちゃった?』
「ち、違うよ! これがグィオットの本体とか?」
『でもすごく怖い見た目だよ!』
アルエットは、彼の描く絵よりはマシだという言葉を飲み込んだ。
グィオットはそんなことを言われる筋合いはない。彼はいい男なのだ。
アーティファクトは腰を抜かすほど笑い、部屋用の額縁をプレゼントしてくれた。
毎晩、アルエットとグィオットはお互いに、そして写真に「おやすみ」を言った。念のため。
二人は掃除や整理、案内などで博物館の手伝いを続けた。
アルエットは初めて担当したツアーで緊張のあまり嘔吐し、グィオットが展示物と間違えられた(そして気を遣って固まり続けた)ことを除けば、順応は順調だった。
町の人々は協力的で親切だった。
特にドールの手の刻印に気づいてからは。
アーティファクトの提案で、少女は「アルエット」が偽名であるフリをした。
人形のパーツやドミニオンマークを隠すべきか尋ねたことがあった。
不可能ではないが、アーティファクトは推奨しなかった。
もし真実が露見すれば、少しの説明では済まなくなる。
刻印を隠すのは、武器を隠し持つのと同じ意味だ。
四六時中、眠っている間でさえ正体を守る覚悟があるか?
これから先、全員に嘘をつき続けられるか?
ユークリッドならできても、彼女には無理だった。
それ以外は、125日(まる一季節)が何事もなく過ぎ、秋の州の穏やかな夏は肌寒い秋へと移り変わった。
二人に留守を任せられると確信したアーティファクトは、アルエットの素性を調べるため真珠の都へ旅立った。
「『そっちも雨?』」
アルエットは読み上げながらアーティファクトへの手紙を書いた。
数分後に返事が来た。
『今は降ってないよ。そちらの上空に、秋と冬にかかる雲が見える!』
毎朝毎晩、二人は一対のメモ帳でメッセージや落書きを交換した。
先代の伝言の魔女の発明品で、片方に書いたものがもう片方の同じ場所に現れるのだ。
今日も昨日も、アーティファクトは戸締まりを忘れないよう念を押し、おやすみを言ってきた。
アルエットはグィオットの鎧磨きを手伝っていた。
胴体と腕のガードを外すと、身長は彼女の腰ほどになった。
「『伝言』の使い魔みたい! スティーブ?」
グィオットは頷き、トコトコと歩き回った。
冒険中の小人になりきり、椅子を山に見立てて登り、頂上でタップダンスを披露した。
彼がポーズを決めて『受領確認の署名を』と書かれた紙を渡すと、アルエットは笑いが止まらなかった。
メリーは知らぬ間に地獄の馬役を演じさせられていた。
お遊びが終わると、二人(メリーは正当な理由がない限り一階より先は立ち入り禁止)は夕食の準備のために三階へ向かった。
その前に、グィオットはアルエットに見せたいものがあった。
ノートの後ろのページをめくり、見覚えのある花柄の便箋を取り出した。
マザーへの返事だった。
なぜ今さらと不思議がる彼女に、彼は首の後ろをさすった。
隠すつもりはなかった。
内容が気恥ずかしく、見せるのに心の準備の時間がかかっただけだった。
それに、ここにはからかうアーティファクトもいなかった。
何がマザーの殺意を翻させたのか気になり、アルエットはピンクの紙を開いた。
「これ、お母さんについて聞かれた後の手紙よね?」
グィオットは「はい」とサインした。
アルエットが読む間、彼はその時のことを思い出して身じろぎするのを止めた。
『僕は赤ん坊の頃に捨てられ、引き取られました』
『養母は聖ドミナのベイヤードに住んでいます。ここから一番遠い田舎町です。きっと帰りを待ってくれているでしょうし、僕も会いたいです』
行間のズレが、次の文章を隔てていた。
グィオットが一度手を止めてから書いたものだ。
『でも今は、救ってくれたアルエットに恩返しをしなければ
詳しくは書けませんが、ある力が僕を「生かして」います。ですが、目覚めさせたのはアルエットです
彼女は独りぼっちで、自分が誰なのかも知りません。助けなきゃいけないんです』
後半部分を読む間、アルエットは赤面しないよう必死だった。
「いろいろ大変だったのね。お母さんと仲がいいみたい」
彼は「はい」とサインし、彼女だけに向けたメッセージを書いた。
『母さんがこの鎧をくれた。僕の命(もうないけど?)とブーツを賭けてもいい、彼女は魔女だと断言できる。
前も言ったけど、ブーツすごく気に入ってるんだ! いつか人形たちにもお礼を言えたらいいな』
赤面はアルエットの耳まで達した。
どれほどブーツを大切にしているかという長話を掘り下げたい衝動を抑え、母親について尋ねた。
死者を蘇らせるなんて、どんな魔女なのか?
なぜ聖ドミナに住んでいるのか?
グィオットは身を乗り出した。
アルエットなら手話で伝わるはずだ。
ゆっくりとサインした。
『母さんは魔女が嫌いだ』
少し時間はかかったが、彼女は正解にたどり着いた。
彼は完全に生き返ったわけではないことも説明した。
だから体がないのだと。
鎧が魂を生者の領域に繋ぎ止めているのだ。
だが魔術の契約を拒否し、グィオットは自分の体を墓場で腐らせることを選んだ。
あの時生き返っていたら、幻滅するような戦争の日々が待っていただろう。
そして今も、鎧からの絶え間ない呼びかけを拒む決定的な理由があった。
『もし完全に生き返ったら、母さんが死ぬと思うから
命の代償は別の命だ。母さんはもう、誰かの命を奪ったりしないと思う。少なくとも、今はね』
それに対してかける言葉はなかった。
明るい面を見れば、魔法のかかった鎧を通じて、彼が生きていることは母親に伝わっているはずだ。
ただ会えないだけで。
「手紙はどうする? あ、でも聖ドミナは国境を越える郵便を検閲してるよね。魔女だってバレたらまずいし。政府はあなたも死んだと思ってる。うーん、匿名にするとか! うーん……」
アルエットは知恵を絞りながら体を揺らした。
グィオットは顎当てを片手で支えて見つめた。
こういう時、顔がないのが良いことなのか分からなかった。
彼の「視覚」は波長を捉えるもので、文字を読んだり「見事」な肖像画を描いたりできるほど精密だった。
だが、彼女の顔立ちは分からなかった。
まるで、触れるだけで誰かの顔を思い描こうとするようなものだった。
髪の長さや眼鏡の有無、集中すればどんな表情をしているかは分かるが、それはプライバシーの侵害のような気がした。
しかし、ここにあるような細かさは失われてしまう。
ますますアルエットの容姿が気になり始めていたが、気味悪がられるのを恐れて口には出せなかった。
こうして見つめながら密かに微笑むほうが楽だった。
彼のような人殺しに、こんな幸せを受け取る資格があるのなら。
またしても、良心が安らぎを否定した。
気を緩めようとするたび、過去の亡霊が首を絞めた。
あの血塗られた手でよくアルエットを抱えられるものだと感心しながら。
この少女は彼の罪を知っているのか?
確かめなければならなかった。
『いつも仲良くしてくれて嬉しいけど、僕は君が思うほど立派な人間じゃない
戦争で人を殺した。言い訳はしない』
アルエットは居住まいを正した。
彼が深刻に考え込んでいる間、ふざけていた自分が恥ずかしかった。
「徴兵があったんでしょ? 選択肢なんてなかった」
「はい」というには頼りない動きでヘルメットが揺れた。
彼女は慰めの言葉を継ぎ接ぎした。
「私なんて、戦争中どこで何をしてたかも覚えてないよ。もしかしたら、私の方がもっと酷かったかも」
どちらがより惨めか競うような真似をした自分を心の中で殴りながら、彼女はグィオットが書くのを見守った。
『たとえそうだとしても、君を軽蔑したりしないよ』
顔面蒼白になるアルエットを見上げ、彼は一文を書き足した。
『怒ってないから!!!』
それを示すために、幸せそうに溶けた子犬の絵まで描き殴った。
ようやくアルエットは息をすることが許された。
彼女がいつもの動揺で忙しくしている間、グィオットはノートを見下ろした。
マザーへの手紙を書いた時と同じように、記憶が彼を絡め取っていた。
正直に言えば、母が恐ろしい時もあった。
もちろん、彼女なりの最大限の優しさで接してくれたが、グィオットは彼女の笑顔を見た記憶がなかった。
初めて反抗した時のことが脳裏をよぎった。
まず彼の過去を話そう。
残酷に捨てられた境遇など気にも留めず、グィオットは礼儀と優しい心を持って生まれた稀有な子供だった。
母は医者として、不自由ない生活を与えてくれた。
友人は去来したが、彼は気にしなかった。
ペットたちが親友だったからだ。
無表情な女性と愛想の良い息子が、三匹の跳ね回る毛玉に囲まれている光景は愉快だった。
一匹目は大きく間抜けな金色の犬。
次は家族の膝で寝るのが大好きな甘やかされた猫。
最後は青い羽で日光を吸収し夜を弾く、孔雀のような威厳ある鳥。
グィオットが赤ん坊の頃、彼らはすでに成熟していた。
だが、犬だけが年老いていった。
白髪交じりの鼻先でグィオットをつつき、最期まで優しい茶色の瞳で慕うように見つめていた。
グィオットの幼少期に、その犬は逝った。
これが優しい少年の、死との初めての対面だった。
遺体を放そうとせず、親友を生き返らせてくれと母に泣きついた。
治して、と。
お願い、治してよ、母さん。
魔女なんでしょ。
無言で、彼女は彼の頬を打った。
母の怒りを見たのは、それが最初で最後だった。
衝撃の幕が二人を沈黙させた。
彫像みたいな彼女は膝をつき、息子を抱きしめて謝った。
肩に埋もれて顔は見えなかったが、同じく泣いていたとブーツを賭けてもいい。
短い仕草だったが、彼はその重みと、その後に続いた言葉を忘れなかった。
レナは言った。死者は生き返るべきではないと。
『それなのに、母さんは僕に』
グィオットはその話題には触れないことにした。
十分に陰鬱な空気になってしまった。
間を取り持つため、手紙の下書きをすると約束した。
✦ ✦ ✦
夕食の準備中、強くなる雨音に混じって玄関のノッカーが響いた。
アルエットが『一緒に行こう』とサインすると、グィオットは彼女を抱き上げて下へ向かった。
メリーは回転木馬で爆睡しており、誰も串刺しにはしていなかった。
扉を開けると、頑丈な黒いオーバーコートを着た男と対面した。
呼吸装置のついたくちばしのようなマスクと、ボルトで固定されたゴーグルが顔を隠していた。
睨み合いが続く中、訪問者の帽子の鍔から溢れた水が傾き、アルエットの顔にかかった。
マスク越しにくぐもった疲れた挨拶をしながら、男はマットで靴底を拭い、勝手に入ってきた。
「ペスト5世。よろしく頼む」
彼は右手を掲げ、手首を見せた。
そこには幾何学的な円形の、黒いドミニオンマークがあった。
上下にある不規則な線が精巧な対称性を崩し、血管と重なっていた。
アルエットは、刻印が肉に食い込み、そこから続いているのではないかと思った。
グィオットが彼女の肩をつついた。
そうだ――基本的には彼女が話す役目だ。
「あ、ちょっと待ってよおじさん! ここは私たちの家じゃないの!」
「奇遇だな。私のものでもない」
ペストは唸り、スーツケースを引きずり込んだ。
「椅子さえあればいい。朝には出て行く」
「で、でも――」
「私は常に他人に家を貸すことを期待されている。中には私の家をホテルのように扱う連中もいる。言うまでもなく、通りすがりに逮捕されるようなものを見せてくる輩もな。馬鹿げている」
意味はよく分からなかったが、追加のぼやきから察するに、天候で列車が遅れ、宿が満室になったらしい。
アーティファクトは爆睡していたので、聞かずにこの見知らぬ人を助けてもいいだろうと判断した。
魔女ドミナでは当然のことだ。
グィオットが驚いたことに、アルエットは宿屋の女将役をやりたがった。
客人に最大限の快適さを提供するため、あちこち指示を出した。
ペストを風呂へ案内した後、グィオットは夕食の準備を続け、アルエットは濡れた服を乾かした。
そのほとんどを、だが。
メリー(眠すぎて暴れる元気もない)に乗ったアルエットが浴室のドアをノックした。
「ペストさん、下着はどうします?」
無言の非難がドアの向こうから放たれた。
台所で聞いていたグィオットは指のプレートを一枚切り落としそうになった。
エプロン姿でカチャカチャと駆け寄り、ノートに書き殴った。
『そこまでしなくていいよ!!! プライベート過ぎない!?』
「ただの洗濯だよ。もてなすなら、完璧にやらなきゃ!」
グィオットが納得しかけた時、彼女は付け加えた。
「それに、アーティファクトのも手伝ってるし」
不謹慎さについての長い議論から世界を救うため、ペストはドアを細く開け、二人を黙らせるために衣類をグィオットの手に押し付けた。
✦ ✦ ✦
染み一つない予備の服と同じくちばしマスクを身につけ、ペストはアルエットの待つ食堂に現れた。
メリーは彼女の横で居眠りし、グィオットは廊下の先の洗濯室で作業をしていた。
彼がどうしても洗濯をやると譲らなかったのだ。
「なんであんなに頑固だったのかな。ところで、料理は全部グィオットが作ったの。すごくない?」
彼女はクリームシチューをたっぷりと器によそい、腕が届く限りテーブルの奥へペストに渡した。
彼は短く明確な礼を述べた後、ドールの刻印を一瞥して会話を始めた。
「誰の領域だ?」
「この建物? アーティファクトの。えっと、何世だっけ……」
彼女は全員の数字を覚えておくべきなのか迷い、咳払いをした。
話題を変え、アルエットは宿が満室だったことに驚いたと話した。
カルムはそこまで賑やかな街ではない。
「彼のおかげだ。困窮している者に宿を通じて住居を提供する方針をとっている。溢れた分はこの建物に泊まる、と聞いた。ホームレスが皆無なのは偉業だ」
アルエットは薄々感じてはいたが、アーティファクトがどれほど凄い人物なのか本当には理解していなかった。
彼女にとって、彼は海老煎餅が好きで早く寝すぎる、愉快な後援者であり友人だった。
「とはいえ、これほどの歓待は予想外だった。君と鎧は、ここの主ではないようだが」
「あ、違います」自意識とともに内気さが戻り、アルエットは答えた。
女将役を演じている間は、あまり自分らしくなかった。
数口食べた後、ペストの手がずっとテーブルの上で組まれたままであることに気づいた。
背もたれに寄りかかり、リラックスしている彼は、彼女と食事から目を逸らしていた。
「食事は後にする。私の顔を見れば食欲が失せる」
無視されているのかと思ったが、実はペストなりの配慮だったのだ。
自分の早とちりを恥じ、さらにくつろがせたいと思った。
「全然気にしてない! だ、だって、私もこんな見た目だし、だから――」
アルエットは心の中で再び盛大に自爆した。
どうして二人を比較なんてしたのか。
特に彼の事情も知らないのに。
彼女の欠点は巨大なマスクで隠すほどではない。もう終わりだ。
ペストは彼女を嫌い、グィオットも、町の子供たちも、魚屋のおばさんも、魚たちも、そして――
「君がそこまで言うなら」
ペストは頭の後ろと横に手を伸ばし、バックルを外しネジを調整した。
気密バルブがプシュッという音と共に解放され、装置が緩んだ。
「後悔するようなら遠慮なく席を外してくれ。悪くは思わん」
マスクの下から現れたのは、針金のような銀髪で、疲れた目の周りの深い皺を黒い筋が縁取っていた。
ストレスと不眠の化身のようなこの顔には、発疹のような傷跡が目の周りから頬、そして襟元へと走っていた。
30日ほど前、それは背中にあった。
これは一般的でも珍しくもない病気ではない。
契約によって彼の中に移動し、生息する疫病そのものだ。
だがアルエットにとって、その深紅の瞳ほど印象的なものはなかった。
疲労の色濃いクマの奥にある澄んだ虹彩は輝きを失っておらず、黒い瞳孔は世界をありのままに吸収していた。
少女は、かつてその同じ瞳を何時間も見つめていたような気がした。
以前会ったことが?
数秒長く見つめすぎた彼女に彼が片眉を上げると、それは希望的観測に過ぎないと思えた。
彼女がしどろもどろに謝ると、ペストは首を振った。
「酷い有様だと言っただろう」
「え? い、いえ、傷を見てたんじゃない。誓って!」
「そんなに簡単に誓う魔女がいるか」
興味なさげに彼は立ち上がり、彼女の横を通り過ぎてキッチンのシンクで手を洗い始めた。
「目に囚われてしまって――」
アルエットは顔を覆った。
前世で『言霊』の魔女を怒らせでもしたのだろうか。
「口説かれているわけか」
興味が氷点下まで下がった様子で、彼は座って食事を始めた。
「下着への執着もそれで説明がつく」
哀れな少女が悲鳴を上げて恥じ入るのを堪えるには、全ての意志力を総動員しなければならなかった。
残りのシチューをかき込み、高い声で「おやすみ」と言った。
メリーを起こすこともできず、アルエットは情けない声を漏らしながら壁伝いによろよろと部屋へ戻った。
グィオットは毛布の下に隠れている彼女を見つけた。
引っ剥がす代わりに、端を持ち上げてノートを差し込んだ。
『どこに行ってたの! 大丈夫?』
顔を真っ赤にし、髪をボサボサにしたアルエットが顔を出して頷いた。
グィオットがいつものように向かいのベッドに座ると、彼女は自分のベッドの端へにじり寄った。
『ペストがありがとうって。料理も褒めてくれたよ。いい人そうだ』
それを聞いて、アルエットは体を揺らして喜んだ。
「気のせいだと思うけど、以前会ったことがある気がするの」
『本当? 僕も同じことを思った! たぶん有名な
あ、思い出した! 300年前に聖ドミナを疫病から救った魔女がいたんだ。彼かも』
「ん? そうかも」
本で読んだ知識としては聞き覚えがあった。
「でも、会ったことがあるような気がする。分かる?」
あの不快な感覚が戻ってきた。
あまりに頻繁に、少女は身体的な意味で自分らしくないと感じていたが、今日は精神的な断絶が訪れた。
まだ完全には理解できていなかった。
真実が眠る霧の中を彷徨うので精一杯だった。
あるいは、眠らされていると言うべきか。
「ねえ、グィオット?」
ある可能性が脳裏をよぎったことは以前にもあった。
だが、その考えを受け入れる前に酷い頭痛が気を逸らせてきた。
そもそも何を考えていたのか忘れてしまうほどに。
「変に聞こえると思うけど……」
だから、彼女を許してほしい。
言葉にしようとしまいと、結果は同じだっただろう。
彼女は論理の最後の一歩を踏み出した。
「私、アルエットじゃないのかもしれない」
グィオットは凍りついた。
眼帯の下から、温かく粘り気のあるものが滴り落ちた。
すぐに、もう片方の目と鼻からも溢れ出した。
指先でその物質を拭い、見た。
泥のような黒い血。
体が冷たくなった。
手の皮膚が腐敗し、血と同じ色に変わっていくように見えた。
呼吸が困難でなければ叫んでいただろう。
少女が声を漏らす前に――そして手遅れになる前に――糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
ドールの手が、見えないワイヤーを引くような動きをした。
グィオットは受け止めようと飛び出した。
衝撃と恐怖に襲われながら、片腕で彼女を抱え、脈や呼吸を確認しようとしたが無駄だった。
この体では、そのような微細な感覚は分からない。
何かをしなくては。助けを呼ばなければ。落ち着け。
彼は試みた。
だが彼女の血を見て、戦争中に見たどんな光景よりも恐怖した。
過去の亡霊が男の背後に忍び寄り、嘲笑った。
グィオットは知るべきなのだ。
無惨な死によって愛する者を失う苦しみを。
彼が数え切れないほど他人に押し付けてきた不幸を。
ガントレットがヘルメットを掴んだ。
取り憑かれた男が目の前の状況に集中するには、全精力を振り絞らねばならなかった。
間に合うように助けを呼べるか?
この小さな町に、夜間対応の医者が常にいるわけではない。
緊急連絡先はあったはずだが、パニックで頭が真っ白になった。
一つだけ思い出した。
領域内で叫べば、アーティファクトには聞こえ、目が覚めるはずだ。
彼なら冷静に次の手を考えられる。
だが、このただの鎧には声がなかった。




