第3話 世は情け
馬車乗り場の近くで待つこと約15分。
息せき切る勢いで駆け戻ってきたシュリに気付いたジンが振り返ると、彼女は装いを旅行仕様へと着替えていた。
動きやすさを重視してか、長袖のブラウスに麻のサロペットを合わせ、足元も革製のショートブーツに履き替えている。日除けのリネンハットが涼しげだ。
手荷物はパンパンに膨れ上がったミントグリーンの旅行鞄に変わっており、鞄の口から服の端がはみ出していることからして中身はほぼ衣類なのだろう。
「ふうっ、お待たせっ! じゃ、早速【ミナルディ】行きの馬車を探そっか?」
「今すぐに? その、お節介かもしれないけど、しばらく王都を離れるわけだし、シュリはお客さんたちに挨拶とかしておかなくても大丈夫なの?」
合流するなり善は急げとばかりに周囲を見回すシュリに、ジンは先程言いそびれていたことを伝えるが、彼女は小さく肩を竦めた。
「大丈夫大丈夫。アタシが専属だった冒険者は【レックレス】だけだし、ダンジョン以外への送迎はその場限りの人が多いからね。ふふ、心配してくれるなんて、ジンちゃんは優しいね」
ジンの気遣いに気を良くしたのか、シュリは上機嫌で答えると、歳の離れた弟に接するように彼の頭を撫でる。
猫可愛がりにされて鬱陶しそうな半眼になりつつも、ジンは諦観を滲ませたため息を吐くに留める。
「……恥ずかしいから、人前でそういうことをするのやめて。とにかく、シュリが困らないのなら良いけど、王都に戻った時に仕事が減ってても、オレに文句を言わないでね」
そして言質を取ったぞと釘を刺してから、周囲を見回してめぼしい馬車がいないか探し始めた。
そんなジンの反応が意外だったのか、シュリは目をぱちくりと瞬かせると、首を傾げながら彼の顔を覗き込む。
「……ジンちゃん、ちょっと変わった? ううん、変わったっていうか、ちょっとやさぐれたカンジ? 前はもっとこう、ムキになって反発するのが面白────可愛かったのに……」
心底残念そうな声で言うシュリに、ジンは内心で頬を引き攣らせながらも聞こえなかったことにする。
シュリと会っていなかった間、ジンはよりダイレクトな表現でアフィンから可愛がられていたので、本人も気付かないうちに耐性がついていたようだった。
もっとも、ジンとしてはその結果をやさぐれていると評されるのは心外だったが、少しだけ大人になれたのだと自己完結しておくことにした。
今はとりあえず馬車探しが優先だ。
「うーん、やっぱり駅馬車はさっき出て行ったのが最後っぽいね」
しかし、目ぼしい馬車は見当たらない。
ジンの予定としては、昼過ぎまでには王都を発ち、陽が落ちるまでに最初の宿場町に到着しておきたかったのだが、駅馬車は先程発ったのが最後だったようだ。
遅い時間に王都を発つ駅馬車が無い理由は、夜間の街道を避けるためだ。
街道での危険と言えば盗賊や山賊だが、彼らは昼間に襲ってくることもあるが、闇に乗じて奇襲をかけるのが常套手段であり、夜間に街道で野営をするのはなるべく避けたい。
なので、旅程は可能な限り日没までに宿場町まで移動するように計画するし、やむを得ず街道で夜を明かす場合も雇った護衛に警戒してもらいながら野営をするのが一般的だ。
安全な旅程を考えるのであれば、明日改めて王都を発つ方が賢明と言えるだろう。
しかし、旅行鞄まで引っ提げてきたシュリに今更「また明日」と言うのも骨が折れる。
どうしたものかとジンが思案していると、周囲を見回していたシュリが一つの馬車を指差さす。
「あっ。見て見てジンちゃん。あの行商馬車とか良さげじゃない? 荷台に空きがあるから護衛待ちか相乗り待ちだと思うよ。交渉してみない?」
「あー、相乗りかぁ……」
ジンが彼女の指差す先に視線を向けると、確かに人が3人くらい乗れそうなスペースが空いている荷馬車が止まっていた。
行商人としては荷台が空いているのは無駄なので、苦肉の策として空いている場所に人を乗せて少しでも稼ぐのはよくある話だ。少し前にハルロゥのダンジョンへ向かう手段として用いた方法でもある。
ただ多少問題があり、荷台が客車では無いのでお尻にそれなりの苦痛が伴うことと、行商人の都合を優先した旅程となるため、旅程次第では街道での野営の可能性もあると言うことだ。
ジンが思案しながら頭上を見上げると陽は完全に昇りきっていたが、今から発てば、まだ日没までには宿場町に辿り着けそうではある。
「そうだね。一応交渉をしてみて、断られたら明日に日を改めようか。これ以上出立が遅れると陽が落ちるからね」
「アタシはジンちゃんのキャンプ面白くて好きだから野宿でもいいけど、安全を考えるなら仕方ないね」
提案に対して素直に応じるシュリに、ジンは少しだけ安心したような表情を浮かべた。
浮き足立っている様子でも最後の一線は守るあたりに、彼女の『送迎屋』として商いをしてきた者のバランス感覚が垣間見えたからだろう。
機会には目ざとく飛び付くが、破綻しないように自制も忘れない。
挑戦という名の玉砕を厭わない冒険者たちに囲まれていたジンにとっては、とても安心できる心構えである。
ジンはそっと安堵の息を吐くと、早速目的の馬車に歩み寄って交渉をすることにした。
「こんにちは。お伺いしたいのですが、こちらの荷馬車は護衛待ちや相乗り待ちでしょうか? もしそうならオレたちを乗せてもらいたいのですが、どうでしょうか?」
「ちなにみアタシは『送迎屋』でこっちのジンちゃんは『冒険者』です。護衛兼いざという時の『保険』としてお役に立てると思います」
ジンが声をかけるとシュリが続いて付け加える。暗に『運賃をまけろ』と言っている辺りに抜け目がない。
そんな彼らの交渉に対し、口髭を綺麗に整えた御者の男は二人を品定めするように眺めた後、視線を遮るようにベレー帽を少し前に下げる。
「……いや、申し訳ないが他を当たってくれ。というか、他の荷馬車を当たっても断られると思うから、素直に明日の駅馬車を利用することを薦めるよ」
「え? それってどういうことでしょうか? あ、もしかしてアタシたちお金を持ってないと思われてます?」
荷馬車の利用が困難だと言われたことに、開口一番で値引き交渉をしたシュリが慌てたように繕うが、男は小さく首を振った。
「そうじゃない。身なりを見れば羽振りが良いのはわかる。だが、南方面では『人攫い』が横行していてな。君たちみたいな、見目の良い若者を荷馬車なんかで運んでたら、方々から勘違いされてしまうんだ」
「人攫い、ですか……」
思いもよらなかった理由に、ジンは眉根を顰める。
北方方面での盗賊問題が解決したと思えば、今度は南方方面で人攫いが跋扈しているという。
この国の治安は一体どうなっているんだと思う一方で、ジンはハルロゥの事件の当事者でもある手前、すぐに腑に落ちてしまう。
おそらくだが、王国の目を欺いて暗躍しているハルロゥのような権力者が人攫いの背後にいるのだろうと。
ともあれ、イメージが大事な行商人が断る理由も理解できる。ここは助言を素直に受け入れて、日を改めて駅馬車に乗るべきだろう。
「わかりました。お手を煩わせてすみませんでした……行こう、シュリ」
「え、あー、うん……」
早々に思考を切り替えたジンは戸惑うシュリを促して踵を返そうとしたが、そんな二人の進路を遮るように立ち塞がる者が現れた。
ぶつかりそうになったジンは咄嗟に足を止め、思わず頭上を見上げる。
「────悪いが話は聞かせてもらった。そういうことなら、俺がこの二人の『保護者』として乗ってやるよ。それなら構わないだろう? ちょうど俺も南方に野暮用があるんだよ」
ジンが見上げた視線の先では、鷹のように鋭い黒い瞳を持つ青年が、口の端を釣り上げて微笑を浮かべていた。




