第35話 国境を越える絆
リヴェルダ王国の王宮に戻ったセレスティアは、その夜、自室の窓辺で静かに物思いに耽っていた。日中の熱気が徐々に冷めていく中でも、彼女の胸の内には、まだ確かな高揚感が残り続けていた。
「アンナ、今日という日を、わたくしはきっと一生忘れないと思うわ」
「姫様がそこまでおっしゃるとは、よほど素晴らしい経験だったのですね」
旅装束から普段のドレスに着替えたアンナが、穏やかな声でそう応じた。長時間の外出による疲労は隠しきれないながらも、その表情には確かな満足感が浮かんでいた。
窓の外には、王宮の庭園が広がっている。今日という一日を経てもなお、その景色は変わらず整然としていたが、それを眺めるセレスティアの心境は、以前とはまるで違うものになっていた。
「ねえアンナ、わたくし、決めたことがあるの」
その声には、これまでの彼女からは想像もつかないほどの、確固たる意志が込められていた。
「あの場所で過ごした時間は、わたくしにとって、単なる楽しい思い出以上のものになったの。……あの施設を、もっと多くの人に知ってもらいたい。そして、できることなら、この国からも支えていきたいのよ」
アンナは主のその言葉に、しばし言葉を失っていた。これまでの好奇心旺盛な姫君の姿とは、また一味違う、確かな使命感のようなものが、そこには宿っているように感じられた。
「姫様が、そこまで本気でお考えになるとは……」
「ふふ、わたくしだって、ただの物好きなお姫様じゃないのよ」
その笑顔には、確かな芯の強さが宿っていた。
セレスティアはそう言って、悪戯っぽく微笑んだ。だが、その瞳の奥には、確かな決意の炎が灯っているのが見て取れた。
翌朝、セレスティアは王宮の一室で、父である国王との謁見を願い出た。
「父上、折り入ってお話ししたいことがございます」
国王は娘の改まった態度に、わずかに眉を上げた。普段は控えめな性格の彼女が、これほど強い意志を持って何かを訴えるのは、珍しいことだった。
「申してみよ」
国王は静かに促した。
「隣国に、素晴らしい施設がございます。深遠のアミューズメント・グラウンドという名の、命を奪わないダンジョンです。……わたくし、そこを国家として支援すべきだと考えております」
その言葉に、国王は思わず眉根を寄せた。
「支援、とな。……それは、いささか唐突ではないか」
「唐突に思われるのも無理はございません。ですが、これは単なる娯楽施設ではございません。挑戦と達成感を軸にした、全く新しい価値観を体現する場所なのです」
国王は娘の真剣な表情を見つめながら、しばし黙り込んだ。これまでのセレスティアは、政治や外交に強い関心を示すことは少なかった。それだけに、この突然の申し出には、少なからず戸惑いを覚えているようだった。
「お前が、そこまで熱心に何かを訴えるのは、珍しいことだな」
「はい。……お恥ずかしながら、これまでのわたくしは、与えられた立場の中で、無難に過ごすことばかり考えておりました。ですが、あの施設を訪れて、初めて、自分の意志で何かを選び取ることの大切さを知ったのです」
セレスティアの言葉には、これまでにない実感が込められていた。国王はその変化に、確かな驚きを隠せない様子だった。
セレスティアは、これまでの人生で見せたことのないほど、雄弁にその魅力を語り続けた。命を奪わない安全設計、挑戦者の心を掴む緻密な仕掛け、そして何より、身分を問わず全ての客を平等に迎え入れるその姿勢――彼女は、自らの体験を交えながら、丁寧に説明を重ねていった。
「あの場所は、単なる娯楽以上の何かを、訪れる人々に与えてくれます。わたくし自身、これまでの人生で感じたことのない解放感を、あそこで初めて味わいました」
その率直な告白に、国王はしばし黙り込んだ。娘のこれほど熱の込もった言葉を聞くのは、久しぶりのことだった。
「……お前の話を聞く限り、単なる思いつきではなさそうだ。だが、国家として支援するとなれば、それ相応の調査と手続きが必要になる」
「もちろん、承知しております。ですが、まずは父上に、あの場所の素晴らしさを知っていただきたかったのです」
セレスティアの真摯な態度に、国王はわずかに表情を和らげた。政略や打算からではなく、純粋な感動から発せられた願い――それは、これまでの彼女からは、あまり見られなかった種類の訴えだった。
「……お前がそこまで言うのなら、一度、詳しい報告を上げさせよう。それを踏まえて、支援の是非を検討する」
「ありがとうございます、父上」
セレスティアの声には、確かな安堵と喜びが滲んでいた。
セレスティアは深々と頭を下げた。完全な確約ではなかったが、それでも大きな一歩だった。
数日後、リヴェルダ王国から正式な使者が、深遠のアミューズメント・グラウンドを訪れた。
「支配人殿、リヴェルダ王国よりの正式な視察団でございます」
使者の一人がそう告げると、ゼノンは静かに一礼した。
「わざわざの来訪、感謝する。案内は俺が務めよう」
「恐れ入ります。……実は、この視察は、我が国のセレスティア第二王女殿下からの、直々のご提案によるものでございます」
その言葉に、ゼノンとルナリアは思わず顔を見合わせた。
「セレスティア様、というと……」
ルナリアが確認するように呟くと、使者は静かに頷いた。
「殿下は、こちらの施設を大変気に入られたご様子で。国家としての支援体制を整えるべきだと、父君である国王陛下に直接進言なさったのです」
その説明に、ゼノンは静かに息を呑んだ。あの旅装束の令嬢が、まさか本当に王女であり、しかもこれほど大きな動きに繋がるとは、想像を超える展開だった。
「セレスティア様は、以前こちらを訪れたことがあると?」
ルナリアが慎重に尋ねると、使者は少し困った様子で答えた。
「詳しい経緯までは存じ上げませんが……。殿下ご自身が、大変熱心にこの施設の魅力を語っておられたことは確かです」
その言葉に、ゼノンとルナリアは互いに目配せを交わした。おそらく、あのお忍びの訪問こそが、この巨大な流れの出発点だったのだろう。二人はそれ以上深く追及することはせず、ただ静かに頷き合った。
視察団は、施設内を丁寧に見て回った。観覧スタンドの規模、行列管理の仕組み、迷宮レストランの独創的な仕掛け――それら全てを、感嘆の面持ちで確認していく。
案内の途中、ちょうど休憩に入っていたガルムやミシェルとも顔を合わせる機会があった。視察団の面々は、実際にこの施設を支える人材たちの人柄にも触れ、単なる書類上の評価では測れない、確かな熱量を肌で感じ取っているようだった。
「素晴らしいのは、施設だけではないのですね。ここで働く方々の意識の高さにも、驚かされます」
視察団の一人がそう漏らすと、ゼノンは静かに頷いた。
「施設を作るのは俺一人の力じゃない。ここに集まってくれた仲間たち一人ひとりの想いが、この場所を作り上げている」
その言葉には、驕りのない、確かな実感が込められていた。
「これは、想像以上の規模ですな……。命を奪わない設計でありながら、これほどの熱狂を生み出しているとは」
視察団の筆頭がそう漏らすと、ゼノンは静かに答えた。
「安全性と興奮、その両立こそが、この施設の核だ」
「素晴らしい理念です。……殿下が心を動かされたのも、頷けます」
視察を終えた使者は、丁重な態度でゼノンに向き直った。その表情には、単なる職務としてではなく、心からこの施設に敬意を抱いている様子が滲んでいた。
「正式な支援内容については、追って書状にてお伝えいたします。ですが、殿下からの伝言をお預かりしております」
「伝言、か」
「はい。『また必ず、お邪魔いたします』とのことでございます」
その言葉に、ゼノンは小さく笑みを浮かべた。あのお忍びの客人が、まさかここまでの展開をもたらすとは、正直なところ予想していなかった。
数週間後、リヴェルダ王国から正式な支援の書状が届いた。定期的な資金援助、そして国家間の公式な交流拠点としての認定――その内容は、これまでの施設の規模を、さらに大きく飛躍させるものだった。
書状には、丁寧な文字で支援の詳細がしたためられていた。単なる金銭的な援助にとどまらず、両国の民間交流を促進する象徴的な拠点として、この施設を位置づけるという内容も含まれている。ゼノンはその一文一文を、何度も読み返した。
「国家レベルの支援、か」
ゼノンは書状を手に、静かにその重みを噛みしめていた。
「これで、施設の拡張計画にも、さらに弾みがつきますわね」
ルナリアの声には、これまでの苦労が報われたかのような、確かな喜びが滲んでいた。
ルナリアの言葉に、ゼノンは頷いた。だが、彼の表情には、単なる喜び以上の、確かな決意も浮かんでいた。
「支援を受けるからには、それに見合うだけの価値を、これからも提供し続けなければならない。規模が大きくなっても、初心を忘れるわけにはいかない」
ゼノンの言葉には、支援という追い風を受けてなお、浮つくことのない、冷静な自覚が込められていた。
「ええ、その通りですわ。……でも、あなたなら大丈夫でしょう。これまでも、そうしてきたのですから」
ルナリアの言葉には、これまで積み重ねてきた信頼の重みが、確かに込められていた。
ルナリアの信頼に満ちた言葉に、ゼノンは静かに頷いた。その隣で、記録簿には新たな一頁が静かに書き加えられていった。
その夜、支配人室に集まった仲間たちに、ゼノンは正式な支援の知らせを伝えた。
「隣国からの支援が正式に決まった。これで、さらに大きな挑戦ができるようになる」
ゼノンの落ち着いた声とは裏腹に、その言葉には抑えきれない喜びが滲んでいた。
「マジか! すげえじゃねえか!」
ガルムは思わず立ち上がり、大きな声で喜びを表すと、シルフとミシェルも顔を見合わせて喜びを分かち合った。
「これで、新しい設備投資もできそうだね!」
シルフは早くも次の企画に思いを馳せているのか、瞳を輝かせていた。
「厨房の拡張も、本格的に検討できそうだわ」
ミシェルも満足げに頷きながら、新しいメニューの構想を思い描いているようだった。
シルフとミシェルの声には、これからの可能性への期待が満ちていた。ルナリアもまた、記録簿に新しい項目を書き加えながら、静かに笑みを浮かべていた。
「支援を受けて満足するのではなく、それを次の飛躍へと繋げていく――あなたらしい考え方ですわね」
「当然だろう。ここで立ち止まるつもりはない」
ゼノンの力強い言葉に、その場にいた全員が、確かな頷きを返した。ガルムが大剣を軽く担ぎ直しながら、豪快に笑った。
「支援があろうがなかろうが、俺様のやることは変わらねえ。誰よりも先に、新しい試練に挑み続けるだけだ」
その言葉に、シルフも同意するように頷いた。
「そうだね。支援は追い風でしかない。前に進むのは、結局あたしたち自身なんだから」
賑やかな喜びの声に包まれながら、ゼノンは静かに窓の外を見つめた。理不尽な追放から始まったこの物語が、今や国境を越えた大きな絆へと発展している――その事実に、深い感慨を覚えずにはいられなかった。
夜空には、いつもと変わらぬ星々が瞬いていた。だが、その光景を見上げるゼノンの胸中には、これまでにない確かな手応えと、次なる挑戦への静かな高揚感が、同時に広がっていた。
深遠のアミューズメント・グラウンドの物語は、こうしてまた一つ、大きな節目を迎えた。隣国の姫君との出会いから始まった小さな縁は、やがて国家間の確かな絆へと結実し、この施設をさらなる高みへと押し上げていくことになる。まだ見ぬ挑戦者たちとの新しい物語が、これからも続いていくのだった。




