第24話 視聴数、大台突破
その日の朝、シルフが息を切らせながら支配人室に駆け込んできた。
「支配人! ちょっと、これ見て!」
彼女が広げた羊皮紙には、几帳面な字で書き連ねられた数字の羅列が並んでいる。ゼノンはそれを一瞥し、思わず眉を上げた。
数字の推移を示す折れ線は、開業当初こそ緩やかだったものの、映像配信の開始以降、まるで坂道を転げ落ちる石のような勢いで跳ね上がっていた。特にガルムが専用エリアに挑んだあたりから、その伸び方は誰の予想も超えるものになっている。
「これは……昨日の累計視聴数か」
「そう! ついに、王都基準で一万人分の視聴登録数を突破したんだよ! しかも、まだ伸び続けてる!」
シルフの声は興奮で上ずっていた。ゼノンもまた、その数字の大きさに、静かな驚きを隠せなかった。開業当初、駆け出し冒険者三人を迎えるところから始まったこの施設が、今や一万を超える人々の関心を集めるまでになっている。
「悪くない数字だな」
「悪くないどころじゃないよ! これ、王都の大劇場の座席数を何十倍も超えてる規模だからね!」
シルフは興奮のまま、数字を指でなぞりながらまくし立てた。彼女にとってもこの結果は、技術者としての努力が正しく報われた証のように感じられているのだろう。
傍らで報告を聞いていたルナリアも、感慨深げに頷いた。
「あの追放された日から、まだ数か月しか経っておりませんのに」
ルナリアの声には、しみじみとした感慨が滲んでいた。誰もいない廃ダンジョンで眠り続けていた自分を、一人の青年が目覚めさせてくれた日のことを、彼女は今でも鮮明に覚えている。
「時間の流れが早いのか、俺たちの成長が早いのか、どちらだろうな」
「両方でしょうね、きっと」
ルナリアはそう言いながら、視聴数の内訳を示す別の羊皮紙に目を落とした。
「面白いのは、単純な視聴者数だけでなく、繰り返し視聴している方の割合も高いということですわ。一度見た方の多くが、また次の配信も楽しみにしているようですの」
「一過性の話題で終わらせない、という意味では良い兆候だな」
単に目新しさだけで人を集めるのは簡単だ。だが、繰り返し訪れたくなる魅力を維持し続けることこそが、本当の意味での成功だとゼノンは考えていた。
「ええ。この調子であれば、支援者――いえ、パトロンのような存在も現れるかもしれませんわね」
ルナリアの言葉に、ゼノンは少し考え込んだ。個人の物好きから、組織立った支援へ。この施設の在り方が、また一段階変わろうとしているのかもしれなかった。
「支援者が現れるのは悪くない話だが、その分、しがらみも増えるということだ。慎重に見極める必要がある」
「あなたらしい用心深さですこと。……でも、それくらいの慎重さがなければ、ここまで大きくはできなかったのでしょうね」
ルナリアの言葉に、ゼノンは小さく肩をすくめた。褒められているのか、からかわれているのか、判然としないその物言いも、もはやすっかり馴染みのものになっていた。
この日を記念して、ゼノンは急遽、視聴数突破を祝う特別な催しを企画することにした。
「ガルム、今日は特別に、あんたの全力を見せてもらう」
「おう、望むところだ! 何をすりゃいい?」
「新しく設計した限定ギミックだ。今日限りの特別仕様で、いつも以上に容赦なく作ってある」
「はっはっは、そう来なくちゃな! こういう時こそ、俺様の見せ場だろうが!」
観覧スタンドには、記念すべき節目を一目見ようと、これまでにない数の観客が詰めかけていた。屋根付きの階段席だけでは収まりきらず、広場の外周にまで人々が立ち並んでいる。
常連客のリクたちも、朝早くから場所取りをしていたおかげで、最前列に陣取ることができていた。
「今日は特別だもんな、絶対最前で見たかったんだ!」
ダンが興奮気味に言うと、エマも頷きながら手にした小旗を振ってみせた。旅の商人から手に入れたという、施設のマスコット代わりのルナリアを模した小さな旗だった。
「ルナリアさんの旗まで作られてるなんて、すごい人気だね」
「本人が見たら、また複雑そうな顔しそうだけどな」
三人が笑い合っていると、開始を告げる鐘の音が広場に響き渡った。周囲のざわめきが一瞬にして静まり返り、誰もが期待に満ちた眼差しをステージへと向ける。この空気の一体感こそ、開業当初には決して味わえなかったものだった。
「本日は、当施設の記念すべき節目の日となりました。累計視聴登録数、一万人突破を記念いたしまして、ガルム様による特別記念挑戦をお届けいたします!」
ルナリアの声が響き渡ると、観客席から割れんばかりの歓声が上がった。
「行くぞ、坊主! 存分に見せつけてやる!」
ガルムはそう言うと、大剣を担いだまま、特設された限定ギミックへと足を踏み入れていった。
その日の夕方、王都の一角にある王立ギルド本部でも、この話題が持ち切りになっていた。
「一万人、ですか……」
報告を受けたボルドーは、椅子に深く腰掛けたまま、しばらく言葉を発せずにいた。かつて自分が握り潰した企画書――その内容が、これほどまでの規模で現実になろうとは、想像すらしていなかった。
「長官、いかがいたしましょう。このまま静観を続けるだけでよろしいのでしょうか」
側近の問いかけに、ボルドーは重い口を開いた。
「……いっそのこと、公式に視察団を送るべきかもしれん。無視を続けることの方が、こちらの評判を落としかねん」
「視察、でございますか」
「表向きは、王立ギルドとしての祝辞と協力の申し出、ということにしておけ。……本音を言えば、あの若造がどこまでやってのけたのか、この目で確かめておきたい」
その言葉には、かつての部下への複雑な感情が滲んでいた。認めたくない、しかし認めざるを得ない現実が、彼の中で静かにせめぎ合っていた。
側近は深く一礼すると、静かに部屋を後にした。一人残されたボルドーは、机の引き出しから、三年前に握り潰した古い企画書の写しを取り出した。色褪せた紙面には、当時のゼノンが丁寧な字で書き込んだ、ダンジョン運営改革案が記されている。
「……あの時、少しでも耳を貸していれば」
その呟きは、誰に届くこともなく、静まり返った執務室の空気に溶けて消えていった。
しばらくして、彼は古い企画書を丁寧に折りたたみ、机の引き出しの奥へとしまい込んだ。過去を悔やんだところで、失われた時間は戻ってこない。それでも、視察団の派遣という決断は、彼なりの、不器用な歩み寄りの表れだったのかもしれなかった。
王都の邸宅では、あの令嬢が、瓦版に記された「一万人突破」の文字を見つめながら、興奮を隠しきれずにいた。
「ミア、見て! やっぱりすごい場所なのね、あそこは!」
「お嬢様……本当に懲りませんこと」
ミアは呆れたようにため息をつきながらも、その瓦版に描かれた挿絵――大剣を担いだ大男が、複雑な仕掛けの中で奮闘する姿――に、思わず見入ってしまっている自分に気づいた。
「正直に申し上げますと……わたくしも、少しだけ興味が湧いておりますわ」
「でしょう! だから今度こそ、一緒に見に行きましょうよ」
令嬢の誘いに、ミアはしばし考え込んだ後、小さく頷いた。
「……分かりました。ただし、あくまでお忍びで、慎重に参りますわよ」
その言葉に、令嬢は胸の前で両手を合わせ、心底嬉しそうな表情を見せた。長年仕えてきた侍女だからこそ分かる、この主人の一途な好奇心。それを無下に否定することは、ミアにもできなかった。
「ええ、もちろんよ!」
令嬢の顔に、隠しきれない喜びが広がった。この小さな決意が、やがて深遠のアミューズメント・グラウンドの物語に、新たな彩りを加えることになる。
「お忍びで行くとなると、護衛の手配も考えなくてはなりませんわね……。旦那様に気づかれぬよう、慎重に計画を立てましょう」
ミアは既に、頭の中で段取りを組み立て始めているようだった。渋々とはいえ、一度腹を括った彼女の行動は早い。そんな侍女の様子を見て、令嬢はくすくすと笑い声を漏らした。
「ミアったら、口では反対しているくせに、一番張り切っているじゃない」
「お嬢様のためですもの。仕方ありませんわ」
二人のやり取りには、堅苦しい貴族社会の中では珍しい、気の置けない親密さが滲んでいた。
限定ギミックの挑戦は、これまでで最も過酷なものとなった。天井から降り注ぐ光の刃、足元から突如として噴き出す蒸気、そして最後には、彼の巨体をも軽々と持ち上げるほどの強風が吹き荒れる区画――どれも、通常のギミックとは一線を画す難易度だった。それでもガルムは、決して諦めることなく前進を続けた。
「くそったれ、今日のはマジで容赦ねえな!」
悪態をつきながらも、ガルムの顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。厳しい試練であればあるほど、彼の闘志はかえって燃え上がるようだった。観覧スタンドの観客たちも、その一挙手一投足に息を呑みながら見入っている。
強風にあおられて足場から半身が投げ出されかけた瞬間には、観客席から悲鳴にも似た声が上がった。だがガルムは、とっさに大剣を地面に突き立てて体を支え、そのまま渾身の力で体を引き戻してみせた。その一連の動きに、拍手と歓声が同時に沸き起こる。
「まだまだこんなもんじゃ終わらせねえぞ!」
ガルムの咆哮が、風の音をかき消すほどの勢いで響き渡った。
最後の関門を突破した瞬間、観覧スタンドは今までにない歓声に包まれた。
「うおおおおお! やってやったぜ!」
汗だくになりながらも誇らしげに拳を突き上げるガルムの姿に、観客たちは惜しみない拍手を送った。水晶パネルに映し出されたその映像は、その夜のうちに、これまでの記録を大きく更新する視聴数を叩き出すことになる。
シルフは興奮のあまり、水晶パネルの調整レバーを何度も操作しながら、最高の角度でこの瞬間を捉えようと必死になっていた。
「今の絶対保存版だよ! 記念すべき瞬間だもん、しっかり残さなきゃ!」
彼女の手際は、これまでの経験の積み重ねによって、格段に洗練されていた。挑戦者の表情、観客の反応、そして仕掛けそのものの迫力――全てを余すことなく収めるその技術は、もはや職人芸の域に達しつつあった。
催しの後、ゼノンは疲れ切ったガルムに労いの言葉をかけた。
「見事だった。今日の記録は、しばらく破られないだろう」
「なあに、次はもっとすごい記録を作ってやるさ」
ガルムはそう豪語しながらも、その場にどっかりと座り込み、シルフが差し出した水をがぶ飲みした。全身から立ち上る湯気が、彼の消耗ぶりを物語っていた。周囲では、興奮冷めやらぬ観客たちが、口々に今日の攻略について語り合う声がいつまでも続いていた。
「正直、今日のは骨が折れたぜ。……だが、悪くねえ疲れだ」
「無理はさせすぎたか」
「んなことねえよ。この程度でへばってちゃ、坊主の期待には応えられねえだろうが」
ガルムはそう言って、豪快に笑ってみせた。その笑顔には、疲労よりも確かな充実感の方が色濃く滲んでいた。
ガルムの豪快な笑い声が、夕暮れの広場に響き渡る。ルナリアはその様子を見守りながら、静かに呟いた。
「一万という数字も、きっとすぐに過去のものになりますわね」
「そうだな。……この施設は、まだまだこれからだ」
その言葉通り、翌日にはさらに新しい客層――遠方から訪れた貴族の使者らしき一団までもが、正面ゲートに姿を現すことになる。噂は既に、思いもよらない場所にまで届き始めていた。この施設の物語は、まだ折り返し地点にすら達していなかった。
夜空に星が瞬き始める頃、深遠のアミューズメント・グラウンドは、また一つ大きな節目を越えて、次なる高みへと歩みを進めていた。




