第19話 剣聖、雇われる
翌朝、ガルムは律儀にも約束通り、正面ゲートの前で待ち構えていた。
「よう坊主、昨日の話の続きだ。俺を雇え」
開口一番、そう切り出されて、ゼノンは思わず片眉を上げた。
「話が早いな。まだ条件も何も詰めていないが」
「細かいことはどうでもいい。飯と寝床さえありゃ十分だ。それより、俺を何に使うつもりか、それが知りたい」
ガルムの目には、昨日の興奮の余韻がまだ残っているようだった。ゼノンは腕を組み、しばし考え込む。強力な戦闘力を持つ元S級冒険者を、単なる一挑戦者として遊ばせておくのは、あまりにもったいない。
「安全指導員というのはどうだ」
「あんぜん、なんだって?」
「うちのダンジョンは、命を奪わない設計になっている。だが、限界を見誤って怪我をする客が出ないとも限らない。あんたほどの実力があれば、危険を察知して割って入ることもできるだろう」
ガルムはしばらく考え込むように顎を撫でていたが、やがてニヤリと笑った。
「なるほどな。……ただの用心棒じゃ物足りねえが、テストプレイヤーも兼任させてもらえるなら悪くねぇ」
「テストプレイヤー?」
「新しい仕掛けを作ったら、まず俺で試せ。俺が耐えられねぇほどの仕掛けなら、そりゃ本物の実力者向けの証だ」
その提案に、ゼノンは思わず口の端を上げた。悪くない。むしろ、これ以上ないほど理にかなった申し出だった。
「いいだろう。ガルム、あんたを『ダンジョン安全指導員』兼『アトラクション筆頭テスター』として雇う」
「よし決まりだ! よろしく頼むぜ、支配人!」
ガルムはそう言って、太い手をゼノンの肩に叩きつけるように置いた。その勢いに、ゼノンは思わず一歩よろめいたが、悪い気はしなかった。
「ただし、給金の話は別途詰めさせてもらう。飯と寝床だけでは、こちらの気が済まない」
「律儀なやつだな。まあ、そこは任せるぜ」
傍らで話を聞いていたルナリアが、書類を片手に近づいてきた。
「雇用条件はわたくしがまとめておきますわ。ガルム様、後ほど署名をお願いいたしますわね」
「おう、任せた。……にしても、こんな細けぇ手続きまで、しっかりしてるんだな」
「当然ですわ。うちは見た目こそ賑やかですけれど、経理はきっちりしておりますの」
ルナリアが胸を張るような仕草を見せると、ガルムは感心したように唸った。
「見世物小屋にしちゃ、随分としっかりした運営じゃねえか」
「見世物小屋ではなく、テーマパークだ」
ゼノンが訂正すると、ガルムは楽しそうに笑い声を上げた。
「はっはっは! 違いない! 訂正しよう!」
新しい肩書きを得たガルムは、その日のうちから精力的に働き始めた。
まずは第一階層の見回りだ。彼は大剣を担いだまま浮遊足場の間を巡回し、時折足を止めては、ふらついている駆け出し冒険者に声をかけていく。
「おいそこの兄ちゃん、無理すんな! 落ちても死にゃしねえが、腰は痛めるぞ!」
声をかけられたのは、初めて訪れたらしい若い剣士だった。緊張気味に足場の上で固まっていた彼は、その豪快な声にどこか安心したように表情を緩めた。
「あ、ありがとうございます……! でも、落ちるのが怖くて」
「怖がるのは当然だ。だがな、ここのダンジョンは、怖がって当然の顔を見せることこそが正解なんだよ。堂々と怖がって、堂々と落ちてこい!」
その言葉に、若い剣士は思わず笑ってしまったようだった。緊張がほぐれた分、体の動きも滑らかになる。彼は数度の失敗の末、最後の足場に辿り着き、達成感に満ちた顔で振り返った。
「あの、ガルムさんのおかげです。ありがとうございました」
「なぁに、俺は当たり前のことを言っただけだ。それより、これに懲りずにまた来い。次はもっと上手くやれるはずだ」
若い剣士は何度も頭を下げながら、名残惜しそうに広場を後にしていった。その後ろ姿を見送りながら、ガルムはふと呟いた。
「……悪くねえな、こういうのも」
誰に言うでもないその言葉には、これまでの戦場暮らしとはまるで違う種類の充実感が滲んでいた。
その様子を、観覧スタンドの端からゼノンが眺めていた。屈強な戦士が、ただ強さを誇示するのではなく、初心者の背中を押す役割を自然にこなしている。予想以上の適性だった。
「あの人、思っていた以上に面倒見がいいですわね」
隣に立っていたルナリアが、感心したように呟く。
「ああ。脳筋にしては、な」
「本人には言わない方がよろしいですわよ」
二人が話している間にも、ガルムは次々と挑戦者たちに声をかけていた。落下してずぶ濡れになった常連客には豪快に笑いかけ、初めて訪れた家族連れには意外なほど優しい口調で説明をする。その振れ幅の大きさが、また見ている者を飽きさせなかった。
「あの吊り橋な、真ん中で止まったら負けだ。勢いをつけて一気に渡り切れ! 迷ったら余計に揺れるぞ!」
彼のアドバイスを受けた冒険者の一団が、恐る恐る橋に足をかける。何度かバランスを崩しかけながらも、最終的には全員が対岸に辿り着き、歓声を上げた。
「見たか! 俺のアドバイス通りだろうが!」
ガルムは誇らしげに胸を張り、その様子を観覧スタンドに向かって大きく手を振ってみせた。観客席からは、彼の名を呼ぶ声援が飛び交うようになっていた。
昼過ぎ、シルフが新しい報告を持ってやってきた。
「支配人、視聴数の集計が出たよ。昨日のガルムさんの挑戦、これまでで一番の数字だった。しかも今朝からも、彼目当てに来る客が増えてる」
彼女が広げた羊皮紙には、日ごとの視聴者数を示す簡易的な棒グラフのようなものが描かれていた。ゼノンはそれを眺めながら、小さく頷く。
「予想通りだな。強者が本気で悪戦苦闘する姿は、それだけで見応えがある」
「うん、あたしもそう思う。だからさ、提案なんだけど」
シルフは目を輝かせながら、続けた。
「ガルムさん専用の、もっと難しい試練エリアを作ってみない? 彼が全力を出せる場所があれば、映像としても最高の見世物になると思うんだ」
その提案に、ゼノンはしばし考え込んだ。第一階層はあくまで初心者向けの設計だ。ガルムほどの実力者には、確かに物足りない部分もあるだろう。
「悪くない話だ。ただし、既存の階層をいじるより、新しい区画を作った方がいい。既存客の体験を壊すわけにはいかない」
「だと思った! だからもう、大体の設計案は考えてあるんだよね」
シルフは得意げに、追加の羊皮紙を取り出した。そこには、複雑な軌道を描く足場や、連続して発動する仕掛けの配置図が、細かく書き込まれていた。準備の早さに、ゼノンは思わず苦笑した。
「仕事が早いな、お前」
「面白いことには、誰よりも早く飛びつく主義なんだ」
彼女が広げた設計案には、既に細部まで詰めた仕掛けの候補がいくつも書き加えられていた。落下と同時に方向転換する足場、連続で発動する幻惑の霧、視界を遮る色付きの煙幕――どれもこれも、ガルムほどの実力者でなければ即座に対応できないであろう、悪意に満ちた工夫が凝らされている。
「これ全部、一晩で考えたのか」
「昨日の映像見てたら、アイデアが止まらなくなっちゃって。ガルムさんの反応が良すぎたのがいけないんだよ」
シルフはそう言って肩をすくめたが、その顔には隠しきれない充実感が浮かんでいた。技術者としての探究心と、この施設への愛着が、彼女の中でしっかりと結びつき始めているようだった。
「よし、これを元に権限ウィンドウで詳細を詰める。完成すれば、また新しい客層を呼び込めるはずだ」
「楽しみにしてるよ、支配人」
その夜、王立ギルドの一室では、ボルドーがまた別の報告を受けていた。
「元S級冒険者が、正式にあのダンジョンの職員として雇われたそうです」
「なんだと……。ただの客として現れただけではなかったのか」
「はい。しかも、視聴者数はうなぎ登りとのことで、隣国の商人たちの間でも話題になり始めているようです」
ボルドーは机に肘をつき、額を押さえた。三年前の企画書、そして自らが下した追放の判断が、今になって重くのしかかってくる。あの若造が「役立たず」であったなら、まだ心穏やかでいられただろう。だが現実は、その正反対の結果を突きつけてきていた。
「……なぜ、あの男でなければならなかった」
誰に向けたものでもない呟きが、静まり返った執務室に虚しく響いた。
傍らに控えていた側近が、恐る恐る口を開いた。
「長官。……このまま手をこまねいているだけでよろしいのでしょうか。噂を聞く限り、あちらの評判はますます高まる一方です。何か対策を講じなければ、我々の立場そのものが危うくなるのでは」
「対策だと? どうしろというのだ。相手は正式に王立ギルドから認められた独立施設だ。表立って手出しはできん」
ボルドーは吐き捨てるように言うと、椅子の背もたれに深く体を預けた。天井を見上げるその目には、焦りと苛立ち、そしてわずかな恐れのようなものが入り混じっていた。
「……いずれにせよ、しばらくは静観するしかあるまい。下手に動けば、こちらの首を絞めることになりかねん」
その言葉とは裏腹に、彼の脳裏には、いつか自分自身がこの状況の責任を問われる日が来るのではないかという不安が、拭い切れずにこびりついていた。
深遠のアミューズメント・グラウンドでは、新しい試練エリアの設計図を前に、ゼノンとシルフ、そしてガルムが額を突き合わせていた。
「ここに落とし穴、ここに連続の的、それからここは――」
「おう、いいじゃねえか! こういうのを待ってたんだよ!」
ガルムが図面を覗き込みながら、興奮気味に声を上げる。ルナリアはその様子を少し離れた場所から眺めながら、小さく笑みをこぼした。
「賑やかになりましたわね、この施設も」
「悪くない賑やかさだ」
ゼノンはそう答えながら、頭の中で次の展開を描いていく。ガルム専用の試練エリアが完成すれば、また新しい話題を呼ぶはずだ。噂はさらに広がり、より多くの挑戦者と観客を呼び込むことになるだろう。それに、単なる目玉施設というだけでなく、ガルムという実力者が常駐することで、これまで手薄だった上級者向けの案内役という課題も同時に解決できる。一石二鳥という言葉が、これほどしっくりくる状況も珍しかった。
この日、深遠のアミューズメント・グラウンドは、また一歩、伝説への道を歩み出していた。
設計案を詰め終えた頃には、すっかり日が暮れていた。ゼノンは権限ウィンドウを操作し、ガルム専用の試練エリアの骨組みを、その場で組み上げていく。地形が音もなく形を変え、複雑な軌道の足場が次々と現れていく様子に、シルフが目を輝かせながら見入っていた。
「これ、何度見ても飽きないな……。地形そのものを自在に作り替えられるなんて、本当に規格外だよ」
「褒め言葉として受け取っておく」
「素直じゃないなあ。まあ、それがあんたらしいけど」
ガルムは、組み上がっていく試練エリアを腕組みしながら眺め、満足げに頷いていた。
「よし、上出来だ。明日、俺様が真っ先に試してやる」
「期待している」
夜風が広場を吹き抜けていく。新しい仕掛けの輪郭が、月明かりの下でぼんやりと浮かび上がっていた。噂はまた一段と広がり、明日にはさらに多くの客が押し寄せることだろう。ゼノンは静かにその光景を見渡しながら、次の一手をすでに思い描き始めていた。
「明日は忙しくなるぞ。ガルム、あんたには早速テストプレイヤーとして働いてもらう」
「望むところだ! 誰よりも先に、この試練エリアを制覇してやるぜ!」
ガルムの豪快な笑い声が、夜の広場に響き渡る。ルナリアはその声を聞きながら、静かに口元を緩めた。
「賑やかな夜ですこと」
「悪くないだろう」
「ええ、悪くありませんわ」
月明かりの下、新しい試練エリアの輪郭は、明日への期待を映すかのように静かに佇んでいた。深遠のアミューズメント・グラウンドの物語は、まだ始まったばかりだった。




