第18話 旅装束の剣聖
その男が正面ゲートに現れたのは、観覧スタンドが稼働を始めてから五日目の朝だった。
背丈は並外れて高く、日に焼けた肌に幾筋もの傷跡が刻まれている。背中には、常人なら持ち上げることさえ難しいであろう大剣を無造作に担ぎ、旅塵にまみれた外套を纏っていた。歩くたびに地面が軋むような、圧のある足取りだった。
「ここが噂の見世物ダンジョンか」
男は正面ゲートの前で足を止め、ダンジョンの外観を睨みつけるように眺め回した。声は低く、腹の底に響くような太さがある。
受付を担当していたルナリアが、感情マナの微弱な揺らぎを察知して眉をひそめた。
「……かなりの力量ですわね、あの方」
ゼノンもまた、少し離れた場所からその様子を窺っていた。並の冒険者とは明らかに違う、練り上げられた覇気のようなものが、遠目からでも伝わってくる。
「客か?」
「わたくしの見立てでは、ただの客ではありませんわ。以前から気配だけは感じておりましたの。……あの方が、ガルムですわ」
その名を聞いて、ゼノンの記憶の奥がわずかに揺れた。数話前、ルナリアが思わせぶりに口にしていた名前だ。特別な力を持つ者、いずれ関わることになるだろうと、彼女が仄めかしていた人物。
「元S級、だったか」
「ええ。今は表舞台から退き、各地を旅しながら気ままに過ごしていると聞き及んでおりますわ。何を目的にここへ来たのかは、分かりませんけれど」
「聞けばいい話だ」
ゼノンはそう言って、迷わずゲートへと歩み寄った。
「支配人か」
ガルムは、近づいてきたゼノンを一瞥すると、値踏みするような目つきを向けてきた。細身で、書記官然とした眼鏡をかけたこの若造が、噂の施設を作り上げたとは、にわかには信じがたいといった様子だった。
「そうだ。ゼノン・クロムウェル、この深遠のアミューズメント・グラウンドの総支配人だ」
「ふん。旅の道すがら、あちこちで聞いたぞ。『殺さないダンジョン』だとか、『見世物になったダンジョン』だとか。……正直、笑わせるなと思っていた」
その言葉には、隠すつもりのない挑発が滲んでいた。ゼノンは表情を変えず、静かに聞き返す。
「今もそう思っているのか」
「さてな。この目で見るまでは判断しねえ主義だ」
ガルムは腕を組み、広場の奥にそびえる観覧スタンドを見やった。ちょうどそこでは、レイラが挑戦する様子が映像として流れており、観客たちの笑い声と歓声が響いている。彼はしばらくその光景を睨むように眺めていたが、やがて片方の眉をわずかに上げた。
「……あの女、実力はある。だが、あの反応は――」
「楽しんでいる、と言いたいのか」
「ああ。追い詰められてるくせに、笑ってやがる。妙な光景だ」
ガルムの声には、隠しきれない興味が滲み始めていた。かつて命を賭けた死闘を潜り抜けてきた男にとって、それは理解しがたい、しかしどこか引っかかる光景だったのだろう。
「入ってみるか」
ゼノンが尋ねると、ガルムは鼻を鳴らした。
「望むところだ。ただし、手加減は無用だぜ。俺は伊達にS級を張ってたわけじゃねえ」
「安心しろ。手加減なんてものは、うちのダンジョンには存在しない」
その言葉に、ガルムの口元が獰猛に持ち上がった。
同じ頃、王立ギルドの一室では、ボルドーが報告書に目を通していた。
「……元S級冒険者ガルムが、あの若造のダンジョンに姿を現した、だと?」
報告に立った職員は、緊張した面持ちで頷いた。
「はい。表舞台から退いていた剣聖が動いたとなれば、話題性は計り知れません。すでに近隣の商人筋では、噂が駆け巡っているようです」
ボルドーは眉間に深い皺を刻み、報告書を机に叩きつけた。
「よりによって、あの男が……。ゼノンのやつ、一体どこまで人を集めるつもりだ」
三年前、自分が握り潰した企画書の内容が、今まさに現実のものとなって目の前に突きつけられている。その事実が、ボルドーの胸の内に、言いようのない焦燥感を募らせていた。
「……いや、まだだ。あの程度で慌てる必要はない」
自分に言い聞かせるように呟きながらも、彼の指先は小刻みに震えていた。
第一階層、風雲アスレチック・タワーの入り口に立ったガルムは、大剣を担いだまま、鼻で笑うように足場を見上げた。
「浮遊足場、ね。子供だましだろ、こんなもん」
「言うのは自由だ。試してみればいい」
ゼノンの言葉に、ガルムは軽々と最初の足場に飛び乗った。屈強な戦士の体術は、確かに只者ではない。並の冒険者なら三歩と持たない不安定な足場の上を、彼はまるで平地を歩くかのように渡っていく。
だが、ゼノンのダンジョンの真骨頂は、単純な足場の不安定さだけではなかった。
五つ目の足場に足をかけた瞬間、突如として重力の向きが横方向へと切り替わった。権限ウィンドウによる微細な物理法則の書き換え――ガルムの体は為す術もなく、横殴りの力に持っていかれる。
「な――!?」
驚愕の声を上げながらも、彼はとっさに大剣を足場の縁に突き立て、体を支えた。並の反射神経ではない。それでも、体勢を崩したことに変わりはなかった。
「くそったれ! 何しやがった、今の!」
「重力の方向を変えただけだ。うちのダンジョンでは、常識は通用しない」
ガルムはしばらく呆然とした様子で足場にしがみついていたが、やがて、ゆっくりと大きな笑い声を上げ始めた。
「はっはっは! 面白ぇ! こいつは面白ぇぞ!」
その豪快な笑いは、観覧スタンドにまで届くほどの声量だった。詰めかけていた観客たちが、何事かとどよめきながら映像に目をやる。
「見ろよ、あのでかい兄ちゃん、いきなり吹っ飛んでる!」
「でも笑ってるぞ、あの人!」
観客たちの声が、興奮とともに広がっていく。ガルムは体勢を立て直すと、次の足場に向かって力強く踏み込んだ。
「面白い! だが、俺様はこの程度じゃ止まらねえぞ!」
続く足場では、ゼノンが仕込んでいた別の仕掛けが発動した。足場そのものが縮小し、ガルムの巨体を支えきれないほどの狭さに変わったのだ。大剣を担いだ大男が、爪先立ちでバランスを取る姿は、傍から見ればどこか滑稽でもあった。
「く、くそ、この図体が恨めしくなるとはな!」
彼は歯を食いしばりながらも、体幹だけで揺れを抑え込み、なんとか次の足場へと飛び移った。かつて数多の死線を潜り抜けてきた戦士の技術は、伊達ではなかった。ただ、その使い所が、これまでとはまるで違う種類の困難に向けられているというだけの話だった。
観覧スタンドでは、その様子を見ていたシルフが、興奮気味に水晶パネルの調整レバーを動かしていた。
「これは撮れ高がすごいよ! あんな大男が、豆粒みたいな足場でよろけてる絵なんて、そうそう見られるもんじゃない!」
「はしゃぐのはいいが、映像の質を落とすなよ」
ゼノンがそう釘を刺すと、シルフは満面の笑みで敬礼のような仕草をした。
「分かってるって。むしろ気合入るくらいだよ、こういうのは!」
観覧スタンドの観客たちも、次第にガルムの奮闘に夢中になっていった。最初は物珍しさで見ていた者たちが、いつしか本気で彼を応援するようになっている。
「頑張れ、でかい兄ちゃん!」
「まだいけるぞー!」
声援を浴びながら、ガルムはにやりと笑い、次の足場へと大きく踏み込んだ。
結局、ガルムは第一階層を突破するのに、通常の挑戦者の三倍近い時間を費やした。何度も重力の悪戯や、突然出現する的の妨害に翻弄され、何度も情けない悲鳴を上げながら足場から転落した。だが彼は、そのたびに立ち上がり、大剣を杖代わりにして息を荒くしながらも、決して諦めようとはしなかった。
最終足場に辿り着いたとき、彼は汗だくになりながらも、獣のような笑みを浮かべていた。
「……いいぜ。認めてやる。俺はまだ、このダンジョンの本気を見ちゃいねえんだろう」
ゼノンは、観覧スタンドの脇でその様子を見守っていた。ここまでの反応は、正直予想を超えていた。実力者でありながら、失敗を恐れず、むしろそれを楽しむように挑み続ける姿勢。これほど「映える」挑戦者は、これまでいなかったかもしれない。
「感想を聞かせてもらおうか」
ゼノンが問うと、ガルムは大剣を担ぎ直しながら、真っ直ぐにこちらを見据えた。
「悔しいが、認める。こいつは、ただの見世物じゃねえ。命を懸けなくても、ここまで熱くなれるとはな」
「気に入ったなら、また来ればいい」
「また、じゃねえよ坊主」
ガルムはニヤリと笑い、ゼノンの肩に太い腕を回してきた。
「俺はもう決めた。しばらくここに居座らせてもらうぜ。この程度で音を上げたとあっちゃ、剣聖の名が廃る」
その言葉に、傍らで様子を見ていたルナリアが、くすりと笑いを漏らした。
「あら、面白い方が増えましたわね」
「本当にな」
ゼノンは肩に回された腕の重さを感じながら、静かに口の端を上げた。まだこの男の本当の力量も、これから起こるであろう混乱の大きさも、想像しきれてはいなかった。だが、この施設にまた一人、面白い人材が加わったことだけは、確かなようだった。
観覧スタンドの水晶パネルには、汗だくで笑うガルムの姿が、まだ映し出されたままだった。観客たちの声援は、いつまでも鳴り止まなかった。
夕暮れ時、疲労困憊のガルムは、休憩所を兼ねたレストラン「魔味亭」に案内された。看板娘ならぬ看板シェフのミシェルが、湯気の立つシチューを大盛りで運んでくる。
「あらあら、随分と食べっぷりの良さそうな殿方ね。今日はいっぱい食べていって頂戴」
「おお、こいつはいい匂いだ! 遠慮なくいただくぜ!」
ガルムは椅子が軋むほどの勢いで座り込み、スプーンを手に取った。一口食べるなり、彼の目が驚いたように見開かれる。
「うまい……! こいつは魔物肉か? こんな味に化けさせるとはな」
「うふふ、褒め上手な殿方は好きよ」
ミシェルが機嫌よく笑う横で、リクたちがそろそろと近づいてきた。
「あの、さっきの攻略、すごかったです! あんなに何度も落ちても、全然諦めないんですね」
リクが目を輝かせながら話しかけると、ガルムは口の周りにシチューをつけたまま、豪快に笑った。
「おうよ! 落ちるたびに次はどう攻略してやろうかって考えるのが、また楽しいんだよ。お前らも常連だってな。何回来てんだ?」
「もう数え切れないくらいです!」
ダンが誇らしげに答えると、エマがくすくすと笑いながら付け加えた。
「私たち、最初のお客だったんですよ。第一号なんです」
「へえ、そいつは自慢していいぞ」
ガルムは三人の顔を順に見渡し、満足げに頷いた。歴戦の戦士と駆け出しの冒険者たちが、対等に肩を並べて笑い合う光景は、これまでのこの世界にはなかったものだった。
窓の外はすっかり夕闇に染まっていたが、店の中は笑い声と食器の音で賑わい続けていた。ゼノンはその輪から少し離れた席で、静かにエールの杯を傾けながら思う。ダンジョンの噂は、これからさらに大きく育っていくだろう。剣聖と呼ばれた男が居座ると決めたことも、その追い風のひとつになるはずだ。
「明日から、また忙しくなりそうだな」
誰にともなく呟いたその言葉に、隣に座ったルナリアが小さく笑って頷いた。
「ええ。……でも、悪くない忙しさですわ」
そこへ、水晶パネルの片付けを終えたシルフが、興奮冷めやらぬ様子で駆け込んできた。
「支配人! 聞いてよ、今日の映像、視聴者からの反応がすごいことになってる! みんな、あのでかい人のファンになってるよ!」
「気が早いな」
「気が早いくらいでちょうどいいんだって! これ、絶対に次も見たいって声が殺到するよ」
シルフの言葉に、ガルムがシチューを頬張りながら片手を挙げた。
「おう、望むところだ! 俺様が本気出したところ、しっかり撮っとけよ嬢ちゃん!」
「言われなくても!」
賑やかなやり取りに、店の中に笑い声が広がる。ゼノンはその輪を眺めながら、静かに杯を傾け続けた。まだ見ぬ次の展開への期待が、胸の奥でゆっくりと膨らんでいくのを感じながら。




