第17話 観覧スタンド、産声を上げる
観覧スタンドの建設は、思っていたよりも早く進んだ。
シルフが持ち込んだ改良版の遠見の魔石と、ゼノンの権限ウィンドウによる地形加工が組み合わさると、木材を運び入れてから完成までに、たったの五日しかかからなかった。木製の階段席が広場を弧を描くように取り囲み、その正面には、大人の背丈ほどもある巨大な水晶パネルが三枚、扇形に並んでいる。
「これでダンジョン第一階層と第二階層、両方の映像を同時に映せるよ」
シルフは自分の作業の出来栄えに満足げに頷きながら、パネルの縁を指でなぞった。
「感度もかなり上げてある。挑戦者の顔の汗の粒まで見えるはずだよ」
「趣味が悪いな、お前」
「褒め言葉として受け取っとくね」
ゼノンは腕を組み、完成したばかりのスタンドを見上げた。木の香りがまだ新しい階段席には、簡素ながらも屋根が張られ、雨の日でも観戦できるよう配慮されている。細部まで手を抜かない仕事ぶりに、内心で舌を巻いていた。半信半疑で任せた技術者だったが、期待以上の働きを見せてくれている。
「あとは、実際に人を呼んで試してみるだけだ」
「わたくしが実況を担当いたしますわ」
いつの間にか隣に立っていたルナリアが、待ちきれないと言わんばかりに袖をまくる仕草をした。もとより人型を象る術式に袖などないのだが、彼女なりの気合の表れなのだろう。
「あなた、緊張していますの?」
「いや、これがどう転ぶか楽しみなだけだ」
その言葉に噓はなかった。ダンジョン運営を「テーマパーク」として組み立て直してから、ゼノンはずっと、挑戦者一人ひとりの反応を直接見るのが好きだった。今度はそれが、映像を通して不特定多数の観客にまで広がる。恐怖や達成感がどれだけ増幅されて還元されるのか、純粋に興味があった。
「配信の運用については、いくつか決めておきたいことがある」
ゼノンは懐から羊皮紙を取り出し、そこに殴り書きしていた項目を読み上げた。
「まず、挑戦者本人の許可なく映像を流さないこと。次に、観客の野次や誹謗が過ぎた場合は、退場させる権限をルナリアに与える。そして――」
「それと、失敗しても笑いものにするだけじゃなくて、ちゃんと称賛もするってことだよね」
シルフが言葉を継いだ。ゼノンは意外そうに彼女を見た。
「分かってるじゃないか」
「そりゃ分かるよ。あんたのダンジョン、根っこにあるのは意地悪じゃなくて、挑戦する人への敬意でしょ。じゃなきゃ、こんな凝った仕掛けにはならない」
その指摘に、ゼノンは小さく笑った。技術者としてだけでなく、この施設の本質を正しく見抜いている――それだけで、任せる価値のある人材だと確信できた。
初回の稼働は、常連客であるレイラの来訪に合わせて行われることになった。
彼女は今日もいつも通りの装備で正面ゲートをくぐってきたが、広場に新設された巨大なスタンドを見て、さすがに足を止めた。
「……前に来た時には、なかったわね、これ」
「新しい趣向だ。今日のあんたの挑戦、外の観客にも見てもらう」
「は?」
レイラの片眉がぴくりと動いた。実戦一筋で鍛えてきた剣士にとって、見世物にされるというのは、あまり心地の良い話ではないのだろう。ゼノンはその反応を予想していたように、淡々と続けた。
「嫌なら断ってもらってもいい。ただ、あんたの動きは見ていて惚れ惚れするものがある。それを俺だけが独占しているのは、正直もったいないと思っていたところだ」
「……買いかぶりすぎよ」
そう言いながらも、レイラの口元にわずかな笑みが浮かんでいた。まんざらでもない、というのが本音のようだった。
「まあ、いいわ。見せつけてやる」
彼女はそう言って、迷わず第二階層への入り口に向かって歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、ルナリアが小さく囁いた。
「あの方、ああ見えて負けず嫌いですのよ。人前で挑戦すると聞いて、内心では張り切っておられますわ」
「それは助かるな。緊張で本来の動きが出ないんじゃ、映像として面白くない」
「本当に、あなたという人は……」
ルナリアは呆れたようにため息をついたが、その声色にはどこか楽しげな響きが混じっていた。
観覧スタンドには、あらかじめ噂を聞きつけた住民や、常連客のリク、ダン、エマの三人組が続々と詰めかけていた。水晶パネルに映し出された映像は、シルフの言葉通り、驚くほど鮮明だった。迷宮レストランの複雑な通路を進むレイラの表情、額に浮かぶ汗の粒、周囲の壁から漂う香りのトラップに顔をしかめる様子まで、手に取るように分かる。
「ただいまより、常連剣士レイラ様による第二階層攻略の様子をお届けいたします」
ルナリアの声が、いつものアナウンス用の澄んだ声色に切り替わり、スタンド全体に響き渡った。
「ご覧くださいませ、あの分岐、実は三度に一度の割合で香りの誘導トラップが強化される仕掛けになっておりますの。レイラ様、果たして正しい道を選べますでしょうか」
観客席から、どよめきが起こった。単なる見物ではなく、まるで競技を観戦しているかのような一体感が生まれている。ダンが興奮気味に立ち上がった。
「おい見ろよ! レイラの姉さん、また同じ道に迷い込んでる!」
「三回目だぞ、あれ!」
エマが笑いながらリクの袖を引っ張る。周囲の観客たちも、映像に釘付けになりながら次々と声を上げていた。誰かが失敗するたびに笑いが起こり、うまく切り抜けるたびに拍手が沸き起こる。
途中、レイラが香りのトラップに三度目に引っかかった時には、観客席全体からどっと笑いが広がった。しかし彼女が悔しそうに舌打ちをしながらも歩みを止めずに次の分岐へ向かう姿を見て、笑いの質が変わっていくのがゼノンにも分かった。からかうような笑いから、応援するような声援へ。
「レイラ姉さん、頑張れー!」
誰かがそう叫ぶと、それに釣られるように次々と声援が飛び始めた。ゼノンはスタンドの端からその様子を眺めながら、静かに満足の息を吐いた。
「思った以上の反応だな」
「感情マナの回収量、今の時点で通常時の一・五倍を超えていますわ」
ルナリアがアナウンスの合間に、こっそりと耳打ちしてくる。
「観客の笑いや興奮も、立派な燃料になるということね」
「上出来だ」
映像の中では、レイラが四度目の挑戦でようやく正しい道を見つけ出し、迷宮の最奥に辿り着いていた。汗だくになりながらも、彼女の顔にはやり切った達成感が滲んでいる。それを見た観客席からは、大きな拍手が湧き上がった。
レイラ本人が地上に戻ってきたとき、彼女は少し気まずそうにスタンドを見上げた。
「……思ったより、盛り上がってたのね」
「見応えがあったからな」
ゼノンがそう言うと、レイラは頬をわずかに赤らめながら、それでも満更でもなさそうに肩をすくめた。
「次は、もっと綺麗に抜けてみせるわ。……見てなさいよ」
その言葉に、周囲から冷やかすような笑いと拍手が起こる。レイラは耳まで赤くしながらも、まんざらでもない様子で観客席に軽く手を振っていた。
翌日、ロレンツが再びダンジョンを訪れた。彼は昨日の熱狂の噂を、既に隣町の商人仲間から聞きつけてきたらしい。
「支配人殿、これは想像以上ですぞ。昨晩のうちに、隣町の宿場でもっぱらこの話で持ちきりでした。『西の穴』改め『深遠のアミューズメント・グラウンド』は、命懸けの死地ではなく、笑って泣ける見世物小屋だと」
「悪い評判ではなさそうだな」
「ええ、それどころか、遠方の劇場からも問い合わせが来ております。定期的に映像を買い取って、都市部で上映できないか、と」
ゼノンは腕を組み、しばし考え込んだ。映像を外部に売るとなれば、また別の管理が必要になる。だが、その分だけ収益の柱が増えることも確かだった。
「条件次第だ。挑戦者の顔や名前を扱う以上、勝手に切り貼りされたり、悪意ある編集をされては困る。契約はきっちり詰めさせてもらう」
「もちろんです。そのあたりは私が仲介いたしましょう。信頼できる劇場筋を選んでご紹介いたしますよ」
ロレンツの目には、商機を前にした興奮と、同時にこの施設に対する敬意のようなものが浮かんでいた。彼にとっても、ゼノンのダンジョンに関わることは、単なる商売以上の意味を持ち始めているようだった。
商談が一段落すると、観覧スタンドの隅では、リクたちが昨日の余韻に浸りながら話し込んでいた。
「なあ、俺たちもいつかあそこに映るのかな」
リクがそう言うと、ダンが自信満々に胸を張った。
「当たり前だろ。俺たちだって初期からの常連だぞ。むしろ今まで映ってなかったのがおかしいくらいだ」
「えー、でも私、あの吊り橋で毎回情けない声上げちゃうから、恥ずかしいんだけど……」
エマが頬を赤らめながら俯く。それを見たダンとリクが、揃って笑い声を上げた。
「それがいいんだって! 観客だって、完璧な攻略より、必死な姿の方が応援したくなるもんだろ」
三人の何気ない会話を耳にしながら、ゼノンは小さく頷いた。挑戦者本人が恥ずかしがるくらいの自然な反応こそ、観客の心を掴む何よりの素材になる。作り込みすぎない、剥き出しの感情。それこそが、この施設の核だった。
その頃、隣領のヴァルガス子爵の屋敷では、まるで対照的な空気が流れていた。
後任のダンジョン管理者が、報告書を片手に青ざめた顔で子爵の前に立っている。
「も、申し上げにくいのですが……西の坑道が完全に崩落いたしました。魔物の間引きも限界に達しており、今月の収益は先月をさらに下回る見込みです」
「なんだと……」
ヴァルガスは肥えた顔を歪め、机を叩いた。かつて「役立たず」と切り捨てた男が管理していたダンジョンが、今や隣領で連日のように賑わいを見せているという噂は、既に彼の耳にも届いていた。しかも今度は、遠見の魔石を使った奇妙な見世物まで始めたという。
「あの若造が、たかがダンジョン管理ごときで、なぜこうも……」
悔しさと苛立ちが入り混じった呟きは、誰の耳にも届かぬまま、空しく執務室の壁に吸い込まれていった。
後任の管理者は、おずおずと付け加えた。
「あの、子爵。噂によりますと、あちらのダンジョンでは、挑戦者が命を落とすことが一切ないそうです。それでいて、収益は我々の比ではないと……。もしや、我々のやり方そのものを、見直すべきではないでしょうか」
「黙れ! ダンジョンとは魔物を狩り、素材を奪い、金を生むための道具だ。見世物にして客をおだてるなど、商人のやることであって、貴族のやることではない!」
ヴァルガスは声を荒らげたが、その語気とは裏腹に、彼の目の奥にはどこか焦りの色が浮かんでいた。かつて自分が切り捨てた男が、まさか自分の矜持そのものを揺るがす存在になろうとは、想像もしていなかったのだろう。
管理者はそれ以上何も言わず、深々と頭を下げて部屋を後にした。廊下に出た彼の口から、誰にも聞こえないほど小さな呟きが漏れる。
「……本当は、あの人のやり方の方が、正しいのかもしれないな」
夜、片付けを終えたゼノンとルナリア、シルフの三人は、スタンド脇のベンチに腰掛けて一日を振り返っていた。
「予想以上の手応えだったな」
「あたしのおかげでしょ?」
シルフが得意げに胸を張る。ゼノンは苦笑しながらも、それを否定はしなかった。
「明日からは、常時稼働にする。ただし、映像を流す時間帯と休憩時間は決めておきたい。挑戦者にも観客にも、無理のない範囲でやるべきだ」
「支配人らしい配慮ですこと」
ルナリアが小さく笑った。
「殺し合いではなく、あくまで楽しんでもらうためのものだからな。無理をさせて評判を落としたら本末転倒だ」
その言葉に、シルフが目を細める。
「あんた、本当にただの効率厨じゃないんだね。ちゃんと、見てる人のことも考えてる」
「褒めてるのか、それ」
「もちろん。だからこそ、あたしも本気で協力する気になったんだよ」
夜風が広場を吹き抜け、真新しい木の香りを運んでいく。ゼノンは、明日から始まる新しい日々に思いを馳せながら、静かに目を閉じた。
「次は、常連客だけじゃなく、他領からの旅人にも見てもらえるようにしたい。噂が広がるほど、ダンジョンの成長は加速する」
「欲張りですこと」
「経営者として当然の判断だ」
ルナリアはくすりと笑い、コアの結晶を模したヘッドドレスをそっと撫でた。
「まあ、あなたのそういうところ、嫌いではありませんわ」
「褒め言葉として受け取っておく」
三人の笑い声が、静かな夜の広場に小さく響いた。噂は既に隣領へと届き始めている。映像という翼を得た今、その広がりはこれからさらに加速していくはずだった。
そして数日後、この観覧スタンドの噂を聞きつけて、一人の男が国境を越えてやってくることになる。かつてS級冒険者と呼ばれた男――ガルムという名の、屈強な戦士だった。




