96 アルトの用事⑥
「……で」
ウィズは魔力を込めた糸で氷の塊を引きずりながら、アルトの背中を追って歩いていた。
「確認ですけど、僕らがつまずくような小石はこれだけですよね?」
ウィズはその背中にちょっと不満げな顔つきで告げる。それを聞いたアルトは前を向いたまま、視線を少し上に向けて笑った。
「ヤバイと思ったのは"それ"だけだからな! もう大丈夫さ! あとは『オボロアカネ』を探すだけだ」
「……その『オボロアカネ』の自生地は目途が立ってるんですか?」
「ああ。少し登ったところにさ、様々な花の群生地があるんだ。『オボロアカネ』はそこに生えてるよ」
引きずられた封印氷が木の根に引っかかっては弾んだ。中には影に潜む謎の生命体が封印されている。前を歩くアルトはそれを気に掛けることなく、ただただ進んでいた。
(……内臓を喰らって模倣する影か……)
しかしながら、その影の封印を引きずっているウィズは少し気がかりを残していた。
この影の生命体は生き物の"中身"を吸い取り、それを模倣する。皮だけの変死体はそれの残りかすだった。だが例外的に、人間は"中身"を吸い取ることができず、模倣もできない。
純粋な"人間"であるならば、前例があるから良い。だが自分の場合は違ってくる。純粋でもなければ、その中身は洗脳された血肉だ。もし影の生命体に"中身"を吸われたらどうなってしまうのか、完全に未知数であった。
(できることなら、ここで始末しておきたいな……)
ウィズは密かに背後の封印氷塊を睨む。あの流れでは封印するほかなかった。けれども、実のところは可能であれば消滅させておくべきだったのだ。自分の正体を明らかにするかもしれない要因を近くに置きたくはない。
ここで封印が解かれて影の生命体が抜けだしたとしたら、思わず殺害しても許されるはずだ。ウィズの封印から逃れたとなれば、安全に捕縛する手段が消えたということになる。アルトも何らかの封印術を扱える可能性はあるが、それをウィズに話してはいない。情報の共有ができていない状況で、ウィズが咄嗟の判断で消滅させても咎められる謂れはないはずだ。
そんな思惑もあって、ウィズは封印氷塊を若干乱暴に引きずっているわけである。しかしなんとも残念なことに、その封印はちょっとした衝撃じゃ解れることはない。それは封印術を開発したウィズ自身がよく分かっていた。
そのこころは『緋閃零式』により、実質魔力が使い放題なのを良いことに、封印術のクオリティを上げすぎたのだ。なんとも皮肉なカタチでその高い質が自分に跳ね返ってきたというわけである。
(……ま、いいか)
ウィズは乱暴に扱うのをやめずにいながらも、ぼーっと空を見上げた。
封印術は解けない。その自信はある。つまり、ここで影の生命体を殺すことはできないが、同時に封印が解かれることもないということでもある。しばらくは、少なくとも『東棟』で研究されるまではウィズと生命体が接することはないだろう。
「……ん?」
ウィズはふと風景の変化に気づく。前のアルトが目の前に現れた背の高い草むらをかけわけると、笑みを浮かべてウィズの方へ振り返った。
「ついたよ」
彼の報告を受けたウィズはその隣に立ち、同じように背の高い草をかきわけた。そしてその向こうに広がる景色に息をのむ。
――あたり一面、とても眩しい花畑が広がっていた。同時に花粉の香りが鼻について、思わず手で鼻を覆った。
まるで黄金のカーペットであった。白、黄色、橙、赤――中心に行くほど暖色を彩る花が咲き誇っている。ウィズが顔をのぞかせている草むらのすぐ下や、遠くの花畑のフチとなる部分を見つめていると、そこには紫や青など、寒色を彩る花が咲いていた。
どういうわけか分からないが、見る限りでは暖色の花は中心に、寒色の花は外側に群れを成して咲いているらしい。ウィズはぼやく。
「……確か『オボロアカネ』はオレンジ色だから……中心に行かないと……」
ウィズの草をかきわけて、花畑の中へ足を踏み入れた。するとより一層花の香りが鼻をくすぶる。
暗い色であった地面が一気に明るい色に変わったことで、微妙に世界が明るくなった気がした。ウィズはその虹彩の圧に負けそうになって、誤魔化すように振り返った。
「アルトさん、行きますよ。『オボロアカネ』はたぶん中心でしょう?」
「……ああ、その通り……なんだが……」
アルトは草の向こう側から腕だけを出して、少し元気なく左右に振る。ウィズはそれを見て、嫌な予感を察知した。
そしてそれは数秒後に現実となる。
「俺、実は花粉症……」
「……で?」
「鼻がムズムズする……」
「……で?」
「俺はここで待ってるから……取ってきて……」
「……」
力なく下へ落ちつつあるアルトの腕を見ながら、ウィズは脱力しきった声でぼやく。
「影のアレはともかく、花の採取にどうして貴方が来たんですか……? まじで」
花畑に吹き込んだ風はウィズを通り抜けては花々を揺らした。花弁が舞い上がり、青い空へと吸い込まれていったのだった。




