95 アルトの用事⑤
「まず一つ」
アルトはそう言いながら、足元でゆっくりと動き出していた影へと剣を刺した。その瞬間、生命体『黒い影』の動きがピクリと止まる。
「こいつは精霊だ。自然発生精霊Ⅲ類かな。まだ"発生"してから時間も浅い。魔力に存在が引っ張られてる」
ピリピリとアルトから逃れようとしている影であるが、彼が地面に突き刺した剣によって動けないようであった。恐らくあの剣にはアルトの魔力が流し込まれており、それが影の存在を引き留めているのだろう。砂鉄が磁石に絡みつくように、影の生命体が意に反してアルトの剣に引き寄せられているのだ。
「二つ目。こいつは大気から魔力を得る手段を持ち合わせていない。今俺は靴底一枚で密着しているが、こいつの魔力に目立った変化はない。普通の精霊なら大気から魔力を溜めて無理やりにでも突破するだろ。それができてないってことは、"できない"ってことだ。このことから調査員たちの精神錯乱は急激に魔力を吸引されたことによる精神失調だと推測できる」
アルトは靴底で影をこする。それによる地面を擦る音は聞こえなかった。それはアルトの足が地面についておらず、極めて薄い"影の皮"の上に立っていることの証明でもあった。
「三つ目。――こいつは人間の模倣ができない。いや、複雑な生き物には擬態できないというべきか。人間の中身は物理的な解明はされていても、未だブラックボックスが存在している。それに起因しているんだろうな」
顎に手を当て、うんうんと頷きながら言い終わると、ウィズの方へ視線をやった。木の上に張り付いていたウィズはその視線に多少表情が強張る。
「……封印に入りますか?」
「さすが、察しが良いねぇ。……剣を抜くと同時にこいつを斬り取って地面から上空に弾き飛ばす。その隙に封印を頼んだよ」
「わかりました」
ウィズは両腕の袖をめくって、瞳を鋭くとがらせた。彼の体内から体外にかけて魔力が循環し、それを微弱ながらに感じ取ったアルトは薄く笑う。
それから地面に刺さる剣の柄に手を伸ばした。ぎゅっとその柄を強く握ると、アルトは目にも止まらない速さで地面から剣を引き抜く。
「……っ」
その瞬間を待っていたのか、黒い影は素早くアルトから逃げようと動き出した。しかしその時点でアルトは剣を振り終わっていた。
突如、地面が砕けて上昇気流が発生する。それはアルトの斬撃による剣圧であった。砂や岩と共に上空へ弾き飛ばされた黒い影。ウィズはそれを見逃さなかった。
「案外、弾力性がなさそうだね」
ウィズの注目はただ一点。砂埃と地面のカケラが舞う中で、そこに紛れた一つの影。
とてつもない集中力により、自分を含めて世界のすべてがスローモーションに見える。ウィズは宙に舞う多くの障害物の間に、魔力の糸を通して弾かれた影へと向かわせていた。針に糸を通すよりも高度な技術。しかしウィズの呼吸や心拍に乱れはない。
できて当然。そう、呼吸をするのもできて当然、言葉を交わすのもできて当然――ウィズにとって、魔力を操作するということはつまりそういうことであった。"そういうこと"になるまで、一心不乱で生きてきた。それが結実したから、ウィズの"今"がある。
「――」
影の周囲に魔力の糸がぐるぐると巻かれていく。球形に糸がぐるんと巻かれると、その糸が青白く発光し始めた。それを境に、周囲の偽りの時間が速さを取り戻していく。砂埃は膨張を速めて吹き飛んだ地面のカケラは上へ加速していった。
――時間が世界と定着する。空中に弾かれた影に纏ったウィズの魔力の糸が光を放ち、凍結を始めた。一瞬にして氷の球体が出来上がり、その中にあった影は一瞬にして凍り付く。
凍てついた瞬間だけ、周囲のガレキに付与されていたような上方向の力はなくなり、空中でピタリと止まった。そしてほかの物質よりも先に落下へと入り、地面へ到達する。少し間をおいて、他のカケラが地面に落ちた。
「終わりました」
ふう、と短く息を吐いてウィズは腕を下ろす。アルトは木にいるウィズを見上げてから、視線を落っこちた氷の封印物に移した。
氷の球体となっているそれからは、未だに白い冷気が発せられている。しかしながら、さっきまで感じていた黒い影の魔力はない。氷の中にあるのは確実なのだが、外界と氷の中で完全に遮断されているようだ。
「この封印はどれくらい持つんだい?」
アルトはチャキンと剣を収めながら、ウィズに問う。ウィズは木の上から地面に舞い降りると、アルトの方へ歩み寄った。
「二日は持ちます。性質上、温度の高い場所に放置してるとそれよりも早く綻びますが」
「……ほんと、君は便利だねぇ」
アルトは膝を曲げて、地面に転がる氷の球体へ手を伸ばす。つかみ取ってから立ち上がると、それを人差し指の上で回転させて軽く遊んでいた。
それを見たウィズはなんともいえない表情になる。
(……結構重いはずなんだが)
影の質量がどうかは分からないが、封印に利用した魔力由来の氷は重い。それを人差し指一本の上に乗っけるなんて、普通にできない。
(ま、いいか)
『アーク家』だし、そのくらいはできるのだろう。ウィズは適当にそう結論づけると、小さく笑ったのだった。
いつしか、ウィズが手にしていた影のカケラは消滅していて、突然の襲撃も二人とも無傷の状態で凌げたのであった。




