111 出発の日
『ノルハ』での催事『メストマター祝福祭』に向け、出発の日が来た。
ウィズは廊下でソニア合流すると、出発時間の一足先に二人でエントランスへ向かう。なんたってフィリアを待たせるわけにはいかない。
「忘れ物は大丈夫?」
ウィズは昨日町で購入したカバンを手に持ちながら、他愛のない言葉をソニアにかける。
「……うん。ちゃんと確認した」
彼女はウィズのそれよりも少し大きめな鞄を持って、耳元の髪に手を寄せながら答えた。
「……何が起こるか分からないもんね。準備はちゃんとしないと」
「まぁ、最近物騒だしねぇ」
ははは、とウィズは小さく笑い返した。その笑みの中で、密かに彼の瞳はソニアを見つめていた。
(……?)
いつも通り――いや、どちらかというといつもよりも慎重になっているとでもいえばよいのだろうか。まだ何も始まっていないのに、ソニアにはすでに緩みや遊びといった余裕がないように思えて、ウィズは彼女の表情をうかがった。
(呆けてるよりはマシか)
表情から悟れるものはさほど多くはない。ウィズも人間との関係性を深く築いてきた経験が浅いのもあり、ソニアの具体的な思いは分からなかった。けれども、今の状態が悪いとも言い切れない。
「狙うなら絶好のタイミングだよ。こんな機会」
ウィズはぼそりとぼやく。そんな彼をソニアは真剣な眼差しでちらりと見た。
『セリドア聖騎士団』総長の選定式がすぐそこまで迫っているのは言うまでもない。そんな中でフィリアが催しに参加するとなれば、それが好機となりえるのは当然のことだろう。
「まー、何も起きてほしくないけどねぇ」
ウィズはそう言って視線をそらした。目に見えて面倒くさそうな態度で額に手を当てるウィズであるが、その実とても面倒くさく感じていた。
(フィリアが負けることなんてそうそうねぇだろ……。死んでもまぁ……)
ウィズの視界に屋敷の窓越しの朝焼けが入った。新鮮な空気を感じさせるそれを見ながら、ぼーっと頭の中で考える。
(それはそれで……いいか……)
誰にも届かない籠の中の言の葉は、彼の瞬きの後にはすでに跡形もなかったのだった。
◆
屋敷のロータリー。そこには見送り人が多数と、彼らの視線が向けられている先に一台のサラマンダーを利用した馬車があった。
手懐けられたサラマンダーがやる気を表すように、低い唸り声をあげていた。
「行ってくるわ」
馬車のキャリッジのカーテン付き窓から顔を出して、フィリアは見送りに来た弟たちと執事たちに告げる。
「気を付けて行ってきてくれよ」
顔をのぞかせるフィリアにアルトはせせら笑った。それを見たフィリアは小さく笑みを返すと、車内へ体を下ろす。
騎手席に座るウィズはそれを横目で確認すると、手綱を振るう。それに呼応し、サラマンダーが雄たけびを上げた。
ウィズはそれを見て肩をすくめる。前も密かに思っていたが、サラマンダーとかいう比較的血の気が多い魔物を馬のように手懐けているのはどういうことなのだろうか。馬は分かるけれど、サラマンダーを手綱で叩いて走らせるなんて発想、正直言っておかしい。
「ウィズ、ソニア。頼んだぞ」
ウィズがそんなことを考えていると、アルトの声がした。ウィズと、その隣に座るソニアは彼の方へ視線を向ける。
それに続くように、同じく見送りに来ていたエルシィが腕を組んで告げた。
「ソニアちゃん、姉様をよろしくね。ウィズはとにかく体を張りなさい。張り裂けても良いから」
「は、はい!」
「……そういう覚悟ってことですよね、了解です」
フィリア、ソニア、ウィズに対しての言葉の間で、明らかに声色がエルシィは平常運転であった。恐れ多くうなずくソニアに、ウィズは慣れた態度でピシリと応答する。
「お二方、よろしくお願いします」
『アーク家』としては論外ともいえるフレンドリーなアルト、特定の一人に対してだけ敵意のようなものを向けているエルシィの二者とは打って変わり、現『アーク家』末っ子であるハーネスは礼儀正しく小さく頭を下げた。
「フィリア姉様の手腕は確かです。……が、万が一ということもあります。お気をつけて」
「お気遣いありがとうございます、ハーネスさん」
瞳で真っすぐな視線を向けてくるハーネスに、ウィズは頭を下げた。そして手綱を握り直し、思いっきり振るう。
「それでは、出発いたします!」
ウィズがそう告げると同時に、サラマンダーが嬉々として前足を上げた。動作も馬みたいだ、とウィズが思っているのも束の間、サラマンダーは地面を蹴って馬車は動きだす。
「……といってもさぁ、ソニア。馬車ってのは"馬"が引く"車"で『馬車』なんでしょ? サラマンダーなのに『馬車』はおかしくない?
……あ、"生き物"が引く"車"の総称として、一番車を引くのに使われている"生き物"が"馬"だから、ただ分かりやすく『馬車』という表現を流用しているだけであって、その過程から『馬車』という言葉は、『"馬"が"車"を引いているもの』って意味だけを内包しているわけではないってわけか。
ちょっと考えればわかることだったね、ごめん」
「……えっと? 分かったようで何より……?」
何故か自分をを巻き込んだウィズの独り言に、ソニアは困惑して答える。それもそうだろう、とウィズは思ったが、すでにつぶやいた後だったのでどうにもならない。謎な虚無感を覚えながら、馬車の上からめぐる風景を見据える。
目指すは『ノルハ』。初めての町であった。別に遊びで行くわけではないのだが、『メストマター感謝祭』というお祭りがあるというので、少しは娯楽に期待してしまう。
(さーて、何が起こるんだろうか)
そして別の意味でも、『ノルハ』には期待をしているウィズであったのだった。




