起ー【5】
「あっつい」
俺は明くる日も、じりじりと皮膚を焼かれる苦しみに耐えていた。
津波の後にもかかわらず、外の風景に特に変化はない。この辺りはすでに川底のようにぐちゃぐちゃだったから当然なのかもしれない。一応魚の姿を探したが、今のところ見当たらない。
地面に直立した砂色の日傘の角度を調整する。日傘といっても、ご婦人が差していたようなこじゃれたものではなく、もっと機能重視なやつだ。ドーム状になっていて、かなりの角度をカバーできる。テントに棒が引っ付いてるような、そんな感じのシロモノだ。
「やだー、こっちに日が入ってくるじゃない!」
背中合わせのイブが、不平の声を上げた。二人で使用すると、こういう事態に陥る。
角度を戻されてまた俺の腕が日に晒された。ああ、また変な日焼けができる……。いや、日焼けなんて生温いものじゃない、あれは火傷だ。
俺は仕方なしに背中に掛けていた上着を羽織る。動きにくくなるのが気に食わないが、火傷跡を増やすよりはマシだ。
昨日の仕事に比べて、今日の仕事は気楽なものだ。俺は足元の瓦礫を持ち上げる。わずかに湿った泥の中に白いものがちらりと覗く。いやがったな、とほくそ笑んで俺は革手袋をはめた手で土を掬い上げた。
突然天日に晒されたそいつは、黄色く変色しながらうぞうぞと身をよじった。せっかくの柔肌を硬くされたらたまらない。俺は拳大のそいつを手早くアルミ箔でくるむ。
いわゆる幼虫というやつだ。なんの幼虫かは知らないが、きっと大きな虫なんだろうな。ふと昨日見た蜘蛛を思い浮かべてゾクリとした。
なんの幼虫だって、別にどうだっていい。今日明日には俺たちの胃袋に収まってしまうのだ。さらに掘り進めると、もう数匹同じのがいた。今日は豊作だな。思わず頬が緩む。
慣れというのは恐ろしい。ライズがこれを食べようと言い出したときは、人生を絶望視したものだ。こんな食生活を送るくらいなら、死んだほうがマシだと騒いでいた爺さんもいたが、今は頭からかぶりついている。生き物とはそういうもんなのだ。適応か死か、迫られれば大抵適応を選ぶ。
あの蜘蛛も、案外食えるかもしれないな。昨日のイブとのやり取りを思い出して苦笑した。ああは言ったがやはり、ライズはきっとあの蜘蛛も食べようと試みると思う。
これは偏見じゃない、″期待″だ。昔はどうだったか知らないが、今や異食は長所なんだ。差別でなく尊敬されるスキルだ。
「いっぱい採れたねぇ」
カゴはホイル巻きでいっぱいになっていた。中身は日光でゆったりと煮えて、肉汁でパンパンになっているだろう。イブがつばを飲み込む音が聞こえた。
「最近数が減ったとか言ってたけど、ぜんぜん大丈夫だね」
「そうかな。今日はたまたま運が良かっただけじゃないか」
イブの不安げな視線に気付く。いかん、つい本音が出てしまった。
「いや、きっと隠れるのが上手くなっただけだな」
取り繕うようにそう言うと、イブは無邪気に笑って同意した。マイナス思考は頭の中だけに止めておくのが、うまく毎日をやり過ごすコツだ。俺たちは自然とそれを身につけていた。
水筒に口をつける。すこししょっぱい水が口内を潤す。至福の時間はあっさり途切れた。もう飲み干してしまったのか。最後の一滴を執念深く待つが、そいつは俺の舌に届く前にしぼんでしまった。
水がなくなるともう俺たちは外にはいられない。基地に戻る支度を始める。
俺は溜め息を吐いた。あの幼虫はこの暑さでさえ、身を守る術を獲得している。日光に晒されたら皮膚を変色させて防御し、湿気の残る地面に潜り込んで事なきを得る。成虫を見たことはないが、分厚い外殻で水分蒸発を防ぐことができるとか。世界には、こんな環境にすら適応してしまう生物もいるんだ。あの狭い空間でしか生きられない俺たちとは違う。
でも妙な話、今こいつらの天敵は俺たちなんだよな。俺たちがこいつらを食い尽くすのが先か、俺たちが環境に殺されるのが先か。
栄華を極めた人間達は今、這い蹲ってこんな虫と生存競争をしている。まあ、勝っても負けても誰も悔しがりはしない。本当にどうでもいい話だな、と思った。