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起ー【2】

「ひどい話だよねぇ」

 薄暗い道をとぼとぼ歩きながら、イブが呟く。

「なにが」

「さっきの話だよ」

 ふと彼女の顔を見ると、可愛く頬を膨らませていた。

「サファー先生、別に急いでなかったじゃない。キューくんもお兄ちゃんもおかしなこと言うよね」

 ああ、そのことか。仕事が終わった開放感に満たされていた俺は、既にどうでもいいと感じていた。

「どうせあのガキが、ひとりで騒いでただけだろ。ライズもあいつに急かされただけだろきっと」

「だろうね、もう。余計疲れちゃう」

 イブがため息を吐いたので、俺もつられて息を吐く。だいたい上からの命令なんてそんなもんだ。たった三人の伝言ゲームでこんなにも歪む。人を介せば介すほど、各人の利益や妄想が混じっていくんだ。ひどく面倒な命令に限って、初めの言葉は恐ろしく単純なものだったりする。

「蜘蛛を欲しがってたのは本当みたいだから、いいじゃねぇか。全くの徒労にはならないだろ」

「そうだね。サファー先生、きっといい薬作ってくれるよ」

 イブは満足げに微笑んだ。その笑顔を見て、俺も充足感が湧いてくる。俺たちはいい仕事をしたんだ。そう思うことにした。

 先週、仲間がひとり死んだ。そいつが相方に担がれて帰って来た時、肩から腕にかけて腫れ上がり、すでに虫の息だった。目撃者が言うには、拳ほどの大きさのでかい蜘蛛にかじられたらしい。ついに腫れは喉元まで広がり、気管が潰れて窒息死した。

 蜘蛛の特徴から、熱帯に生息する毒蜘蛛だと予想された。この地方にいるはずのない生物だから、対策も何もできていない。″とりあえず捕ってこい″、今回の仕事はそんな流れだった気がする。 

「でも本当に簡単に捕れたよね。お兄ちゃんってやっぱりすごいなあ。あの罠の作り方、自分で考えたのかな」

 うっとりと呟くイブ。″お兄ちゃん″とはライズのことだ。ライズと比べ、イブの耳は丸く短く尻尾はない。普通の人間の姿をしたイブと獣人のライズが兄妹なんて初めは信じられなかったが、じっくり観察すると赤毛や金色の猫目がとてもよく似ているとわかる。

「あいつ、あの蜘蛛捕って食ったことあるんじゃねぇかな」

「さすがにあんなもの食べないよ。失礼だなぁ。偏見はやめてよ!」

 口を尖らせるイブに、しまったと思った。イブはこの手の話にやたらと敏感だった。言い手の悪気があるないに関わらず。

 獣人と呼ばれるあの種族は、独特の食文化や凶暴性を持つと言われていた。俺は獣人の知り合いなんていなかったから実際のところはよくわからないが、酷く差別を受けていたという話を聞いたことがある。

「冗談だ」

 悪いと謝ると、イブの機嫌はすぐ直った。

「お兄ちゃんはすごいよ。なんでも知ってるんだから。私も見習わなきゃなあ」

 イブはかなりのお兄ちゃん子だ。兄を自慢してる時の彼女はとても誇らしげで、微笑ましい。一人っ子だった俺にはその感覚はわからないが、羨ましいなと漠然と思う。

 上に戻ると、ライズは違うチームからの報告を受けているところだった。新たな仕事を言いつけられる時間でもなかったので、俺たちは地下へ戻ることにした。

 洗浄室と呼ばれる、洗濯室と浴室と手洗い場が一緒になったような場所で、俺たちは仕事の汚れを洗い落とすために別れる。

「ねぇ、まだ時間早いし、部屋に戻らなくていいでしょ? また勉強付き合ってよ」

 別れ際に上目遣いでそう言われ、俺は「はいよ」と返事をした。

 浴室とはいえ、シャワーすらない。桶に張った水に洗剤を溶かし、それをタオルに含ませて簡単に全身を拭くだけ。最後にざぶりと頭から桶の水を被って終了。洗濯係が用意してくれている着替えに身を包んで浴室から出るのだが、イブはまだのようだった。

 女ってのはどうしてこうも時間がかかるのかな。できることなんてほとんど無いだろうに。

 他のチームのやつらがどやどやと地下に降りてきた。洗浄室は狭いから、ここで待っているのは迷惑だろう。俺は先に目的地に向かうことにした。

 俺の相棒の、赤毛の少女イブ。俺たちが出会ったのは五年前だった。この地区の人間が地上で暮らすのを諦めた日、俺たちは出会った。

 始まりは、ラジオ放送だった。「只今を以って、ヨギ区を、放棄区に指定する」そんな抑揚のない音声に、大人たちは動揺した。泣き出す者、怒り出す者、逃げ出す者、色々いたが、数日後には呆然とする者だけが残った。

 俺は当時十二歳のガキだったからよくわからなかったが、周りの発言からなんとなく理解した。あの宣言で、俺たちの住むヨギ区は国から捨てられたんだ。

 放棄区指定が意味するのは、一言で言うとインフラの停止だ。生きる権利の剥奪、最低限度の生活の保障を受けられない。この区に住むのは自由だが、生きるも死ぬも勝手にしろ、本国はこの先一切関与せぬ、という事だ。

 放棄区という制度ができたのは、ここ十年のことだった。急激に上昇する気温、激しい気候変化、相次ぐ天災……世界は混乱し、消耗していった。国力を維持出来なくなった政府は、末端を切り離していくことで自らを守ることにした。それが放棄区制度だ。ヨギ区は幾度の津波、暴風雨に晒されたのち、ついに放棄区に指定された。

 呆然とする民衆の中、ひとりの獣人の男が立ち上がった。彼は提案した。俺たちに必要なのは涼を保つ電力と、食糧だ。区民は数戸の施設に固まり、蓄えを分配して過ごすしかない。国はせめてもの情けか、太陽光発電の設備を残してくれていた。全戸の冷房は無理でも、数戸なら快適な気温を保つことができる。

 国に保護してもらおう、と主張する者もいた。放棄区の人間は外国人、難民となるから以前とは違う待遇になるだろう。しかしどんな扱いになっても国の権力下で暮らす方がいい。そういう主張だ。

 ヨギ区の人間は二分した。残る者と、行く者。残る者は被災孤児や老人ばかり、僅か百人程度だった。

 ライズは残る者のリーダーとなり、居住地と蓄えを割り振った。そして持続可能な社会を構築するため、みなに仕事を与えた。

 俺は被災孤児だった。両親は一度目の津波に流されて死んだ。頼る親戚も友達もみな死んでしまい、どうでもいいと思って残った。施設に迎えられた俺は、同い年の子供達とグループになり、外でのちょっとした仕事を依頼されるようになった。

 イブとはそれからの仲だった。



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