第9章(2)
「こっちです、こっち」
ふわふわの尻尾を追った旅路がしばらく続いた。相変わらず風景は代わり映えせず、ポコポコした岩が続いている。
目印もないのによく迷わないもんだ。そう感心していると、犬は急に早足になり、やがて叫びながら走り出した。
「リバル、リバル〜〜!」
おいおい、見失っちまうぞ。俺も走り出そうとしたが、その必要はなさそうだ。
身の丈以上もある大きな瘤を通り過ぎ、俺たちは開けた場所に行き着く。
犬はキャンキャンと鳴きながら、そこでくるくる回っていた。広場の真ん中には、木のように成長した巨大な瘤があり、その根元に人が居た。
「ようこそ、到達者たち…………」
低く、よく通る声。全身の毛が粟立つのを感じた。
「よくぞ、ここまで到達した。おめでとう、お疲れ様だ」
拍手のつもりなのか。ゆっくりと手を叩くその人物は、黒い長髪、長身の……女だった。女性にしては鋭すぎる眼光に、俺は威圧感を覚える。
「君たちが寝ている間に、少し覗かせてもらったが……いろいろ大変だったようだな」
――まさかこんなにたくさんたどり着くとは。
何を言われているのか、理解できない。
ライズでさえ言葉を失っているなか、女は愉快そうに続けた。
「いや、良いのだぞ。子は産まれる前はいろいろと危惧しようが、生まれてしまえばみな可愛いものだ」
「……す、すみません。ここは、神さまの世界なんですか……?」
「ん?」
おずおずと尋ねるサファーに目を向ける。手のひらを目の前にかざし、その上にあるなにかを通すように彼女を見ながら、口を開く。
「神の世界……まあ、そんなものだろうな」
返答はそっけないが、口調は柔らかい。厳つい顔をしているが、案外気さくな人物のようだ。
「ここは私のアトリエだ。何もないが、寛ぐといい」
まあ、座れと言われたが、座る者はいない。特に疲れているわけでもないし、不思議と立っていることに疲労感を感じなかった。
そんなことより、気になることがたくさんある。疑問が次々と沸き上がってくる。
「俺たちの世界は……フラノールは、どうなったんですか……」
「ん?」
ひとり地べたに座り込んだ女は、不思議そうに俺を見上げる。
先ほどサファーにやったように、俺にも手のひらを向けてから、何やら納得したように頷く。
そして左の方を指さした。
「あれだよ」
そこにあったのは、大きな水溜まり。人一人分くらいの、あぶくを浮かべた汚らしい水溜まり。
「あれ……あれって」
「あれだよ。ついさっき、あれになったのさ」
ついさっきって。
「なかなか廃棄に手間取った。だからお前たちが来てしまったのだ。いやいや、来てくれたことは良いのだよ……」
廃棄? ……理解したくない。俺は、水溜まりをもう一度見た。
ポコポコとあぶくを出し、なにやら臭そうな蒸気を発生させている。きっとあの気体は、あの臭いがするのだろう。
「ルークさんは……ロミとレムは……シブレットは…………?」
聞きたくない、理解したくない、だけどつい口にしてしまう。
「……蒸発してしまった者については、わからんな」
俺の感情にお構いなく、女は馬鹿正直に答えてくれる。
「蒸発? なにそれ……」
呆然と呟いたライズに、女は向き直った。
同様に手のひらを向けて覗き見て、そして――豪快に笑う。
「ほう、お前はなかなか……すごいことをやったものだ。大したやつだな!」
膝を打って笑う姿は異様だった。
急に笑われたライズも、怪訝そうに眉をひそめている。
「愉快愉快。よいよい、外道でも良いのだ。全ては水溜まりの中の出来事」
何を言っているんだこいつ。
目の前のライズは、なにか思い当たることがあるのか、バツが悪そうに顔を歪めていた。
なんだよ、何をやったんだよお前……。
凍りつく空気を破るように、女は再び「座れ、座れ」とみんなを促した。
「水溜まりはどうでも良い。もっと建設的な話をしよう。ここには何もないが、何でもある。せっかく到達したのだから、何でも聞くがよい」
開き直ったように、ライズがふてぶてしく座る。それに合わせて、サファーとキューも座った。仕方なく俺も座る。ノギスだけは立ったままだった。
「自己紹介がまだだったかな。私はリバル、このアトリエに住んでいる」
そう名乗った女は、尻尾を振りながら駆け寄る犬を抱き上げる。
「この子は、ディクティス。その水溜まり世界の初めての到達者、君たちのお姉さんだよ」
犬は″どうだ!″という顔で俺たちを見回した。みんな一瞥しただけで興味なさそうに視線を逸らす。
俺は内心、鼻で笑った。ディクティス? ずいぶん立派な名前をつけられたもんだ。この女の趣味だろうか。
「ここにはいないが、君たちの前に兄が一人いる。そして――」
リバルは突然俺に目を向ける。
「君が、次男」
次にノギスに目を向けて、
「君が、次女」
ライズ、キュー、サファーと目を移していき、
「君が、三男、四男、三女」
と順番に指さしていく。
何の話だ。ままごとでも始めようってのか。
みんな困惑していた。サファーが末妹とは妙な話だ。
「すみません、それは、わたしたちがこの世界に来た順番とか、ですか?」
おずおずと末妹が手を上げる。なるほど、俺の後はそういう順番で送られたわけか。
そして一番初めにここに送られてきたのは″犬″。シフト博士に送られた犬……。
納得した俺だが、リバルは微妙な顔をして言う。
「そうとも言うが。……″生まれた順番″、だよ」
彼女なりのこだわりがあるらしい。その言葉は妙に強調されていた。
何だかモヤモヤする。
女の言うことが、全て癇に障る。
「到達者っていうのは、何? ぼくたちはここへ来て、何かをさせられるの?」
痺れを切らしたように、ライズが質問を重ねる。
未だに警戒は解いてないらしい。毛を逆立て、ギラついた目を忙しなく動かしている。
リバルはカラカラと笑った。
「落ち着け。ここには危険なものなどない。もはや、命をやり取りする必要はない」
その答えを聞いて、安堵しているらしい。ライズは長い吐息を漏らした。
「何をさせるわけでもない。何をしてもよい。私のように大釜で世界を作ってもよい、小釜で遊んでもよい」
「釜?」
キューがそう尋ねるが、恐らく見当はついているんだろう。周囲に取り巻くスズメバチの巣に目を向けた。こぽこぽと何かを煮る音がしていた。
「小釜では、大釜に入れる素材を作っている」
リバルは立ち上がり、一つの巣に歩み寄った。
「一から設計するのもよかろう。偶然に身を任せるのも面白い」
穴に手をつっこみ、何かをたぐり寄せるような仕草をする。やがて彼女の手には小さな鍋がつままれていて、それを逆さまにする。縁からとドロリと液が垂れ落ち、地面に広がった。
「最近は私もマンネリが酷いよ。同じようなものが出来上がる」
液溜まりを覗きながら、彼女はそうぼやいた。キューが立ち上がってそれを覗きに行くので、俺も倣って覗いてみる。
「な、何これ……」
俺の後ろで、サファーが息を呑むのが聞こえた。
煮液の中には、魚がいた。いや、魚が映っていた。ビチビチと跳ねる無数の魚が。
「おお、一匹珍しいのがいるな。見ろ、虹色の鯉だ」
珍しいが、この色を出す配列はわかっている。
その発言にサファーがすぐさま食いついた。
「配列? ユビグラムの配列のことですか?」
ユビグラム、結局ここでもユビグラムなのか。
俺は気分が悪くなる。
「ユビグラム……お前たちはそう呼んでいたかな。まあ、それと同じものかな」
リバルはつまらなそうに呟き、すぐに水溜まりに意識を戻す。
「見ろ、これは珍しい。ほら、残った水を掻き寄せているよ。これは記録をしておこう」
液だまりに手を突っ込み、魚を握る。引き上げた手のひらには、毛玉がひとつ転がっていた。それは一本の糸で出来ていた。
リバルは空の鍋を穴に戻すと、元の場所に再び座る。
「鍋に原料を入れて、煮る。気に入ったら工程を記録し、気に入らなかったら廃棄する。小釜で書いた処方を用いて、大釜で作ってみる。大釜はより複雑な環境が作れるから、もっと多様なものが出来上がる。私のアトリエは、それの繰り返しだよ」
リバルは遠い目をしながら言った。
その顔は、疲れているのか陶酔しているのか判然とせず、不気味だった。




