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衰退世界の夢想蝶  作者: 小柚


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第8章(3)

 それから仲間たちは、ライズの命令で即座に動き始めた。

 サファー、キュー、ノギスの三人は解析機の復旧に取りかかる。

「復旧できるか、じゃない。意地でも復旧させるんだ」

 ライズの声音に迷いはなかった。

 幸いここはサファーの母校だ。彼女は校内構造を把握しており、非常電源の起動に成功する。やがて低い唸りと共に機械が目を覚まし、非常灯が灯った。

 薄暗い室内に、わずかな光が戻る。

 ロミとレムは水の確保を命じられていた。

 食料は当面もつ。だが水は違う。滞在が長引けば命に直結する。

 ルークは「ちょっと探検してくるねぇ」と言い残し、ふらりと姿を消した。

 結果、室内にはライズと俺だけが残った。

 妙に静かだった。

 手持ち無沙汰にしていると、机に突っ伏したライズがそう呟いた。

「今度は逃げろなんて言わないよ。最後まで、死ぬまで、ぼくを守るんだよ」

 ――これは命令だ。

 顔も上げず、どこか夢心地な様子で言った。

「きみは命を懸けてぼくを守るんだ。良かったね、今度こそ立派に死ねるね……」

 嘲るようにアハハと笑うので、俺はつい顔をしかめてしまった。

 うるせえな。言われなくとも、もう逃げも隠れもしねぇよ。

 イブを殺したユビグラムに二度と従ったりするもんか。

 室内は地下といえど、地下鉄より暑かった。空調は動かない。じっとしていても流れてくる汗がうざったい。

 ライズが何も喋らないので、室内は沈黙で満たされている。ルークが居てくれたら、こんな気まずい沈黙はないだろうに。何か面白いものでも見つけたんだろうか、一向に彼が帰って来る気配はなかった。

 …………?

 静寂の中で、唯一聞こえる規則的な音に違和感を覚えた。それはライズの呼吸音だった。どんどん荒くなるそれに、俺は不安を感じる。

「リーダー?」

 目の前に突っ伏すライズ、その横顔を覗き込んでギョッとした。

「だ、大丈夫、ですか……?」

 ライズは口を開け、犬のように舌を出し、呼吸している。

 ゼイゼイと、熱を逃がすように。

「体調、悪いんですか?」

「……きみたちみたいに、汗腺が発達してないからね……」

 俺の問いかけからワンテンポ遅れて、ライズは憎々しげに応えた。

「それって、暑さが苦手ってこと……?」

 ″見ればわかるだろ″と言わんばかりに、ライズは顔を歪めて黙り込む。

 確かに、ライズの額にはほとんど汗が浮かんでいない。汗は体の冷却システムだから、それが正常に働かないとなると、体調が悪くなるのは当然だ。

 ……意外だな。そんな弱みがあったなんて。

 よく隠し通せたもんだ。上下する肩を眺めながら、俺はそう感心した。

 この衰退世界で、その欠点は致命的に思える。

 外で働けない男は疎まれ、呆れられ、やがては見捨てられるだろう。

 どんな共同体に属するにしても、肩身が狭くなるのは目に見えている。

 俺は荷からタオルを取り出し、水筒を傾けた。適度に湿らせたそれをライズの首元に掛けてやる。

「……水、きみのじゃないの?」

「別にいいですよ」

 ライズは特に礼も言わず、ふんと鼻を鳴らしただけだった。

 そんな欠点を持ちながら、ライズは共同体で終始優位を保てた。

 それは、彼がリーダーだったから。

 ライズはリーダーになることで、自然な形で部屋に引きこもる権利を手にしたんだ。

 大したユビグラムだな、と思った。生き残るために、そこまでするのか。

「……″神の世界″って、本当にあるんですかね」

 苦しげな呼吸音を聞いてられなくて、俺はそう呟いた。

「さあねえ。信じれば救われるってなら、ぼくは信じるけどね」

「……そうですね」

 再び沈黙が流れる。俺はさらに話を切り出した。

「神の世界には、海があると思いますか」

「さあねえ。あったらいいねえ」

「海があったら、俺、釣りをしてきますよ。今度こそ旨い魚を釣ってみせます」

「きみには、無理じゃないかなぁ。センスないもの」

 ライズはひひ、と妙な音を立てて笑った。その愉快そうな様子に、俺は調子づいて話を続ける。

「そんなことないですって。神の世界の海ですよ、釣る魚は全部美味しいに決まってます。鮪だって、鮭だって……あれ、鮭は川魚でしたっけ……?」

 俺はふと思いついたことがあり、声を弾ませる。

「そうだ、サンマがいいな、サンマを釣ってきますよ。捌いて調理して……俺、昔は料理人になりたいとか思ってたんですよ、一瞬ですけどね……」

 その時だった。

 愉快そうに聞いていたライズの様子が、変わったことに気が付いた。

 グググとくぐもった笑いが聞こえ、俺は話を中断した。

「サンマ、サンマねぇ……」

 苦しんでるんだか、笑っているんだか、グフグフと音を立てながら肩を痙攣させるライズに呆気にとられる。

「サンマ、好きなんじゃなかったでしたっけ……?」

「好き? ぼくが? サンマを?」

 思いもよらない反応だった。

 ライズは焼き魚が好きで、特にサンマが好きだって……誰から聞いたんだっけ。

 間違っていたのか?

 間違っていたにしても、なにかおかしい。

 ライズはぶるぶると震える手を握り締めると、絞り出すような声で言った。

「きみたちが喜ぶんだろう? ぼくがサンマを頭からね、バリバリと! 食べると! きみたちは笑って、ぼくにお金をくれるんだ」

 なんの話だ? ライズは何かにとりつかれたように、うわ言を続ける。

「ぼくがサンマを食べれば、お米が買えるんだよ。ぼくの口の中や喉に骨が刺さっても、きみたちが喜べば、ぼくはおいしい思いができるんだねぇ」

 サンマはおいしいよ、まったくもって。

 ゲラゲラと狂ったように笑う。焦点が合ってない目があたりを漂っている。

「でもねぇ、いまやぼくはサンマを食べなくてもいいんだね。今度はきみたちが、ぼくを喜ばせる番なんだよ……」

 サンマを頭から食べろなんてつまんないことは言わないよぉ。大丈夫、大丈夫。

 ……どこまで本心なんだろうか。ライズが正気じゃないことは明らかだった。

 熱性の頭痛でもあるんだろうか、ライズはひとしきり笑ったあと、痛みに堪えるように頭を抱え込んだ。

「ぼくは生き残るんだ……誰よりも長く、長くね、生き残るんだ、生き残る……」

 呪文のように、しばらくブツブツと呟き続ける。やがて声がフェードアウトし、再び静寂が訪れた。どうやら笑い疲れて眠ってしまったらしい。

 俺も一眠りしようかな、そう思ったとき。

 なにか、耳鳴りのような音がする。

 何だろうと頭を上げたとき、ライズがガバッと身を起こした。

「外……空…………空を見なきゃ……!」

 ライズはそう叫ぶと、椅子から立ち上がろうとして盛大に倒れた。

「何やってんですか!」

「空を、見ないと……」

 空? 疑問符を浮かべる俺にすがりついて、ライズは懇願する。

「連れてってよ、上にさ……。空が見たいんだ……」

「上にって……上は暑いですよ。その体調じゃ無理です」

「それどころじゃないんだ、早く、早く見ないと、手遅れになるかも……」

 ライズはただ、早く早くとごねるばかりで、要領を得ない。

 ……知らないぞ、どうなっても。

 俺は彼に肩を貸して立ち上がらせる。

 重い。思ったより、俺の体力も消耗してるらしい。ふらつく足で俺はなんとか廊下に出た。


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