第7章(4)
道の真ん中に、ドラム缶が置かれていた。
蓋は閉じられ、その上に泥がこんもりと積もっている。
レムが駆け寄り、泥を払う。蓋を開け、中を覗き込んで声を上げた。
「ここで少し休憩しましょう」
俺も覗き込む。
缶の底には、透明な水が溜まっていた。
どうやら蓋に仕掛けがあり、地下に染み込んだ雨水を濾過して回収できるらしい。
こうした不自然な“目印”は、道中いくつもあった。
ドラム缶、ポリバケツ、タイヤ――形は様々だが、どれにも奇妙な泥の山が積まれている。
それを見つけるたび、俺たちは休む。
地下鉄の旅は、ひたすらその繰り返しだった。
「いやー、ルノ区は遠いねぇ。何日かかるんだい?」
「このペースで行くと、三日くらいですね」
「三日かー。老体にはしんどいなぁ」
ルークはよく喋る。
しんどいと言いながら、灯りに照らされた顔は快活そのものだ。
対して、キューは青白い顔で俯いている。対照的だった。
「それにしてもチャフくん。きみ、よく付いてくる気になったね」
唐突に話を振られ、肩が跳ねる。
「……まあ」
「残っても、仕方ないですし」
「そうだね。きみの場合ね……」
ルークは俺の事情を思い出したのか、気まずそうに口をつぐんだ。
沈黙が落ちる。
やがて、彼は続けた。
「……でも、何も知らないだろう? この旅について」
「ええ、まあ」
「聞きたいこと、あるんじゃない?」
察する。
要するに、喋れということだ。
質問は山ほどある。だが、いざ促されると、うまく言葉にならない。
「いつから……こんな計画を?」
ようやく出てきたのは、それだった。
イブにも秘密にしていた計画。
少なくとも一年前には地下鉄ルートを確保していた。
――いつから、俺たちを捨てるつもりだったんだ。
「そんなの、初めからだよ」
馬鹿にするように、ライズはケラケラと笑った。
「行き先が決まったのは、サファーが来てからだけど。なんとなく準備だけはしてたねぇ」
「当てがあったわけじゃないんですか?」
「うん。サファーが来るまでは、なかったよ」
さらりと言ってのけるライズ。俺は呆気にとられた。
「当てもなく、地下道掘ってたんですか?」
「……きみ、ぼくのこと馬鹿にしてるでしょ?」
あえて否定はしない。サファーが噴き出すのが聞こえた。その向こうで、ライズが頬をふくらませている。イブの姿が一瞬重なり、胸の奥が痛んだ。
「まったく当てがなかったわけじゃないよ」
ふいと口笛を吹くと、ライズは反論を始める。
「おかしかったんだよ、初めから。そうは思わなかったかい?」
「おかしいって……?」
「国の放送だよ」
放送? 思いもよらない単語が出た。俺は軽く記憶を探ってみたが、特に引っかかるニュースはない。
「俺、あんまり聞いてなくて……」
「そんなに考えるようなことじゃない。単純な話だよ」
ライズは落胆したように短く息をついた。
何だよ。みんながみんな、お前みたいに察しがいいわけじゃない。
ライズは腕を組んで言葉を続ける。
「国はかなり初期から、解析師の罪を言及してたよね。それは初めから解析師全般に対するもので、一個人の名前が出てくることはなかった」
「解析師の取締りが始まったのは、放棄区制度ができるより前でしたよね。確か″スイッチが切られた″という発表の直後からです」
レムが補足情報を呟く。俺は朧げな記憶を掘り返した。
小学生だった俺には内容はよくわからなかったが、解析師否定派の両親が、ニュースを見て歓喜していたのを思い出す。
「あの発表があって、世界は解析師を警戒し始めた。あの頃はユビグラムをいじれるのは解析師だけだと思っていたからね」
ライズの視線を受けて、サファーが口を開く。
「……初めは解析師がやったんだと思われてたの。″人間には無理だ″って証明するためにわたしたちは躍起になったけど……」
「人間がやったんじゃないと証明された途端、神のお怒り説にすり代わり、結局逃げ場が塞がれてしまったんです」
ギリリと歯を鳴らすキュー。
自分のことのように苛立ってみせているが、年齢的にこいつが解析師であるはずがない。
取締りが始まってから、解析師の真似事をはじめたのか? ずいぶん奇特なやつだなと思う。
「と、まあ……話がずれたけど、ともかく、初めから政府は解析師全体をターゲットにしてたわけだ。そこがそもそもおかしいんだよ」
なにがおかしいのか、やはりわからない。
首をかしげる俺に、ライズは言った。
「解析師の下っ端なんかより、責任をとるべき個人がいるはずなんだ」
そう断言されて、俺は、あ、と声を上げる。確かにいる。責任を取って然るべき存在。
「ユビグラム研究の祖、『シフト・クラウジウス』――彼が引き合いに出されないのはおかしいんだよ」
言われてみれば、単純な話だ。どうして今まで気付かなかったんだろう。
解析師という括りに、当然含まれていると思い込んでいた。
だが違う。
“彼”は、別格だったはずだ。
なぜ、責任の中心にいない?
「博士も当然監視下に置かれていたと思ってたんですが……」
「ありえないよ」
素直な考えを述べたが、はっきりと否定された。
「解析師を見せしめに処刑しようとしている政府が、一番の責任者である博士を引き合いに出さないなんてありえない」
――一番初めに、一番惨たらしい方法で処刑すべきなんだ。
その強い言葉に、キューが露骨に顔をしかめる。
「それに、このユビグラムの改変。人間には無理だと言われているけど……ユビグラムに精通している博士だったら可能かもしれない。野放しにするなんてありえない事態だよ」
だから、とライズは一息ついて、腕を組み直す。
「ぼくはね、思ったんだ。博士は逃げたんだよ。政府はみすみす逃してしまったことを公にしたくなくて、あえて博士の話をしなかった」
そして――
揺れるカンテラが、ライズの金目をギラりと光らせる。
「この世に安全な場所があるとするなら、それは博士だけが知っている。博士を辿ることが、この世界を生き延びる唯一の鍵だ」
その目には、闘志とも野心ともつかない光が宿っている。 何が何でも生き延びる、という強烈な意志。
ここにいるメンバーは、程度の差こそあれ、みんな同じ方向を見ていた。
俺は自分の五年間を思い出す。
こんな世界で生きても仕方ないと、ただ流されるまま漂っていた。
いずれ滝壺に飲み込まれることはわかっていても、岸に向かって泳ごうとはしなかった。
だって岸なんてどこにも見えなかったし、仮に見えたとして、それがただの藁だったらどうするんだ。
「ぼくの考えが間違っていなかった。そう確信できたのは、サファーが来てくれたからだよ」
ライズは柔らかな笑みを浮かべ、カンテラを彼女に向ける。
「サファーはぼくに素晴らしい情報を持って来てくれたんだ」
「え……サファーさんは、博士の居場所を知っているんですか?」
まさか、ルノ区に?
そう聞くと、サファーはアハハと笑った。
「まっさか〜。そんなとこにいるんならとっくに捕まってるよ」
違うのかよ。 この流れならそうだと思うだろ。
自分の単純さに、少し顔が熱くなる。
「わたしが伝えたのはね、シフトくん……シフト博士が蒸発したってことと、それから、わたしに届いた怪文書の話」
「怪文書?」
サファーは懐から一枚の紙を取り出した。
何度もシワを伸ばされたらしい、ヨレヨレの紙を開くといくつもの灰色のシミがあった。雨水で滲んでしまったんだろう、かろうじて読めた内容は……こんな文章だった。
『サファーさん、お元気ですか。
僕たちのタイムカプセルはいまでも、あそこに眠っているんでしょうかね。
僕は犬だと思うんです。
お先に失礼します。あなたにはいつかまたお会いしたい。
あなたの友人 S』
太陽がないこの世界は、時間の感覚が緩慢になる。
夜らしき時間に眠り、朝昼晩に飯を食う。出来るだけ規則的な休息をとることで、かろうじて体調を保っていられる。
カンテラに油を継ぎ足すライズの隣で、俺はさっきの手紙を食い入るように見つめていた。
「シフトくんはね、わたしと同級生だったんだよ」
「じゃあ、このSはシフト博士なんですか」
サファーは頷く。確信めいた様子だった。
足元に食事が置かれる。数時間前と同じ、三カケの乾パンと、拳大の干し肉。基地にいた時より豪華なのは気のせいだよな、と思いつつ齧る。
「そんなに見たところで、暗号とかじゃないですから」
呆れたようにキューが呟く。
「うるせえ。暇なんだから、いいじゃねえか」
そう反抗的に言ってやると、面食らったような顔をした。
そういえば、こいつへの文句はいつも頭の中だけで、口に出したことはなかったっけ。
「案外、子供なんですね……」
うるせえよ。今度は頭の中に留めておいて、俺は視線を紙に戻した。
『ぼくたちのタイムカプセルは、いまでもあそこに眠っているんでしょうかね』
怪文章ではあるが、確かに暗号のような印象は受けない。そのままの意味が伝えたいんだろう。
「ふたりで、タイムカプセルのようなものを隠したの。それを知っているのはシフトくんだけ」
「それが、ルノ区に?」
頷くサファーを見て、ようやく話がつながった。
これがライズの見つけた『岸』か。なるほど、頑張って泳いでみようと思うのもわかる。
「犬、というのはなんなんですか?」
「同封されてたメモリーカードに、いろんな動物のユビグラムが入っていたの。多分そのことだと思うけど……何が言いたいのかはまだわからないんだ」
なんだよ。立派に見えるが、頼りない岸だな。
「ルノ区に行ってみないことにはね」
ライズの呟きに、みんなが同意する。俺は畳み直した紙切れを、サファーに返した。




