第7章(1)
「傷の具合はどうかな?」
数日後。珍しく、サファーがひとりで個室を訪れた。
するりと包帯を外される。
ピンク色の新しい皮膚が覗いた。
「うん、綺麗だねー。指先に痺れとか違和感はない?」
右手を動かして見せる。
「大丈夫です」
サファーはほっと笑った。
「じゃあオッケー。あと数日は包帯しておこうね。出発までには完治しそうだね〜」
「出発までって……」
勝手に俺は行く方に組み込まれているようだ。別に異論はないんだが、何だか複雑な気分だ。
「サファーさんは、行くんですか?」
「え? チャフくんも行くんでしょ?」
「そりゃ、まあ……」
俺の困惑の理由が良く分からないのか、サファーは不思議そうに首を傾げる。
「どこか、行く当てがあるんですか」
「もちろん、当てがなきゃ出れないよ〜」
あははと笑う彼女。そりゃそうか。さすがにアテがなきゃただの自殺行為か。
「わたしたちはね、ルノ区に行くんだよ」
「ルノ区……」
最近その名をどこかで聞いた気がする。たしか、ラジオで……放棄区指定を受けたようなことを言ってたな。
放棄区から放棄区に行くのか?
ここが指定を受けた時を思い出す。ライズがまとめあげるまでの混乱は、酷いものだった。
あまり気乗りはしないな。
また新しく基地を作るのか? そして持続可能なシステムを構築して……。
めんどくさい。非常にめんどくさい。
そう思わないんだろうか、こいつらは。
せっかく積み上げてきたものを捨ててまで、行動を起こすメリットがあるとはどうしても思えない。
「どうして、そんなに……頑張るんですか」
もやもやを吐き出すように、言葉が出る。
「そこまでして……何がしたいんですか。世界を救いたいんですか?」
サファーはきょとんとした顔で見る。一刻のあと、眉を寄せて口を開く。
「うーん、世界を救う、かぁ。もしかしたらキューくんあたりはそんなこと考えてるかもしれないけど、わたしは違うかな〜」
俺の怪訝な視線に、サファーは照れ笑いを浮かべながら話を続ける。
「わたしは生きたいだけだよ。ここの誰よりも長く。国の誰よりも長く。そのために世界を救わなきゃならないなら、わたしは救うために頑張るよ」
″生きたいだけ″。意外な答えに面食らった。
余程の大義があるのだと思っていた。
だって、生半可のことじゃない。国から追われ、基地のみんなから非難され、罵倒されながら研究を続けるなんて。
「生きたいだけ……」
脳裏に、とある騒動が浮かぶ。
津波が来たとき、地上にいた連中。やつらは、地下を見殺しにしようとしていた。
その姿を醜いと思ったが、結局俺もそうだった。
生きたいために、穴のなかで縮こまっていた。
「人間が生きようとするのは、義務だから。生きたいと思うことは、自然なことだよ。たとえ生き残ることに何の意味もなくてもね」
軽快な笑い。俺は全身の血液が逆流するのを感じた。
義務? 義務ってなんだよ。
『生き残ることに、なんの意味もなくても』
脂汗が滲んでくる。不快なもやもやが肺の中を立ち込めるようで、俺は浅い呼吸を繰り返した。
「……それは、ユビグラムに、書かれていることなんですか? ″生き残りたい″って、そう思うように」
舌が絡まる。言いたいことが上手くまとまらない。
「世界は滅びるように書き換えられたのに、俺たちのユビグラムは未だ、生きたいと思うように書き込まれていて……。実際には望んでいなくても、望まされる、その時になれば、望まされる」
俺のユビグラムには生まれつき、「誰を犠牲にしようと生き残りたい」と書かれていて、それは一生変わらない。どんなに長く生きようとも、変わらない。これから先も俺は逃げ惑いながら情けなく生き続けて、醜い姿で死ぬ。
「そうだよ」
凛とした声に、息が止まった。
「ユビグラムに書かれていることがわたしたちのすべて。わたしたちの言動、考え方……全てがユビグラムに則って決定されるの」
人間のユビグラムには誰しも書いてある。
″生きたいと願え″と。
自信満々に言い放たれる言葉が、俺の心臓を握り潰す。
「その内容が書き換えられない限り、一生わたしたちはその奴隷なのよ」
それは、死刑宣告のようだった。
どくどく、どくどく。
耳の奥で、どろついた血液が逆流する音が聞こえる。
どくどく、どくどく、どくどく……。
「チャフくん?」
心配そうにのぞき込むサファー。分厚いメガネの奥に見開かれた青い目を直視できない。
「すみません、その……ひとりにして、もらえますか……」
「え……」
「ひとりに、して、ください」
サファーは腑に落ちない様子だったが、のろのろと立ち上がる。
「あさってくらいでいいから、うちに来てくれるかな? 包帯、とれると思うし……」
遠慮がちにそう言い残して、部屋を後にした。
「どうして……」
扉が締まるか、締まらないかの瞬間に、俺の口から言葉が漏れた。
「どうして、書き換えてくれなかったんだよ……」
頭を抱える。包帯の、ざらついた感触が腕を擦る。
神さま、世界を書き換えた神さま。
どうして書き換えてくれなかったんだ。
世界を書き換えるのと一緒に、人間も書き換えてしまえばよかったじゃないか。
「俺のユビグラムを……」
無駄に生き延びないように。
醜く生にしがみつかないように。
俺が望んでいたように、イブを守って高潔に死ねるように。
どうして書き換えてくれないんだ。
ぐう、と腹の音がした。
毎日ノギスが配給を運んでくれていた。今日はまだ来ていない。俺はそれを待ち焦がれていた。
……腹減った、喉が渇いた。
水筒を手に取ろうとして、床に倒してしまった。手が震えて、上手く掴めない。俺は諦めてまた頭を抱える。
未だに俺は生きようとしてる。
イブを見殺したユビグラムが、俺に生きろと命じている。
無意味な生にしがみつけと無理強いしてくる。
俺はそれに逆らうように食欲をなくしていたが、腹は鳴り止んでくれない。
ぐう、ぐう。うるさい、うるさい。
イブを殺したくせに、どうして俺には生きろって……。
俺の意思とは裏腹に、腹は鳴り続ける。
確かに俺は奴隷だった。ユビグラムの奴隷だった。
どんなに抗おうとしても、空腹からは逃れられない。
腹の虫を泣き止ませるために、その後ノギスが運んできた肉団子を、俺は大人しく食うしかなかった……。




