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衰退世界の夢想蝶  作者: 小柚


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第6章(2)

「うわあああああ!!」

 俺は叫んだ。耳を塞いでも止まない声を、かき消すために。

「あああ……!」

 止まない。止まない。

 イブの声が、頭の内側で反響する。

 ナイフで内側から掻き裂かれるみたいだ。

 痛い。痛い。痛い。

 爪がこめかみに食い込む。

 皮膚が裂けても、胸の痛みの方が強かった。

 どうして忘れていた?

 忘れようとしていた?

 こんなにもはっきり覚えているのに、どうして。

 俺は頭を掻き毟る。爪が皮膚を割る。血が滲む。

 痛い。寒い。心臓が軋む。

 誰かに手首を掴まれた。振り払う。

 ――もしこれが本当なら。

 とんでもない話だ。

 イブは逃げなかった。

 俺を探しに来た。

 そのせいで、襲われた。

 俺は――耳を塞いでいた。

 気付かないふりをした。

 ……見殺しにした?

 なあ俺。

 イブを守るんじゃなかったのか。

 守って死ねたらいい、って。

 話が違うだろうが。

 しかも俺は忘れていた。悲劇の主人公ぶっていた。

 あわよくば忘れたまま生きようと思って……

 最低だ。

 細い腕が、視界に映る。血に染まった細い腕。

 イブの腕かと錯覚して、息が止まる。

 違う。ノギスだ。

 彼女は無表情のまま、俺の両手を引き剥がし、そっと頭に手を添えた。

 黒い瞳が、まっすぐ俺を見る。

 相変わらずの無表情。まっすぐ向けられる黒い瞳からも、何も読み取れない。

「……なあ、ノギス…………」

 俺の口から、自然と言葉がこぼれる。

「俺って、最低な人間なんだよ……今まで全然気付いてなかったんだけど」

 乾いた笑いが漏れる。

 こんなときに何笑ってんだよ。

 そう思ったが、喉の痙攣は治まりそうもない。

「俺はきっと、元々そういう人間だったんだろう。追い込まれたら本性が出るって言うし。きっとこっちの俺が本当の俺なんだろう」

 自分の身が一番可愛くて、他人なんてどうでもいい。

 元からそういうやつだった。

 俺はページをめくるみたいに過去を辿る。

 イブが好きだった。

 愛していた。

 あいつの幸せを願っていた。

 ……それは本心だったのか?

 それとも、俺がそうありたいと思って演じていただけか?

「なあ、ノギス……」

 俺は彼女の肩を掴む。

「お前のユビグラムは、全部解析できてるんだろ……?」

 俺は目の前の少女の正体を思い出していた。

 「人型完全ユビグラム再現体」

 彼女のユビグラムは完全にスキャンされていて、サファーによって何度も何度も再生されている。

 サファーはノギスのことを「人間じゃない」と完全に理解しているし、実際ノギスには感情も感覚もないように見える。

 今までは、なんとなく聞き流していた。

 でも今は気になった。

 ユビグラムって言うのは、どのくらい人間のことを書き表しているんだろう。

 感情や感覚まで操作できるというなら……覆い隠された人間の本性まで、ばっちり書き表すことができるのか。

「俺のユビグラムには、書いてあるのかな。俺の正体について……俺が本当はどうしようもない最低の臆病者だって……書いてあるのかな」

 搾り出した声は、情けなく震えていた。

 ノギスは微動だにせず、聞いていた。

「初めから、生まれた頃から書いてあったのかな。自己愛の塊で、それしか頭に無くて、他人のことなんかどうでもいいと思ってるって。なあ、どう思う? どうなんだ? なあ!」

 表情はない。ないが、ノギスは困っているように見えた。

 困らせてるんだろう? 俺が。

 全く、本当にどうしようもない男だなあ!

 俺は頭を抱えた。

 俺は、取り返しの付かないことをしてしまった。

 イブと過ごしてきた五年間が浮かぶ。

 何でもない日々。

 笑って、喋って、それだけ。

 だけど、幸せだった。とても幸せだった。

 なのに、終わりが、これって、ありかよ。

 「見殺しにした」

 その言葉が、全部を引き裂く。

 俺は死ぬべきだったんだ。

 気付く前に死ぬべきだった。

 ――「真相を忘れているうちに死ぬ」

 卑怯者の俺が、自分を守るために記憶を封印していた時間。

 そこが、俺が幸せでいられた最後の地点だった。


『母さんにとっての幸せは……あなたより先に』

 アナタヨリサキニ。

 イブヨリサキニ。


 俺は、悟った。俺の幸せは、二度と訪れない。

 遅いんだ、もう全てが、遅いんだ。


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