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衰退世界の夢想蝶  作者: 小柚


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転ー【1】

 突然に日常が崩れ去ることはよくある。こんな生活じゃあ、その可能性はほぼ百パーセントだ。直近の例があの青年組だ。ニールとロイドの突然死。サリーは謹慎期間を終えたが、人が変わったように攻撃的になっている。残されたミレーニアはいつも一人寂しそうに物思いに耽っていた。それを不憫だと感じてはいたが、いつかは当然起こることが起きただけだ、なんて冷たい感情も浮かんでいた。

 そう、その絶望はいつか俺たちにも訪れる。生きている誰しもに訪れる。ただ早いか遅いか、違いはそれだけ。

 だから仕方が無い。俺はわかっていた。わかっていたつもりだった。


 今日は久々に夕班に組み込まれた。日が傾きはじめた十六時、俺たちは装備を身につけて外に出た。

 採集籠がギシギシとリズムを刻む俺たちの行進は、草原を渡り緑地帯へとたどり着く。前回の採集で、有用そうな生体がいくつか選ばれた。それを集めに行くのが今回の任務。同じ任務を与えられたグループは三組で、ここで別れて各々担当の区域に向かう。

「①、はっけーん!」

 先をゆくイブが手を振る。数日前見つけたキノコは、さらに生息領域を殖やして笠を広げていた。

 内班より、″キノコは木からもいできても良い″とお達しを受けていたので、俺たちは無造作に掴んでは採集籠に放り込む。なんでも乾燥させて使うらしい。薬になるとかなんとか言っていた。

 地図を確認する。①から⑤まで、生息地帯がひと目でわかるようになっている。もちろんそこ以外にも生息している可能性があるし、逆にそこにはもう無いかもしれない。あくまで参考程度のものだ。 

 ガサガサと足音がうるさい。枯葉が堆積した地面は常時足首まで埋まってしまう。鬱陶しい。俺は大きく足を払った。

「やだー、やめてよー。籠に入っちゃうじゃない」

 蹴りあげた枯葉が砂化して舞い上がる。イブが後ろで悲鳴をあげた。

「わりぃわりぃ」

 反省した俺は普通に歩を進める。森の中は油断するとすぐ方向がわからなくなる。俺は地図を広げ、先ほど確認したロープの番号から、現在地を予測した。

「③が近いかな」

「えー、あのアブラムシみたいなの? やだなあ」

 出発前、③の写真を見せてもらったときの嫌悪感を思い出す。葉の裏側にびっしりと黒いつぶつぶが張り付いていた。あれはさすがに気持ち悪い。いくら虫には耐性が出来てきたと言えど、あれは厳しい。

「仕方ないだろ、仕事だ」

「うー」

 頬を膨らませるイブが可愛い。仕方ない、俺がとってやるか。こういう時くらいしか良い所を見せられないんだから頑張ろう。地図をしまって周囲を見渡す。写真で見たようなデカい葉はないかな、と辺りをさまよう。

 その時、カツンとつま先に硬い何かが当たってバランスを崩した。

「……?」

 木の枝かと思ったが、何かおかしい。それは俺のつま先にまとわりついて来た。恐らく穴があいていて、そこに俺の靴がすっぽり入ってしまったようだ。

「チャフ〜だから、やめてって……」

 足を振り上げると、つま先から何かが飛んだ。俺の目はそれを追いかけて……。

 カツン、カツン。木の幹にぶつかってそれは地に落ちた。

 イブが息を呑む音が聞こえる。それは、よく知っているようであまり馴染みのない物体。馴染みたくもない物体。

 黄ばんだ髑髏が枯葉の山から半分顔を出して、俺を見つめていた。

「な、何……?」

 イブの声は震えている。俺の頭はしびれてうまく働かない。

 人間の頭蓋骨……。一体誰の?

 遠くで枯葉をまき散らす足音。そして空気が唸る音が聞こえた。

 振り向こうとした瞬間、右肩に衝撃が走った。浮遊感と共に背中に激痛が走る。白んだ視界を振り払って頭を上げると、目の前に黒い姿が映った。

「チャフ!」

 近くでイブの声がする。駄目だ、そんな近くにいちゃ。

「……げろ! やく……」

 叫んだつもりが、うまく発音できない。俺は辺りをまさぐると、何かが手に触れる。確認もせずにそれを目の前の相手に向けてぶん投げた。

 潰れた採集籠だった。中身がぶちまけられて黒い巨体が一瞬怯む。その隙に俺は駆け出した。出口に向かう? いや、そんな悠長な判断はできない。とりあえず逃げるんだ。

 道は最悪だ。枯葉を踏み鳴らしながら夢中で翔ける。足は取られるし音はうるさいし、とても逃げ果せるとは思えない。背後に気配が迫ってきているのがわかった。

 背中には武器を背負っている。剣とボウガン。後ろ手で剣の柄の留め具を外す。

 脳裏に、ライズの言葉が浮かんでくる。

『倒そうなんて考えないでねぇ、きみたちには無理だから。』

 その通りだ、俺は直感する。

 反射的につかんだ剣を背後に投げる。気配が少し遠のいた。当たりはしなかったが、距離はとれたか。

 俺の心臓が軋んだように痛み出す。ぞくぞくと全身の毛穴が収縮する。再び、背後に獣の息遣いが迫ってきた。だめだ、このままだと、追いつかれる……。

 前方の地面に、隙間を見つけた。木の根が巨石に乗っかることで出来た自然の洞窟。俺は僅かな隙間に滑り込んだ。中は予想以上に広かった。スカスカな巨木の内部に繋がっていて、俺の体はすっぽりと納まる。足の裏が裂けたのがわかった。相手の爪が俺の靴を奪っていったようだ。

 真っ暗な空洞の中、俺は足を庇うように身を縮めて入口を振り返る。毛むくじゃらの腕があたりを掻き回し、木片を撒き散らした。しばらくそいつは蠢いていたが、やがて諦めたように腕を抜く。ドスドスと振動が響いた後、枯葉の音が遠ざかっていく。

 思い出したようにドッと汗が吹き出した。右肩や背中に染み込んで痛みが走る。心臓が痛い。目の前に渦巻き模様が揺れていた。俺は酸素を求めて喘ぐ。

 しばらくして、鼓膜をつんざくような奇声が響いた。俺は思わず耳を塞ぐ。やつの鳴き声だろうか、なんて声で鳴きやがるんだ。

 やめてくれ、はやくどこかへ消えてくれ。

 ドスドスと地響きが聞こえるのを、身を縮めて耐えた。目を瞑ると、肩の痛みが増してくる。今まで経験したことのない痛みだった。熱いのか痛いのかよくわからない。

 入口から注がれる僅かな光を頼りに、右肩を見る。真っ赤だ。大きく三筋に抉られた痕があり、白っぽいものが覗いていた。これはひでえ。頭がクラクラしてきた。

 これは命に関わるほどの怪我なのか? あまり怪我をしたことが無いからよくわからない。足の裏の傷は大したことはなさそうだ。背中は、確かめようが無い。

 どうしてこんなことに。あれはニールたちを殺した″犬熊″だろうな。俺たちはいつの間にか縄張りのロープを超えてしまったのだろうか。いや、そんなはずはない。

 しかしあの頭蓋骨、思い当たる人物は一人しかいないじゃないか。未だ死体が発見できていないロイドだ。

 深呼吸をする。脳に酸素が行き届き、頭がだんだんはっきりしてくる。

 イブはうまく逃げただろうか。やつが俺を追っている間、イブには逃げる時間があった。イブは俺より足が速いから、きっと大丈夫だろう。

 ドスドスと振動は止まない。何か外が騒がしい気がする。枯葉が踏み散らかされる音がする。キイキイと甲高い奇声が聞こえる。その声になんだかとてつもなく寒気を感じて、俺は耳を塞いだ。

 耳を塞ぐと声は聞こえなくなり、わずかながら心が安らぐ。しかし、肩の痛みは消えない。

 俺は、死ぬのか? 胸のあたりにできた氷の塊が、内部から全身をチクチクとつつく。気温は高い筈なのに、両肩が冷たくなっていく。俺の体はガタガタと震え始めた。

 一体、何が起こったんだ?

 だって俺は、ついさっきまでイブと一緒に。これからもずっと……そうだろう? 痛みが俺に逃避を許してくれない。現実はここだと叫ぶように、激痛が押し寄せる。

 足音が消えた……? 俺は耳をすませる。出るなら今かもしれない。上着を割いて足に巻き付ける。さすがにこのままじゃ走れない。靴の代わりだ。

 残った布を肩に巻き付ける。片手じゃうまく縛れず、出血は止まりそうもない。

 ここを出ないと。場所はバレてんだ、ここは安全じゃない。そう言い聞かせるんだが、俺の体は動こうとしなかった。

 だって、あいつがほんとに去ったとは限らないだろ。

『……無駄なカロリー使うなよ』

 頭の中で誰かの声がする。

『どうせそのうち死ぬんだから。大人しくしてろよ』

「……何言ってんだよ」

 歯をギリリと噛み締める。死にたくない、死にたくねえよ。

『……生き残ったところで、お前は何をするんだよ。毎日だらだらと寝て、たまにイブと喋れるのに喜んで、どうやって死ぬのがいいか考えてるだけ。今死んだって同じことじゃねえか』

「違う、違う……」

 違わない。確かに何も違わない。けど俺は、違うと思いたかった。死にたくなかった。自分という存在を失いたくなかった。

 ″死ぬ″って何だ? 俺は想像しようとした。

 何もない世界。突如として連続世界から切り離されるんだ、ハサミで切るように。ぷつりと。 

 そこにはなにもない。光も闇もなにもない。今のこの世界より、なにもない場所。

『同じなんだ、昔も今も』

 別の声が聞こえた。

『何も変わりゃしない。こんな世の中でも、俺の人生は一度きり……』

 シブレットの言葉が、頭の中で繰り返される。

「同じ……」

 言われたときは、よくわからなかったけど。今ならその意味がわかる。

 同じなんだ。死んだら終わり、それは同じなんだ。

 ″この世界は夢で、いつか元の世界で目を覚ます″。まさかまだ俺はそんな夢想をしていたんじゃないか。馬鹿らしくて笑えてくる。

 ″いつか世界は救われて、俺は自由になれるんじゃないか″。腹の底では、そんな期待をしていたんじゃないか? そうでなきゃ、あんなに無気力でいられるもんか。

 俺は受け入れてなかったんだ。理解したふりをして、何一つわかっていなかった。

 視界がぐにゃりと歪んだ。温い水が頬を伝ってぼたぼた落ちる。

「う、うう……う……」

 腹の底から嗚咽が込み上げる。こんなに涙があふれるのは何年ぶりだろう。両親が死んだ時すら、涙なんてこぼれなかった。母が腐っているのを見ながら俺は妙なことを考えていたな。思えばあの時から俺は、現実を生きることを止めていたのかな。

 いくら避けようとも、目を瞑ろうとも。俺の時間は今しかなかったんだ。初めから。

 幸せになりたいと思うなら、今幸せにならなきゃ駄目だったんだ。

 シブレットは気がついたんだろう。多分、あの墓穴を見た時に。

「墓穴……」

 ふと気付く。ここは墓穴みたいだな。寒気が背中をかけあがった。洒落になんねえ。早く出ないと。

 ずりずりと穴を這い出る。あいつがいたらまた戻って来ればいい。その時は本当にここが墓穴になるかもしれない。

 もし……。もし無事に帰れたら。俺はぐらつく頭で決意を固める。

 俺はイブに告白しよう。そしてライズに頼んで俺たちの城を貰って……。なんだか、悪くないぞ、俺の人生。

 非難されてもいい、後ろ指さされてもいい。

 大体、″罪深い″とか言い訳していたが、一体俺は誰に対して罪を感じていたんだろう。どうせ神さまは見てやしないと言っていたのは誰だよ。

 結局は、俺も救いを求めていたんじゃないか。品行方正で賢明な俺はきっと救われるはずだと。馬鹿なやつだ。救いようもない馬鹿だ。

 神さま、愚かな俺を許してくれなくてもいい。だから今だけ、俺を救ってくれよ。

 ほんのわずかでもいい、幸せな人生を送ってから死にたいんだ。なあ、頼むよ、頼むよ……。


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