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衰退世界の夢想蝶  作者: 小柚


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第4章(3)

 その後、約束の時間の五分前に、俺は会議室へ向かった。

 会議室は異様な雰囲気に包まれていた。

 定刻五分前だというのに、人数が明らかに少ない。しかも顔ぶれが妙だ。ライズ親衛隊のレム、足を負傷した若い男ロミ、内班のリーダー格であるルークというおっさん。そして部屋の隅に、ちょこんと座るイブ。

 俺は彼女の隣に腰を下ろす。

 結局それ以上人は来ず、開始時刻を迎えた。

「みなさん、こんにちは。本日も講師を務めさせていただきます、サファーです」

 “みなさん”というには少ない参加者をぐるりと見回しながら、サファーが言う。

 この濃い面子の中で浮いている俺に、特別目を留める様子はない。少し不安だったが、どうやら呼び間違いではないらしい。

「今回は前回の続き、ユビグラムの応用についてご紹介します」

 今日もキューが黒板をカツカツと鳴らす。機械のように整った文字で、

『地震に関わるユビグラム群』と書いた。

「本日解説するのは、我々の研究で明らかになった地震発生のメカニズムです」

 地震?

 ふと脳裏をよぎる言葉。

 ――地震のスイッチ。

 サファーが以前口にしたやつか。

 横を見ると、イブが目を見開いている。他の参加者は特に驚いていない。さすが中核メンバー、既に研究の概要は知っているということか。

「地殻や海などの広大な構成物は、三つ組の長鎖ではなく、特殊な構造をとる場合があります。記号ハルトが四本まで結合を持てる可能性があることは、前回説明しましたね」

 そんな話あったか? と口を挟む空気ではない。

「そのハルトがそれぞれ三本ずつ結合を伸ばし、広大なハニカム構造を形成している領域があります。これは地殻を表していると考えられています」

 黒板に蜂の巣のような図が描かれる。

 その間に白い丸が点々と打たれていく。無作為に見えながら、列を成したり、塊になったり、どこか意図がある。

「地震は、この構造の断裂によって発生します」

 いくつかの丸が黒板消しで消される。

 長く並んだ部分には“大地震”、短い部分には“小地震”と書き添えられた。

「この断裂の原因は、ハルトに混在した記号イーニッドの消失です」

 白い丸が次々と消される。

「イーニッドの消失――これこそが地震のスイッチです」

 部屋の空気が、わずかに張り詰めた。

「長らくその消失メカニズムは不明でした。しかし先日、ついに突き止めたのです」

 サファーの顔が、生き生きと輝く。

 目がらんらんと光り、研究者というより、発見に酔う少女のようだ。

「イーニッド配列を監視していたところ、記号グロウの渦巻きが発生しました。それは周囲のユビグラム群を押しのけながら進行し――」

 早口が加速する。

 黒板には渦巻きが描かれ、それが白い丸を次々と潰していく。

 理解は、そこで諦めた。

「……という仕組みで地震は発生します。お分かりいただけましたか?」

 満面の笑顔。無性に腹が立つ。

 “絵にしたらわかりやすいでしょ”と言いたげな目が、特に。

 実際に見せろよ。

 蜂の巣も渦巻きも、いったいどこにあるんだ。

「なにかご質問は」

 勢いよく手が挙がる。

「あのう、先生。お尋ねしたいのですが……」

 レムだ。もたもたとメモをめくりながら立ち上がる。

「その技術は、何に応用できるのでしょうか。地震予知ですか?」

「はい。渦巻きを検知するシステムを構築できれば、予知は可能です」

 即答。レムは必死に書き取る。

「でも……予知って必要でしょうか。逃げ場はありませんし、心の準備とお祈りくらいしか……」

 語尾が曖昧に消える。

 相変わらず、最後まで言えないやつだ。

「確かに、予知は限定的かもしれませんね」

 サファーは苦笑した。

「では予防は? 渦巻きを消す技術があれば……」

 ロミだ。熱心な目で黒板を見ている。

「それはいい。耐震構造を信頼しているとはいえ、地震は毎回肝が冷えるからな」

 ルークが軽く笑う。

「残念ながら、渦巻きを消す技術はありません。あの配列は動きが不規則で、結合が安定しています。取り除くのは困難です」

 きっぱり。三人の顔に失望が走る。

 しかし彼女はその後、一言加えた。

「でも――渦巻きを発生させることなら可能です」

 静まり返る部屋。

 発生させてどうする? それこそ意味がないだろう。

 俺たちが困惑している中、予想外の位置から声がした。

「確かに、予知にはあまり意味がないし、防ぐことだって大した意味はないよ」

 ライズだ。

 暗がりに溶け込んでいた彼が、ぎらりと目を光らせている。

「でも、自在に操れるならどうかな? 例えば任意の場所に、任意の時間、任意の規模の地震を起こせるとしたら?」

 誰に問いかけているのかも分からない。

 沈黙が落ちた。

 レムとロミは顔を見合わせ、困惑している。

 ――地震を起こすメリット。

 俺はぼんやり考える。

 発電? いや、消費する電力の方が大きそうだ。

 地形改造? そこまで正確に起こせるとも思えない。

 じゃあ何だ。ふと、嫌な考えが浮かぶ。

「まさか……国を脅そうっていうんじゃ……」

 口にしてから、自分でぞっとした。

 “何日に、ここに大地震を起こす”と予告し、脅迫する。

 信用を得るのは簡単だ。いくつか地方を予告して潰せばよい。

 次は中心部だと言えば、向こうは要求を飲むだろう。

 室内の視線が痛い。

 さすがにそんな物騒な話はないよな、と苦笑いする俺に返ってきたのは。

「いい発想だねぇ、チャフ」

 ――おい、まじかよ。

 どよめきが広がる。

 板書に徹していたキューですら、ぽかんと口を開けている。

「まあ、そういうことだよ。この技術は武器になる。ただ捨てられて縮こまってるだけの存在じゃないんだよ、ぼくたちは」

 愉快そうに笑うライズ。だが目は笑っていない。

 いつも細められている瞳が開き、縦長の瞳孔がはっきり見えた。

「国が手放した武器を、ぼくは拾って磨いている。必死に磨いたからね、やっと使えそうな感じになってきたよ」

 戦争でも始める気か。この人数で?

 馬鹿げている。

 確かに“放棄区”として切り捨てられた恨みはある。

 だが争ったところで何になる。

 そのとき、俺の手にそっと何かが触れた。

 イブだ。

 不安そうに俺とライズを見比べている。

 ――ごめんな。

 空気を悪くしたのは俺だ。

「国とやりあっても何にもならないでしょう。残った資源を奪い合うなんて、虚しいだけです」

「まだまだ視野が狭いよ、チャフ」

 一蹴された。

 しかも目がさらに開く。

 ――怖い。

「これはね、冷房のスイッチを切ったやつ……神様だか何だか知らないけど、そいつとぼくたちしか知らない技術なんだ」

 どんどんと、声が低くなる。

「いわば、そいつとやりあえる技術なんだよ。国はそれを捨てた。実に愚かだねぇ」

 その顔は、熱に浮かされている。

「ぼくたちは、弱っていくだけの羊じゃない。国の人間とは違う。牙を持った狼なんだよ」

 にたり、と笑った。

 背筋が凍る。

 こいつ……もしかして。かなりの危険思想の持ち主なんじゃないか?

 今さらながら、長い耳が目につく。

 差別用語が脳裏をかすめる。

 こんなやつをリーダーにしていて大丈夫なのか。

 俺だけじゃない。ノギス以外の顔は、明らかに引きつっている。だが誰も口を挟まない。

「あ、あの……ライズさんのお話は可能性の話で、わたしたちはそこまで考えていませんし……」

 サファーが慌てて空気をなだめに入る。

「予知や予防が最終目標です。より有用な形で還元できるよう努力します。それで、その……ひとつお願いが……」

「なんでしょうか」

 ルークが笑顔を作る。

 サファーはもじもじと身を縮め、上目遣いで言った。

「研究の一環として、人工的に地震を起こしてみたいの。許可をいただけませんか?」

 仕草は可愛い。内容は全く可愛くない。

「近場になりますので、施設への影響は避けられません。でもほんの微震ですし、津波が起きないよう直下型にします!」

「えー、それは……」

 ルークは暗がりを見る。

 当然だ。自然と視線が集まる。

 ライズは機嫌よさそうに尻尾を揺らした。

「もちろん。どんどんやって」

「ですが、仲間にはどう説明を……」

「説明はいらないよ」

 即答。

「今から起きる地震は自然現象。ユビグラムなんて関係ない。いいね?」

「……はい」

 ライズは順に視線を走らせる。

 レム。ロミ。ルーク。

 イブが元気に頷く。

 最後に俺を見る。

 俺は何度も頷いた。異論はない、と。

「じゃあサファー。いいデータを期待してるよ」

「はい、ありがとうライズさん!」

「解散ね」

 ひらひらと手を振り、ライズは去った。

 残されたのは、花を飛ばして喜ぶサファーと、呆然とする俺たち。

「さっそく実験しますから、みなさんご注意くださいね〜」

 資料を抱え、サファーも去る。

 ノギスが無言で続き、キューは黒板と扉を交互に見た後、俺に向けてにやりと笑った。

「チャフさん、あとはよろしくお願いしますね」

 はあ? 抗議する間もなく去っていく。

「お先に」

 ルークたちも消える。

 くそ。

「あはは、押し付けられちゃったねぇ」

「先に帰ってもいいぞ」

 俺は黒板に向き直る。

 蜂の巣だらけの黒板を見てうんざりする。

 これは、骨が折れそうだ。

「ううん、待ってるよ」

 イブは茣蓙に寝転び、四肢を伸ばした。

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