第4章(1)
「チャフ、ちょっといいか……話したいことがあるんだ」
深刻そうな顔をしたシブレットに呼び出されたのは、それから三日後のことだった。
人目のないところがいいと言うので、談話室の隣の空き部屋に忍び込んだ。空調は止まっているが、室温は廊下と大差ないし、少しの間なら問題ない。
「で、なんだよ」
シブレットは珍しく、もじもじとして気味が悪い。しばらく意味不明な呻き声を発していたが、やがて決心したように顔を上げた。
「頼みがあるんだ……」
「頼み? 代わってほしい仕事でもあるのか?」
「いや、その……実は」
彼は深呼吸一つすると、照れくさそうな笑顔になる。
「俺、結婚しようと思うんだ」
「はあ?」
いきなり何を言い出すんだ、この男。呆然としている俺に、シブレットは真面目くさった表情で話を続ける。
「こんな時に、馬鹿だって思われるのはわかってる。だけどさ、俺……家族が欲しいんだ。子供が欲しいんだ」
「子供?!」
思わず大声を出してしまった。シブレットはあわあわと俺を制し、外を気にする。しかし俺は構わず声を荒らげた。
「お前、何言ってんだ」
「わかってる! わかってるさ、馬鹿なことだって。こんな世界に生まれた子がどんなに辛い思いをするのかも、良くわかってる」
「じゃあ、なんで……」
彼はふいに遠い目になり、虚空を見つめた。
「俺もずっと思ってた。罪深いことだって」
ゆっくり息を吐くと、彼は視線を自分の拳に向けた。火傷の跡でボロボロなその手を、労わるように撫でる。
「俺たちは今日死ぬか、明日死ぬかを恐れながら……先の見えない苦しみを死ぬまで味わい続けるんだ。そんな思いをする人間を増やすなんて、罰当たりにもほどがある」
その通りだろう。それがわかっていながら、どうして。
「でもさ」
俺を見下ろした彼の顔は、吹っ切れたような笑顔に変わっていた。
「良く考えたら、今までだってそうだった。いつ死ぬかわからない世界に生まれて、苦しんで生きてきた」
「……」
俺は視線を地に落とした。目の前の笑顔は何だか気味が悪かった。彼は何か取り憑かれたように続ける。
「何も変わりゃしない。こんな世の中でも、人生は一度きり……。どんな世界だって、夢を叶えるチャンスはあるはずだ。後悔したくないんだよ」
一体どうしたんだ、お前。安っぽい小説の主人公みたいな台詞、どこで仕入れてきた?
そう吐き捨ててやりたかったが、やめておいた。どうも本気でそう思っているみたいだし。
沈黙する俺に気を使ったのか、シブレットは短く息をついて、浮ついた話を止める。
「リーダーの許可は貰った。彼女も同意してくれている。でもさ、ひとつ問題があってだな」
「なんだよ……」
突然、目前で両手が打たれる。大袈裟なほど頭を下げて彼は言った。
「頼む! うちのばーちゃんを引き取ってくれないか」
その迫力と、内容に愕然とした。
「頼むよ! 二人で住みたいんだ……こんなことお前にしか頼めない」
畳み込むようにそう言うと、さらに深く頭を下げる。
「子供ができるまででいいんだ。子供が生まれたら、お前のばーちゃんも引き取ってやる」
このまま放置したら土下座に向かいそうな勢いだ。友人の情けない姿は見たくない。しかし即答できることでもない。返答に困っていると、彼は急に頭を上げた。
「そしたらさ、お前、イブちゃんと暮らせよ!」
「……?」
一瞬、意味が分からなかった。頭が真っ白になる。その白いとこにペンキをぶちまけるように、シブレットはこう言い放った。
「好きなんだろ? 彼女のこと。わかってんだよ!」
自分の顔が紅潮していくのがわかる。
「な、な、何言ってんだよ!」
不躾すぎるぞ。お前と一緒にするなよ。いろんな反論が沸き上がってきたが、そう怒鳴るのが精一杯だった。
そんな俺にお構いなく、目の前の男は″わかってる、わかってる″と頷いている。あまつさえ、俺の肩に手を置いてこう言った。
「大丈夫、俺に全部任せとけ。なんなら仲人もやってやる」
「いらねぇよ!」
本当に何なんだ、この男は。鬱陶しい絡みは収まりそうもなく、俺は面倒になって話を終わらせた。
「わかったよ、ばーちゃんでも何でも連れてこいよ」
……自分の人の良さにうんざりする。俺はリチア婆の手を引いて部屋に向かっていた。
「シブレットちゃん、結婚するんだって? いいわねぇロマンチックで」
ばーちゃんは年頃の乙女のように頬を染めて呟く。ロマンチックじゃねぇよ、全然。アリの巣の中で新婚生活だぞ。
シブレットが相棒の女モモカと親密な間柄だということは知っていた。周りの目も気にしない相思相愛ぶりには閉口したもんだ。しかしまさか、こんなことになるなんて。
「水はあるか、ばーちゃん。ちょっと部屋が狭くなるけど我慢しろよ」
ばーちゃんは、新しい孫に気遣われるのが嬉しいらしい。屈託ない笑顔が胃を刺激してくる。
シブレットが世話焼きだったからだろうか、リチアはうちのばーちゃんより明るくて肌もつやつやだ。
俺と暮らして体壊さなけりゃいいがな、と思った。
……俺だって。
急に考えが頭をかすめた。
俺だって、夢見たことはある。
イブと家庭を築いて、幸せに暮らすという妄想。
子供はふたりがいい、一人目はイブに似て可愛い女の子で、二人目もイブに似て元気な男の子がいい。
俺になんて似なくていい。捻くれたガキになるだけだ。
こんな恥ずかしい妄想、口が裂けてもイブには言えない。誰にも言えない。
でも、イブも俺のことを嫌いなわけはないだろう。嫌いなら、妹の特権でも使ってコンビを解消するさ。歳が近いのは俺の他にはキューくらいだし、あんな研究バカより俺のほうがマシだろう。などと考え始めると、どんどん俺たちはお似合いに思えてきて、妄想は止まらなくなる。
だけど、いくら待ってもそんな日は訪れない。シブレットの言う事もわからなくはない。しかし俺はやっぱり違うと思った。
前と今は、明らかに違う。違いすぎる。こんな世界に新しい命を生み出すことは、恐ろしく罪なことだ。
ライズが許したからと言って、みんなの同意が得られるとは思えない。みんな口々に祝いの言葉を述べながら、その薄皮一枚下では呪いの言葉を吐くに違いないんだ。
『食いぶちを増やしやがって』と。
影で陰湿な嫌がらせが始まるかもしれない。その騒ぎが一段落すれば、次は俺も私もと空前のベビーラッシュが始まることだろう。
そしてどうしようもなくなったら、ライズが赤ん坊を食おうと言い出すんだ。きっと、そうだ。
「カルちゃん、ハナちゃん、よろしくね」
ばーちゃんたちは新しい住人を笑顔で迎えた。そして初めから三人だったかのように輪になってラジオを聞き始めるのだった。
ここはハーレムだな。俺は重いため息をついた。
ストライクゾーンが広けりゃあ、さぞ楽しい空間だったろうに。
″天国に一番近いハーレム″という言葉が浮かんで消えた。
ここはどこも天国に近い。上手くもない。ただ不謹慎なだけだ。
天国も近いだけで、誰も行けねえしな。
俺はいつも通りごろりと転がる。まるで不貞寝だな、と思いながら目を閉じた。




